第31話 ぷくぷくの人形

 窓にはめ込まれた鉄格子の合間に、ぽっかりと丸い月が浮かんでいた。

 少し開けられた窓からは、外の空気が運ばれてくる。

 馬と、ほんの少し、干し草の匂いがした。

 師匠は、ちゃんと食べているかな。

 赤ずきんの気が一瞬、逸れるが、すぐに意識は目の前のできごとに戻る。


「あの、お姉さん。俺、その人、知らない」


 上質な革張りの椅子に座らされた赤ずきんが、相手からできるだけ距離を取ろうと、体をのけぞらせる。しかし、彼女はそんな拒否など意に介さず、無表情に、赤ずきんに近寄った。


「まあ、そんな事言わないで。ねえ、笑ってちょうだい。せっかくだもの、あなたの笑顔が見たいわ」


 そう言う紅の塗られた唇は、にこりともせずに赤ずきんに命じる。

 赤ずきんの話を聞いてくれるつもりはないらしい。



「時間はいっぱいあるわ。ここにいてくれるのでしょう? うれしいわ」



 その口調は、まるで感情を感じさせない。

 そのくせ、有無を言わせないぴしゃりとした言い方だった。

 朝まで、まだ、長い時間がありそうだ。

 そのことに赤ずきんは嘆息した。



✳︎

 またたくまに、車窓からの景色は都市部のものから、田園風景に変わっていく。牛や馬が草を食んでいるのが時折見える。ソルシエールは、ぼんやりと列車の窓際の座席に座り、外を眺めていた。


 席は三等車である。


 ソルシエールの雀の涙ほどの貯金など、なにか大事があれば吹き飛んでしまう。パトロンのいない今回の旅で、余計な出費などするわけにもいかない。

 一等車や二等車と比べれば、旅情にかけ、人も多く、ボックス型の座席は座り心地もわるいが、ホウキよりはスピードも乗り心地も断然ましだ。

 それに、目的地までたかだか四日の旅だ。どこででも眠ることのできるソルシエールにとって支障はなかった。


 前回の旅でも使用した革製の鞄が盗まれないように、窓と自分の間に挟み込み、ソルシエールは一瞬、瞼を閉じる。

 着いたらまず何から始めようか。考え事をしていると、なんだか眠気がしてくる。あれだけ小屋で寝ていたのに、またそうしていたくなる。


 眠気はいつだって、ソルシエールを誘う。

 あまりにも魅力的で、抗うことが困難なほど。

 そんなこと、べつに望んでいないのに。


「すみません。ここいいですか?」


 声がした。

 ソルシエールは視線を上げると、そこにはガタイがよく、短めの金の髪をした男がいた。どうやら席が比較的空いているため、声をかけてきたようだ。たしかに、四人がけのボックスだが、座っているのがソルシエールしかいない。


「ええ、どうぞ」


 ソルシエールは頷いた。


「どちらまで行かれるんですか?」


 にこにことソルシエールに笑いかける。

 どうやら人と話すことが好きなタイプらしい。


「クラースヌィの王都までです」


 眠気覚ましに、乗ることにした。


「アファナーシェフですね! 僕もです」

「あの、寒くないんですか?」


 気になっていたことを聞く。

 相手は冬だというのにペラペラのコート一枚と随分薄着だ。

 青年はにこにこと頷いた。


「ブランシュ共和国はクラースヌィと比べて温暖ですからね。久しぶりに帰るのに、冬まっさかりで寒いから少しでも慣れておこうと思って」

「ご出身はそちらですか?」


 男性的な整った顔立ちではあるのだろうが、どこか民芸品の人形めいた特徴的な顔立ちをしている。緑の目に、特に目立つのはくりくりのまつげ。頬はぷくっと赤くなっている。

 北国の特徴だ。


「ええ! 留学がちょうど終わり、国に帰るところなんですよ。久しぶりに婚約者に会えるのが嬉しくって、うふふ」


 長いまつ毛を上下させて、幸せそうに笑っている。


「素敵ですね」


 相手につられてほほえむと、青年は嬉しそうに頷いた。


「ちょっと釣れないんですけど、そういうところも素敵な子で。会うのがもう、楽しみで」

「へえ…」

「逢瀬のたびに、別にあなたに会いたいわけじゃないって照れちゃうんですよ」

「……ええと、それはまた、気高そうな方ですね」


 そうなんです、と青年は勢い込んで頷いた。


「でも、悪魔の友人がいるんですけど、彼が助言してくれたんです。少しぐらい強引でいいって」

「え、悪魔?」


 唐突な話にソルシエールは面食らう。


 ソルシエールは、文献で読んだことはあっても、まだ悪魔という存在に出会ったことがなかった。

 万物を対象とした魔法が武器の魔法使いとはちがい、悪魔はその舌に切り札を仕込んでいるという。その為、手八丁口八丁で相手を惑わし、自らの意のままに操る事を目論む、詐欺師のような存在だ。


