第36話 避けられぬ運命



「…何が、起きたの…?」


ビアンカ・ラスカーは、目の前に広がる光景に、一瞬目を疑った。


突如として″裂けた″大地。


それはあまりにも、一瞬だった。


一瞬だったが……″それ″は想像を絶する悲惨な光景を生み出していた。


大地の″裂け目″を中心に、市街の建物は崩落して、その崩落の中に、大勢の人々が雪崩れていた。



即死した者。死にゆく者。僅かに息がある者…


しかしそこに″転がっている″のは、ほとんどが死体だった。中央広場に接する街路に留まっていた市民達は、まさに″亀裂″の直撃を受けて——地割れや建物の崩落に巻き込まれて、大勢が死亡したか…あるいは、生き埋めになっているようだった。



「はぁ、はぁ……なんてこと……!」



これは何かの冗談だ。

ラスカーはそう思いたかった。


しかし、目の前で繰り広げられている″惨劇″が、彼女の淡い期待を打ち砕く。


これは″夢″ではなく、現実に起きていること。



「うぅぅ……」


死体の山の中には、僅かに息をしている者がいる。


「助けてくれ……」


…ラスカーはこの者達を助けたかったが、はっきり言って自分自身も無事ではなかった。


″地割れ″から離れた位置にいたため、彼女はなんとか一命を取り留めたが……

それでも、激しい揺れによって地面に体を打ちつけた。首や体幹部を打ちつけた強い衝撃で、彼女自身も僅かに動ける程度であった。



(…使い魔を……)



ラスカーは、使い魔を召喚しようとしたが…

もはや、まともに″魔法″を使える気力すら残っていなかった。


頭からは、どくどくと血が流れている。

まずは、自分の応急処置をしないと……

自分が死んでしまう。


ラスカーは、下着の一部を破って、それを包帯代わりにして出血部を止血する。

 


「はぁ…はぁ……

駄目だ、意識が朦朧とする……」


視界が歪み、まともに歩くことも出来ず。

脳震盪のごとく、体を制御出来なかったラスカーは、その場で膝をついた。


慌ただしく小刻みに呼吸する彼女。しかしラスカーは、直前まで行動を共にしていた″2人″の姿を、自らの視界におさめることは出来ず…薄れゆく意識の中で、その2人の安否を気にする。


