第10話 職人の子

「自由民がここへ来るとは思わなかった? そうだよ。僕は自由民の底辺だ」


 三叉路さんさろは、油をしんで暮らす者達の生み出す闇が絶え間なくい寄る。それにまぎれるようにイリソスは皮肉な笑いを浮かべた。あかりを持つ彼女にそれを見通されたくない、と願いながら、彼は自分を抑えられない。


 イリソスは鍛冶職人の末子だった。生き残った兄弟の内、相続権を持つ兄が跡を継ぎ、もう一人は多少の魔法を学んだが、それが彼の家の精一杯でもある。

 大きな戦争に区切くぎりがついた頃、成人し兵役にいたイリソスは、新兵と呼ばれている内に、労役ろうえきの方が役立つとこの地に回された。

 金属の知識と生真面目さを買われた、と言えば聞こえは良い。しかし、危険と汚れに最も近いラウレイオンだ。戦場の代わりに、ここで命を捨てろ、と言われたように彼には思えた。


「それは天空の底よ、イリソス」


 クロエはひざをつくとランプ灯明皿を置き、地面すれすれに手をかざす。見上げる瞳は静かに、ただ強かった。


「あなたはそこに生きてる。その美しさを知らないだけ。あなたは何かで九つの昼と夜を要する程の高みに昇るかもしれないし、美しさに気付くかもしれない」


 イリソスは苛立いらだちを隠せず、言い返す。


「君は自由に生きられる才能を持ってるから、そう思うんだ」

「そうかもしれないわね」

「人を惹きつける美しさがあって」

「ええ」

「ダンジョンに挑む勇気まで」

「でも、あなたはこのラウレイオンに無理矢理、もぐらされることはない」


 その声は滑らかなまま、闇に一音一音を刻むように通った。イリソスは一瞬、ひるむと語勢ごせいを弱めてたずねる。


「君は望んで来たんじゃないの?」

「望んで来たわ、私はね」


 クロエは地をでるようにてのひらを当て、視線を落とした。睫毛まつげしがちな横顔はうれいをふくむ。


「……もしかして……その、君の……」


 最後まで口にせずイリソスは問い直した。


ダンジョン魔窟に連れて来られたの? それとも……」

「鉱山奴隷として貸し出されたの。デイアネイラに」


 彼女は淡々と応える。しかし、つねの明るい声とも、復讐を告げたものとも違う音吐おんとは奥にうろを抱くように響いた。


「そして、入ったまま」


 クロエはランプを手にまた歩き出す。ついて行くイリソスに重い口を開く間を与えないところに彼女の帰る家はあった。そこから惜しみなくこぼれる明かりの中、手中の火を消すと、彼女は笑みを結ぶ。


「有難う、窓口さん。お礼に忠告。この預かり証、立ち合いの神をもおそれない人に改ざんされたら大変よ? 乾かしてから渡した方が良いわ」


 人をからかうその姿は、普段のクロエであるようにイリソスには見えた。



――ここを天空の底と告げない君はどこへ行けたのだろう。

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