⑥ 死について

 今日は君に、僕のとっておきの秘密を教えようと思う。


 僕はいつも死んでいる。


 何を言っているか分からないだって? そうだよな。僕は永遠の時を生きているわけだから。

 君はまだ死について考えるには早かったかな。

 じゃあ今日、僕は君に財産を残そう。

 この財産は返さなくていい。その理由は、これから話す。


 さて。遠い昔。

 遠い昔って言ったら遠い昔だよ。え? 具体的な年数? まぁ、八十年くらい前だと思ってくれ。僕にしては短い? 僕もそう思うよ。


 ちょうど八十年前の今日、彼が八十年の人生を終えた。彼とは誰かだって? 彼はとある民族の、非常に優秀な技術者だった。ある技術について革命的な発展をもたらした人物だった。


 八十年という時間は彼にとっては短かった。その民族の平均寿命は百二十歳だからね。早死にだと言える。


 死因は膵臓がんだ。でも珍しかった。膵臓がんの中でも治療できる類のがんだった。


 彼は技術者だ。自分の体についても技術的アプローチをした。


 その民族はとある宗教に頼っていた。その民族にとって宗教は全てで、病も、天気も、経済も、政治も、全てその宗教によって治療、判定、推定、決定されていた。そんな中で、宗教ではなく医学の力で自分の体を治そうと……彼の言葉を借りれば直そうと……した彼はかなりの異端児だった。まぁ、いつの時代も最先端を行く人はとても変わっているんだ。褒めているんだよ、これは。


 彼は金持ちだった。


 理由は簡単だ。全ての決定において宗教に頼りっきりのその民族に、「永遠の寿命」を与えるきっかけになった技術を開発したからだ。その装置は神がかっていた。その民族がかの装置を「神の御業」と讃えたくなる気持ちも分かる気がした。彼はその技術を国に売る代わりに莫大な富を得た。多分、国も彼の存在を危険視したのだろう。彼はほとんど幽閉状態だったらしい。まぁ、聞いたところによると彼は技術の開発中ほとんど汚い倉庫に籠り切りだったそうだから、城の牢屋というのはかなりマシな空間だったそうだ。幽閉を楽しんでいたそうだよ。しかし病気に気づいた。


 そこからが驚くべき。


 彼は牢屋で得られる僅かな資源を元にある開発をした。空間接続装置。すごく簡単に言えば瞬間移動を可能にする装置だ。何でも体を一度原子レベルで解体して転送し、その後転送先でもう一度組み上げる、という技術だそうだけど、ハッキリ言って脱帽だった。その発想は僕にもあった……こう言うと何だか小者みたいだね……けど、それを実現させるには課題が両手両足じゃ足りないくらいあった。彼はその課題を牢屋の中でクリアした。まったく驚きだよ。


 とにかく、彼はその装置を使って脱獄した。富はあった。家族が持っていた。彼は残された少ない時間で家族に会いに行くと、こう告げたらしい。


「僕は今までを作った。これからは君たちが作るんだ」


 そうして彼は富の一部を手にして、遥か西方へ足を運んだ。理由は簡単だったそうだ……僕の存在を知っていたから。


 彼の発明の中には、「この世に存在するありとあらゆる『情報』へのアクセスを可能にする」という奇妙なものがあった。この発明が画期的なのは君にも分かるだろう? 下手すれば哲学的になる「存在」という存在……何だか言葉遊びみたいだね……に接触することを可能にするだなんて、おそろしい発明だよ。まぁ、聞いた話によると遥か昔にそんな発明はあったそうだが、端末が必要だった。だが彼の発明は端末を必要としなかった。脳波で「検索」と「情報の保存」を可能にしていたんだ。


 話が長くなったね。


 彼はその検索を使って僕の存在を知っていた。遥か西方に医学という技術で永年の時を生き続けている人間がいるらしい、とね。すなわち僕のことだ。


 少しの時間をかけて彼は僕の元を訪れた。僕はたまたま「ラングール(猿の一種だ)における死の概念について」という研究をした後で、ラボの外で一息ついている時だった。偶然にも彼はラボの戸を叩くことなく、僕と接触できたというわけだ。


「これだけある」


 彼は家族から分けてもらった富の一部を僕に渡した。


「診てほしい」


 僕もいち研究者だ。

 彼が面白いものを運んできたことは嗅覚で分かった。少し怪しんだのち、僕は彼をラボへと通した。そして簡単な検査をして、僕は彼が膵臓がんであると診断した。

 彼の膵臓がんがどんな種類のものかを調べる必要があった。僕は自分の持っている技術の一部を使って彼の膵臓の細胞の一部を採取して、それを調べた。結果、彼の膵臓がんは手術でどうにかできるものだと診断した。


 手術したよ。検査の最中聞いた彼の話が正しければ彼は立派な発明家だ。技術に革新をもたらす。つまり彼は叡智であり、人類の手……発明はいつでも指先から行われる……であり、財産である。そう思ったから僕の持てる技術を提供した。