 その昔、魔法使いと悪魔は両者とも魔法という奇妙な技で人を惑わすとして、混同されていた。得体のしれないものとして避けられた魔法使いと、社会から嫌われものの悪魔は、社会の内側にいる人間からしたら一緒くたにしてしまっても問題ないものだったのだろう。

 現在、民衆に溶け込むことに『比較的』成功した魔法使いは街の中でも見かけることはあるが、悪魔の方は、赤ずきんが会いに行くと言っていた人狼族同様、少数民族として細々と暮らしている。彼らが、その孤立した小さな社会から出ることはほとんどないのではないか。

 しかし、クラースヌィという国自体、そうした少数民族が寄せ集まってできた大国である。この青年がクラースヌィの出身だと言うのなら、そういう少数民族の知り合いがいてもおかしくはないのかもしれない。異質なものに慣れているのだろう。


「ええ。とっても変わったやつで。でも、彼が言うことって、どんな突飛なことでも、なんだかんだ当たっているから、頼りになるんです」

「へえ」

「あなたはどうですか?」

「え?」



「アファナーシェフに待っている人でも? 恋人ですか? それともご家族?」



 ぐいぐいと遠慮のない質問に、ソルシエールは苦笑して答えた。



「まあ、そんなものですよ」



 その言葉をどう解釈したものか、ふくふくと彼は幸せそうに笑って言った。まるで無垢な子供のように。


「では、あなたの旅路もどうかうまくいきますように」


 ソルシエールは曖昧な笑顔で返し、念の為、聞いてみる。


「スミノロフ商会ってご存知ですか?」


 青年は不思議そうに、首を横にふった。


「いいえ、知らないなあ。そこにあなたの会いたい人がいるんですか?」

「ええ、おそらくそうなんです」


 果たして本当にそこを辿れば赤ずきんがいるのかは、不明だが、少なくともその商会がなにかを知っているはずだった。


 駅のホーム。

 ふわふわと迷子のように雪が舞っている。

 青年は彼らを乗せてきた列車を背に、駅のホームでにこやかに手を振った。


「お互い頑張りましょうねえ」


 それからふくふくした笑顔で、大きな荷物をひょいと担ぎ、去っていく。

 手を振り返したソルシエールは、相手の姿が群衆に紛れたのを機に、手を動かすのをやめ、そっと息を吐いた。白い息が空中に露散していく。


「さて、どうするかな……。ああ、さむい」


 呟いてみるが、当然だれからも返事は返ってこない。

 とりあえず荷物をぶら下げ、歩き出す。

 ホームを抜け、駅舎に入る。それだけで、体の芯から冷えるような寒さが、やんわり緩和された。構内のオレンジ色の灯りがぼやけて球体に見える。天井からぶら下がった大きな掲示板は、電車の運行情報を掲示していた。多数のもこもことした帽子がそれを見上げている。

 ソルシエールも同じようにそれを見上げた。


「スミノロフ商会を見つけ…、『白銀の森』まで向かうべきか…」


 いくつもの山と、雪の降り積もる大地を超えた先にある森。

 あいにく、そんな僻地へ向かう列車などないのだった。

 そのための手段も持っていない。

 出来るだけ着込んで、一人ホウキで飛んでもいいが、道と寒さに不慣れなソルシエールでは凍死するのがオチだろう。それなら道案内を探すべきだが、ホウキでは長時間の二人乗りはできない。

 よって、移動手段込みで道案内を探さなくてはならない。


「うぅん」


 情報が集まる場所。

 ソルシエールでも行ける場所。

 そんな場所は、この異国の地であんまりない。


 かと言って王の手を借りなかったのは、それがこの上なく悪手だからだ。彼の名前を使えば、どこぞの大使やら大臣やら軍やらのお歴々が出てくるかもしれないが、いろんな意味で好ましくない。最後の手段にするべきだろう。


 それに、魔女は、どんなにその存在や影響力が微々たるものでも、あくまで独立していなければならない。世界と対等でなければならない。そしてそれ以上に、ソルシエールは、個人でありたかった。自分の行動はすべて自分のためであると、自覚していたかった。


