沖縄に行ってきました(最終章)

これまでは、広島·長崎の原爆の傷跡を何度も訪れたのだが、戦争の傷跡は、あまり訪れていない。ハワイに一度も行った事も無く、真珠湾(パールハーバー)にも訪れていない。唯一、訪れた事があるのは、沖縄のひめゆりの塔ぐらいだろう。2019(平成31)年1月に沖縄へ訪れた。沖縄のシンボル、首里城公園にも行ったのだが、その首里城が10ヶ月後に火災で消滅してしまうとは、想像出来なかったはずだ。首里城観光の後ひめゆりの塔方面へ、自分としては、なんとなく太平洋戦争での犠牲者の慰霊塔としか思っていなかった。「ひめゆり」とは、ひめゆり学徒隊にちなんでいるという。植物のヒメユリとは関係なく、学徒隊の母校、沖縄県立第一高等女学校の高誌名「乙姫」と沖縄師範学校の高誌名「白百合」とを組み合わせ「姫百合」だったが、ひらがなで「ひめゆり」となったようだ。第二次世界大戦中の沖縄地上戦にて犠牲になった学徒隊や兵隊の慰霊塔としか知識が無かった。慰霊塔の前に大きな穴があったのだが、「ガマ」と呼ばれる自然で出来た防空壕だそうだ。この中でアメリカ軍の攻撃によって87人も犠牲になったようだ。ひめゆり学徒隊と言われていたので、おそらく10代と言う若さで犠牲になったのだと思う。訪れた時、献花したのだが、なんとも言いきれない気持ちだった。10代で犠牲になった兵隊といえば、神風特攻隊もその一つになると思う。お国「大日本帝国」の為、片道(往路)分の燃料しか積まなかった戦闘機に乗り込み、そのまま敵の軍艦に突っ込み、自ら命を犠牲にした若い兵士の事だ。鹿児島の知覧という場所に飛び立つ為の滑走路があったらしい。知覧という所に行った事は一度も無いのだが、知覧特攻平和会館があるみたいだ、おそらく、自ら命を絶った若い兵隊の遺影があると思う。いつかは訪れてみたいものだ。他にも、日本全国には、戦争の傷跡がたくさんあるのだと思う···。最後になりましたが、終戦から75年目の2020年、この年は世界全体にて新たなる戦争が始まっているようだ、コロナウイルスという見えない敵と···。

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70年前の傷跡 成瀬昭彦 @70nenmae

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