第32話 空の下。考古学者と願いの歌。

 たどり着いたのは、よりにもよって街のど真ん中だった。

 道を一本隔てたところに、大聖堂らしき巨大な建造物が見える。色鮮やかな巨大な建物は、どこか砂漠地帯の文化の影響を感じさせるものだ。

 たまたま行き合った道ゆく人が言うところには、さらにその向こうに歩いていけば、王宮も外から見物できるらしい。『歩いている最中に氷漬けにならなきゃね』などとゾッとすることを言っていた。


「またね」


 目的地を前に、ネズミを解放してやる。夢から醒めたように覚醒したネズミは、ソルシエールを一瞬見上げると一目散に駆け出していった。

 ソルシエールは視線を上げる。目の前にあるそれは、平凡な石造りの建物だった。


 建築のちがいなど、正直ソルシエールには分からない。

 さむい都会の建物は、東西大体、石造りだ。そして屋根が大きい。あとは色と形くらいの差しかない。建築家にとっては大切な差なのだろうが、いろんな地方を巡るとどこも似たり寄ったりに見えてきて、素人のソルシエールには見分けがつかなくなってくる。初めてみるものでも、いつかどこかで見たものに似ている。なんだか、ひどく損をしている気がしなくもない。


 表には、『魔法協会』という真鍮の看板が掲げられている。

 こちらは、ひどく新鮮だった。

 国がちがえば、そんな組織も出来上がるらしい。ブランシュ共和国なんて、魔法使いはわずかな王宮勤め以外、ほとんどノラである。国からは扱いにくくてかなわない、と注意を払われている。

 中には暴走を防止するために監視をつけられている魔法使いさえいるらしい。魔法使い本人は監視に気がついていないだろうが、とんだ人権侵害である。

 それもこれも、魔法使いはあくまで個人だという意識が強いためである。そんな中、より合おうなんて殊勝な考えを持つ魔法使いが存在することにソルシエールは驚いた。


 扉を押しあけると、小さなスペースが広がっている。物販もしているようで、カウンターの向こうには大小の薬箱が見えるし、カフェのスペースもある。

 奥から、女性が一人現れた。


「まあ、いらっしゃい、ご同業のお方。もしよろしければ、ケーキの試食をしてもらっているの。おひとついかが?」


 肉つきがよくゆったりとしているせいで、年齢不詳だ。

 少女のようにも見えるし、ソルシエールの母親の年代くらいの歳にも見える。

 たおやかな手つきでトレイが差し出される。粉糖にまぶした茶色いケーキの欠片を、ソルシエールはつまんだ。


「おいしいですね。故郷を思い出します」


 砂糖たっぷりの生地に、干しレーズンがたくさん混ぜ込まれている。


「紅茶もどうぞ」


 勧められるがままに、今度はお茶を口に運んだ。かすかに、イチゴとアルコールの香りがする。ほっとする温かさだった。

 もう一生、この建物から出ないでもいいのではないか。

 そんな気がした。


「そんな風に気に入ってくれたのならうれしいわ」


 もてなしてくれた魔女が優しく笑う。

 その視線が、ふわりとソルシエールの全身に向けられる。


「この街でなにを? ここのご出身ではないわよね」

「…………」

「……あの、もし?」

「あ、ああ、すみません。知り合いを探しているんです。『スミノロフ商会』ってご存知ありませんか?」

「あいにく、知らないわねえ。なにを行なっているところなのかしら?」

「『白銀の森』に住む人狼族の元への案内を行なっているはずです」

「まあ、『白銀の森』……! ちょっと分からないわ。知り合いに聞いてみてもいいけれど。最近は変な人たちも多いから。それに、ここに限った話ではないけれど。近ごろ、世界はとてもざわざわしているわ。ねえ、そう思わない?」


 これは困ったことだった。

 ソルシエールはとりあえず、次の案を尋ねてみる。


「では『白銀の森』へと行く手段はありますか?」

「あらまあ遠いわねえ。そうねえ、もしかしたらご紹介できるかもしれないわ。知り合いに犬ゾリの所有者がいるの」

「ありがたいです、ぜひ」

「変わった人たちなのだけれどもね、とてもいい人よ」


 ソルシエールに、運が良かったと彼女は言う。

 その人物らはちょうど今日、訪れる予定なのだそうだ。


「三時ぐらいにここに戻っていらっしゃい、その時に紹介するわ」


 懐かしい微笑みをその人は浮かべた。

 いつのことだっただろう。

 帰り道。

 その人が抱える箱には粉砂糖がかかったふわふわのロールケーキが入っている。ソルシエールは早く家に帰りたくてたまらない。すべてお見通しの彼女は、ソルシエールと繋いだ手をゆらゆら揺らして微笑む。

 ぱちぱちと爆ぜる暖炉の薪。

 あたたかいココアとマシュマロ。

 外ではしとしとと雨が降っている。

 ふわふわの毛布。

 頭を撫でる手。

 ハンドクリームの優しい匂い。

 すべて、まやかしだ。

 ああ。ずっとここにいられたらいいのに。






 

