第25話 契約



「…僕は、″自分″が何者なのか知りたい」


シャーロット王女からの問いかけに対する、ルークの答え。

ルークが、望むもの。

ルークが、探しているもの。


「僕には……」


他人に、ここまではっきりと言うのは、初めてかもしれない。


「僕には、記憶がないんです」


それは、他人に言ってもどうしようもないことだったから。


「記憶……」


シャーロット王女は、特段驚く様子はなく、その単語を呟いたが、傍にいた王室付き魔道士のソフィアは、呆然とした様子でルークのことを見ていた。


それも無理からぬことかもしれない。

″謎多き禁断の魔法″の使い手で、おまけにその魔法使いは記憶喪失。このルーク・パーシヴァルには、相当に複雑な″何か″がありそうだとソフィアは思ったが、自分が口を挟む余地はない。


「はい。僕には、幼少期の記憶がありません。物心つく頃には…養父のマーカスさんに育てられ…そして″魔道士″になるため、魔法学校に通いました。


僕が″魔道士″を目指したのは、″調査隊″に入るためです。調査隊に入れば、世界中をまわることが出来る。そうすれば、僕は失った″記憶″を取り戻せるんじゃないかって…そう考えていたんです」


「ルークさん…

そのマーカスさんは、なぜあなたの養父になったのか、その理由は語らないのですか?」


「……マーカスおじさんは、僕を″知り合い″から引き取ったのだと…そう教えてくれました。でも、それ以外は語りませんでした…その″知り合い″が誰なのかについても…」


「…では、引き取られて、物心ついた時には、あなたの記憶は″抜け落ちて″いたということなのですね?引き取られる以前のことも思い出せない、と?」


「…はい。何も、思い出せないんです。


僕の本当の親は誰なのか…僕はどこで生まれて、何をしていたのか…何も……何もかも…」


自分の″秘密″を、初めて会ったばかりの人物に話すのは、本当はとても勇気のいることだった。でもシャーロット王女は、ルークの発言一つ一つを確かめるように、彼の話を傾聴した。だからルークは、全てを打ち明けることができた。


ルークは、今まで内に秘めていた思いを吐露することが出来て、少しばかりすっきりしたような気がした。

無論、王女の仕事に協力する″報酬″が、″失われた自分の記憶″などというのは、あまりにも無茶な願いだというのは、自分でもわかっていたが。


それでもルークが今一番欲しているもの。

それは、自身の記憶。

自身の″秘密″を知ることだった。


魔法学校で発動した″黒き魔法″の力だってそうだ。失われた記憶を穴埋めしない限り、あの力の正体すらわからない。


王女は、ルークの話を聞いた後、わずかに顔を伏せて黙りこくっていた。無理もないだろう。「自分が何者なのか知りたい」などという彼の要求を、いかにして叶えることが出来るのか。さすがのシャーロット王女であっても、それは無理筋というものだ。


