第26話 大神院


闇の中で、僅かに煌々と照らされた灯り。


しかしその灯りは、″暗黒″に覆われたその空間の中では、ひどく頼りのない灯り。


その薄暗い空間を歩く、一人の人影があった。


(………………)


人影は、ゆっくりとした足取りで、その薄暗い空間を歩いていく。


その人物はやがて、円形状の奇妙な紋様が描かれた床の中心で、その歩を止める。



「……たった今、参りました。

″今日も″守護者様は、ご不在ですか?


……アルモウデス長官」


その発言の主は、エストリア王国の王女、シャーロットだった。


薄暗い空間に照らされる僅かな灯りは——王女が立っているその奇妙な紋様の一点のみ、凝縮するように——だが、やはり仄暗くその場所のみを照らしている。


王女の周囲には、王女を取り囲むように——7つの″席″があった。その″席″に座する″7名″の前方は、黒く大きなベールで覆われているため、その者達の顔を窺い知ることはできない。ましてやその空間全体が、王女の立っている箇所を除いて至極気味の悪い闇に包まれているため、尚更″彼ら″の存在をぼかすような奇妙な空間が醸成されている。それはまるで、あらゆる″不浄″から逃れるように、その姿を″闇″に隠すかのごとく。


「……守護者様はお忙しい。

来る″式典″に備えて、やるべきことが多いのだからな…」


王女の前方にあったベールの先から、彼女への返答の言葉が返る。


「この″大神院の間″に、何度赴いても…守護者様はいっこうに姿をお見せになりません。

…アルモウデス長官。私は、″あなた″達ではなく、守護者様に直接会いたいのですが。」


王女にアルモウデスと呼ばれた人物——

その人物は、やはり王女の前方にあるベールから、その深く低い声を響かせる。


「…守護者様にご足労いただく必要はない。

我らは、″守護者″様の代理人。あのお方の意向は、我らが全て把握しておる。」


アルモウデスは淡々と、王女に言葉を返す。その低い声色は、どこかミステリアスな″空虚感″を孕んでおり、聞き手に妙な不安感を与えるような声。

まるで、″深淵″の中に潜む悪魔のごとく。


「…では、以前請願した事案について、守護者様にお伝えしていただけましたでしょうか?」


王女からの問いかけに、アルモウデスはやはり淡々と言葉を放つ。


「…王室議会で発議された事案についてだが…

東部国境線の警備厳格化と、国境警備隊の再編案…そして首都の警備体制増強案。この3件について、守護者様はいずれも″拒否権″を発動された。

…つまり現状維持だ、シャーロット王女よ。」


アルモウデスの発言に、王女は至極失望したように息をつく。


「…また″拒否権″ですか?


…アルモウデス長官。議会で決定したことを、守護者様の″拒否権″ひとつで覆されてしまうのならば…

我々は、何もすることができません。」


「…言葉に気をつけよ、王女。

その発言は″守護者″様への侮辱にあたる。

″不敬罪″にもなり得るぞ?」


シャーロット王女の攻撃的な態度に対し、アルモウデスとは違う人物——王女の左前にあったベールの座から、彼女へ恫喝的な言葉がかけられる。


しかし王女は怯むことなく、言葉を続ける。


「ですが…東部国境では、次々と難民達が押し寄せてきています。東の国々で戦争が起きていることそれ自体はどうしようもありませんが…エストリア王国として、国民を守るために、国境管理を厳格化して、警備体制を強化する必要性に迫られています。」


言葉を返さないアルモウデス達をよそに、王女は説明を続ける。


「…首都アルベールの現状もご存知でしょうか?地方からやって来た人々で溢れかえり、犯罪は増える一方。

特に、都に住み着いた難民達による犯罪が増加しています。衛士や警備隊の数も足りない。街の治安悪化に、市民達は不安を募らせています。」


「…言いたいことはそれだけか?」


アルモウデスが、冷然と王女に言い放つ。


「…シャーロット王女よ。今このエストリア王国は、極めて逼迫した財務状況にある。

それもこれも10年前、お前の父親…ヘンリー王の代の王室と騎士団達が、戦争に突き走ったからだ。


その戦争で、一体どれほどの戦費を使ったと思っている?

