【短編 4,000文字~】
夢現な世界
――ピー..ピー..ピー..
等間隔で鳴り響く冷たい機械音。
キャスターと人の駆ける音。
「菊田さん?聞こえますか?菊田さん?」
必死に呼びかける医者の声。
あたしは遠ざかっていくその姿をただただ立ち尽くしながら見つめることしかできなかった。不安と恐怖で激しく運動をしたかのように心臓は脈打ち息は浅く荒れる。段々と気分が悪くなり目の前が少しぼやける。
少し足元がふらつくと誰かがあたしの両腕へ優しく触れ支えてくれた。
「きっと大丈夫ですよ。さぁあちらに座ってましょうか」
看護師のお姉さんはその手同様に優しい声であたしを落ち着かせようとしてくれた。そしてお姉さんに寄り添いながら通路に並んだ椅子に腰を下ろす。
「ありがとう..ございます」
今にも消えそうな声だったがここまで連れてきてくれたこと、何より少し落ち着かせてもらったことへのお礼を伝える。それに対してお姉さんは優しい笑みを浮かべた。
それからは何度も何度も立ったり座ったりを繰り返しながら、自分に大丈夫だと言い聞かせひたすらに待った。
「
祈るように呟く妹の名前。どうか無事でいてほしい。そこに込められた想いはそれだけだった。
それと待ちながらあたしは何度か姉とのLINEをチェックしたがそこには相変わらず既読はない。
「なんでこんな時に...」
若干の苛立ちが込み上げるが不安のせいだろう。だけど中々既読が付かないのは仕方がない。姉の陽南は海外で働いていて忙しくしているんだから。
あたしはそれからもただただ待った。それしか出来ないから。
もしかしたら永遠に来ないんじゃないかって思ったけどその時はやって来た。ドアが開き先生が姿を現す。あたしは先生が歩み寄るよりも速く駆け寄ると口を開くのを急かしたい気持ちを堪え静かに待った。
「命に別状はありません」
その言葉で一気に不安やら恐怖やらが抜け楽になった。それと同時に安堵のため息が零れる。
「ですが...」
それは雲行きを怪しくさせる言葉。出来る事ならそんな言葉は聞きたくなかった。だけど色々な気持ちをグッと堪えながら言葉の続きを待つ。
「意識は依然、戻っていません」
「えっ?大丈夫なんですか?ちゃんと戻るんですよね?」
思わず捲し立てるように。というより大丈夫だと言ってくれと言わんばかりに先生へ言葉を投げつけた。
「分かりません。今は経過を見るとしか...」
申し訳なさそうな表情をする先生にあたしは少し我に返った。
「――そうですか...。分かりました」
力無く俯いたあたしは小さく呟いた。
* * *
――桃奈が眠りについてから170日目。
この日もあたしは病室にいた。
運動不足による身体的な衰えこそあれどその他に異常は見当たらない。先程先生と少し話をしてきたがそう言っていた。それとこれは可能性の話だけど、眠っているのは本人の潜在的な意識によるものかもしれないとも。桃奈は自分の意志で眠り続けているのか? あたしがそう尋ねると、何の根拠もないただの可能性の話だと念を押すように返された。
でももし本当にそうなのだとしたら。
「もう起きたくない程に嫌なことでもあったの?」
返事は返ってこないと知っていながらそう呟き桃奈の柔らかな頬に触れた。
今の桃奈は何を思い、どんな夢を見ているのだろうか。人間は誰しも現実とは違う理想を持っているのかもしれない。そんな世界に一度でも身を置いてしまえばもう戻りたくないと思うのは当然なのかも。例えそれが夢だとしても。
「折角、幸せ一杯なのにそんな世界からあたしが会いたいって理由だけで世知辛い現実へ連れ戻そうとするのは、我が儘かな?」
その答えは分からない。だけどまた話したり一緒に遊んだりしたいって気持ちは確か。あたしは少し複雑になった気持ちのまま立ち上がり顔を覗き込んだ。
すると突然、本当に何の前触れもなく。桃奈が目を開け始めた。眠たそうな目で周りを見てあたしと目が合うと少し首を傾げる。
「蓮..姉?」
「桃奈!」
あたしは嬉しさと驚きが混じり合いながらも気が付けば桃奈を力強く抱きしめていた。そして遅れてやって来た涙を大人げなくボロボロと流しながらむせび泣いた。
「どうしたの?」
そんなあたしに戸惑いを隠せない様子の桃奈。あたしは彼女から離れると涙を拭き落ち着きを取り戻しながら説明をした。当然ながら信じ切れてはいないようだ。そんなすんなり受け入れられるはずがない。桃奈には時間が必要だ。