しかし、次の瞬間。ルークは驚愕する。


その理由は——



涙が伝わっていたからだ。


シャーロット王女の頬に、涙が流れていた。



「——王女…?」


その突然の涙にルークは狼狽する。それは、ソフィアも同様だ。



「…王女…大丈夫、ですか…?」


ルークの呼びかけに、王女ははっと我に帰った。


「…ごめんなさい。…少しばかり、感傷的に…なっていたようですね…」


なぜ彼女が、突然と涙を流したのか…

(感傷的になっていた)と王女は言ったが…


それが意味することは、王女の父親″ヘンリー王″の自殺について、先程彼女が語ったことによる名残なのだろうと、ルークは思った。


王女は涙を拭うと、何事もなかったかのように、また元の落ち着いた口調でルークと話を続けた。


「…ルークさん。ではあなたが望むものは、自分が何者であるのか…自分の正体が知りたい。そういうことですね?そのためには、失われた記憶を取り戻すことが必要だと…」


「…はい。″記憶″なんてものが、そう簡単に取り戻せるとは思いませんが。それでも僕は、知らなくてはならないんです。」



「…なぜ、そう思うのです?」


「…え……?」



「なぜあなたは、″記憶″にそこまでこだわるのですか?」


シャーロット王女からの問いかけにルークは

、少しばかり言葉が詰まった。


「なぜ…だと言われれば…記憶が失われるのは、とても辛いことだと思うからです。

自分が何者なのかもわからない。それはとても、辛いことです…」


きっぱり言い切ったルークに、シャーロット王女はやや冷然とした口調で言葉を返す。


「…では記憶を取り戻したら、あなたは幸せになれるのですか?」



「幸せ…?」



幸せって何だ…


予期していなかった王女の言葉に、ルークは困惑した。


それと同時に、ルークは深く考えた。

自分にとっての幸せ。それは何なのだろうか、ということを。


「……王女。記憶を取り戻すことが、僕にとっての幸せにつながることなのか、それはわかりません。でも…

僕は、たまらなく″不安″なんです。自分自身の記憶がないことも。自分が何者かわからないことも。


それは、苦しいことです。


僕の″黒き魔法″の正体だって、全くわからない。でもこの力は、多くの人間を傷つけた。だから僕は、知らなくちゃならないんです。

自分の正体を。大切な人を傷つけないために…

この漠然とした″不安″を消すために…


″苦しみ″を、消すために…」



「…そうですか。わかりました。

そこまで言うのなら、協力しましょう。」


やはり王女の口ぶりは、どこか示唆的で漠然とした印象を与える。ルークはそう感じた。


…考えすぎ、かもしれないが。


「…ルークさん。あなたが私の願いを叶えてくれたら、私はあなたに…… あなたが欲する

″答え″を提供する準備をしておきましょう。」


これは、非常に奇異な取引だ。

かたや王女は秘匿された″秘宝″を欲して、ルークはそれを見つける代価として″記憶″を欲する。


普通に考えれば、こんな取引は馬鹿げている。王女はどのようにして、ルークの″失われた記憶″を、彼に報酬として与えるつもりなのか。ルーク自身ですら知らない、彼の″記憶″を、なぜ王女が提供できるのか。


「…わかりました、シャーロット王女。僕はあなたに協力します。あなたの探し求める、

″生命の宝石″を見つけ、あなたの元に届けます。」


しかしルークは、王女の依頼を承諾する。


自分の″失われた記憶″を、王女が自分に提供できるとは、本気で思ってはいない。それでもルークは自分の″記憶″を見つけるという目的において、「黒き魔法」の使い手のみが見つけることが出来るという「生命の宝石」の存在が気になっていた。この秘宝にもまた、自分の「正体」についてのヒントがあるのではないか?と、そう考えてもいたのだ。


そしていずれにせよ、自分は「司法院」から追われている身だ。

王女の庇護を受けつつ、彼女の任務を請け負うことが、ルークにとっては身の安全を保障する担保となる。司法院に捕らえられれば、何も出来なくなってしまう。


記憶を取り戻し、自分の正体を知るというルークの目的から勘案すると、やはり王女に協力するのが最善であると思われた。



ソフィア・ニコラウスは、シャーロット王女とルークのやり取りに、かなりの違和感を感じていたが、王室の配下たる彼女は、特段口を挟むことは出来ない。これは″王女″と″ルーク″の契約なのだから。


「…ルークさん。これは簡単な仕事ではありません。場合によれば、危険も伴うかもしれない…私から呼び出しておいて、こんなことを言うのもなんですが…本当に、引き受けてくれるのですね?」


「…はい。もう、決めたことですから。…それに、危険なことには多少は慣れたつもりです。」


首都アルベールに着くまでに、ルークは幾ばくかの試練を味わった。国境付近の町での襲撃。国境警備隊総隊長″ヴェッキオ″との戦い。…そして、司法院長官″デュラン″からの逃亡…