「マーカス、さん…

メアリーさん……

2人は、どこに………?」


彼らの姿が見えない。2人は生きているだろうか。しかし今のラスカーには、マーカスとメアリーを探す余力は、残されていなかった。






″地割れ″により、市街は甚大な被害を受けていたが、アルベール中央広場は、地割れの中心部から外れていたこともあり、被害は最小限で済んでいた。


…それでも、大地が裂けたことによる激しい大震によって、中央広場に設営されていた式典場も……その大部分が倒壊していたのだ。



「…守護者様は無事か!?」



魔法院長官のゲーデリッツが叫ぶ。

式典場倒壊による余波で、長官自身も地面に体を打ち付けたが、幸い軽傷だった。


「わ、私なら…平気だ。

……シャーロット王女が、咄嗟に私を守ってくれたからな」


守護者は、無事だった。

式典場が倒壊した際に、シャーロット王女が守護者を抱え、庇護していたようだ。


「…王女も、無事ですか?」


ゲーデリッツが、守護者の傍にいたシャーロット王女に声をかける。


「…はい。私なら大丈夫です。

……それよりも、市街のほうです。

今の地震で、壊滅的な被害が出ているでしょう……

一刻も早く……」


市民を助けなければ。


皮肉なことに、″地割れ″による最大の被害を受けたのは、中央通りに面していた民衆達。


……おそらく、大勢が即死しただろう。

しかし、負傷しながらも生き残っている者達がいる。彼らを一刻も早く救出しなければ。


「…ゲーデリッツ長官。

魔道士達を指揮して、中央広場を基点に……生存者の捜索をしてください。」


シャーロットが、ゲーデリッツ長官に指示を出す。



「…ああ。なんということでしょう……」


「青の教団」のナンバー2、シスター・マーラ。彼女の命は無事だった。肩から腕にかけて、重傷を負ってはいたが…

しかし招待席にいた教団の信徒達は……その半数ほどが、命を落としていた。



「迷える魂たちよ……安らかに眠りたまえ」


死者を弔うシスター・マーラ。

しかしシャーロット王女は、マーラに構うことなく、彼女に声をかける。


「シスター・マーラ…

死者を弔うことも大事ですが…

今はまだ、やるべきことがあります。

今の地割れで、市街の人間が大勢負傷しているはず……市民達を救出しなければなりません。」


教団の信徒達だけではなく、数多の″死体″がそこかしこに横たわっていたが、王女は感傷には浸らない。それよりも、今やるべきことをしなければならないのだ。


「…そうですね、王女…」


信徒達の死に打ちひしがれていたシスター・マーラは、枯れるような声で、辛うじて王女に言葉を返した。


「…中央通りだけではありません。

街の各区画の被害状況も把握しなければなりません。」


「…どうされます?王女」


ゲーデリッツ長官が、シャーロット王女に指示を仰いだ。


「…今優先すべきは、都市の被害状況の把握。併せて、人命救助を優先的に行わなければなりません。

…各区画の病院機関にまで被害が及んでいれば、搬送も困難になる…」


シャーロットはしばし考えこみながらも、しかし迅速に判断を下す。


「…ゲーデリッツ長官。動ける魔道士達を動員して、北区、西区、東区、南区へ向かわせてください。

…病院を中心に、被害状況の確認をし、私に伝えてください

…そして、市外の軍にも応援要請を」


「各区の指揮はどうします?管区長が死亡していたら、現場は混乱しているやもしれません」


「…各区に待機させている騎士団達に、あらかじめ命令はしております。

…もしもの″非常事態″が起きれば、騎士団が率先して指揮を執り、区内の病院機関、医師達と連携して″人名救助″に当たるように、と。」


「なるほど、なら話は早い…

ならば魔道士達を全区に寄越して、騎士団と協力して人命救助に当たらせましょうか?」


「そうですね…

とにかく、各区画の状況確認と、その報告も私に寄越してください。

…そして、各区の病院機関がもし無事ならば……伝令を送ってほしいのです。


″重傷者″を集中的に助けるように。

しかし助かる見込みがない命は、″切り捨て″なさい、と。″年寄り″より、″若者″を優先して助けなさい、とね。」


王女の命令にゲーデリッツは、僅かに驚いた表情を見せる。


「……では、年寄りは見捨てろ、ということですか?」


「そうではありません。″軽傷″の若者と、″重傷″の年寄りならば、″重傷の年寄り″を優先的に助けてください。

…しかし、″重傷の若者″と″重傷の年寄り″なら、若者のほうを優先してください。…それだけのことです。」


それは非情な判断、かもしれない。

しかしシャーロット王女に、迷いはないようだった。


「この非常時では″確実″に…″助けられない″命というものが出てきます。

…先の短い老人と、まだまだ人生の長い若者なら、若者のほうに生きてもらうべきです。」


「…わかりました。しかし王女、医師達が納得するでしょうか…

″命の選択″を。」


「…納得しようがしまいが、これは命令です。

医者は結局、医者でしかない。彼らは人を救う使命はありますが、国を救う使命は背負っていないのです。


…私は、違います」


(要するに、年寄りよりも若者に生き残ってもらうことが、エストリア王国にとって重要だと言いたいのだな…)


ゲーデリッツは口にこそ出さなかったが、王女の心中を推し量る。



「…では、事態は一刻を争いますな。

早急に動きましょう。」





「うう……」


守護者や王女達のいる中央広場式典場は、その堅牢な設計のおかげで甚大な被害は免れたが、やはり負傷者が多い。今にも息絶えそうな重傷者の多くが…「死体」に紛れてそこかしこから、苦痛の呻き声をあげていたのだ。


衛士や要人達、騎士団の人間——誰かれ構わず、負傷し…あるいは命を落としていたのだ。


「ドクター・クールベ!」


シスター・マーラが、式典場に待機していた医師の内——幸いにも軽傷で済んでいた老齢の医師——クールベに声をかける。


「…今の地震で、大勢の者が負傷しております、ドクター・クールベ。動ける医師団を、あなたが指揮して、負傷者の手当にあたってください。」


彼女達がいるアルベール中央広場。


そこかしこに横たわる無数の死体。

建物の倒壊に巻き込まれた者。地震の波動で強く体を打ちつけた者。″地割れ″の直撃を受けて即死した者。地面や建物の破片を頭にかぶり、頭部が潰されている者…


まさに戦場の惨禍のごとく……


その悲惨な光景は、かろうじて生き残った者たちの、″苦難に打ち勝とうとする″胆力を、根こそぎ奪いかけていた。



「なんということだ…

なぜ、こんな………!」


その光景にショックを受けて、弱々しい声をあげる医師達。


「…あなた達がやるべきことは、今そこにあります!