ましてや″敗戦国″たるこの国は、″戦勝国″への賠償金がまだまだ残っておるのだ。そんな状況で、″余計な″ことに予算を割くことはできぬ。


…国境警備や都市の警備に増強が必要なら、王室″お抱え″の騎士団を使えばよかろう。」


「…アルモウデス長官。騎士団の通常業務に加えて、国境管理や都市部の警備にまで彼らを当たらせることは、人的リソースを考慮しても、これ以上は不可能です。

…治安維持が″余計な″ことだと仰るのならば、国を守ることなどできません。」


シャーロット王女は食い下がろうとせず、

″大神院″を激しく責め立てる。


「それに…

あなた達は本当に、″守護者″様にこの件を伝えているのですか?


本当に守護者様は、″拒否権″を発動されたのですか?

あなた方は、″守護者様″の名前を借りて—」


「王女よ。我々が″守護者″様を利用していると言いたいのか?」


アルモウデスが、シャーロット王女の言葉を遮る。


「…いえ。

ですが王室議会の決定を覆すことが出来るのは、″守護者″様しかできません。

…ならばあなた方が、自分達の都合の良いように守護者様を言いくるめているのではないかと…

″ほんの少し″、そう思っただけです…」


王女はあくまで言葉を選んだが、″大神院″への敵意は隠せていなかった。



「…王女よ。我々は何も、やましいことはしておらん。むしろ隠し事をしているのは、お前のほうではないか?」


アルモウデスは、ひどく含んだ言い方で、王女を追求する。


「…それは、どういう意味でしょうか?」


「…とぼけるのも、自由だ。

だが我々に″秘密″を抱えるのは、お前のためにならないぞ?」


恫喝的なアルモウデスの言葉に、王女は怯むことなく言葉を返す。


「…私を、脅しているのですか?」


「……これは、忠告だよ。」


そして王女は、僅かに笑みを浮かべる。


「…″秘密″を抱えているのは、お互い様、じゃありませんか?アルモウデス長官…」


不敵な声色でそう言い放ったシャーロット王女は、″大神院の間″を後にする。


「…では、失礼します。また後日、うかがいます…」



王女が立ち去った後も、やはり暗澹としたその空間。


「…アルモウデス様。司法院から報告のあった″黒き魔法の行使者″について、なぜ王女に直接尋ねなかったので?」


アルモウデス長官の右側に位置する″座″から、声が漏れる。


「…今はまだ追求しないほうがよかろう。

…既に、王女はルークを保護しているやもしれぬしな…

ルーク・パーシヴァルの件を王女に聞けば、彼女は尚更ルークを隠そうとするだろう。


ならば今は、泳がせておこう。」


「アルモウデス様。…王女は、″黒き魔法″の秘密について、知っているでしょうか…?」


今度は、アルモウデスの左側の″座″から、声が漏れる。


「…何も知らぬだろう。知るはずがない。


だが″黒き魔法″の使い手…


王女がその存在を何に利用しようとしているか…注意する必要がある。」


その言葉とは裏腹に、アルモウデスはほくそ笑んでいた。


「…いずれにせよ、王女がよからぬことを企んでいるのならば我々は……

ただ″座して″動かないわけにはいくまい?」


そして″大神院の間″は、本来なら彼らを率いるはずの″守護者″を除いて、今日も策謀の潜窟と化していた。



——————



——エストリア城の一角。


そこは会議場のようだった。だだっ広い部屋に、巨大な円形状のテーブルを囲んで、無数の″騎士″達が席に座している。


それはエストリア王国の各″騎士団″団長達が集う、定例会議。

会議というほどの生易しいものではなく、そこには、至極″張り詰めた″空気があった。


「…この会議も、なかなか全員が集まることはない。だが、我々騎士団が意を同じくし、その方向性を″誤らない″ためにも、この場は必要だ。…もっとも今回は、グレンヴィルとフェアファックスは不在だが。」