ルークは、自らを犠牲にして彼を逃した魔道士の青年を思い浮かべる。

自分が無事にアルベールまで到着できたのは、彼が作ってくれた″道″のおかげだ。



「…ルークさん。任務の詳細は、また日を改めて説明します。近々″守護者″様の生誕20周年を記念した式典が、市街で行われるので。

あなたに任務に赴いてもらうのは、その後になります。」


″守護者″様の式典…


「守護者」とは、この国における「法」を支配する″大神院″の頂点に立つ存在。


名目上、この国の国家元首は国王であるが、

″守護者″は国王を遥かに凌ぐ影響力を持つ。

守護者様は、「神」に近い存在であるとされ、いわばこのエストリア王国の″象徴的″存在。その″守護者″の血族は代々と受け継がれており、唯一無二の血統だ。


″象徴的″権威の意味が強い″守護者″が、「法の番人」たる大神院のトップを司っているのには、理由がある。「大神院」とは元々、「神と同等」の権威を持つ″守護者″を、養育し育てる役割を担っているからである。


守護者の″養育係″たる大神院は、時代を経て変質し、その権力を拡大させていった。

元々は「王室」と「騎士団」が実権を握っていたエストリア王国は、「大神院」の肥大によって、そのパワーバランスが崩れていったのだ。


現在においても「大神院」は、守護者様の″養育係″。

つまり大神院の官僚達は、「守護者」という

″絶対的権威″に一番距離が近い連中だ。

「神の眷属」であるとされる守護者を抱えこんでいる事実も、大神院という組織に、ある種の″権威的″な特別性を付与していた。


これが意味するところは、「守護者」という

″神に近い存在″に直接仕える「大神院」もまた、特別な存在であるという錯覚を、国民達に与えている。

無論それは、守護者という″権威″を利用したい大神院にとっては、好都合なことだ。


「…シャーロット王女。生誕20周年ということは…守護者様はまだまだお若いのですね。」


ルークからの問いかけに、王女は少し間を置いて答える。


「……そうですね。先代の守護者様が早々に亡くなられたので。

今現在、大神院の官僚達を率いているのは、実質的には″アルモウデス長官″と言われています。…今の守護者様は、まだまだお若いので…」


「…へぇ。そうなんですね。」



「ルークさん。大神院は″法″を司る存在として、司法院をも支配しています。あなたの存在が司法院にばれたということは、大神院にもあなたの存在が伝わっている可能性があります。

…なので、あなたにはしばらく、この城から出ないでいただきたいのです。街のほうへ出ると、それだけ司法院の者に見つかるリスクが高まるからです。」


「魔法抑止法」に明記されていない魔法を使うことは、どのような理由であっても法に反する。ルークから放出された「黒き魔法」という謎の力は、当然ながら魔法抑止法には明記されていない。この事実は、司法院は勿論のこと、その上役でもある大神院にとって由々しき事態であることは、想像に難くない。


「…なのでルークさん。あなたには、この城で部屋を用意してあります。しばらくはそこで過ごしていただきたいのです。…ソフィア。」


「…はい。」


「…ルークさんを、部屋まで案内してください」


シャーロット王女に指示されたソフィアは、ルークを連れて案内しようとする。

ルークの去り際、王女は彼に声をかける。


「…ルークさん。どうぞゆっくり体を休めておいてくださいね。…また、会いましょう」


「……はい。シャーロット王女。では、失礼します」


そう言って立ち去るルークとソフィア。



王女は、どこか物憂げな表情で、ルークの後ろ姿を見つめていた…




————




「…では、後を頼みますよ。」

「…はい。おまかせを。」


グレンヴィルはルーク達と分かれた後、ビアンカ・ラスカーを、街の大病院″聖エストリア記念病院″へと送り届けていた。ラスカーはまだ意識を取り戻してはいなかったが、全身状態は安定しているようで、命に別状はないらしい。


聖エストリア記念病院は、首都で最大規模の病院。

外観はどちらといえば、大聖堂のように荘厳かつ巨大な建物だが、内部では多数の患者を収容している。″教会″としての機能も果たしており、病院内部の一角には、巨大な礼拝所を擁している。

