廃屋にて

 地方の各地に、過疎化が進んで人の住まなくなった村がある。

 いわゆる廃村と呼ばれるものだ。


 自分でも物好きだと思うが、長期休暇のたびに各地の廃村へ出かけては、その様子を撮影し、それを動画サイトにあげている。

 人気がそこそこあり、広告収入を得ていたので、実益を兼ねた趣味であった。


 なにがおもしろいのかを説明するのは難しいが、異世界に迷い込んだような、文明が滅んだあとの世界に生き残ったような、そういう感覚に襲われるのが楽しいと言えば楽しい。

 また、廃村から、人々が生活をしている街に戻り、自宅で酒を飲んでいるときのあんかんも心地よい。



 同じ趣味を持っている人はそれなりにいて、私と同じように、ネットへ動画をあげている人もいた。

 時には同好の士に、廃村で出くわすこともあった。


 こうなると、だれも動画にあげていない土地へ行ってみたいと思うのは、人間のさがだろう。

 そのために、いろいろと調べた結果、私はある村に目をつけた。


 山奥にあるその村は、放置された道の果てにあり、日帰りも無理だったので、紹介しているサイトは見当たらなかった。

 私は念入りに準備をして、その村へ向かった。



 行けるところまで車を走らせ、そこからはキャンプ道具を担ぎながら、徒歩で廃村を目指した。

 村に到着したときには、すでに日が落ちはじめていた。

 私は手早くテントを張り、簡単な夕食をすませると、さっそく撮影に入った。



 暗くなりつつある中、時の止まった廃村を、ビデオカメラを片手に歩いた。

 視聴者の目を引くものはないかと注視しながら。


 道の真ん中に落ちているおもちゃ。

 外から丸見えのキッチンに置かれている、時代物の炊飯器。

 一階が押しつぶされている住居・・・・・・。


 ほかの村でもそうだが、自分以外のだれもいない中で、朽ちた家々に囲まれていると、何者かにのぞかれているような錯覚に陥る。

 それが廃村巡りのおもしろさであり、この感覚をほかの人にも伝えたくて、ビデオカメラを回し続けた。



 散策を続ける中、他とは雰囲気のちがう家を見つけた。

 その家も廃屋はいおくにはまちがいなく、類に漏れず外壁は痛んでいた。


 しかし、他の家とはちがい、ドアが無事で、窓もカーテンで閉められていたので、中の様子はわからなかった。


 他に比べて状態がいいのは、思い入れのある持ち主がたまに訪れては、空気を入れ換え、掃除をしていたからだろうか。

 興味を持った私は、いろいろな角度から、その二階建ての廃屋を撮影した。



 そして、それは、二階の窓に、ビデオカメラを向けたときに起きた。

 二階のカーテンがゆっくりと動き出し、少しだけ開いた。

 私は声を出すこともできずに、その場で固まってしまった。


 この場を離れるべきだ。

 いや、中に入って正体を確かめよう。


 しばらくためらったあと、私は後者を選んだ。

 好奇心と、動画の再生回数の誘惑に、私は勝てなかった。



 恐るおそる、玄関のドアに手をかけると、鍵はかかっていなかった。

 ゆっくりとドアを開けると、黴臭かびくささが鼻を襲った。


 ビデオカメラのライトを頼りに、中の様子を確かめると、一階の奥につづく廊下には、所々に穴が開いており、向こう側へ行くのは危険だった。



 玄関の右側にある、二階へつづく階段を調べたところ、不思議なほどにその形を保っており、二階へ上がれそうだった。


 意を決して階段に近づくと、歩くたびにほこりが舞った。

 マスクを持ってくればよかったと思いつつ、慎重に階段へ足をかけた。

 踏板を踏み抜くこともなく、階段に問題はなさそうであった。

 細心の注意を払いながら、一歩一歩、二階へ近づいた。



 二階の廊下は一階とちがって、穴は開いていなかった。

 目的の部屋のものと思われるドアの前へ、ゆっくりとちかづいた。


 ビデオカメラを構え直して、「中に入ってみます」と言ってから、左手でドアノブをまわし、ドアを開けた。

 力を加えていないのにも関わらず、ドアは滑らかに、私の視界から消えて行った。



 ビデオカメラ越しに、部屋の中を見渡した瞬間、私は短い悲鳴をあげ、ビデオカメラを落としてしまった。

 床のビデオカメラのライトが照らす先で、ベッドに腰を下ろしていた女が、こちらを見つめていた。



 身動きがとれないでいる私に、女が近づいて来たが、その足は部屋の中央で止まった。

 天井からぶら下がっていたランタンに、女が火を灯した。