 街の中心は大きな賑わいを見せていた。

 しょぼくれたソルシエールはそこを歩く。

 警察庁に書類を携え、わざわざ向かったというのに、「行方不明? お姉さん外国人だろ。わるいけど、情報は明かせないね」などと門前払いを食らったのだ。不愉快だった。すんでのところで呪いを放つのを思いとどまった。

 結局、舌先三寸、適当なことを並べ立てて確認させたが、赤ずきんたちの行方はつかめなかった。例の商会に関する情報もない。


 時間を潰すべく、ぶらぶら適当に道を歩く。

 そこかしこに噴水があるが、そのどれもが枯れている。冬の寒さで凍結してしまうからだろう。水を止めているのだ。

 やがて、大きな広場に辿り着いた。奥には大きな聖堂が見える。宗派のちがいもあるのだろう、ブランシュ王国にあるものとは、やはり装飾の細部がちがう。

 広場ではマーケットが開かれていた。人で賑わっている。その様子に、ソルシエールはもうすぐ年末である事に思い至った。


 ソルシエールの前を一組の家族が通り過ぎる。

 なんとなく、ソルシエールの視線の先が彼らに移った。

 子供たちが先頭を歩きながら、かりかりの砂糖をまぶしたアーモンドや、ほくほくの揚げ菓子に舌鼓をうっている。その様子は嬉しそうに、そしてどこか誇らしげにも見える。そのすぐ後ろに続く彼らの両親は暖かそうなホットワインを二人で一杯、手に持っていた。二人で分け合っているのだろう。


「…………」


 そのうち、子供のうちの一人が後ろを振り返り、うしろの親になにかをねだった。その小さな手は親の手の中にあるカップに向けられている。自分にも味見させろと言っているのだ。首を横にふる親に、その子供はちぇ、と不満そうな顔をしたものの、すぐにその興味は自分の手の中にある甘い菓子の方に移ったらしい。親の笑い声が上がる。


 ソルシエールはなんだか無性に甘いものが食べたくなって、立ち並ぶスタンドのうちの一つに寄った。チョコレートたっぷりのワッフルを注文する。


「お嬢ちゃん、良かったらテラス席で食べてくといいよ」


 店員は、毛むくじゃらな手でまるで宝ものを扱うようにそっと商品を差し出すと、横に並ぶ食事用のテントを指差した。見るとなるほど、朝っぱらから中々人で賑わっていて楽しそうだ。


「ありがとう」


 一つ頷き、紙皿に敷かれたワッフルを受け取る。

 それから人々の間を割り入り、空いている席を見つけ腰を下ろした。


「こんにちは、お嬢さん!一人かい?」


 一人の旅人が珍しいのだろう。

 真向かいから声がかかる。


「ええ。こんにちは」


 返事をしたソルシエールに、声をかけてきた口髭の陽気な男性はにこにこと笑いかけた。


「なら、一緒に飲んできなよ。いいだろ、みんな」


 周囲に声を張り上げる。

 返事をした人たちを見るに、三十代、四十代の男性の四人グループだったようだ。口髭、禿頭、メガネにビール腹とバラエティ豊かだが、声をかけてきた人を含めて、みんなどこか雰囲気が似通っている。農業に携わるには真っ白く、商人というにはあまりに身なりに頓着していない。かといって家無しというには身綺麗すぎ、まさか魔法使いでもないだろう。

 それよりどうやら、朝っぱらから出来上がっているみたいだった。たくさんの空のピッチャーがそれを語っている。

 礼を言うソルシエールに、斜め前の口髭の男がアルコールでとろんとした表情で見つめた後、ハッとした顔をすると金切り声をあげた。


「あ、ああ! あれ! 黒いハットに黒いローブ! 魔女だ」

「え? 未亡人じゃなくて? わあ、ほんとだ!」

「初めて見た! 文献通りだ!」

「生きてる!」

「ネズミを生のままアタマからボリボリ食らうって本当?!」


 それを皮切りに、一斉に声が上がった。酔っていて制御ができていないのか、ほとんど叫んでいる。返事をする間もない。すごい勢いにソルシエールは目を瞬かせた。どの人も一様に目がキラキラしている。


