白雪の花

音琴 鈴鳴

どこかの誰か

 風で舞い上がっては、地面に落ちていく花びら。色の抜け落ちた花弁が、どこに目を向けても映る。寒いな、そう思いながら吐き出した息は、まだ白い。



 朝から用事がない休日ということもあってか、自分は散歩と称して知らない場所を探し歩いていた。


と言っても生まれも育ちも今住んでいる土地ということもあり、幼い頃から歩き回っていた土地で知らない場所など見つかるほうが稀だ。


だが、息がつまりそうな家の中から外に出る理由になっていれば、知っている場所を歩き回るだけの行為でも良かった。


あの家は嫌いだ。


 家の前にある十字路を右折し、小さめのマンションの前を今度は左折し、お好み焼き屋の近くに最近新しく置かれた自動販売機の前を通りすぎていく。


そうすれば、薄紅色の花を見ることができる場所にたどり着く。


蕾だと思っていたものが、徐々に満開になっていく様は、何度見ても美しいものだ。


最近、花開いたその場所の花を何も考えずに眺めていると散歩をしていたのだろう小型の犬に後ろから吠えられた。


誰もいないと思い込んでいたせいか、少し体がびくついたのは見られていないと信じたい。


 わんわん、と威勢よく吠える犬の飼い主だろう女性が「こら! 止めなさい、シロ」と叱りつけているのが聞こえ、つい視線を向けてしまう。


そけにいたのは、淡い黄色のワンピースを着た優しそうな顔立ちの若い女性で、彼女の足元には先ほどシロと呼ばれた黒いダックスフンドが、睨んでいるように此方を見ていた。


それは、子どもが威嚇するようなかわいらしい威力しかなかったが、女性が通りすぎるまで吠えられるのは嫌だったので彼女たちに背を向けて歩き出す。



 少しの間、行く宛もなくふらふらと歩いてから、ふと、花を見て回ろうかと思い付く。


さっきまで見ていた場所も綺麗だったが他にも咲いている場所はあるだろう。


「そうと決まれば、探しに行きますか」


そう声に出して自分は目の前の路地裏に足を踏み入れた。


 薄暗い路地裏は、少し肌寒く感じる。


下にたまった汚れや壊れたガラクタ。たまに聞こえる動物の鳴き声。


普段、感じることのないそれらを感じながら、障害物を避けながら歩いていく。


路地裏を半分ほど歩いたな、と思いながら、フード付の灰色の上着のポケットに手を入れながら歩いていると、何かに躓いてこけそうになった。


「うわ……」


意識していなかった言葉が口から漏れる。


慌てて体制を立て直したからこけることはなかったが、誰にも見られていないと分かっていても恥ずかしい。


その気持ちを表に出さず、何事もなかったかのように歩き出すが、さっきと同じようにポケットに手を入れることはしなかった。


 路地裏を抜けると家が両脇に並んでいる大きな道に出る。


車が目の前を通りすぎていくのを見てから、左の方向に足を踏み出した。


歩行者のためだろう白線の内側の中を歩きながら、車がよく通るこの道を選ぶんではなかった、と内心ため息を吐く。


そんなことを考えている間にも、右隣を銀色の車が通りすぎていった。


その車を見ながら早く違う道に行こう、と歩く速度を早足に変える。


大きな道の途中にある細い道に逃げ込むように入るまで、両手で数えれないほどの車が横を通った。


細い道に入ってすぐ、車が入ってこれるほどの幅がないことを確認した。


車が入ってこれると先ほどより困るからだ。


車が入ってこれる幅がないことを確認し終わってから、早足を普段の歩く速度に戻す。


 細い道は一方通行のようで、「こちらからのバイクの立ち入り禁止」と書かれている看板があった。


こんな看板があるのは珍しいなと思いながら、看板の横を通りすぎて奥に進んでいく。


いつの間にか、手をポケットの中に入れていたのに気付き、癖になっていることに呆れた。


また、知らないうちに同じような行動をとるだろうと思うとポケットから手を出すのが面倒に思えた。


「さっきから、全然、花見れてないんですけど」


 八つ当たりのように、喋るときより少し大きめな声で言う。


大きな道にも、花が咲いていなかったわけではないが車が通るせいでよく見れなかった。


細い道は、花が咲くような場所がないので、見つけることすらない。


 苛々しながら真っ直ぐ道を進んでいくと小さな公園が見え始めた。


小さな子ども用のブランコと水飲み場、赤や青、黄色のトンネル。


それから小さめの砂場がある公園だった。


近づいて行くと水飲み場の近くに大きな木が植えられているのに気づく。


「綺麗だな」


 公園の入り口から入って、その木を見上げる。


濃い紅色でも薄い桃色の花弁ではなく、真っ白の花弁が木を彩っている。


それは、風が吹くたび雪のように降り落ちていく。


土の上に落ちた花弁は誰にも踏まれることなく、綺麗なままでそこにあった。


春と言う季節の中に冬が居座っているような、冬という季節の中に春が入り込んでいったような不思議な光景だった。


勿論、その言葉がおかしいのも分かっている。


それでも、自分はそう思ってしまったのだから仕方がない。


「……寒い」


 春といってもまだ肌寒い時期だ。


その光景を見ていたせいか、さっきよりも一段と冷え込んだ気がした。


 ポケットの中で手を握りながら、いい暇潰しになったと微笑む。



この光景をあの人と共有したいという気持ちと、誰にも教えたくない気持ちが自分の中に生まれる。


その気持ちを持て余しながら、木を見上げ続けた。


歩き疲れたのか、足の裏がじんじん、と痛んだが気にせずにその木を見上げ続けた。


 一種の現実逃避だったかもしれない。


普段の日常に疲れていたのだと自分でも分かっていた。


その光景があまりにも幻想的だったからだろうか。


頭が痛くなるような現実を忘れさせてくれる。


 ふう、と吐き出した息は白かった。


まるで、花弁を吸い込んで体が白に染まっていく想像をするくらい、白かった。

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