あたしはとりあえず先生を呼んだ。そして先生が説明をしている間に陽南へ連絡。その間もずっと嬉しさのあまり笑顔だったことは言われなくても分かる。
さっきの反応でも見て取れたがどうやら桃奈は事故とその直前を覚えていないらしい。でもあたしと遊びに行ったここととかそれ以前のことは覚えているらしいからそれは良かった。
それと今後だがとりあえず念の為に検査をして問題が無ければ退院することになった。見た感じは元気そうだったからあたしはただ何もないことを願った。
* * *
退院当日。検査では特に異常は見当たらずあたしは胸を撫で下ろした。幸い検査の時間は桃奈が頭の整理をする時間にもなった。
全てが元通り。荷物をバッグに詰める桃奈を見ながらあたしは再度胸を撫で下ろす。
すると病室のドアが開いた。
「桃奈ぁ~」
病室に入って来た陽南はアタッシュケースを雑に手放し両腕を大きく広げ、桃奈へ駆け寄ると返事をする前に抱き付く。
「無事で本当に良かった」
強く抱きしめる陽南を負けないぐらい強く抱きしめ返す桃奈。2人はしばらく久しぶりの再会も味わうように抱きしめ合った。
「陽南。今回はどれぐらいいられるの?」
桃奈から離れた陽南にあたしはそう尋ねた。きっと忙しい合間を縫って来たんだろう。あまり長居はできないのかも。
「うーん。ずっと、かな。私こっちに戻ってくることになったんだよね」
「えっ?ほんとに?」
あたしは驚きのあまりその言葉を疑った。
「本当よ。あっ、そうだ。実はまだ部屋決めてなくてさ。だから蓮。しばらくいいかな?」
「別にいいけど」
「えぇー!2人共一緒に住むの?僕も一緒がいいなぁ」
桃奈は口を尖らせ少し駄々をこねるように羨ましがっていた。そんな桃奈の頭を陽南が優しく撫でる。
「じゃあもういっそのこと新しい場所に3人で住んじゃう?3人の会社の間ぐらいの場所に」
「えっ?急にそんなこと言われても」
「やったー!それがいいなぁ」
急な提案に戸惑いはした。だけどまた3人で一緒にいられるなら居たいという気持ちが断る選択肢をどこかへ捨てた。また大好きな2人と一緒になれるというだけで心は踊った。
そのことが決まった後、みんな共通で5日ほど休みがあることが分かった。何して過ごそうか。話題は自然とそれに変わっていく。
「折角だし花見でもする?」
「僕、陽南姉のお弁当食べたい!」
「いいよ。桃奈の好きなやつ沢山作ってあげる」
両手を上げて喜ぶ桃奈を眺めながらあたしは1つ疑問を抱いていた。
「今ってそんな季節だっけ?」
「何言ってるの?蓮」
「ほら、綺麗な桜が咲いてるよ」
桃奈が指差した窓の外では彼女の言う通り綺麗な桜が満開で咲いていた。
「ほんとだ」
「大丈夫?」
きっとここ最近、桃奈のことばかり考えていたから気が付かなかったんだろう。あたしはそうだと納得すると2人と一緒に今後のことを話し始めた。
* * *
この5日間はあっという間だけど昔に戻ったみたいでほんとに楽しかった。しかもこれでお別れじゃなくてこれからも一緒に居られる。夢のようだ。
共通の休日最終日。あたし達は適当なところに腰を下ろして夕日に焼かれた海を眺めていた。陽南と桃奈に挟まれて座りながら見る海はどんな絶景にも勝るんじゃないかって思う。
とにかく今は胸が幸せで一杯。その重さに耐えかねたようにあたしは後ろに寝転がった。
「ずっとこのままだったらいいのに」
無意識に呟いた言葉に陽南と桃奈が顔を覗き込む。
「ずっとこのままだよ」
「そうだよ」
あたしは2人の手をそれぞれ握った。
「なんか。しばらく離れ離れで会えなかったからこの時間が夢みたい」
「本当に夢かもよ?」
冗談っぽくそう言う陽南の顔を一度見ると視線を桃奈へ。そして昼間から夜へと移り変わろうとしている幻想的な狭間の空へ向けた。
「それでもいい。例え夢でも覚めなければそれでいい。ずっとこのままでいられるなら」
あたしは導かれるように目を閉じた。
両手に感じる2人の手は柔らかくて温かい。そしてもう離したくない。そう思える程に優しかった。
「蓮」
「蓮姉」
2人の声が聞こえる。そろそろ帰るのかな? なら目を開けて起き上がろう。
あたしはゆっくりと目を開けた。だがあたしの目に映ったのはさっきとは全く違う光景。陽南と桃奈があたしの顔を覗き込んではいたがその表情は驚いた様子。しかも2人の向こう側にあるのは夕日に焼かれた大空ではなく白い天井。
「良かったぁ」
「蓮姉ぇぇぇ!」
何が何だか分からないあたしに2人は抱き付いて来た。泣いてる?