会議を執りまとめているのは、″ガルド騎士団″の団長、″スペンサー卿″である。


「…エストリア騎士団のキーラ・ハーヴィー副騎士団長も欠席でしょうか?」


スペンサー卿の向かい側反対に座っていた、優しい目をした初老の男が尋ねる。

彼は″セルニウス騎士団″の団長、ジョージ・スタンフォード。


「…いや、キーラは″遅れて″くるそうだ。」


「…はぁ、そうですか…」


スタンフォード騎士団長は、キーラが会議に来ることを知って、やや落胆したようにため息をついた。


「…ウッズ騎士団長。お前は先刻の任務でキーラと一緒だったろう?お前は時間通り来たのに、彼女は何をしているんだ?」


スペンサー卿が、会議に出席していたジェイコブ・ウッズ騎士団長に尋ねる。


「…彼女は、王女に宛てた任務報告書の作成で、少しばかり遅れるようです。」

ジェイコブが説明しながら、肩をすくめる。


「…ふん。騎士団の会議より、王女への報告書が優先か… あいつらしい。」


スペンサー卿が不平な口ぶりで呟く。


「…まあいいさ。誰が不在であろうと、我々のやることに変わりはないのだからな…」


意味深に語るスペンサー卿に、スタンフォード騎士団長が言葉を挟む。


「スペンサー卿。我々は″大神院″を過度に敵視するべきではありません。もう昔とは違うのです。…この国は、今や″守護者″様の強い影響下にある。″騎士団″が幅を利かせていた時代とは違うのです…」


スタンフォードは、スペンサーへの他意を示しつつも、彼の口調は落ち着き払って穏やかなものだった。とりわけ″尖った″者が多い騎士団の中においても、スタンフォードは穏健な騎士団長である。


しかしスペンサーは、彼の言葉を受けてあからさまに、スタンフォードを睨みつけた。


「…そうだな。いつだって騎士団を弱体化させてきたのは、内部で″かき乱す″者だ。闘争を恐れて、自ら″敗者″の立場に下ろうとする。

そう、スタンフォード…

お前のような″腰抜け″のことだよ。」


あからさまな侮辱の言葉に、しかしスタンフォードは耐える。あくまで平静を装い。

弁論でスペンサー卿と張り合って、彼に勝ち目はないからだ。


「守護者…

いや… 、″大神院″が大戦後のどさくさに紛れて、我々騎士団を解体しようとしたこと、忘れたわけではあるまい?


今とて、いつ我々を殲滅しようとしているかわかったものではない… スタンフォード、お前は大神院に味方するというのか?」


大神院への明確な敵意を示すスペンサー卿に、スタンフォードは整然と言い返す。


「…そうではありません。現実的に考えなければならないということです。


大神院は今や、″法″を支配している。


必要とあらば″司法院″を使って、我々を逮捕することもできるのです… そんな連中と、敵対してどうなると思います?

行き着く先は、破滅そのものです」


「…やつらは″まだ″、我々に手出しはできんよ。エストリア王国軍は″騎士団″が掌握している。…どころか、騎士団のみの総戦力でも軍を凌駕する。

だから連中は、今の状況が歯痒いのだ。

我々に刃を向けられることを恐れてもいる。故に騎士団を潰そうにも、大神院は決定打を出せない。


…そう、まだ今はな。」


″今は″、という言葉を、スペンサーは殊更強調した。










「…随分綺麗な中庭だな。」


ルーク・パーシヴァルは、王室付き魔道士のソフィアに、仮住まいの部屋を案内された。


(…必要なものがあれば、呼び鈴を鳴らしてください。給仕が用意しますから。)


ルークを部屋に案内したソフィアは、出会った頃の尊大な態度はどこへやら。ひどく悲痛な表情を浮かべて、そそくさとどこかへ消えていった。


(ちょっと、言い過ぎたかな…)


ルークは、自身がなぜあそこまで彼女を責め立てたのか、自分でも理解が出来ないわけではない。

むしろ、街の人間に問答無用で魔法による″攻撃″を加えた行動自体に、ルークも相当腹が立っていたのは事実。 


…最もルーク自身もまた、国境付近で″難民″を殺害した。

おおよそ″傲慢″さと″個人的感情″に資する理由によって、一般市民を傷つけたソフィアとは、動機の重さは異なるわけではあるが。


だからといって、自分の行為だけが正当化できるわけではない。まともな理由さえあれば他人を殺していいのならば、そんな世界は秩序が失われた地獄そのもの。

だからルークも、自分が過度に彼女を責め立てる立場にないことを感じていた。



「…広い」


ルークは、部屋の窓から見える中庭のほうに降りていた。


行動制限があるとはいえ、一応一定区画内の城内の移動は許されていた。


中庭は、絢爛で色とりどりの花が植えられ、植林された緑生い茂る自然が、その花々の美しさを殺さずほどよく調和し、むしろ花々の魅力をより際立たせていた。


ルークはゆっくりとした足取りで、その中庭を歩いていく。城内なので、決して自然発生的なものではない″人工的″な自然だったが、優れた庭師が整えたであろうその広大な空間は、さすがはエストリア城といえるほどの優美な体裁を整えていた。