 部屋が薄明るくなり、女の顔立ちがわかると、恐怖心からではない驚きの声を、私は漏らした。

 芸能界にもいそうにない美女が、そこにいた。


 恐怖心と女の美しさのために混乱していると、女が近づいてきて、私の手を取った。

 誘われるままに私がベッドへ腰をかけると、女も横にすわった。

 それから、わくてきな瞳を女が近づけてきて、私へ口づけをした。

 その瞬間に私は理性を失ってしまい、女を荒っぽく押し倒した。

「あら、乱暴なのはよして」

 女はなまめかしい声をあげたあと、声をひそめて笑った。


 それから、私は女の体をむさぼり、いままでの人生で経験したことのない、比べものにならない快楽を味わった。

 やがて、カーテンの隙間から室内に、弱い朝日が射し込みはじめた。

 私はようやく行為をやめて、女を抱いたまま、至福の心持ちで眠りについた。



 目が覚めると、日が暮れていた。

 女は椅子に腰をかけて、私を見つめていた。


 まちがいなく、女は人間ではなかった。

 このまま、部屋にとどまるのは危険だった。

 しかし、目の前にいる女の美しさに、私の理性は負けてしまった。

 部屋から出る気にはなれず、きのうの体験を反芻するたびに、私は強い衝動をおぼえた。



「あなたのおなまえは?」

 脳を溶かすような声で問われて、私は自分のなまえを告げた。

 いろいろと私に関することを、女は尋ねてきた。

「そういうきみのなまえは?」

 女のじょうを聞くと、彼女の表情は不機嫌なものになり、口をつぐんでしまった。

 その表情にも、笑顔とはちがう魅力があった。


 女の機嫌を損ねたことへの後悔と、きのうの快楽のざんが、交互に私を襲った。

「ごめん。聞きたいことがあれば何でも話すよ」

 私は女に媚を売った。


 しばらくの沈黙ののち、女は笑みを与えながら、私の手を握った。

 その瞬間、きのうの記憶がよみがえり、私の全身をふるわせた。

 ひとつのことを除き、なにも考えられなくなった。

「話のつづきはあしたでいいわ。素直な子には、ご褒美をあげなくては」

 女と私は、ベッドへ向かって歩き出した。



 そのあとは流されるがままだった。

 質問に答えては、その見返りに女を抱き、満足すれば寝た。

 いつしか、私は時間の感覚を失っていた。

 食事を取っていないのに、食欲は一向にわかず、私に残っていたのは、女に対する欲望だけだった。

 女の体の持つ中毒性に、私の心は麻痺させられていた。


 欲望を満たしたかった。

 そのためには、私がどういう人間であるのかを、女に教えなければならなかった。

 私は思い出せる限りのことを、女に話した。

 学生時代の出来事。

 会社での働きぶり。

 家族、友人、昔の恋人たちとのやりとり・・・・・・。



 女の体におぼれ、その快感が頂点に達するたびに、私は底のない幸福感に包まれた。

 しかし、日々が過ぎていく中で、私は焦燥感に悩まされはじめた。

 それを考えまいとしても、頭の片隅に残りつづけた。

 忘れられるのは、女を抱いているときだけだった。

 しかし、無情にもその時はやってきた。



「・・・・・・」

 椅子に坐っている女の前で、私は言葉をつむごうとしたが、一言も発することができなかった。

 そのような私を、冷たい、だからこそ美しい目で、女は見た。


 頭に浮かんだことをそのまま、私は口にしてみた。

「それはもう聞いたわ」

 女が、冷めた、だからこそ美しい声で、私をとがめた。


 しばらくの沈黙ののち、女は椅子から立ち上がると、次のように告げた。

「もう、あなたに関することで、聞けることはなさそうね。いいえ、私に関することで・・・・・・」

 それは、耳にするたびに、新鮮な興奮を与えてくれた女の声ではなく、聞きなじんだ男の、私の声であった。


 事態を理解した私が、うめき声をあげながら女を見ていると、彼女の体が左右に揺れはじめ、その姿をすこしづつ変えていき、最後には私そっくりになった。

 私は床に崩れ落ちながら、快楽の日々の終わりを悟った。



 先ほどまで女であった「私」は、ぼんやりと自分を見つめている存在を無視して、ビデオカメラを手に取ると、ドアを開けて、部屋から出て行った。

 しばらくすると、音もなく、ドアが自然に閉まった。



 窓ガラスに、美しい女の顔が映り込んでいた。

 窓から外の様子をうかがうと、廃村を出て行く「私」が見えた。

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