1、青春の残滓(2)

 ここでA君とサクラはセックスをした。僕の布団の上で、キスをして、お互いの身体を弄って、快楽を愉しんだ。それだけをするために、僕の部屋にいた。


 彼らが残した青春と恋愛の痕跡が、僕の部屋に溢れていた。僕はそれを探った。


 布団にわずかに残ったシャンプーの香りを嗅ぎ、シーツに付いた握り拳程の皺に僕の指を重ねた。


 経験したことはもちろんないし諦めもしていたはずなのに、その一部を知ってしまった僕の脳は、急激に青春を欲し始めた。でも僕にはできない。A君みたいに器用に立ち振る舞えないし、今更現状を打破できるほど僕の立ち位置は揺らいでいない。僕は暗い人間で、友人も少なくて、勉強も運動も不得意で、人と話すのだって上手くはない。それが僕で。自覚もしているし他人からもそう思われている。僕という人間は、そういう人間であるということが、確立されてしまっている。だから今更どうにもならない。僕に青春を勝ち取る手段も資格もありはしない。それはもう仕方のないことなのだ。


 だったら僕は、彼らの残飯処理係として生きればいいんじゃないか。


 彼らがトロリと落とした青春の欠片を、ちょっとばかし頂戴したところでバチは当たらないんじゃないか。

 

 僕は底辺の人間なんだ。上に居る奴らが落とした残り物を拾うくらい、なんてことない。


 次の日、僕はA君に言った。



もし良かったら、これからも僕の部屋を使うといいよ。



 A君は週に一度、だいたい木曜日に僕の部屋に来た。二人は三十分程僕の部屋で楽しむとすぐに帰る。来た時と帰る時では全く表情が違うのが面白い。僕の部屋はまるで魔法の部屋だった。そこにいると青春が生まれ溢れ出す。


 青春の痕跡は僕が回収する。余り物だとしても青春の味は美味だった。それを使って一人自慰行為に耽ることもあった。僕はサクラという人間が大嫌いだ。だからサクラの残したものを使っているという自覚はなかった。サクラというより、A君とサクラが残した青春を使って快楽を愉しんでいた。僕は青春をオカズにオナニーをしていたのだ。


 ある日のことだった。A君とサクラが来る数分前に僕は悪い事を考えた。僕はきっと青春の余り物だけでは満足がいかなくなっていたのかもしれない。今までやっていたことを残飯処理と呼ぶのなら僕が考えた悪事は青春のつまみ食いと言ったところだろうか。僕は自分の部屋に、ビデオカメラを仕掛けた。最底辺の僕に相応しい最低最悪の行為だった。


 A君とサクラが帰ると、僕はすぐにカメラを回収し、映像を確認した。カメラに付いている小さな液晶画面に映されたのは、僕の想像を遥かに超える青春だった。この時僕は初めて女の子の裸を見たし、自分以外の男のそそり立つそれを見たのももちろん初めてだった。


 青春は思った以上に汚らわしく、そして下品だった。全てを曝け出して、恥ずかしげもなくそれを堪能する。両手も舌も使って器用なものだ。


 トロリ、トロリ、と。彼らは僕らの部屋に青春を落としていく。


 なんて……なんて汚らしいのだろう。舌を絡めて、他人の唾を飲んで。尿を排出するその箇所を舐めたり咥えたり。一日を過ごしたその身体を舐めまわして。


 酷いものだ。

 でも、これが青春だ。

 下品で下劣で汚らわしい。

 最高だった。

 

 やめられるわけがなかった。僕は毎週彼らの行為を録画した。それを見て、僕も自慰行為に耽る。青春は美味かった。


 もし僕が、映像の中の彼らのようなことをできるとしたら。そんな想像をするようになった。現実になることはない。だから虚しくなる。僕は僕がどんな人間かを知っている。誰よりもよく知っている。だからわかるのだ。僕にはできない。できるわけがない。人を好きになることなら、もしかしたら僕にもできるかもしれない。でも僕が人に好かれることは、きっと、いや、絶対に。ない。だから僕はできない。僕は最底辺なんだ。最底辺には最底辺なりの生き方がある。上を見上げて、それを欲したとしても、手が届くことはない。偶然上から落ちてきたモノを、拾わせてもらっているだけ僕はまだマシなんだ。そう思えることが救いだった。


 僕の友人に武瑠(たける)という男がいた。彼は僕と同じで最底辺。勉強も運動も、コミュニケーション能力もない。だから僕とも友人だった。そんな彼がこんなことを言い出した。



 〇〇さんって、可愛いよな。



 僕は驚いた。女子を褒めるだけでも好意があると勘違いされかねないというのに、武瑠はどうかしてしまったのかと思った。でも武瑠は恥ずかしげもなくこう続けるのだ。「普段は馬鹿真面目で不機嫌そうにしているのに、休み時間にふと笑う時があるんだ。それがすごい可愛くて……」。


 武瑠は彼女のことをよく見ていた。目を逸らさずにじっと。だからきっとそんな可愛さに気付いて、そして言わずにはいられなくなった。行動こそできないけれど、自分が思っていることを口にした。僕からはそんな武瑠が……いつもと違って見えた。最底辺から抜け出しているようにさえ見えた。状況は何も変わっていないというのに、武瑠自身がどうにかしてどん底から這い上がっていこうとしているかのような、そんな風に見えた。でも僕はずっとそういう人間を馬鹿にしてきた。身の程を弁えずに惨めに青春にしがみつこうとする奴らを、僕は馬鹿にしてきたのだ。最底辺であることを自覚していながら、僕はずっと心の中で彼らにヤジを飛ばし続けてきた。一番惨めなのは……自分だというのに。武瑠が変わろうとしていた。それが僕を変えるきっかけにもなったのかもしれなかった。

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