なぜ礼拝所があるのかというと、病院を運営しているのは、エストリア王国最大の宗教組織「青の教団」であるからだ。


「青の教団」とは、いわば″守護者″を神の化身とし、″守護者″を崇拝対象としている宗教組織。

厳密に言えば、青の教団にとっての信仰の最たるものは、世界の創造主たる(青の教団の教義によると)神そのものだ。


しかし神は人間と直接対話することは出来ないので、代わりに″人間の姿″をとった自らの分身を、この世界へと遣わせた。

それこそが″守護者″の血族である、とされているのだ。無論これは、誰かがその事実を確かめた、ということではなく「青の教団」の聖典に書かれていること、ではあるが。


結論から言うと「青の教団」の信者達は、「神」を崇拝し、そして「神の化身」たる

″守護者″を崇拝しているということだ。


そしてエストリア王国内に存在する病院のほとんどは、「青の教団」によって運営されている。教団が運営する病院は、営利目的ではなく慈善事業だ。


「貧しき者にも平等に、心身の健康と安寧が与えられるべき」

という教団の理念に則り、お金はいっさい取っていない。とはいえ、病院の運営資金の多くは、″富裕層″からの寄付金と、エストリア王国民の税金から出ているわけだが。


宗教組織であるとはいえ、全国に多数の信者を抱えたその影響力は大きい。「神」とその化身たる「守護者」が信仰対象であるという性質上、「青の教団」は「大神院」の傘下に置かれている。


グレンヴィルは、ラスカーを病院に預けた後、院内でマーカス・ジョンストンとメアリー・ヒルに出くわした。


「あ、マーカス殿とメアリー殿。あなたがたも来ていたんですね。そうか…ソフィアから魔法を浴びせられた男を、ここに連れてきていたんですね…」


マーカスとメアリーは、王室付き魔道士のソフィアが、浮浪者の男を攻撃した後、その男の応急処置をした。その後、死にかけていた男をこの病院まで運んでいたらしい。


マーカスが、暗い面持ちでグレンヴィルに返答する。


「…ええ。彼はあの後、呼吸が浅くなっていた。頭部に強烈な″電気″を浴びた影響で、脳の機能がうまく働かなくなっていたのでしょう。…ここへ連れてきましたが結局……助かりませんでした。」


「…死んだ、のですか?」


グレンヴィルの問いかけに、マーカスは無言で頷く。


「…ソフィアさんは、なぜあんな酷いことを…」


暗い面持ちでメアリーが言う。


「…………」


来る″守護者″の式典パレードの準備に備え、街中では不法居住者や浮浪者の排除が進められているのを、グレンヴィルは知っている。


彼らは立ち退きを強制された後、おそらく貧困者が密集している″スラム″の地区に押し込められるが、あそこは特に治安が悪い。

ソフィアの強硬的なやり方はグレンヴィルには納得できるものではなかったが、地方の失業者達が、ここ数年はとりわけ都市部のほうへ押し寄せてきており、不法にここ″アルベール″へ住み着く者も多いのだ。

貧富の差はより拡大し、スラムも拡大。首都の治安は悪化する一方。


無論、問題はそれだけではないが…


「…ここアルベールでは、居住地を持たず、違法に住み着く者も年々増えています。衛士達も対応に苦慮している上…どうにかしなければなりませんが…」


グレンヴィルは渋い口調で語る。

結局のところ、10年前の戦争にこの国が敗れ、物価高騰や賠償金やら、その余波による国家財政の逼迫、経済苦、失業者増などが、連鎖的にこの国を苦境に陥れている。そしていつだって、その苦境の影響を一番に受けるのは、貧しい底辺層なのだ。


「…グレンヴィルさん。私は首都の病院に来たのは初めてですが、ここで治療を受けているのは、外国人も多いようですね。…エストリア語を話さない患者が、何人かいました。」


マーカスからの問いかけに、グレンヴィルが返答する。


「…ああ、マーカス殿。彼らは、東部国境を超えてきた難民達です。…といっても、不法越境者ではなく、″難民保護施設″で審査を受けて入国を許可された、一応は″合法″な難民です。」


