恋のキューピットは初恋

 私は恋のキューピット。互いに想い合う2人を結び愛を繋ぐ存在。


「隆史さん!」

「真由美!」


 互いを想い抱き合う男女。


「よしっと」


 私は大空からその2人を確認すると手元のリストにひとつチェックを付けた。


「今日はあと3組か。ちゃっちゃと終わらせちゃおー」


 ラストスパートに向け気合を入れ直す為に大きく伸びをした。自然と気持ち良さが口から漏れる。


「よし! 頑張るぞ!」


 それからも私はリストの男女へ弓を引いた。恋の矢は真っすぐココロに突き刺さり矢と矢を結ぶ赤い糸で2人は引かれ合う。それにより2人の恋は実り後は2人次第。

 恋のキューピットである私がエスコートできるのはここまでだけど多くの場合はそのまま結婚して幸せになっていくらしい。そこは私の管轄外だから聞いた話だけど。


「やったー! 今日のお仕事終わりー」


 最後の男女を見届けリストにチェックを入れると両手を上げて仕事終わりを喜んだ。仕事終わりの解放感は何度味わっても最高。もはやこれを味わう為に仕事を頑張っていると言っても過言ではないのかも。だとしてら私は解放感ジャンキー?

 そんなどうでもいいことを考えながら私は地上へ降りていった。地に足を着け翼を折りたたむと下を向き歩く人々の中を歩く。

 前から歩いて来たお兄さんはスマホに視線を落とし真っすぐ私の方へ。そのまま体をすり抜け通り過ぎた。私は振り返りその後ろ姿を眺める。


「みんなよくぶつからないよね」


 感心しながら誰にも聞こえない声で呟くと再び歩き始める。

 空を飛ぶのも楽だけどこうやって歩くのも悪くない。いつも私より更に上空で煌めく太陽の光をスポットライトのようの浴びながらステップを踏み道を進んだ。


「大丈夫ですか?」


 すると近くで物が落ちる音の後に駆け寄る足音と低めの声が聞こえ私は足を止めた。片足を軸に体を回転させその音と声がした方を向く。

 そこには地面に落ちた鞄と散らばった中身を拾う女性、それを手伝うスーツの男性の姿があった。

 私はしばらくその光景を見つめていた。特に理由はないけどじぃっと。

 そして落ちている分を拾い終えると女性はお礼を言い男性は手を振りながら「大丈夫です」と笑みを浮かべる。何度も頭を下げながら女性はその場を立ち去り男性は体の向きを変えた。丁度私の方向。


「えっ?」


 だが男性は歩き出さず私を見下ろした。

 突然のことに私は驚きつつも真っすぐ男性を見上げたまま動かない。いや、動けなかった。その瞳に吸い寄せられるように目を合わせたまま離せない。

 不思議と騒ぎ出した胸に矢の突き刺さるような感覚。私は押さえつけるように手をやった。地上の気温は関係ないはずなのになぜか顔が火照ってる。

 その間も彼を見上げ続けまるで魔法でも掛けられてしまったように目が離せなかった。

 だけど時間は神様以外には扱えないからこうしてる間も進む。私にとってはすごく長い時間に感じたけど多分、彼にとってはほんの数秒。

 すると彼はゆっくりと私の方へ手を伸ばし始めた。私は吃驚したけど避けるようなことはせずむしろ望んで手が触れるのを待った。

 でも現実はしっかり現実。その手は私をすり抜け彼はそのまますぐ後ろに落ちていたリップを拾い上げた。

 そして先ほどの女性の元へ駆けるとそれを手渡す。何度目か分からないお礼を言われるとこっちへ戻って来たが私の目の前で立ち止まるなんてことはなく横を通り過ぎていった。

 私はまだ落ち着かない心臓を抱えながらその後ろ姿を見送る。


「なんだろう。これ......」


 初めての感覚に戸惑いながらもその感覚は不思議で地上に立っていながらも浮いている気分だった。

 それから私は仕事をしてても何をしててもあの人の事が頭から離れずずっと考えてしまっていた。そして仕事が終われば地上に降りてあの人と会える場所を回る。

 名前すら知らないあの人と合うはずもない目を合わせようとするけど結局、私は見てもらえない。目が合ったと思ってもそれは気のせい。それでも別に良かった。彼の隣を歩いたり仕事をする彼を見守ったり、仕事でミスして落ち込んでたら励またり休憩する彼の肩を揉んだり(もちろん気分だけだけど)。何をしても全部ただの自己満でしかないけどそれは仕方ないこと。1人で目が合ったとドキドキしたり笑顔を見てニヤついたり私はそれで楽しかった。