「え、ええ…」


 なんだか珍しい反応に、ソルシエールは気恥ずかしくなった。


「ネズミは食べませんが。あなた方は?」

「おれたち? おれたちは、研究者さ!」

「研究者?」

「そう! それも鼻をかむ役にも立たねえって言われる文学者! アッハハ、『その研究なんの役に立つの?』って何回言われたことか」

「あーはっは、おれも言われたぞ。それ。『いつになったらお兄ちゃんの発明品はできるの』って甥っ子から言われた時は、さてコイツどうしてやろうかを思ったね」


 真っ赤な顔をして笑いごえをあげている。

 だいぶ酔っている。


「正確には、歴史研究者と考古学者の集まりなんだ」


 最初に声をかけてきた口髭の男性が赤ら顔で補足してくれる。

 彼は比較的シラフのようだ。

 ほかほかの甘いワッフルを口に含んで、ソルシエールの気分はなんとなく上向いた。


「研究者の方々も建物の外に出ることがあるんですね」


 また笑い声が上がる。


「そりゃそうだよ。知の探求者たるわれわれがどうして世界を旅しないで見聞を広めることができると思うんだい。この世にあるものすべて、大切な資料なのさ」


 すごい自負だ。あるいは研究者という職につくのには、それくらいの自信がないとやっていけないのかも知れない。

 そう思ったが、彼らがしているのはただの飲酒だ。ソルシエールはその事にふと気がつき、やっぱりただの酔っ払いの戯言かもしれないと思い直した。


「過去に生きる人たちかと思ってましたよ」

「そりゃあ、間違いじゃないけどね。過去のロマンを現在に置き換える能力を持っているんだ、われわれは。ああ…、そう。そうだよ! うん、ある種の魔法のようなものだよ!」


 胸を張る禿頭の男性に、メガネの男性が首肯した。


「たとえば、この広場は今は活気に溢れているけどね、今から百五十年前に起こった革命の時には、革命軍が勇ましく剣を振るった場所でもあるんだ。どうだい、目に見えるようじゃないか! 怒れる民衆の声が。不正をよしとしない正義漢たちが立ち上がる姿が。我々はこの思考力でもって、過去に立ち戻れる!」

「なるほど。魔法ではそんなことはできないですね」

「だろう! さあ、皆ども、剣を振るえ! 立ち上がれ! 自由のために!」


 どん、とテーブルに足を乗っけて、ポーズをとるメガネの男性。その顔はタコのように赤い。

 するとすかさずヤジが飛んだ。


「おおっ。見事にひょろっとしている!」

「もっと肉を食べろ、肉だ!」

「なんだと、俺は菜食主義者だ!」


 叫ぶ返すその体は前後に大きく揺れている。


「うそつけ!」

「ひっこめー!」


 げらげら笑う研究者たちにふん、と鼻息荒く睨み付けると、この無謀な彼は椅子にストンと腰を下ろした。すかさず、その隣にいる仲間たちが、からかうようにしてソルシエールに言いつける。


「こいつは革命軍びいきなんだ」

「革命軍、というより正確には反乱軍だけどね」

「かっこいいじゃないか、なにが悪い! 彼らの革命があってこそ、王家は傍流へとその席を譲り、おかげで今の我々があるんじゃないか」


 どうやら彼らのお決まりのやりとりなのだろう。

 メガネの男性は怒り顔だが、どう見たってただのふりだ。


「そりゃそうだ。彼らがいなければ俺は今ごろ田畑を耕しているだろうよ。ワンダースもの子供をこさえてね」


 ずっしりした体型の男性が頷く。


「うん? それはそれで悪くないんじゃないか。さみしい独り身の女ぎらいになることもなかっただろうに!」


 擁護したはずが、革命派の彼から攻撃を喰らい、ふまんげに自らの腹を撫でた。


「うるさいなあ。お前だって独身だろ」

「魔女さん、魔女さん。コイツ若い時、女にこっぴどい振られ方をして以来、すっかり女を避けるようになったんだよ。かわいそうだろー」

「ははは、それはまた……」


 苦笑する。


「よかったら魔女さん。女性を紹介してやってくださいよぅ。こいつは、氷の王女みたいなのが好きなんだ」

「きれいだろ」

「でも、引きこもりだ」

「それにまったく笑わないそうじゃないか」


 ふと、ソルシエールは道端で歌って小銭を稼いでいる農民の娘がいることに気がついた。彼女の歌う異国情緒あふれる旋律は、当然まるで馴染みのないものだ。


「ねえ、この歌はなんですか?」

「願いの歌だよ。この季節にはよく歌われるんだ」


 どうやらポピュラーなもののようだ。

 さらに研究者たちが説明を重ねてくれる。


「教会がこの地にやってくるより古くから伝わるものだ。千年より前のものだと推定されている。大地を慈しみ、我々を見守る母なる神。彼女はやさしい。でも、そんな神でも時には怒り狂う。そんな時、我々の歌が、怒り荒ぶる神の御霊を鎮めるんだと」

「へえ」

「まあ、そんな昔の信仰、いまどき信じているやつなんていないんだけどな、歌だけは残ったんだ」


 たった一つの質問をするだけで百の説明が返ってくるなんてなんて楽しいんだろう。ソルシエールは上機嫌ににやにや笑う。

 研究者のうちの誰かが、ぽつりとこぼした。


「形が変わっても残るものはあるんだよなあ。そして我々はそうしたものを美しく感じるよう設計されている」


 ソルシエールは空を見上げた。今にも雨の降りだしそうな、分厚い雲が、空に広がっている。

 きっとなん千年もの昔にも、こんな天気の日はあったことだろう。

 その時にも、同じようにこの歌が歌われていたかもしれない。

 でも、そのことを知る人間はいない。歌を作った人のことも、儀式で歌った人のことも、だれも知らない。すべて時の流れに押し流されて、記憶の砂に埋もれてしまった。名前も、もしかしたら骨さえ残っていないかもしれない。


 でも、だからと言って、その人たちが存在しなかったという訳ではないのだろう。

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