…悲嘆に暮れる前に、やるべきことがあるはずです。″救える命″を、救いましょう…

今すぐに……!」


詰まるように、苦しくも声を振り絞るシスター・マーラ。彼女自身も、大勢の人間の死に直面し、精神的衝撃が強かったが……

それでも、動ける人間達が、「それぞれ」出来ることをやらなければならない。



「……クラディウス大司教は……

大司教は無事なの……!?」


「青の教団」最高指導者のクラディウス大司教。彼の姿がないことに、シスター・マーラは気付く。



「大司教……!!」


マーラの叫びも、届くことはなく。


しかし予想よりも早く彼女は、彼の安否を知ることになった。



「シスター・マーラ……」


正気の抜けた真っ青な表情で、教団員の一人が、マーラに声をかけてきた。


「どうしたのですか…?」


「…ク、クラディウス大司教が……」


教団員は、掠れた声で言いながら、シスター・マーラを案内する。



…マーラには、悪い予感しかしなかった。




「これを、見てください…」


それでも彼女は、動じないよう自制心を保つ。


あの大規模な地震だ…


″誰が″死んでいても、受け入れる覚悟はあった。


…最もその覚悟は、″視覚的″な衝撃を以て、マーラに異様な吐き気を催させた。


マーラが見た者は、正確には死体ではない。



いや、死んでいたほうが…楽だったかもしれない。



「頼む……」



マーラは、クラディウス大司教が倒壊した建物の破片に紛れて、地面に横たわっているのを見つけた。



しかし…胴体から下が、なかった。



「…殺して、くれ……」


それは、苦痛の叫び。

 

下半身と胴体が″真っ二つ″に分かれた、その凄惨な状態…


″地割れ″の影響で、付近にあった大聖堂の彫像——その彫像が握りしめていた″大剣″が、大司教の斜め上から、猛烈な勢いで落下してきたのだ。その″大剣″の直撃は、刹那のごとく一瞬に……彼の胴体と足を「分離」させた…



「青の教団」では、″守護者″に次いで崇拝されている、最高指導者の無惨な姿に…教団員は絶望の嗚咽をあげる。


「…ああ……!大司教……!!

あああああ……!!!」


教団員達は冷静さを失い、大司教を助ける術すら、思いつかなかった。



「頼む…殺して、くれ……!」



胴体が真っ二つとなり…多量に出血している。放っておいても死ぬ運命のクラディウス大司教は、苦痛の声をあげ続けていた。



「…駄目だ……ひっつけないと……

大司教様の足を……体にひっつけないと……」



泣きながら、大司教の″下半身″を探す教団員。

もはや錯乱状態にあった彼らを、シスター・マーラは宥める術がなかった。



「…頼む………」



僅かに意識のあった大司教は、目の前で呆然と立ち尽くしていたシスター・マーラに…懇願する。



殺して、楽にしてくれ。



マーラは、大司教の望みがわかった。




だから……″その通り″にした。


 


マーラは、懐から短剣を取り出して……

それを大司教の喉元に突きつけ……


一瞬で、彼の喉を掻っ切った。



…彼が苦しまずに済むように、一瞬で。



「シスター・マーラ……い、一体何を……

!?」


大司教の喉を掻っ切ったマーラを見て、教団員が驚愕するが、マーラは冷静に言葉を返した。


「……クラディウス大司教はもう、助かりません。…だから……

彼の″望み通り″、楽にさせたのです。

…苦しみから、解放するために。」


「そんな……」


困惑し涙を流す教団員達とは裏腹に、シスター・マーラの頭は変に冴えきっていた。

彼女は理解していたからだ。

″絶望″は、人をどん底の渦に落とし込めども、そこから″救い″は生まれない、と。


だからマーラは、大司教の死に悲しみこそすれど、それを過度には引き摺らない。引き摺る理由が、ない。


この状況下では、誰が死んでもおかしくはない。しかし″救いと癒し″を標榜する「青の教団」のメンバーたる者は、決して「打ちひしがれたまま」ではいけないのだ。


「行動」しなければならない。

 


