父ちゃんのシャンシャンが聞こえる〔ヒューマン〕

楠本恵士

全1話 父ちゃんのシャンシャンが聞こえる

「母ちゃん、雪が降ってきたよ」

 小学三年生の湖太郎は、窓辺で空から舞い落ちてくる白い綿クズのような綿雪に瞳を輝かせた──クリスマス・イブの夜。

「母ちゃん、サンタクロースはクリスマスプレゼントくれるかな? うちは煙突ないけれど」

「大丈夫、ちゃんと母ちゃんがサンタさんにお願いしたから」

 そう言って湖太郎の母親は、破れたズボンの膝を縫い直していた。

 縫い終わった湖太郎のズボンを、湖太郎に渡して母親は言った。

「はい縫い終わったよ……暗くなったら早く家に帰っておいで」

「はーい」

 湖太郎の母親は微笑み窓の外の雪を眺めて、夫の安否を気遣う。

(あまり積もらなければいいけれど)



 湖太郎の父親は中距離トラックの運転手だった。クリスマスイブのその日は仕事を早目に終わらせ、ドライバー仲間と休憩室で談話をしていた。

 窓の外の雪空を眺めていた若いドライバーが言った。

「少し、積もってきましたね……本当にホワイトクリスマスになりましたね」

「そうだな」

 パイプ椅子に座った湖太郎の父親は、カップベンダーのコーヒーを飲みながらテーブルの上に置かれた息子へのクリスマスプレゼントを眺める。

 湖太郎がサンタクロースに望んでいたのは、現在放映中の戦隊ヒーロー物に登場する合体ロボットの玩具だった。

 父親には、前番組の戦隊物に登場していた巨大ロボットとの違いはわからないが。

 子供の目には、まったく別物に映るらしい。

 湖太郎の父親は購入した店で男の子向けの包装をしてもらい、青いリボンを付けてもらった息子へのクリスマスプレゼントに目を細める。

(今日は早く帰れそうだな……湖太郎には、いつも寂しい思いをさせているから、たまには早く帰ってやらないと) 

 湖太郎の父親がそんなコトを考えていると、休憩室に困り顔でやって来た上司の男性社員が言った。


「急な仕事が入った……誰か、お得意さんの荷物を取りに行って配達してくれる者はいないか、今日中に取引先に持っていかないと困るらしい」

 休憩室にいた数名のドライバーたちは、互いの顔を見合わせる。

 多くのドライバーたちは帰宅してしまっている。沈黙が保たれている中、残っている者の中では勤続年数が一番長いベテランドライバーの湖太郎の父親が手を上げる。

「オレ行きますよ、オレのトラックならタイヤチェーンつけたままだから」

「頼まれてくれるか、クリスマスイブなのに悪いな」

 椅子から立ち上がった湖太郎の父親は、休憩室のハンガーに掛けてあった黄色いジャンパーを手にする。

 湖太郎の父親と向かい合った席で談笑をしていた若いドライバーが、心配そうな顔で聞いてきた。

「大丈夫ですか、家では息子さんがクリスマス楽しみにしているんでしょう……良かったらオレが代わりに行きますよ」

「心配してくれるのはありがたいが、君だって婚約者がアパートで手料理を作って待っているんだろう……早く帰ってやらないと。息子も小学三年生だ、わかってくれるさ。それに、配達で通る雪道はオレの方が慣れている」

 そう言い残して湖太郎の父親は、雪降る中をトラックに乗り込みクリスマスイブ最後の仕事に向かった。


 湖太郎の家では、母親が作る料理でのクリスマスパーティー準備が進んでいた。

 クリスマスツリーに飾られたイルミネーションの点滅を眺めている湖太郎に向かって、台所に立っている母親が言った。

「湖太郎、料理を食卓に運んで……父ちゃん、もうすぐ帰ってくるから」

 湖太郎は言われた通りに台所から料理を居間の食卓に運ぶ。

 湖太郎が母親に訊ねる。

「父ちゃんが飲むビールも、冷蔵庫から出しておいてもいい?」

「それは父ちゃんが帰ってきてからにしなさい」

「は──い」

 母親は懸命に手伝いをする、我が子を眺め目を細める。

(一年前はテレビやゲームに夢中で、家の手伝いは嫌々やっていたのに……近いうちにお兄ちゃんになると、わかった時から変わったわね。湖太郎も成長しているのね)

 現在、母親のお腹には第二子が宿っている。


 微笑む湖太郎の母親。

(そう言えば、一年前のクリスマスにはタイヤにチェーンを巻いたトラックが通るたびに『父ちゃんのシャンシャンが聞こえる……』って言っていたわね)

 一年前に小学二年生だった湖太郎は、チェーンを巻いたトラックのシャンシャンという音をサンタクロースが乗るソリの音を連想して、はしゃいでいた。


 その時、母親の携帯電話から着信音が鳴り響いた。湖太郎の父親からの電話だった。

「もしもし、あなた……えっ、急な仕事が入って帰りが少し遅くなるから先に食べていてくれ? わかりました、湖太郎にも伝えておきます……雪道ですから気をつけて帰ってきてくださいね」

 母親は、背を向けて食卓に食器を並べている息子に向かって言った。

「父ちゃん、急な仕事が入ったから……先に食べていてくれって」

 湖太郎は背を向けたまま一言。

「うん、わかった」

 そう答えた。その声はどこか悲しそうだった。


 得意先の荷物を運び終えた湖太郎の父親は家路についていた。

 雪が積もった夜の山道をトラックで走行する湖太郎の父親は、フロントガラスに吹きつけてくる雪をワイパーで払いながら視界が悪い中、ライトの明かりに照らされる曲がりくねった山道を注意しながらハンドルを握る。

 何回も通った経験がある山道だが、ガードレールに残る車両の接触跡を見るたびに、父親は気持ちを引き締めて運転をする。

「ごめんよ湖太郎、クリスマスイブに帰りが遅くなって」

 助手席には湖太郎に渡す、戦隊ヒーローロボットのクリスマスプレゼントが乗っていた。

 ラジオから流れてくるクリスマスソングを聞きながら、坂道の曲がりカーブに差しかかった時だった。

 ライトに照らされる雪道の端から、ふいに黒い動物の影が飛び出してきた──鹿だった。

「危ない!」

 咄嗟にハンドルを切ったトラックの前輪がスリップして、車体がガードレールを突き破る。

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 斜面を滑り落ちていくトラック、立ち木に激突して割れるフロントガラス。湖太郎の父親の体を襲う衝突の衝撃、追突後もラジオから聞こえてくるクリスマスソング。

 車体は横倒しになったまま三十メートルほど斜面を落ちて、沢の大岩に側面が激突して止まった。


「うぅ……うぅ」

 シートベルトを装着したまま、横倒しになった運転席で頭から血を流して呻く湖太郎の父親。

 降り続く雪をライトが照らし、クラクションが夜の山に鳴り響く。点滅するウィンカー、数分前と変わらないラジオから聞こえてくる女性の声。

《それではここで、クリスマスイブに寄せられたリスナーのメールを読ませていただきます『パパ早く家に帰ってきてね、ケーキ忘れないでね、お家でママと一緒に待っているから』父親の帰りを待つ娘さんからのメールでした……リクエストは》