 だが手遅れだった。


 僕のところに来るまでの間にがんは全身に転移していた。呼吸器もやられていたし、骨などにも転移していたからハッキリ言って歩けることが奇跡みたいな状態だった。


 僕はね、こんなことを言うと言い訳みたいだけど。


 表情には出さなかったつもりだ。彼がもう救いようのない命であることを。もう手遅れだということを。手術で膵臓からがん細胞は排除できた。だが全身から取り除くことは……可能だったよ? でも彼には体力の問題があった。旅の途中で彼は命を削っていたんだ。


 彼は敏感だった。


「駄目みたいだね」


 彼の目は真っ直ぐだった。僕は……長い人生で初めて、射すくめられた。


「駄目みたいだね」


 彼は小さく繰り返した。その一週間後……間違いなく僕の人生で一番長い一週間だった……彼は死去した。


 彼の遺言で、遺体は今後の研究材料として利用させてもらうことになった。彼は最後の最後まで技術者だったというわけだ。僕の技術の発展に貢献できるならこれ以上のことはないと言ってくれた。そしてめでたく、僕は膵臓がんを克服した。僕の手にかかって治らない膵臓がんはなくなった。もっと言えば、リンパ節に転移している段階までなら治せるようになった。がんそのものを克服するのは、それから少し経ってからのことだが……彼との経験がその研究に偉大な貢献を残したことはここに明記しておく。彼のためにも、ね。


 彼はやっぱり技術者だった。


 僕のラボにある施設、資源、装置をとても興味深そうに見た後、早速開発に着手した。あのね、歩くのも奇跡みたいな人が、僕のラボの中を歩き回っていたんだ。まさしく歩く奇跡。僕は彼の好きにさせた。そして「ラングール(猿の一種だ)における死の概念について」の研究を終わらせた。結論から言えば、ラングールの脳には「想像する」能力があり、死後の世界の概念があった。彼らが埋葬をするのはそれが理由だ。


 死の直前。具体的には死の十二時間前だったと思う。


 歩く奇跡が僕を訪れた。僕はラングールの研究について論文をまとめている最中で……もっとも誰に読ませる論文なんだという話はあるが、しかし研究は何らかの形に残さないといけないので……手が空いていなかった。でも彼が来た時は、僕は少しうれしくて、僕にしては珍しく研究の手を止めたのを覚えているよ。


「君に必要な技術を開発した」


 震える声で彼はそう告げた。確か肺もやられていたので、声を出すのにも激痛が伴ったと思う。


「いつか、必要な時になったら、使ってくれ」


 僕は訊いた。


「どんな発明なんだい?」

「見るか?」


 彼に案内され、僕は彼の開発を見た。


 衝撃的だった。革新的、斬新、新たな発想、彼の開発に向ける言葉は多すぎて分からない。だが本当に、僕の全てを覆すような発明だった。僕は告げた。


「僕にこれを使う日は来ない」


 しかし彼は笑った。


「きっと来るよ」


 それから彼は声帯を使うことなく、思念で……脳波で検索できる技術を可能にした彼にとって、思念で会話することは何ということはなかった。声帯を使ったのは研究に没頭していた僕を叩き起こすことが目的だったのだろう……以下のことを告げた。



 龍人。君は死なない。しかしそれはよくないことだと私は思う。だから、この装置を君に捧げる。

 死は生命の偉大な発明だ。死があるから私たちは前に進める。死があるから歩こうと思える。無限に続く道は歩こうとも思わないだろう。歩いているのは君ぐらいだよ、龍人。

 私は祖国で、この旅を終わらせようとする人たちを見たことがある。

 君には想像がつかないかもしれないね。私の国では自ら命を絶つことを潔いとしている風習があった。だから自死をする人が多かった。例えば何かで失敗した時、疲れ果てた時、病気になった時、僕の祖国では死を選ぶ人が多かった。今でも死にとりつかれている人は多いだろう。だから私の国ではこれは必要ではなかった。永遠の命を手にすると、人は却って死にたくなるようだ……つまりある意味で、必要だったかもしれないがね。

 繰り返すよ。君は頑固だからね。

 死は生命の偉大な発明だ。これがあるから私たちは前に進める。前に進むとはどういうことか? 過去があり、現在があり、未来があるということだ。龍人。君に決定的に欠けている要素を僕は指摘するよ。

 君には未来がない。永遠の時を生き続けられる君には未来という概念は必要ない。常に現在だからだ。過去はある。現在はある。でも未来はない。つまり君は、ある意味で歩くことを辞めてしまった。君はずっと歩いているつもりだろうけど、それは永遠に回転するベルトの上を歩いているに過ぎない。一歩も前に進んでいないんだ。

 死は生命の偉大な発明だ。未来が現在になり、現在が過去になる。時の流れが生まれる。これはどういうことか? 古い世代が新しい世代になるということだ。そしてその世代交代において、古い世代は新しい世代に道を譲らなければならない。そうすることで未来が生まれ、私たちは前に進める。だから道を譲ることは決して悪いことじゃない。僕の祖国では、悪いことだと思う人が多かったが、あれは愚か者だ。