だから彼女は、「危機」に直面した指導者が取るべき最善の行動として、自らは冷静さを保ち、配下の者達に「今やるべきこと」を明確に示す。


「……あなた達。大司教の死は、とても哀しい。しかし、だからこそ。

青の教団の理念を……今ここに、体現しなければなりません。

哀しみに打ちのめされるぐらいならば……

教団で″神″に仕える資格はありません。


動ける者が、動かなければなりません。

今も深傷を負って、死の瀬戸際にいる者達が大勢いるはずです。

ならば私たちのやるべきことは、一つのはずです。


…医師達と協力し、重傷者の救助に努めましょう。

……ここで、泣いている暇はありません」



「うう……大司教……!」



教団の最高指導者を失った教団員達の絶望は、計り知れないだろう。

しかし哀しみを受け入れる時間も、その絶望に身をまかせる時間も、今は存在しない。


…とはいえシスター・マーラは、教団員達の哀しみに覆われた心情が理解できるが、自分自身はもはや、哀しみという感情が「空気」のように抜けていることを、悟った。


…でなければ、いくらクラディウス大司教の苦痛を和らげるためとは言え——″躊躇いなく″彼の喉を掻き切るなどという行為は、出来るものではない。


そして彼女は同時に、その妙にクールダウンした頭で、自己を分析していた。




自分は想像以上に、冷淡な人間なのかもしれない。







シャーロット王女からの指示を受けたゲーデリッツ長官は、配下の魔道士達に指示を下していた。


「…ギャザ。お前は使い魔を複数体展開出来るだろう?″使い魔″を使用し、他の魔道士達と協働して、″中央区″の人名救助に当たるのだ。」


「…仰せのままに」


″大召喚術師″の異名を取るギャザ・オーケントールは、使い魔を″複数″召喚することが出来る。ほとんどの魔道士は、通常1体の使い魔しか召喚出来ない。


使い魔を召喚し働かせることは、極めて体力を消耗する芸当であるし、ましてや複数体の使い魔を召喚し運用することは、極めて高度な魔法運用力が求められるのだが——

エストリア王国″最高″の召喚術を誇るギャザにとっては、朝飯前のことだ。


「…負傷者はひとまず、アルベール中央広場に連れてきなさい。式典場で待機していた医師達が、何人か集まっているのでな。

さきほどの地割れで、ここ″中央区″の病院もどうなっているかわからない。

……メフィス。」


ゲーデリッツ長官は、配下の魔道士の一人である——黒髪で、やや長い前髪が両眼を覆い隠している少年——メフィスに声をかける。


「…メフィスよ。お前さんの使い魔で、中央区の被害状況を把握してくれ。

…病院はじめ医療機関の被害確認を優先的にな。」


「…了解」


メフィスと呼ばれた魔道士の少年は、ただ短く一言、ゲーデリッツに返答する。

 


