8 そんなこと言われましても……。

「善弥くん、こんなところで何を……」

「学校の帰りだよ。今日は半ドンだったからね」


 半ドン――聞きなれない言葉であった。

 深雪が問うと、善弥が簡単に説明をしてくれた。

 外来語で休日を意味するドンタクという言葉があり、それの半分、つまり半休を指す言葉らしい。

 本では見たことがない言葉であったので、深雪は感心するように頷いた。


「結構広まってる言葉だと思っていたけど、義姉さま知らないんだ」

「……ずっと座敷牢の中だったから」

「ざ、座敷牢⁉」

「旦那さまから聞いてない……?」

「狐憑きだって言うのは聞いていたけど、座敷牢にいたとは聞いてなかったなぁ……」


 善弥が驚いて目を丸くする。どうやら、崇正は深雪がどういう境遇で生きて来たのかを、善弥には伝えてはいなかったようだ。


「崇兄さま教えてくれれば良いのに……。いや、俺にだから教えなかったのかな」

「善弥くんが知らないってことは、もしかして、義父さまと義母さまも座敷牢のことを知らなかったりとか……?」

「いや、さすがに崇兄さまも父さまと母さまには言っていると思うよ。俺に言わなかったのは……ははっ、まぁ理由は分かるけどね」


 てっきり、崇正が全てを伝えているものだと思っていたから、その気で座敷牢云々の話をしてしまった。

 けれども、崇正は善弥にだけはそこらへんの事情を言っていないようで、どうにもそれに相応の理由もありそうだ。

 余計なことを教えてしまったのかな、と深雪は思った。これ以上は、自分の過去の話はしない方が良いのかも知れない。


「善弥くん……わたしが言ってしまったってことを、旦那さまには絶対に言わないでね?」


 深雪はとりあえず口止めをお願いした。すると、善弥はぱちくりと瞬きを繰り返した後に……眼を細めた。


「うん。いいよ。……ところで、そういえば義姉さまはどうしてこんなところに?」 


 深雪はホッとしながら、善弥の問いに答えた。買い物に来たというだけだから、これは隠す必要も黙る必要もないことだ。


「へぇ……。大変そうだね。座敷牢にいたってことは、世間のことも良く分からないだろうし。俺で良かったら手伝うよ」


 はじめてのお買い物は、深雪にとっても些か不安ではあったので、渡りに船の提案ではあった。

 善弥には何かはあるようだけれども、そう悪い子には見えない。

 自分の過去の話になりそうになったら、その時だけ気をつければ良いのだし、崇正の弟なのだから無碍にも出来ないのだ。





 深雪のはじめてのお買い物は、善弥が色々と教えてくれたお陰で、予想外に上手く行った。

 崇正の好きな食べ物も教えて貰えたので、それに合わせた食材の購入が出来た。身の回りのものは、自分の好みのものを選んだけれど……。

 まぁともあれ。

 それから、善弥が荷物持ちまで買って出てくれたので、もっと助かった。全部では無く深雪自身も荷物を持ちはしたが、それでもかなり楽が出来た。


「ありがとう」


 深雪がニコニコしながらお礼を言うと、善弥は「いえいえー」と軽い調子で返事をした。

 何かお礼をしたいと思い、深雪は善弥に家に上がって貰うと、「飲んで行って」とお茶を淹れる。

 食材を買った時に一緒に茶葉も買っていた。


「別にそこまでしてくれなくても」

「手伝ってくれたから、ありがとうって意味で」

「……義姉さま優しいんだね。座敷牢に閉じ込められていたなら、もっと捻じ曲がっていそうな気もするんだけど」


 善弥の雰囲気が少し変わったが、深雪はそれに気づけなかった。


「そうかな?」

「そうだよ。普通はさ、そんな状況に置かれていたら、もっと性格おかしくなると思う。義姉さま心の底から無垢で優しいんだろうね。珍しいよ。……義姉さまって小さい頃はどんな子だったの? 崇兄さまと出会いは?」


 急な質問攻めだった。

 けれども、それが過去のことについてであったから、きっと言わない方が良いと深雪は思った。

 だから、自分なりに上手く流そうとする。


「突然どうしたの……?」


 深雪がそう訊くと、善弥は出されたお茶を一口飲んでから、ふいに立ち上がる。


「崇兄さま良いなぁ。義姉さまみたいな女の人を見つけられて……羨ましいよ」


 小さく息を一つ吐いてから、善弥は深雪に近づいて来た。

 深雪は思わず後ずさる。

 しかし、善弥は気にした様子もなく向かってきて、やがて、後ずさり続けた深雪の背が壁に当たった。

 すぐ目の前に善弥の顔があった。


 ここに至って、ようやく深雪は善弥の雰囲気がおかしい事に気づいた。


「……善弥くん?」

「義姉さまは知らないだろうけれど、俺、年上で純粋な人が好みなんだよね。苦労しても曲がらずに生きるような、そんないじらしい年上の人が大好きなんだ」


 急に善弥の手が迫って来て、深雪はびくっとしながら目を瞑った。

 ややあってゆっくりと瞼を上げると、伸ばされた善弥の手は、深雪の頬のすぐ横を通って後ろの壁についていた。


「式はまだだから、完全に崇兄さまのものってワケじゃないよね? 言わないでっていうお願いを聞いてあげて、荷物持ちもしたんだから、少しくらい良いよね?」


 事前情報無しで気づけ、というには無理があるのは確かではあるものの、けれども深雪は気づくべきだった。

 崇正が深雪の座敷牢時代を善弥に言わなかった理由に。

 それはつまるところ、深雪の生きて来た境遇が、善弥にとってドンピシャで好みに当たるからだったのだ、と。

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