(良いにおい…)


ルークの鼻先に伝わる、甘い花の香り。

長旅の疲れを癒すかのように、ルークはその中庭でぼうっとしていた。



眠気に襲われ、やや意識が朦朧としていた頃、中庭の先からこちらに歩いてくる人影が見えた。


(あれは……)


やはり、知らない人間だ。女の子?らしき人物と、2人の男が歩いてくる。


ルークは、真っ直ぐと道を歩いてくるその3人に対して、無言で道を開ける。…またスペンサー卿のような人物と遭遇して、無礼者扱いされるのはこりごりだった。



「…あら、あなたは…?」


ルークが道を開けて端に寄ったのも束の間、向こうのほうからルークに声をかけてきた。


「…見ない顔ですわね。そうか、あなたが例の…」


3人のうちの一人。その少女は、白混じりのピンクで彩られた可憐なドレスを身につけていた。カールがかった長い髪に、人形のように美しく整った顔立ち。綺麗なエストリア語を話し、貴族の令嬢か何かなのかと、ルークは思った。


「…僕を、ご存知なのですか?」


ルークは、少女に尋ねる。


「…ええ、多少は、ね。

あなたはシャーロット王女の大切な″客人″でしょう?ルーク・パーシヴァルさん」


「お嬢様。出来れば手短に…」


少女の隣にいた、紳士服を着た美男の青年が、彼女を急かすように声をかける。その姿はまるで、彼女の″執事″のような立ち振る舞い

である。


「…ああ、そうですわねアルバート。せっかく城に戻ったのですから、早く会議に顔を出さないと。」


少女はそう言うと、優雅な動きで——

両手でスカートの端を持ち上げ、片足を後ろにして会釈する。


「…わたくしは、アンバー・フェアファックス。″シュヴァルツ騎士団″の団長をしております。」


騎士団の人間…?


ルークと同じか、下手すれば彼よりも若いと思われるこの少女が、騎士団長であるという事実に、ルークは驚きを隠せなかった。


″騎士″というよりどちらかといえば、″名家の令嬢″とでもいえそうなその出立ちは、おおよそルークが想起する騎士団長の格好とはかけ離れたもの。


好奇な目で、″フェアファックス騎士団長″を見つめるルークに、彼女は微笑む。


「…ふふ。わたくしが騎士団の人間であることが不思議ですか?」


「い、いえ!そういうわけでは…」


「…わたくしは、他の騎士団メンバーと違って、剣や銃は持ちませんの。」


そう言いながら、軽く体を一回転させスカートをはためかせるフェアファックス。


…たしかに彼女は、武器こそ携帯していない。しかしよく見ると、ドレスの丈はかなり短い。おおよそ動きが制限されるような大胆でワイドな服装ではなく、やはり″機能性″を重視したかのような軽い素材。丈の短いスカートからは、スラッと長い足が伸びている。