 話が逸れたね。僕は死を迎えることを光栄だと思っている。僕が死ぬことによって僕の次の世代が生まれ、そして次の世代が未来を作る。つまりね、龍人。僕の最後の発明は……未来なんだ。

 でも僕は、この未来を僕だけのものにするつもりはない。

 君は永遠の時を生きられる。つまり世代交代をしない。でもいつか君も、未来が欲しくなることがあるだろう。君は貪欲だからね。欲張りなんだ。君自身は、気づいていないかもしれないが。

 君にこの装置を送る。

 これは死の装置だ。死ねるんだ。目を閉じる間もなく。「死にたい」と思った刹那死ねる。僕の祖国にこそこの装置は「必要」だったかもしれないが彼らは間違いなくこれを悪用する。でも君は、その点において心配はない。

「死」は僕にとっても曖昧な概念だった。今でも曖昧だよ。でもこの装置は君に「死」をもたらしてくれる。だから、安心してほしい。

 いつか君が、未来を作りたくなった時。未来を覗いてみたくなった時。

 この装置を使ってくれ。一応安全設計として、可逆性があるようにしておいた。これが意味するところは、君にも分かるね。

 安心して死んでほしい。君の未来は君の次の世代がちゃんと作ってくれる。君はもしかしたら、自分を除いて未来を作れる存在がないと判断したから永遠の命を手にしたのかもしれないけど、事情や状態は常に変化する。君の次の世代ももしかしたら現れるかもしれないし、君ならもしかしたら次の世代を作るかもしれない。

 そんな時、この装置を。

 死は生命の偉大な発明だ。

 その発明の恩恵を、君にも。

 最後に。

 ありがとう。



 彼は死んだ。あっさりね。目を閉じる間もなく死んだ。彼の死を確認した後、僕は例の装置へと向かった。好奇心には勝てなかった。

 僕は研究者だ。好奇心を追究する立場だ。

 僕は研究者だ。常に未来を見ているつもりだった。

 僕は研究者だ。発明の恩恵には預かりたい。


 僕は装置を使った。だからね、君に僕の秘密を教えてあげる。


 彼は可逆性があると言ったね。これはつまり「やり直せる」ということなんだ。一度使った装置の効果をなかったことにできる。だからね、いいかい、ここからが重要だよ……。


 僕は常に死んでいる。毎朝きっかり六時に死んで、六時一分、いや六時過ぎ一秒きっかりに可逆している。

 彼は死ぬことで未来が生まれると言った。それは正しかった。


 僕が死ねるようになった直後の研究を紹介するよ。見てくれこれ。たった三十分の研究成果だよ。


『血液が母乳に変わる時の栄養代謝における変換について』

『猫も錯視が起きるのか。脳機能における「動き」の概念について』

『次元の超越、及び一度閉じた空間の展開について。ドーナツ加速器の発明』

『どこからが脳か。神経細胞の集合における情報伝達速度の変化について』

『がん細胞の転異における細胞分裂の特徴について』

『カフェインによる神経細胞の覚醒。栽培した神経細胞でも覚醒作用は起こるのか』

『新たな物質、Kycmauouの発見と今後の展望について』

『ある音程が細胞に及ぼす影響について』

『アルコールを与えた脳細胞と音楽を聞かせた脳細胞の近似的反応について』

『「横」の認知について。隣の芝が青く見えるのはどうしてか』

『殺意。他を害する行為の究極の動機は何故起こるのか』

『マイクロ波を照射したときの各細胞の変化について』

『第十二感の発見。十一次元への挑戦について』

『時間とは。過去現在未来の発展について』


 特に最後の研究は彼のおかげだ。僕は彼の装置のおかげで「時間」をより正確に認知できるようになった。彼には感謝している。彼には恩を感じている。


 しかし僕はこの恩を返そうとは思わない。


 恩は次の世代に送る。僕がしてもらった「よかったこと」を次の世代にもする。そして、次の世代にも、「自分が感じた恩を次の世代にも送ってみるんだ」ということを伝える。

 そうして、彼の財産が……ひいては僕の財産が永遠に送られ続けたら。

 それはきっと、永遠の命だ。


 僕の秘密を教えよう。


 僕はいつも死んでいる。

 最後に。

 ありがとう。




※このエピソードは、僕、田中龍人の経験を、飯田太朗氏が代わりに文章化してくれたものだ。

本当にどうもありがとう、太朗ちゃん。


ちなみに、彼の作品、『ボクはまだ「小説」を書いたことがない』に、田中龍人と中村天人が出演しているから、よかったらそっちも見てみてね。


【余罪、及び精悍な男性たち。】の章の、強欲の遺産というエピソードに出ているよ。


それではまたね。


作者:飯田太朗氏

作品:ボクはまだ「小説」を書いたことがない

https://kakuyomu.jp/works/16816452219251654927

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る