 そうでないと、ソルシエールはソルシエールでいられなくなり、おぞましい怪物へと変貌してしまう。


 だからこういう時、取れる選択肢はおのずと限られてくる。

 ひとまず駅の構内に併設されていた街の案内所に行ってみた。

 受付にいたのは白髪の老婆だった。

 こっくりこっくり船を漕いでいる。


「すみません」

「あぁあ、なんだ。お客さんですか。なんの御用で」


 話をすると、名簿で、名簿『白銀の森』へのツアーを行なっている業者の確認を行なってくれた。政府の正規の名簿で、それに載っていないものは認可されていないものらしい。スミノロフ商会の名前は観光案内所の名簿には載っていなかった。


 そもそも『白銀の森』への案内を行なっている業者などほとんどいないらしい。人狼族や狼はたしかに魅力的ではあるが、保護対象であって観光資源ではないのだそうだ。


「住所も分からないんじゃねえ。まあ、最近は怪しげな業者もいますものでねえ。危ない手を使って、お金を稼ぐことに必死なんですよお」


 おっとりとした口調で老婆が喋る。

 あっという間に出来ることがなくなってしまった。

 しょうがないから、一番手慣れている方法を採ることにした。

 つまり、同業者のところだ。




 駅を出ると、空はどんよりと曇り、大通りには雪が降り積もっていた。

 一応人の通行を邪魔しないように雪かきがされていて、道は確保されているが、その代わり、傍に避けられた雪の塊がうず高く積まれている。それが崩れてきたら、ソルシエールは間違いなく死ぬ。

 心なし、雪塊と距離を取る。

 後ろを振り返ると、うすい水色の駅舎がこんもり魔女を見下ろしていた。


「ああ、さむ…」


 今度は、右手側を見る。

 背の高い建物が見えた。異国の街で特徴のある大きな建物は大体、教会か行政機関だ。つまり、街の中心地の方向。

 左を向く。

 右と比べるといくばくか閑散としている。活気がない。


「こっちに行こう」


 ソルシエールは直感的に左を選んだ。

 道は非常に進みにくかった。

 雪はけはされているものの、路面が凍っていて、ツルツル滑る。十分も経たない間に三回は転んだ。分厚い衣服のおかげでどこも怪我はしなかった。ソルシエールは転ぶたびに、そそくさと立ち上がり、周囲を見回しだれもいないのを確認した。

 辛かった。

 ソルシエールはここまでの寒さを体験したことがなかった。

 雪が降っているだけじゃない。大地自体が凍りついている。


 体の芯まで凍りそうだ。

 帽子をかぶっているのに、耳がいたい。

 気管に入り込んでくる冷気にイライラする。


 四回目。地面に膝をついたソルシエールの視界に、道に転がる酒の空き瓶が目に入って、なんとなく寒い場所に住んでいる人間が酒を好む理由がわかった。きっと、どいつもこいつもヤケクソなのだろう。酒を飲まなきゃやってられないのだ、たぶん。


「…………」


 近くに公園でもあるらしい。子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 ソルシエールは人々の正気を疑う。


「寒いのに……」


 膝を払って立ち上がる。

 すこし進むと、子供たちのきゃらきゃらという笑い声はますます大きくなった。なるほど、公園というよりも、伐採のし残しといった塩梅の小さな森がそこにはあった。そこの凍った池で、子供たちがスケートをしているのだった。


 ソルシエールはふと、公衆トイレの脇で、きいきいと喚き声をあげている動物がいるのに気がついた。

 ドブネズミだ。

 なにやら二匹で争っている。

 嘆息した。

 動物まで狂気の沙汰だ。


「寒いのに……」


 おおよそ清潔な生き物ではないが、魔法使いも似たようなものだろう。

 避けようとしたソルシエールはそう思いなおし、前回再会した時に、自分の兄に教えてもらった魔法を実践しようと、そちらにそろそろ近づいた。

 隙を見計らって、ネズミたちを風で吹き飛ばし、目を回して腹を見せる一匹を、むんずと掴み上げる。それから、そっと話しかけた。


「運の尽きだと諦めてほしいな。ええと、なんだっけ、……そう、『命を宿す者よ、どうか私を導いて』」


 そのささやきに応えて、閉じられていた瞼がぱちりと持ち上がった。

 くりくりとした瞳が、ソルシエールをぱっと見上げる。

 しかし、そこに恐怖の色はなく、暴れるでもなく従順に手の内に収まっているのだった。

 鼻はひくひくと動き、その目は輝きに溢れている。

 好奇心ゆたかな個体なのかもしれない。

 こうして見ると、かわいらしい。

 ソルシエールは、ネズミを地面にそっと下ろしてやり、指示を与えた。


「さあ。街を案内してもらおうか」


 その言葉に、ネズミはチョロチョロ、元来た道へ走り始めたのだった。

 あとを追いながらソルシエールは、あとで手袋を消毒しよう、そんなことを考えた。

 病気にでもなったらたまらない。

 意味もなく、手にふうと息を吹きかける。

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