「…シャーロット王女は口がお堅いですから。でもわざわざエストリア城にまで招くぐらいですから…きっとあなたは、重要な仕事を任されているのでしょうね…」


ルークをまじまじと見つめて、微笑むフェアファックス。


「…なかなか、綺麗なお顔立ち。でも少し疲れているのかしら?ルークさん、あまり無理はなさらず、ゆっくり休んでくださいね」


「お嬢さま。もうそろそろ…」


傍にいた紳士服の青年が、再度彼女を急かすように、促す。


「ああ、ごめんなさい。…ではそろそろ行きましょうか。アルバートにバラガン。」


「…騎士団長。私は会議に出席しなくてもよろしいのでは?任務の報告は、貴方様がいればよろしいでしょうし…」


もう一人の男——バラガンと呼ばれたその男が、フェアファックスに言う。


「まあ、それもそうですわね。…バラガン。何か用事が?」


「いえ…少しばかり、中庭を散策したいと思いまして。」


「ふーん…まあ、いいでしょう。好きにしなさい。わたくし達は″騎士団″の定例会議に向かいますわ。

…ではルークさん。またの機会にお会いしましょう…」


そう言うと、フェアファックスと付き添いの男アルバートは、また急ぎ足でその場を離れていった。



「あなたは…」


ルークは、フェアファックス達と別れた″バラガン″という名の男に、声をかける。


「ルーク君。私は、バラガンというものだ。フーシ・バラガン。

王室付き魔道士をしている。」


バラガンは、ぼさぼさの黒い髪に黒い口髭を生やした——その容姿はまるで獅子を連想させた。野太い声だが落ち着き払った口調には、一定の余裕を感じさせる。


「…王室付き魔道士…では、ソフィアさんと一緒なんですね。」


「ソフィア…ああ、彼女も王室付き魔道士だ。王室付きといっても、私と彼女だけじゃなく、ほかに何人もいる。任務の範囲も様々だ。

ソフィアはシャーロット王女に仕えているが、私はどちらかといえば、騎士団の任務に駆り出されることが多いのでね…」


バラガンは、同じ王室付き魔道士とは言え、ソフィア・ニコラウスのような虚栄とした雰囲気は感じられない。見たところ中高年だが、ソフィアと違ってかなり達観しているというか、落ち着きがあった。


「…はじめまして、ルーク・パーシヴァルです。」


「知っているよ、はは…

君は″騎士団″の中でちょっとした有名人だからな…」


有名人…あまり嬉しくはない響きだ。お尋ね者のルークにとっては、なおさら。


「…まあ、そう不安げな顔をするな。ルーク君。このエストリア城にいれば、司法院の手にかかることはない。…司法院の人間が、許可なくここに立ち入ることは出来ないからな。」


「…そうですか。」


だから王女は、ルークに城から出るなと言ったのだ。


「…あの、バラガンさんは。あのフェアファックス騎士団長と行動を共にしているんですか?」


王女に直接仕えていたソフィアの印象が強かったため、″王室付き″であるバラガンが、騎士団と行動していたのは、ルークにとって少しばかり疑問だった。


「…さっきも言ったが、″王室付き″といってもいろいろなんだ。

王室の配下たる″騎士団″の任務に動員されることもあるし、ソフィアのように、王女に直接仕えている者もいる。…騎士団だって、我々を重宝しているのさ。まあ我々を、というより…私達の″魔法″を、という言い方のほうが適切か…」


そういえば、サダムも魔道士でありながら、キーラ・ハーヴィーの任務に同行していた。彼も王室に仕えていたのだろうかと、ふとルークは思った。


「…王室や騎士団からの要請があれば、私はこの自らの持てる″力″を彼らに貸すよ。それが私の役割だ。」



魔道士の役割… 必要とされれば、″力″を貸す。


「必要とされる」ということは、自己肯定感を高める。しかし、人間「それ以上」を欲するはずだ。このバラガンという魔道士は、「それ以上」を望んではいないのだろうか。


「…じゃあ、バラガンさんは今の仕事に満足しているんですね…」


ややブラフをかけたようなルークの発言。

「仲間などいない」と言っていたサダムのことを思い出していたルークは、王国に仕える魔道士の心境が知りたかったのだ。彼らは、どういうメンタリティで仕事をしているのか。


サダムもソフィアも、方向性が異なると言え…かなり「屈折」した″承認されたい″欲求が垣間見えていた。

だからこのバラガンも、きっとそうなのだろうと、ルークは思っていた。そう勝手に、決めつけていた。


しかしバラガンからの返答は、ルークにとっては意外なものであった。


「満足、か…

満足は、していないよ…

私は、もっと自分を高めたいのだ。


″仕事″なんてものは所詮……枠の中にとらわれたくだらない小事だ。他人に認められたい?そんなものもくだらない。


そんなことより、もっと重要なことがあるはず。そうは、思わないか?ルーク君。」


自分を高めたい…

それは、虚栄でも偽りでもなく、バラガンの本心であるように思われた。


「…ルーク君。君にも目標があるはずだ。あるいは、目的か?