「…そうなのですね」


マーカス達は、首都へ赴くまでの道中、東部国境の惨状を目にしていた。

あそこでは、国境警備隊が問答無用で難民を殺していたが、難民保護施設に送られる難民もいたのかと、マーカスは不思議に思った。


「…国境警備隊が難民の殺害に走ったのはそもそも、難民保護施設が満杯になっていたのが理由です。保護施設から難民の受け入れを拒否され続けたが故に、警備隊達は越境してくる膨大な数の難民を始末せざるを得ない状況になっていたのでしょう。


…彼らのやり方を、決して肯定するわけではありませんが」


「…グレンヴィルさん。難民保護施設とは、国境警備隊が管理しているのですか。」


マーカスからの問いかけに、グレンヴィルはしばし考えこんでから、答える。


「…いえ。難民保護施設を管轄しているのは、″大神院″ですよ。」


「大神院が…?」


「…ええ。

国境警備隊のヴェッキオ総隊長は、難民への無差別発砲を警備隊に許可していましたが…難民保護施設に関しては、大神院が管轄していた為、手出しは出来ませんでした。


保護施設に収容された難民のうち、入国手続きを経た者だけが、このエストリア王国への居住を許されるのです。そして彼らもまた、職を求めて集団で都市部にやって来る。そしてそのまま住み着く者が多いのです。」


「…この病院に、これほどまで難民が多いのは…」


「…彼らは、安い賃金で危険な労働に従事しているからです。…東の国々からやって来た彼らは、魔法も使えます。なので、雇用者側は彼らを積極的に雇うんですよ。」


「は、はぁ…」


マーカスは、首都の現状に若干驚愕していた。″魔法使い″が増えていたとは聞いていたが、まさか東部国境を超えてきた″難民″までここまで増えているとは。


「…しかし、難民を過度に受け入れすぎると、いろいろ問題が生じるのでは?彼らは、この王国とは違う文化圏の人間達だ。」


誰もが待ち得る単純な疑問を、マーカスは口にする。


「…もちろん。本来ならば、東部の国境管理を厳格にして、難民達が越境できないような体制を作るべきです。そうすれば、国境警備隊があのような″凶行″に走る必要もなかった。…″王室議会″は国境警備の強化を主張していますが、大神院がそれを認めない状態です。」


「…守護者様が?」


「″一応″は、そういうことになりますかね…」


「大神院は、議会の決定を覆せるほどの権限があるのですか?」


マーカスの疑問に、またもマーカスはしばらく考えこんでから、答える。


「…正確に言うと、議会の決定を″承認″しない権限が、大神院…というより、″守護者″様にはあります。


王室議会は、″騎士団″の影響力が強い。

ですが、議会の決定事項を″守護者″様が承認しない限り、議会も王室政府も、何も出来ないのです。…大神院は、国家予算の承認も担っていますし…」


″王室″と″騎士団″が中核となっている王室政府と王室議会。そして″大神院″。

この両者の、根深い対立。それは紛れもなく、国家の機能不全そのものと言えるだろう。


「一方で大神院は、難民の受け入れには積極的なわけです…」


グレンヴィルは、やや慎重な口ぶりで呟く。マーカスは、これ以上深入ったことは聞かないほうがいいかもしれない。そう思った。


「…そう、ですか。いろいろと複雑なのですね。でも、あの王室付き魔道士のソフィア・ニコラウスは難民ではない魔法使いでしょう?彼女は、随分と綺麗なエストリア語を話します。」


