第16話 孔雀

 誰が命を落とそうと、ラウレイオンに魔がき続ける日々は続いた。切り出せる銀鉱石は年々、貧しくなり、挑戦者の数の減る度、報酬を上げる。

 その日常の中、山の平穏は突然、訪れた。

 挑戦者達は目の前で魔物が霧散むさんした、と口をそろえる。程なく、魔の源が断たれた、と神託が下った。


 鉱山の権利者は掃討そうとうを神々に感謝する祭を命じられ、それが実行される日。荒れ山に馴染なじまないきらびやかな装いの人々が捧げ物を献じ、祭壇へと進んだ。

 やがて経営者自ら、貢献者に供物を下げ渡そうと、人々を近付けた時である。彼の隣りで孔雀の羽の髪飾りディアデマをそよがせる女が声を上げた。


「クトニア!」


 視線の先にはクロエがいた。彼女も青白いおもてを上げ、ペリドット橄欖石双眸そうぼうに鋭さを閃かせて相手を見据える。しかし、口を開けば、柔らかな声が紡がれた。


「銀は私の届く限り、採り尽くしました。魔が消えて国から支援がなくなれば採算は合わないでしょう。経営権の残りの年月分、負債ですね」


 そう告げるや彼女は侮蔑ぶべつ愉悦ゆえつをあらわにする。その笑いは毒を含み、見る者を凍り付かせるような害意を放った。


「まだ経営権を買っているなんて。嬉しいわ、お母様」


 鷹揚おうようにさえ聞こえる口調で、クロエは鉱山出資者の母へ語りかける。

 そして、彼女は孔雀の羽を憐れむように見た。ひ孫が生まれても不思議ではない歳を思えば充分に若々しいとはいえ、女にその飾りは派手やか過ぎる。しかし、クロエの見る不似合いは別にあった。


「男達をひざまずかせ、意に添わなければ娘の父親さえ死地へ送ったあなたでも、婚姻の女神の聖鳥の羽がそんなに魅力的? 所詮まやかしに過ぎないのに」


 女神の民は女神の民としか結婚できない。異国バルバロスから来た芸妓ヘタイラが、鉱山経営権を持つ男の妻であり得ないことをクロエは誰より知っていた。

 デイアネイラ男殺しの女は薄く笑み、その碧眼は娘とよく似た眼光を閃かせる。


「この幸せがわからないのね。でも、そんなに衰える前に、一生を共にする心の妻、と誓う殿方を得れば良かった……そう、お前は後悔するわ。美しく生んであげたのに愚かな子」


 母娘は鏡に映し合ったように互いを嘲笑した。

 しかし、


「ええ。『心の妻、と誓う殿方』に、魔が掃討されたら公表する新鉱床がある、とささやかれ、こんな山を背負わされた女の娘ですもの」


 クロエが顔をほころばせると、対称的に女は色を失う。


「何故それを……」

「彼は私の声を運ぶ木霊」


 彼女は母親の隣りに婀娜あだな目線を流した。咄嗟とっさに首を返したデイアネイラの前で、着飾ったラウレイオンの権利者はクロエへ笑み返す。クロエは口角を上げると、


「でも、一生を共にするのを邪魔する気はないわ。お幸せに、ね」


 きびすを返した。背後でざわめきがどよめきとなり、幾人かの大声が飛び交う。彼女は顧みず、イリソスの脇を過ぎる瞬間、その手を握って進み続けた。

 引かれるまま、彼が三叉路まで行くと、クロエは立ち止まり、手を離す。彼女は外衣ヒマティオンの上から巻き付けた、銀と金剛石アダマスの飾り鎖を外した。感情の窺えない目でイリソスを真っ直ぐに見ながら、クロエはそれを彼の手に握らせる。


「今まで有難う」

「……僕は用済みなんだね」

「あなたは適齢期じゃない。イリソス、私を二度と見なければ、あなたは幸せな生を得られる。私に寄られる隙を見せてはダメよ」


 先刻の姿が嘘のようにクロエは静かに微笑み、彼へ背を向けた。



――君は嘘つきで嘘つきで、ずるくて残酷で。

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