お互い、それぞれの目指すべき道を邁進して、精進していこうじゃないか…」


バラガンはルークにそう言うと、中庭の散策を始めた。



(目的も人それぞれ、か…)


ルークはバラガンの言葉に思いを馳せながら、彼の後を追う。


「…バラガンさん。この庭には、よく来るんですか?」


色とりどりの花々で彩られた中庭を、ルークとバラガンは歩いていく。


「…そうだね、ここにはよく来るんだよ。

…この場所が、好きなのかもしれないな。」


「…綺麗な、場所ですもんね…」


ルークの返答にバラガンは頷くが、言葉を付け足す。


「…確かに、ここは美しい。だが、美しいものそれ自体には、価値はないんだよ、ルーク君。」


「え?」


「…美しいだけじゃ、美しさの証明にはならない。ってことさ…」


ひどく包んだようなバラガンの言い方に、ルークは若干困惑した。


「は、はぁ…そうですか。なんだか難しいですね。」


「はは…君もそのうち、わかる時が来るよ」


バラガンの言葉をよそに、ルークはその中庭の景観に見惚れていた。


時折鼻に伝う甘い香りが、ルークの″衝動的″欲求を刺激させる。


その″香り″と″衝動″が、先刻のシャーロット王女との″面談″を思い起こさせた。


脳裏に浮かぶのは、王女の瞳…彼女の声…


息遣い…



耽溺の渦に呑まれたかのように、その記憶の残渣がルークの意識を″酩酊″させる。



「…ルーク君、大丈夫か?少し顔が紅いぞ?」


バラガンにそう言われ、ハッと我に帰るルーク。

彼は自らの顔面が紅潮しているのに、自分でも気付いていなかった。



「…やっぱり、少し疲れてるみたいです。僕…」








——————



「あーら?まだやってたの?こんな無駄な会議。終わってくれてれば、私もすーぐ帰れたんだけどなぁ…」


エストリア王国の騎士団定例会議。

予定時間より遅れて、キーラ・ハーヴィーが会議場に入ってきた。


「無駄な会議、ではないぞキーラ。

大神院に融和的な″軟弱者″を炙り出す、という点において、この集いは有用なのだからな。」


会議を仕切っていたスペンサー卿が、キーラに言う。


「あーら?お久しぶり、スペンサー卿。今日も相変わらず怖い顔してるわねぇ?」


ひときわ無礼、とも取れるような言葉遣いをスペンサー卿に出来るのは、騎士団内部ではキーラ・ハーヴィーだけだ。


そして騎士団内でキーラとスペンサーに逆らえる者は、王女を除いては誰もいない。


「…お前の口の悪さも相変わらずだ、キーラ・ハーヴィー。」


騎士団内部では、大神院と敵対せず協力すべきだと主張する″穏健派″と、大神院に対して敵対的な″強硬派″が、騎士団を二分していた。


″穏健派″にとって何より厄介なのが、騎士団内で序列1位たる″エストリア騎士団″の副団長を務めるキーラ・ハーヴィーと—— 序列2位

″ガルド騎士団″団長のスペンサー卿が、大神院に対して敵対的な″強硬派″の先鋒であることだ。


騎士団長の枢要とも言えるこの2人が、騎士団の総意を支配しているようなもの。

故に″穏健派″の騎士団内での立場は非常に弱く、えてして議場におけるスペンサー卿の″攻撃対象″になっている。


エストリア王室のトップであり、エストリア騎士団の団長をも兼任しているシャーロット王女はと言うと、「強硬派」と「穏健派」を取り持つよう「中立」に徹している。

キーラ・ハーヴィーやスペンサー卿は、王女には逆らわない。王女が「中立」を維持していることで、「穏健派」は首の皮一枚つながっている状態と言えよう。


「…お久しぶりですね、ハーヴィー副騎士団長。」

″穏健派″たるセルニウス騎士団の団長、スタンフォードがキーラに挨拶をする。