「ええ。彼女はこの国で生まれた、れっきとしたエストリア王国民ですよ。…魔法学校でも相当優秀だったとか。」


「優秀だからといって、心の中までは優れている、というわけではないのですね…」


メアリーがソフィアを暗に非難する。彼女にしては、ひどく辛辣な言葉であった。




「…おお、君たち!悪いがどいてくれ!急ぎなんでね。」


ふと突然、恰幅の良い老人が、病院内の廊下を忙しなく歩いてくる。


「…ゲッペルス医師長。」


グレンヴィルが名を呼んだその老人は、ゲッペルスというらしい。


「これはこれはグレンヴィル君じゃないか!一体全体どうしたのだね?横にいる2人は、何者だ?この病院の職員ではないようだが。」


「ああ、はじめまして。お初にお目にかかります。私は、スタンフィールドの小さな村で医者をやっているマーカス・ジョンストンです」


「…そうかね、よろしく!私は、青の教団の″医療部門″の長をしている、ゲッペルスだ!エーリッヒ・ゲッペルス。」


マーカスは、ゲッペルスと握手する。医者であるマーカスは、地方の村の教会で医者をしている。その教会は″青の教団″が運営しているため、一応はマーカスも″青の教団″に所属していることにはなる。彼は教団の″信者″ではないが。

ゲッペルス医師長は、青の教団が全国で運営している、全医療機関の総責任者だ。


「…はじめまして。私はマーカス先生の助手をしています。″薬剤調合師″のメアリー・ヒルです。」


「はっは!よろしく!ゲッペルスだ。マーカス先生とやらは、こんな綺麗な助手を持てて幸せだな!…君、私のタイプだよ。」 


「は、はぁ…」


えらく陽気なゲッペルス医師長は、まるで口説いているかのような言葉をメアリーにかける。


「…ゲッペルス医師長。あまりセクシュアルな言葉を、若い女性にかけるべきではありません。いらぬ誤解を与えてしまいますよ?」


ゲッペルスの横から口を挟んだのは、背の高い高齢の女性だった。修道女のごとく、全身を覆った黒服を身につけている。


「…あ、お久しぶりです。シスター・マーラ。


メアリー・ヒルです。…といっても、私のことは覚えていないと思いますが。」


メアリーが″シスター・マーラ″と呼んだその女性は、彼女をしばし見つめて、思い出したかのように目を輝かせる。


「ああ、あなたシスター・メアリーね!随分と久しぶりですね。″洗礼″の時以来かしら。」


「シスター・マーラ。私は″シスター″ではありません。今は薬剤調合師をしています。」


メアリーはかつて、″神に仕える″ために青の教団の修道院で修行をしていた。しかし、より人々の役に立つ仕事をしたいと思ったため、彼女は″薬剤調合師″の道を進んだのだ。そして現在は、マーカスの手伝いをしながら、彼の村にある教会で共に働いていた。


「ああ、ごめんなさい。じゃあ今のあなたは、シスターではなく、″薬剤調合師″のメアリーね。

…私としては、あなたのような心優しき子は、ぜひともシスターとして神に仕え、教団の布教活動を行なってほしかったけれど…

やはり、神への信心に疑念が生じたかしら?」


「…いえ。そうではありません。

私はどちらかといえば…より″実践的″に、人に奉仕がしたかったんです。だからこの仕事をしています。

薬剤調合の知識を活かし、誰かを″救っている″という実感が欲しかったから…」


誰かに奉仕したい。その強い意志のため、

″神に仕える″という曖昧な道から、メアリーは自ら袂を分かった。だからといって、今でもメアリーは、神を軽んじているわけではない。一定の信仰心はあるし、自らが所属する「青の教団」への忠誠心もある。


「…そうですか。それもあなたの″道″です、メアリー。私は″青の教団″の大主教として、苦しむ者たちに手を差し伸べたい。自らの″罪″に苦しむ者達を、救いたいのです。


それが…私が″神″と行った契約です。


…メアリー、あなたはあなたの信じた″道″を、進んでくださいね。自分自身との″契約″に嘘はつかないでくださいね。」


そう優しく語ったシスター・マーラ。

彼女は″シスター″と呼ばれてはいるが、「青の教団」の大主教を務めている。事実上、教団のナンバー2である。

大主教たる彼女の上には、″大司教″と呼ばれる教団内で最高位の位にあたる者もいる。


(自分自身との契約…)


メアリーは、シスター・マーラが放った言葉に対し、深く考え込む。


(私が、私自身と交わした契約…)


彼女にとってそれは、誰かに奉仕する。誰かを助ける、ということだろう。


でも…


″誰かの命を奪う″

それは、自分自身との″契約違反″にはならないだろうか?