メフィスは、両の掌を宙に向けた。すると、黒い″波紋″が宙に浮かび上がる。

そして″波紋″はやがて、″鳴き声″とともに、その輪郭を揺らし——

漆黒の紋様から、無数の″黒い羽″が散らばった。


そこから現れた者——

それは、無数の″カラスの群れ″であった。



「あれは……」


ギャザ・オーケントールは、メフィスの召喚したその使い魔を見て、やや驚いたような顔を見せる。


「メフィスの使い魔を見るのは初めてかね?ギャザ。

彼の使い魔は……あのカラス達は、戦闘にはおおよそ役には立たないが…″監視″や″索敵″という役割において、極めて有能なのだ。」


メフィスに″召喚″されたカラスの群れは、鳴き声をあげながら四方に飛び立って行った。


「情報収集」という唯一の役割を背負って。



「…あのカラス達が、情報収集を?」

ギャザがゲーデリッツに尋ねる。


「…うむ。

あのカラス達の目に映った者は、″全て″の情報がメフィスの脳に伝達される。

…無論、カラス達を操作しているのは、紛れもなくメフィス自身であるがな…」


「…なるほど。実に器用な魔道士ですね、彼は。」


使い魔の複数同時操作という魔法能力に、ギャザは率直に感心した。


「…長官。中央区はメフィスに任せるとして、他の区画はどうするので?」


「…心配には及ばんよ、ギャザ。他の魔道士に命じて、南北と東西の区画の被害確認を命じさせておる。

…王女が言うには、非常時の対応は騎士団にあらかじめ命じておるようだから、過度な心配はいらぬよ。

…我々は、ここ中央区で仕事をこなすのだ。」








「ではグレンヴィル。あなた達ランスロット騎士団は、″守護者″様の保護移送を頼みます」


シャーロット王女は、目下″守護者″を都市部から退避させるため、ランスロット騎士団のグレンヴィルに、守護者の保護と護送を命じていた。


「…了解しました、王女。

この身に代えても、守護者様をお守りします。

…目的地は、どこにいたしましょう?」


先の地震で、″騎士団員″複数人も、命を落としていた。幸いにもパレードの警備に当たっていたグレンヴィル達騎士団は無事であった。


「…グレンヴィル。首都アルベールを出た後は、ひとまず西部のクランドバーグ陸軍基地に向かってください。

…今さっき至急の通達が届きました。あの基地は地震の影響を受けなかったようですので。」


「…王女。エストリア王国軍を、ここアルベールに動員しないのですか?」


「…無論、応援要請を出しています。

しかし都市部付近の被害状況もわからない上、仮に軍が応援を寄越せたとしても……アルベールまで到着するまでには、相当な時間を要します。

…アルベール市民の人名救助を優先すべき今、″騎士団″が中心となって、対応に当たる他はありません。グレンヴィル。」


「…そうですね。ここアルベールも、いつ地震の″第二波″が来るかわからない…

早急に、アルベールから守護者様を避難させなければ……」


グレンヴィルは心中、別の人物達の心配もしていた……


(皆は無事だろうか…

マーカス殿やメアリー殿。

……ラスカーも……)


しかし、今は目の前の″任務″に集中する。

″ランスロット騎士団″の団長としての職責を、果たさなければならない。



「…それにしても、アルモウデス長官はどこに?」


シャーロット王女は、本来ならば″守護者″のそばに常に控えている——″大神院″の長官の姿が見えないことに、違和感を覚える。


「…そういえば、姿を見ませんね。

…まさか、地割れや地震に巻き込まれて……」


グレンヴィルの懸念を、しかしシャーロットは一蹴する。


「…まさか。

そんな簡単に死ぬような連中ではないでしょう…」


王女の言い方には、どこか毒気が含まれていた。敵意、と言ってもいいだろう。


本来ならば、大神院の人間が一番″守護者″を守らなければならないはずだ。

普段から守護者の″権威″を散々利用しておきながら、いざ危機が起きると…守護者も守らずに、自分達だけは逃げおおせるのか…


「…大神院のことは、今はどうでもいいこと。

とにかくグレンヴィル。″守護者″様の移送を、頼みます」



「あ、あの…シャーロット王女…」


突然王女に横から声をかけてきた人物…

それは、王室付き″魔道士″のソフィア・ニコラウスだった。


「…あの、王女。

私も、守護者様の護衛に付いても、よろしいでしょうか?」


「…あなたが、ソフィア?

どうして急に……」


シャーロットの問いかけに、しかしソフィアは僅かに頬を赤らめるだけだった。

その様子を見て、シャーロットはソフィアの真意を、概ね理解した。



「…ソフィア。守護者様に、惚れたの?」



直球な投げかけに、ソフィアは仰天したように否定する。


「そ、そんな無礼なことは!ありません…!

そ、そういうことじゃありません!!

……ただ、私の出来ることも限られてますし……その…

″守護者″様を、純粋に守りたいんです。

″守りたい″って……強くそう、思えるから。」


本心を″打ち明けさせて″くれた、守護者に対して、ソフィアが並々ならぬ感情を抱いていたことも、嘘ではなかったのだ。


ソフィアの嘆願に、特段断る理由もないと、シャーロットは許可する。


「…いいでしょう、ソフィア。

グレンヴィル達ランスロット騎士団と共に、守護者様の護送任務についてください」



騎士団や魔道士達に、次々に指示を出していくシャーロット王女。

そして彼女は、自らが全幅の信頼を置く″配下″を、呼び出した。



「……キーラ!」


「…は。シャーロット王女。」


エストリア騎士団副騎士団長のキーラ・ハーヴィー。

騎士団″強硬派″の先鋒たる彼女も、シャーロット王女の命令には絶対服従を誓う。


「…キーラ。エストリア騎士団を、ここ″中央区″に待機させておきなさい。

アルベールの各地区で″現地対応不能″な″限界状態″が発生した際…いつでも応援に動けるように」


「了解しましたぁ、シャーロット王女」


この非常時でも、まるで緊張感のない口調のキーラ。しかし、任務遂行における機敏さと、純粋な戦闘技能において、シャーロット王女はキーラを高く評価している。故に、最側近として彼女を重用しているのだ。


そしてキーラ自身も、戦闘能力において、唯一自分を打ち負かしたシャーロット王女のことを、認めているのだ。


精鋭集団と言われる″騎士団″の中でも、シャーロットとキーラの強さは群を抜いている。




「…キーラはどこにいったんだ?」


騎士団強硬派の一人、スペンサー卿。

悪運強くも、やはり″地震″から生き延びた彼は、キーラの不在を問いかける。


「…キーラ様は、シャーロット王女のところに行きましたわ」


シュヴァルツ騎士団の団長、アンバー・フェアファックスが返答する。


「…ふん。やはりキーラの最優先はシャーロット王女か。…まあいい。

我々はここを離れるぞ。」


「…スペンサー卿。シャーロット王女から、指示を受けなくてよろしいですの?

この″非常事態″ですから、″騎士団″として独断行動は控えるべきかと……」


「…フェアファックス。何も街から離れるわけではない。

…ウッズは、王女の所へ行って、指示を乞え。

私とキャラウェイは、″難民街″へ向かう。」


「…スペンサー卿。難民街へ行って、何をするつもりなのですか?」


ヴィーコン騎士団団長のジェイデン・キャラウェイは、その青白い顔を顰ませながら、スペンサーに尋ねる。


「…なあに。″混乱″に乗じれば、出来ることというものが、あるのだよ。」


そう言葉を返したスペンサーの顔には、僅かに笑みが浮かんでいた。



「わたくしはどうすればよろしいのですか?スペンサー卿。」


「フェアファックス。お前にも仕事がある。

″ランスロット騎士団″の連中が、″守護者″を護送するそうだ。

……フェアファックス。お前は奴らを襲撃して、騎士団長のグレンヴィルを始末しろ」


「…あら?グレンヴィル騎士団長を殺しますの?彼は騎士団″穏健派″ではなく、″中立″を維持しておりますが…」


大神院と対立している、スペンサー達騎士団″強硬派″と、大神院に融和的な″穏健派″。その間に立っているのが、強硬派でも穏健派でもない——グレンヴィルら中立派である。



「…フェアファックス。中立だろうが何だろうが、我々に与せず″大神院″に協力しているのならば……そんな連中は我々にとって邪魔な存在でしかない。

…殺せる時に、殺す。この″混乱″に乗じて、グレンヴィルを始末するのだ。」


「…でもスペンサー卿。守護者様を護衛するランスロット騎士団を、わたくし達があからさまに襲撃すれば、″騎士団強硬派が守護者を襲撃した″という事実が出来上がってしまいますわ。それはあまりに、リスクを伴うのでは?」


「…だから、連中には″我々″が襲撃したと悟らせないようにするんだよ。顔を隠し、″分離主義者″を装ってな……」


「…ふふ。それはまた、楽しくなりそうですわね……

でも、嬉しいですわ。グレンヴィル騎士団長を殺せるなんて……」


フェアファックスな、嗜虐的な妖しい笑みを浮かべていた。


「フェアファックス。グレンヴィルは強敵だぞ。ランスロットも序列3位の騎士団だ。

侮るなよ…」







「いやよ!嫌ぁ!!」


ローラ・インガーラは、悲痛な叫びをあげていた。


「落ち着いてくれ、ローラ!君だって怪我をしているじゃないか!!」


モーフィアスが、地震の影響で腕に怪我をしていたローラを、必死に宥めようとする。


「だって、だって……リーベルト先生が…」



泣き崩れるローラの眼前には、一人の男が倒れていた。頭から大量の血を流し、顔は青ざめ……既に息をしていなかった。



「……だめだ。脈がない。

…呼吸も完全に止まっている……」



レンバルト校長が、確認した。

  


彼の死を。



アルヴァン・リーベルト先生は、地震に巻き込まれ——その最中、巨大な鉄の破片を頭部に受けて、即死した。

   


「なんてことだ……

…リーベルト先生……!!」


生き残ったが、自らも両足に深傷を負っていたハインリヒ・フィッシャー館長が、絶望の声をあげていた。



「うっ…ううっ……!助けられなかった……!私は…リーベルト先生に助けられたのに……その恩を返すことも……!」


魔法学校の卒業式。ルークから放たれた″黒き魔法″の炎から、リーベルト先生はその身を挺して、ローラとモーフィアスを守ってくれた。



(泣くんじゃない…生徒を守るのが教師のつとめだ。みな命を落とさずに、生きている。それでじゅうぶんだ…)


リーベルト先生が深い火傷を負ってローラが泣いていた時、彼は優しくローラに語りかけた。

ローラは、その時の言葉を思い出して、尚更涙が止まらなかった…


「ごめんなさい……うう……ごめんなさい……!!」


泣き続けるローラを、モーフィアスが強く抱きしめる。


「ローラ…君は何も悪くないんだ…!

あの地震では…誰もがどうしようもできなかった……!だから、謝るな……!

自分を…傷つけようとしないでくれ……!」


「うう……でも…でも……」


ローラを抱きしめるモーフィアス。彼もまた、リーベルトの死に耐えきれず、涙を流していた。

フィッシャー館長は、悲しみの嗚咽をあげながら床に座り込み、レンバルト校長も、僅かに肩を震わせていた。


「…リーベルト……

お前は素晴らしい魔法学校の教師だった…

生徒を守るのは、教師の務め。

あの卒業式の時お前は…ローラとモーフィアスという2人の命を、紡いだのだ……安らかに、眠ってくれ……」


命を、紡ぐ。

レンバルト校長の言葉に、ローラとモーフィアスは、我に帰ったようにはっとなった。

 


そう。自分達の命があるのは、リーベルト先生のおかげ。


リーベルト先生は、教師として生徒を守った。自分の使命を果たしていたのだ。

そんな彼の前で、泣き続けるべきではない。



(泣くんじゃない)



彼が、そう言ったのだから。

 


ローラとモーフィアスは、おもむろに立ち上がり、涙で腫れた目をよそに、胸に手を当てて…″死者″を弔った。



(安らかに、眠ってください…)



ただ一人……ベルナール副校長だけは。

感傷に浸ることなく、やや冷ややかな目線で、その様子を見ていた。

 


(…喪失、か。それは誰もが辿る道……

過去も現在も…未来も……)



リーベルトの死に、打ちひしがれるローラやレンバルト達。その状況下で、ベルナールの心中を推し量る者など、当然ながら存在はしていなかった。




——————




「…僕、行かないと!!」


「駄目だルークくん!ここに留まるようにとの命令なのだぞ!!」


先の地震。エストリア城に直接的な被害はなかった。


しかし市街中心部の崩落は、ルーク・パーシヴァルのいるエストリア城からも、当然ながらその様子が確認された。


「行かせてくださいバラガンさん!!

街には、僕の大切な人が……家族がいるんです!!」


「…しかしルーク君!!危険すぎる!!」


居ても立ってもいられなかったルークは、監視役たるバラガンの制止をよそに、使い魔を召喚させた。


「ルーク君!!」


「ごめんなさい、バラガンさん。

…後悔は、したくないんです。

もし自分が何もしなくて……それで大切な人にも二度と会えなくなるのなら……

そんなこと、とても耐えられない。」


「ルーク君…!」



そしてルークは、召喚させた自らの使い魔たる″鷹″に飛び乗った。


使い魔はルークの意思に呼応するように、猛スピードで市街へと向かう。



(ラスカー先生…

マーカスおじさん…

メアリーさん……)


ルークは、彼ら彼女らの無事を祈り、ただひたすら街へと向かう。



(どうか、無事でいて……!!)



自分の大切な者だけは、無事であるはず。



誰もが、そう願う。



だが大切な者の「死」というものを受け入れなければならない時は、必ず来る。








それは少々、早かったのかもしれないが。

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