「あらぁ?スタンフォード騎士団長。今日は逃げずに来たのねぇ?良い子良い子してあげますねぇー」


キーラはそう言いながら、まるで動物を扱うかのように、スタンフォードの頭を撫で撫でする。

これはあからさまな、スタンフォードに対する侮辱的行為だった。


このキーラの軽率な行動を、咎める者は誰もいない。どころか″強硬派″のメンバーは、スタンフォードに対して侮蔑的な嘲笑を漏らしていた。

スタンフォードも、あくまで平静を装い、その侮辱行為に耐える。


それでも、スタンフォードはまだ勇気のあるほうだった。

キーラやスペンサーから敵視されている″穏健派″の中で、スタンフォードはまだ「発言する」勇気があるからだ。


キーラやスペンサー卿が支配するこの議場において、″穏健派″は発言するだけで彼女らの熾烈な″口撃″に晒される。

なので必然的に、発言の多いスタンフォードが″強硬派″に吊し上げられるのだ。


″穏健派″たる他の騎士団長も、スペンサー達 ″強硬派″に責められるのが嫌なので、スタンフォードばかりに喋らせて自分達は、息を殺すように黙りこくったままだ。


「スタンフォードは、我々に口をきけるだけまだ良い。腰抜け連中の中でも″ましな″腰抜けだ。…他の連中は、黙っていないで何か発言したらどうなんだ?″腰抜け″諸君。


お前達に口はついているのか?ここは祈りの礼拝場ではないのだぞ?」


スペンサー卿の「圧力」に、やはり他の″穏健派″メンバーは、口をつぐんだままだ。


「…お前から何か言いたいことはあるかね?

″ミュートン騎士団″のゴドウィン騎士団長。」


唐突にスペンサー卿に名指しされた″穏健派″メンバーたるゴドウィン騎士団長。筋骨隆々なその肉体に似合わず、ひどく焦燥した弱気な声で、彼はスペンサーに返答する。


「わ、私からは特に何も…」


「何もないっていうんなら、なーんでここに座ってるのかしらぁ?言うことないんなら、そのでかい図体も邪魔な″置き物″でしかないよねぇ?」


殊更煽り立てるように侮辱するキーラの言葉に、ゴドウィンは応答しない。言い返すと、更に彼女を刺激してより″火″が燃え上がる。この場を乗り切るには、″何も言い返さない″ことが大事だ。


しかし、スペンサー卿もそう容易く彼を逃してはくれない。


「キーラの言う通りだ。ゴドウィン…

意見がないなら、お前はただの置き物だよ。

体ばかりでかくて、頭は空っぽのようだ。


これからはお前のことを、″石像のゴドウィン″と呼ぶことにしよう。


…異論はないだろう?″意見″がないのだからな。そんな人間に、何の価値がある?」


スペンサーの言葉に、またも″強硬派″メンバー達から、ゴドウィンに対しての嘲笑が漏れる。


騎士団″強硬派″から、かような″公開処刑″に遭いながらも、″穏健派″メンバー達は大神院への融和姿勢を崩せない。


彼らは騎士団内の″強硬派″を恐れてもいるが、同時に″大神院″も恐れているのだ。


大神院の権力が肥大化するにつれて、騎士団の権威が盤石ではないと悟った彼らは、「法」を支配する大神院へ味方することで、もし騎士団が解体されても、自らの身の安全は保証されたい。

そのような打算的な思惑が働いていた。


そのおおよそ「非闘争」的な考えは、騎士団にそぐわない。

故に″穏健派″メンバーは、騎士団の主流派が占める″強硬派″から目の敵にされるのは、ある種の必然であった。


そして例に漏れず、この″穏健派″メンバーの多くは、「世界大戦」後に起きた騎士団の″内紛″の際、騎士団解体を推し進めようとした大神院に味方した者達だ。

協力しなければ「戦勝国」に戦犯として身柄を引き渡す、という大神院の″脅し″に屈して、それに反対した″抵抗派″の騎士団達と闘争を繰り広げた。結果、多くの騎士団員達が命を落とした。