「えっ?ここは?」
あたしの言葉に離れた2人は頬に涙を伝わせながら笑みを浮かべていた。
「病院だよ」
「え?なんで?海は?」
「海?何言ってるの?蓮姉?」
桃奈の話によるとあたしは桃奈と一緒に遊びに出かけてたらしい。その途中で桃奈を庇って事故に遭ったとか。それで170日間眠り続けていた。
あたしの手は届かなったはず。だけど本当は届いてて事故に遭ったのも眠り続けていたのもあたし。訳が分からなくて頭はこんがらがる。
それから退院当日までほとんど夢と同じだった。
荷物を積め終わったあたしはベッドのテーブルに小さなコマが置いてあるのに気が付いた。誰のだろうと思いながらそれを手に取ると指を鳴らすように回した。クルクルと安定したコマは永遠に回り続けそうだった。
「明日花見でもしない?」
すると後ろで外を眺めていた陽南がそう提案した。
「いいね。あっ!僕、陽南姉のお弁当食べたい」
「いいけどちゃんと手伝ってね」
「はーい」
2人のやり取りを聞きながらあたしの中に1つ疑問が浮かぶ。
「今ってそんな季節だっけ?」
「蓮はずっと眠ってたからね。季節感覚がちょっとズレてるんじゃない?」
振り返った陽南はそう思うのも無理はないと言うように少し笑みを浮かべていた。あぁ、そうか。あたしは170日も寝てたんだ。季節ぐらい変わるか。
「そういえば陽南はどれぐらいこっちにいるの?」
だがあたしの言葉に陽南の顔は心配するような表情へ変わった。
「どういう意味?」
「だって陽南は海外から...」
陽南の顔を見ていると自信がどんどんなくなっていき言葉は最後まで出なかった。
「海外なんて行ってないわよ。ちょっと前から3人で一緒に暮らしてるじゃない」
「蓮姉、大丈夫?」
「あれ?」
じゃあアレは夢だけの話? どこからが夢で、どこまでが現実? 分からない。頭がこんがらがってきた。
「まだちょっと整理がついてないみたいね」
「うん。そうかも」
そんなあたしの背に手を回した陽南は反対側の腕を掴み引き寄せるとそのまま窓際まで導くように歩いた。
「慌てないでゆっくり戻していこう。一緒にね。時間は沢山あるんだから」
「うん」
「僕も手伝うよ」
あたしの隣に来た桃奈は陽南のように背に手を回した。
「ありがとう」
目覚めるまで見ていた夢も今と何にも変わらないほどに現実味があった。正直に言って夢って言われないと分からないほどに。その所為でまだ少し記憶に区別が付けきれてない。だけどあの夢よりは今がいいかな。だって桃奈を助けられたから。
すると病室のドアが開き先生が入って来た。その音にあたし達3人は振り返る。
「菊田さん調子の方はどうですか?」
「はい。おかげさまで」
「それは良かった。それでは退院おめでとうございます」
「ありがとうございます。お世話になりました」
頭を下げた後に荷物を手に取った。先に歩き出した2人はドアを開いてくれている先生に一言お礼を言い病室を出る。
2人の後に続こうとしたあたしはふとテーブルの上へ視線を向けた。そこにはまだ勢いそのまま回り続けるコマ。
「蓮?行くよ」
「あっ、うん」
陽南の声にあたしは歩き出した。
実は目覚めてからずっと心の端に疑問があった。多分、現実だと思い込んでいた夢を見たせいだと思う。疑問の所為で少し不安だけど気にするべきじゃない。今はそう思う。この疑問が消えるのも時間の問題だと思うから。だって考えたって仕方ないじゃん。
――今が現実か夢かなんて
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます