5、雨の日の出来事
「せーんぱい、暇なんですけど」
丸山は積まれた本の束の前でうなだれていた。暇なのは仕方がない。なんせ客がいないのだから。
「サークルの本、毎年めっちゃ売れるって言ってたじゃないですか。嘘だったんです?」
「嘘じゃない。例年なら百冊は売れる」
「嘘ですよ。全然人、来ないじゃないですか」
嘘ではない。毎年この本を楽しみにしてくれている人だっているくらいなのだ。それでも今年客足が伸びないのは単純に天候が雨だからなのだろう。今年この本の表紙を飾っているのが、僕の作品に決まったからではない……と思いたいところだ。
佐倉の手伝いがあったおかげで、僕が書いた作品はサークル内で高評価を得ることができた。作品の人気投票は済んだ後だったから文化祭の本には載せられないと思っていたのだが、この丸山が強引に本のページ数を増やした上、一ページ目に僕の作品をねじ込んだらしい。それをしたところで文句の一つもでなかったのだから、僕としては結果として良かったのだが、このまま売上が良くないとどうにも極まりが悪い。明日以降の天気が晴れることを望むしか他ない。
「それにしてもびっくりですよ、せんぱいがこんな作品も書けるだなんて。正直変態チックな作品しか書けない人なのかと思ってました。途中までどうせまた盗撮してる男でも出てくるんだろうって、疑いながら読んでたら最後はなんと王道ハッピーエンド。別の意味で度肝を抜かれましたよ」
「そんなどんでん返しを狙ったつもりはないけどな。多分そこで驚いてたのはお前だけだ」
「中学の頃から思いを寄せていた人と奇跡の再会を果たして結ばれるだなんて、せんぱいの人生とはだいぶかけ離れた物語ですし」
「うるさいやつだな」
そんな話をしていると、二人の男女が手を繋いで仲良く部室へと入って来た。二人はどうやら本を買って行ってくれるらしい。
「去年より高くなってない?」
と、女は開口一番文句を言ってきやがる。少し前まで良い子ぶっていたくせに、最近少しずつ昔の性格に戻りつつある気がするのは気のせいだろうか。
「ページ数が増えたから」
「ふうんそうなんだ」
「増えたの、佐倉さんのせいだよ」
「え、なんで私?」
七百円を支払って佐倉さんは本を一冊手に取った。
隣にいた男も財布から七百円を取り出す。
「後で佐倉から借りればいいんじゃね、って思ったんだけど。佐倉がもう一冊買っておけって」
「そうなのか、こっちとしてはその方がありがたいけど」
「散財だこっちとしては。まぁ後で読んで感想送ってやるよ」
「おお、悪いね」
二人は二冊の本を買って行くと、そそくさと部室から出て行ってしまった。
「それじゃあ、また飲みで」
文化祭が終わったら三人で飯でも行こうと誘われている。正直二人の間を邪魔したくはないから最初は断ったのだが、そんなことは気にするなと清嶋に逆に怒られてしまった。佐倉からは安藤君も一人連れてくればいいよなんて言っていたけれど、僕にそんな相手がいるはずもない。まったく皮肉なやつだ。
丸山は僕とあの二人のやり取りを横から不思議そうに見ていた。
「あれ、せんぱいのファンの方ですよね?」
そういえばそんな勘違いもあった。
「……まぁそういうことでいいよ」
「なんですかそういうことって。でも残念ですね。あんなに可愛らしい人なのに、彼氏がいただなんて。せんぱいの負けだ」
「別に負けでいいよ」
「強がんなくていいですよ。せんぱい可哀相」
本当に面倒な奴だ。なによりやはりその目が気に入らない。まん丸くて綺麗なその瞳で見られるとどうにもたじろいでしまう。本来ならなるべく関わりたくないというのに、話せば楽しいし、一緒にいて居心地がいいからなおのこと困るのだ。いっそ嫌な奴で、面倒なだけでなく僕の神経を逆なでするような奴なら良かったのにとさえ思う。
「別に、僕はああいう女はタイプじゃないんだ」
「えぇ! せんぱいそういうこと言っちゃうんですか? 何様ですか!」
「自分の意見を言っただけだ、何が悪い」
「それならせんぱいは一体どんな子がタイプなんです? 教えてくださいよ」
どうせこいつは暇つぶしにこうやって僕をからかいたいだけなんだ。でも僕にとってその質問はなんとも答え難いものだった。
言葉を探して何とか発したのはこんな言葉だった。
「そうだな……一緒にいて楽しい奴、かな」
しかしそれを口にした時、何とも言えないネガティブな感情が僕の胸のあたりを渦巻いた。それはさっき清嶋と佐倉の姿を見たからなのか、それとも単純に僕が丸山の質問をうまく避けようとしているからなのか。きっと両方だった。
気づくと一時間、僕も丸山も無言のままで店番をしていた。欠伸をしていたからおそらく丸山は単純に眠くなってしまっただけなのだろうが、僕は違った。明らかに何かを意識していた。
ポケットの中でスマホが振動を繰り返していた。見ると清嶋からメールが入っていて、件名は『読んだぞ』。そして内容はこうだった。
『どうにもオチが気に入らないな。こんな主人公バッドエンドの方がお似合いだ(笑)』
どこかで聞いたことのあるセリフで、僕はふと笑ってしまった。あの物語がバッドエンドでいいもんか。まったくカップル二人揃って本当に嫌味ったらしい奴らだ。
そう、終わり方は自分で決めればいい。
バッドエンドなんかでいいわけがない。これは僕の物語。創作でも盗作でもない、僕自身の物語なんだ。ずっとこうやって生きてきた。思っていることを言わないで、偽りの姿で本当の自分を隠してきた。そんな生き方が嫌になったから高校で変わったんだ。変わったのだったら、もし本当に変わったというのなら。少しくらい自分が思っていることを、大切な誰かに伝えるくらいはしたっていいじゃないか。
清嶋にだってできたのだから、僕にできない理由はない。
そうして僕は、隣で寝そうになっている丸山を叩き起こした。
「なんですか急に。お客さんもいないんだから寝たっていいじゃないですか」
まん丸い瞳が、僕をじろりと見つめる。たじろぎそうだった。いつもみたいに目を離しそうになった。でも嫌だったからじゃない。今の僕には目を逸らす理由がない。いつまでも恥ずかしがっている場合ではないのだ。
そうして一時間の長いインターバルの末、ようやく僕はこの言葉を口にしたのだった。
「一緒にいて楽しいやつ。例えば……そう、お前みたいなやつ……かな」
この物語はノンフィクションである。
これは文化祭が始まって間もない、ある雨の日の出来事である。
完。
青春の残滓 小さい頭巾 @smallhood
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