そのような背景もあり、今現在大神院に敵対的な″強硬派″メンバーが掌握している騎士団において、大神院への融和姿勢を示す″穏健派″は苦しい立場に置かれている。

王女が「中立」に立っていなければ、″穏健派″メンバーは、″強硬派″から実力行使で排除されていたかもしれない。



「あっ!やっぱり始まってますわね。

申し訳ありません。本来なら欠席する予定でしたけど、予定より任務が早く終了したので、定例会議に参りました。」


張り詰めた雰囲気の騎士団の会議場に、突然の入室者。

″シュヴァルツ騎士団″の団長、アンバー・フェアファックスだ。


「…フェアファックスか。

わざわざここへ来たということは、任務で収穫があったということか?」


「勿論ですわ、スペンサー卿。」


臆することなくスペンサーに応対するフェアファックス。

彼女は、その穏和な雰囲気とは裏腹に、騎士団における″強硬派″のメンバーの一人。つまり、スペンサー卿の仲間である。


「…ですが、少々邪魔者も多いようですわね」


フェアファックスが邪魔者、と指しているのは″穏健派″のメンバー達のことだ。


「大神院の手先の皆様は、どうぞ席を外してください。

…貴方達に、任務結果の詳細を話すつもりなどありませんわ。」


フェアファックスは、丁寧な言い方ながらも包み隠さずに、″穏健派メンバーは出て行け″という旨の言葉を放った。

大神院と通じているであろう″穏健派″メンバーに、秘密任務の詳細結果は話せない、ということだ。


「…我々には話せない、ということですか?」


スタンフォード騎士団長が、フェアファックスに尋ねる。


「当たり前、でしょう?″大神院の手先″さん?

何度も言いませんよ。


″とっとと失せろ″と言ってるんです。」


だんだんと威圧的な口調になってくるフェアファックス。彼女に怖気付いた″穏健派″メンバー達が、次々と席を立って会議室から出て行く。

彼女が、キーラ・ハーヴィーに″負けず劣らず″好戦的な性格であることを、みな知っている。

誰もフェアファックスに″血祭り″にあげられたくはない。それは文字通りの意味で。



「…さて。連中がいなくなったところで。

フェアファックス。任務の成果はどうであった?」


「はい、スペンサー卿。わたくし達シュヴァルツ騎士団が調査していた、東部国境地帯の

″難民保護施設″についてですが——」


粛々と話し出すフェアファックス。



「難民達の動向について監視しておりましたが——

この30日間で、エストリア王国への入国許可が認められた難民は、およそ1万2000人。

そのうちの6000人は、首都アルベールや地方の都市郡へと散らばりました。」


「…ふむ。そこまではまだ、想定の範囲内だ。残りの6000人は?」


スペンサー卿の質問に、フェアファックスが答える。


「…ええ。残り6000人ですが——

複数の貨物車に乗せられて、″ある場所″へ連れていかれたのです。」


「ある場所、とは?」


「はい。…無数にあった貨物車は、巧妙に経路を変えながら、″積荷″である難民達を別の貨物車に載せ替えて、移動していたので。…その全てを追跡させるのは、なかなか苦労しましたわ。

結果、難民達を載せた貨物車が向かっていたのは…″アルファモリス″です」


「アルファモリスといえば、″大神院″の支部がある都市ねぇ。」

キーラが言う。


アルファモリスとは、首都エストリアに次ぐ第二の都市で、ここには″大神院″の支部が存在している。


「…大神院の影響の強い街に、難民が運びこまれている、ということか…


難民保護施設は大神院が管轄している。つまり、大神院は″意図的″に、難民達をアルファモリスへと連れ込んでいる…」


スペンサー卿が思案し呟く。


「…ふん。大神院は難民達を利用して、何かよからぬことを企んでいるな?

フェアファックス。都市内部には潜入できたか?」


「…さすがに、アルファモリスに入ることはできませんわ。あそこは大神院が支配しています。厳重警備で、騎士団の人間は許可がなければ街には入れませんので…」


「…まあいいだろう。大神院が難民保護に積極的なのは、理由がある。それがわかっただけでも十分だ。


…大神院め。あの″姑息な″老人どもは、目的を果たすためならば、どのような手段だって講じる。

我々がただ静観しているだけではないということを、いずれわからせる必要があるな…」


スペンサー卿は、沸々と湧き上がる闘争心を抑え、あくまで冷静に物事を進める。


「…くすくす。なんだか、慌ただしくなってきそうねぇ。」



キーラ・ハーヴィーは、まるで心躍るかのように、不穏な笑みを浮かべていた。






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