 軽快なクリスマスソングが流れる中、頭から血を流した父親は、ポケットから引っ張り出した携帯電話で警察と職場の上司に電話をする。

「もしもし、山道で事故ってしまいました」


 言葉少なに事故のコトを伝えると、父親は電話を切る。

 痛む腕でなんとかシートベルトを外すと、床に転がっていた息子へのクリスマスプレゼントを抱え息も絶え絶えに呟く。

「湖太郎……ごめんな、父ちゃん帰れそうにない。クリスマスプレゼント渡せなくてごめんな、家にサンタさんに来なくてごめんな」

 父親の目に涙が溢れる──父親は薄れていく意識の中で、雪が降るヘッドライトの明かりの中に立つ人影を見た。


 雲水が托鉢や行脚の時に被る網代笠あじろかさを被り、布袋を背中に担いだシルエット。

 不思議なコトにライトの明かりの中に浮かぶ人物は、逆光の中に立っているように人相や細かい服装は影になっていてわからない。

 脛に巻く白い 脚絆きゃはんと白い足袋、雪の中に立つ草鞋履きの足だけがはっきりと見えた。

(サンタクロース?)

 父親の脳裏に、湖太郎が見ていた児童書の妖怪図鑑に載っていた一体の妖怪の姿が重なる。

【夜道怪】という人の姿をした妖怪が描かれた、ページが父親の頭の中に浮かぶ。


 湖太郎の父親は、幻かも知れない人物に向かって最後の力を振り絞って、息子へのクリスマスプレゼントを差し出す。

「お願いです……息子にコレを、このクリスマスプレゼントを湖太郎に……渡してください」

 不可思議な人物は、湖太郎の父親の差し出しているクリスマスプレゼントを受け取る。

 湖太郎の父親は安堵した表情で静かに目を閉じた、携帯電話の着信音が鳴り響く中──父親は旅立っていった。


 湖太郎の家で母親の手元からうっかり、夫が愛用している湯呑みが床に落ちて割れた。 

 割れた湯呑みを片付ける母親は、今まで経験したコトが無い激しい胸騒ぎを感じていた。

 時計の時刻を見て母親は内心呟く。

(いくらなんでも、遅すぎるわね)

 不安が母親の胸をよぎる。その時、玄関の電話が鳴り湖太郎が受話器を取った。

 湖太郎はすぐに母親を呼ぶ。

「母ちゃん、警察から電話だって」

「えっ、警察!?」

 急いで息子から受話器を受け取る母親。

「もしもし、電話代わりました。えっ、事故?」

 警察からの電話を聞いていた母親は、その場に崩れるように座り込む。

 蒼白で声を震わせながら母親は、何度も受話器の向こう側にいる警察官に確認する。

「何かの間違いじゃ……本当にうちの人が運転していたトラックなんですか? 会社にも確認したから間違いない……って、そんな」

 警察からの事故の報告を受けた母親は、放心した顔で電話を切る。

「母ちゃん、何かあったの?」

 母親は涙を手の甲で拭い、首を幾度も横に振る。


 その時、湖太郎が窓枠に雪が積もる、サッシ窓の方を見て嬉しそうな顔で言った。

「父ちゃんが帰ってきた! 今、父ちゃんのシャンシャンが聞こえた!」

 母親の耳にも微かにタイヤチェーンが雪道に接触する音が聞こえた。

 急いで一戸建ての玄関ドアを開ける母親──外には誰もいない。

(空耳?)

 そう思って一歩ドアの外に踏み出した母親の足先に、コツンと何かが当たる感触があった。

 見ると包装が少し濡れて破れ、戦隊ヒーローのパッケージが覗く巨大ロボットのオモチャが入った、ひゃげた箱が玄関先に雪を避けるように置いてあった。

 箱にはサンタクロースからのクリスマスカードが添えられている。


 母親は雪の上に往復する草鞋の足跡を見た。不思議なコトに草鞋の足跡は雪道の途中で消えていた。

 母親はクリスマスプレゼントのオモチャが入った箱を抱えると、玄関で嗚咽を漏らす。

「あなた…………あなた」

 湖太郎が母親に訊ねる。

「ねぇ、父ちゃんは? 父ちゃんのシャンシャンが聞こえたよ?」

 母親は何も答えずに首を横に振りながら、雪の中で泣き続けるばかりだった。


【父ちゃんのシャンシャンが聞こえる】~おわり~

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