 そんなある日。彼はカフェでコーヒーを飲んでいて私は向かいの席に座ってた。


「あっ、お待たせー」


 すると女性が1人親し気にやってきて私のところに座った。楽しそうに話す2人は友達とはちょっと違う雰囲気。私は段々とその場に居るのが嫌になってきて窓をすり抜け空に飛び立った。丁度この曇りがかった空のように晴れない良いとは言い難い気分。

 次の日。いつもより多めのリストをこなした私は夕暮れの公園で彼の隣に座っていた。

 すると前屈みの状態から背もたれに体を預けた彼が手を隣に置いた。丁度、私と彼の間。私はその手を少し眺めると自分の手を伸ばした。でも私の手は彼の手をすり抜け重なりながらベンチに触れる。今までは人に当たらず自由に歩けて便利だと思ってたのに今は邪魔でしかない。


「建物とかみたいに触れるか触れないかを選べたらいいのに」


 そんなことを呟けど手が触れることはない。

 私は自由に彼の傍に居られるし、自由に彼を見つめられる。

 だけど私はその温もりも優しい感触も感じることが出来ない。私は彼に見てもらいたいけど認識すらしてもらえない。私は彼と言葉すら交わせない。私は――。

 段々と胸は苦しく自分という存在が憎くすら思えてきた。


「私が人間だったら......」


 小さな声と共に零れた悲涙が頬を流れた。

 これまで階級や人種、性別の壁ですら関係なく恋する2人を結んできた私だけど、流石にこれは無理。そもそもこれはあまりにも一方的な恋心だし。どんな恋よりも難関で不可能な叶わぬ恋。恋のキューピットでさえ匙を投げる恋。存在すら認識してもらえず想いすら伝えられない恋はどうやったら実るんだろうか。きっと神様も知らないはず。


「はぁー」


 嘆息は震え、悲涙は相変わらず頬を慣れて滴る雨のように私の手の甲へ落ちていた。

 まだ愁いがひどく絡みついていたけど私は立ち上がり彼の前へ。

 そして手に恋の弓を出し彼の胸目掛けて1本、恋の矢を射る。至近距離で放たれた矢は彼の胸に命中するが彼は全く気が付いていなかった。それは当然のことなのに何故だか寂しさを感じた。だけど私はそんな感情に構うことなく対となるもう1本を手元に出す。

 それに視線を落として願いを込めながら少し見つめると、私はその矢を自分の胸に突き刺した。痛みも無く―さっきから胸を締めつける苦しさは依然あったけど―刺された感覚も無い。ただ私の胸の矢と彼の胸の矢を赤い糸が結んでるだけだった。

 その光景はほんの少しだけ嬉しかった。

 だけどすぐに2本の矢は私の恋心のように儚く砕け散る。恋の矢は私には使えない。持ち上げた林檎を手放せば落ちていくように分かっていた当然の結果が当たり前に訪れた。

 世界が不具合を無かった事にするように消失してゆく矢。皮肉にもそれは夜空に煌めく星のようで綺麗だった。

 そして私はそれを見届けると弓も消し翼を広げると夕日に焼かれた空へ飛び立った。零れ落ちる泪を涙雨のように地上へ降らせながら。


                 * * * * *


 名前も知らぬあの人。その姿を見ることさえ辛くなりいつしか私のルーティンは終わりを告げた。だけどココロには喉に刺さった骨のようにその存在は残り続けた。毎日、1日のどこかで零すため息。でも水を飲もうが残り続ける骨のようにいくらため息を吐き出そうともココロは晴れない。

 そんなある日。私はあの人の名前を知った。指でなぞるリストの一番下。

 そこには2人分の名前が仲良く並び、目の前では夜道を楽しそうに話しながら歩く2人の男女。1人はあの人でもう1人はカフェに現れた女性。

 私は弓を引き1本目を女性の胸に刺した。そしてもう1本の矢を出す。

 これを射ればあの人は彼女と結ばれる。決して悪い事じゃないむしろあの人を幸せにするはずなのに――。


「何で私じゃないんだろう」


 泪に震える声。もしこの役目を放棄すれば私は消える。

 でもこの想いを抱え続けるより――。


「その方が楽なのかな?」


 もしかしたらいつかその重さに耐えかねて飛べなくなるかもしれない。嫌味のように青い空に包まれながら地に落ちて行くより今、終わる方が良いのかもしれない。


「私は自分の我が儘で誰かの愛を台無しにするの?」


 それは私が私に問いかけた言葉なのかもしれない。

 私がこれ程に恋焦がれているように彼もまた彼女に、彼女もまた彼に恋焦がれているのかも。ならそれが砕け破片がココロに突き刺さった時の痛みも今の私になら容易に想像できる。

 男女の楽し気な会話、同じペースで歩く足音。そして鼻を啜る音。

 それらの音の中で私は弓を構えた。


 私は恋のキューピット。互いに想い合う2人を結び愛を繋ぐ存在。

 私はただひたすらにを繋ぐ。

 千切れた赤い糸を引きずりながら。

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