自分自身との契約。それは、生涯を通じて揺らぎないものなのだろうか?

選択の余地を迫られた時、彼女はまた″誰かの命″を奪ってしまうかもしれない。


ジェイコブ・ウッズ騎士団長に殺しを″代行″してもらった時、自分は彼の「殺し」を″承認″したのだ。


私はもう、「罪」を犯している。


「シスター・マーラ…」


惑いの中にある彼女は、シスター・マーラに助言を求める。


「…なんでしょう?メアリー。」


「こんなこと」を聞くべきではない。メアリーは頭の中でそう思っていたが、それでも彼女は、シスター・マーラに聞かずにはいられなかった。


「…シスター・マーラ。″契約″は、変えても良いものなんでしょうか?」


なんて馬鹿なことを聞いてしまったんだろう。


″神″と契約したシスター・マーラに、こんな質問をするべきではない。


メアリーは若干後悔した。

叱責されるに決まってる。″契約″を変えていいはずがないのだ。″契約″を守れない者に、神は救いを与えない。″契約″を守らないということは、自分に嘘をつくことにもなるからだ。


「…メアリー・ヒル。″契約″を変えてはいけません。」


やはりそうだ。そうに決まっている。しかしシスター・マーラの言葉は、そこで終わりではなかった。


「…ですが、生涯を通じて″契約″を守れる人間は、ごくわすがです。」


マーラの口から出てきた言葉は、メアリーがまるで想像していなかったもの。


「この世の中には、″契約″を守ったつもりでいる者が多いからです。」


シスター・マーラは、至極淡々とした口調で話し続ける。


「そこに気付くことができるかどうか。それこそが重要なのです。気付くことができない人間は、最後まで自分が″正しい″と信じ続ける。それこそが、″過ち″であり″罪″なのです。」



″気付かないこと″が一番の罪… なら…



「でも、気付くことが出来たとして…

″契約違反″をした。その罪は、どうなるのですか?」


「もちろん、契約違反は罪です。ですが、それに気付かないのは、もっと大きな罪。

メアリー。罪を犯さない人間は、誰一人としていません。

それが、深いか浅いか。その違いでしかないのです。」


シスター・マーラの言葉は、既に「罪」を自覚していたメアリーにとって、違う方向性からの示唆を与えてくれているようだった。


そして、メアリーは最後に…


不躾だとはわかっていても。

これだけは…

これだけは、聞かずにはいられなかった。



「…シスター・マーラ。あなたも、罪を犯す…?」



シスター・マーラはにっこりと笑い、メアリーに言葉を返す。



「当たり前じゃ、ないですか」




「…随分と難しい話をしているな。私には、皆目見当もつかんよ。」


マーラとメアリーのやりとりを見ていた、ゲッペルス医師長が呟く。


「…それはともかく。私もあまりもたもたしていられないんでね。″仕事″に向かわねば。ではみなさん、私はこれで失礼する。」


ゲッペルスはそう言うと、ずかずかとせわしない足取りで、廊下を歩いていった。


「…医師長。随分と忙しそうだ。」


マーカスの言葉に、シスター・マーラが返す。


「出張ですよ。ゲッペルス医師長もいろいろと多忙ですから…」




「ああ、こんなところにいた!メアリー・ヒルさんとマーカス・ジョンストンさんですね!」


またしても突然と、金髪姿の長身の青年が、メアリーとマーカスを見つけるや否や、彼らに声をかけてきた。


「…はあ、そうですが。あなたは?」


その金髪の青年は、長く細い剣を帯刀しており、至極高級そうな鎧を装着している。


「私は、″エストリア騎士団″の団員、ハリー・マッキントッシュです。キーラ・ハーヴィー様の指示にて、あなたがたを案内いたします。」







———





エストリア城にて王女と面会したルークは、ソフィアに城内を案内される。


「ルークさん。あなたには部屋を用意してありますので、今日はそこで過ごしてもらいます。まあ、今日はというより…いつまでなのかはわかりませんが…」


「ありがとうございます、ソフィアさん」


ルークからの感謝の言葉に、ソフィアは不思議そうな顔をする。


「…これは、仕事ですから。あなたもゆっくり休んでおいてくださいね。」


だだっ広い城内の廊下を歩いていく2人。しかし廊下の曲がり角で、ルーク達は危うく一人の男とぶつかりそうになった。


「危ない!」


ソフィアがそう叫んだのも束の間、その男は、ルークを一瞥し、ひどく侮蔑的な視線を彼に浴びせる。


「…なんだお前は…見ない顔だな…王室付きの魔道士ではあるまい?急に飛び出してきて、謝罪の一つもなしか?」


その男は、体格の良い壮年の男。白髪の前髪は綺麗にバックされており、その茶色の眼光は、獲物を狙う爬虫類のように鋭い。

胸には、エストリア王旗の紋章と勲章が多数かけられている。

その鋭くも冷たい眼光。そして男から威圧的な言葉をかけられ、ルークは萎縮して彼に謝罪する。


「…申し訳ありません、非礼をお許しください。お怪我はありませんか?」


「…ふん。随分と綺麗な発音でエストリア語を話すな。少なくとも″難民上がり″ではなさそうだ。

…まあいいだろう。次からは、気をつけよ。」


ルークの言葉を聞いたその男は、初見の威圧的な言い方が、ややトーンダウンしていた。そして男は、ルークの横にいたソフィアをもまた、じっと睨みつける。


「…スペンサー卿。申し訳ありません。私からも謝罪致します。」


そのスペンサーという男に睨みつけられたソフィアは、その威圧感に圧されて、やはり咄嗟に謝罪の言葉を紡ぐ。


「お前は、ソフィア・ニコラウスか。

″王室付き″に出世したとはいえ、あまり調子に乗るなよ。

本来ならば、お前のような″下賤″な魔法使いが、このエストリア城を歩いていいはずはないのだからな。」


そう言うと、スペンサー卿は彼女らを押し退けて、急ぎ足で廊下を歩いていった。



「…あの人は?」


ルークがソフィアに尋ねる。


「…あの方は、″ガルド騎士団″の団長、アレクサンダー・スペンサー卿です。」


ガルド騎士団は、エストリア王国における序列2位の騎士団。つまり、エストリア騎士団に次いで序列の高い騎士団ということになる。


「ガルド騎士団の団長…」


「…ええ。最もあのお方は、″騎士団長″という呼称は嫌っているので、″スペンサー卿″とお呼びしていますが…」

 

初対面とはいえ、ルークはスペンサー卿に睨みつけられた時、形容し難い″恐怖心″を抱いた。

それは、エストリア騎士団副団長のキーラ・ハーヴィーに対しての″畏怖″とは、似て非なるもの。


キーラが″狼″のような危うい殺気を放っていたとすれば、スペンサー卿が放っていたものは ″蛇″のような鋭さ。背筋に伝わるゾッとした寒気。彼に睨みつけられた時、ルークの体は硬直していた。





「…ガトランド。今日の騎士団の定例会議。欠席者はいるか?」


急ぎ足で廊下を歩くスペンサー卿は、傍にいた自らの腹心…

副騎士団長のガトランドに、本日行われる会議について尋ねる。


「…はい、スペンサー卿。


…本日、フェアファックス騎士団長は、任務のため欠席されます。

グレンヴィル騎士団長も、欠席されると。


…キーラ・ハーヴィー様は、少し遅れてくるそうです。」


「…ふん。キーラ、あの遅刻魔め…


グレンヴィルも全く困ったものだ。あいつはいつも、″無駄″な仕事を抱え込みすぎなんだ。だから会議もよく欠席する。騎士団長としての自覚を、もう少し考えてほしいものだな…」








「ルークさん。」


「はい?」


ソフィアに連れられ城内を進むルークは、唐突に彼女から声をかけられる。


「…私は、違いますからね」


「…何がですか?」


主語がないソフィアの言葉の意味を、ルークは解せない。


「…私は、″下賤″な者なんかじゃ、ありませんからね…」


先程スペンサー卿から言われた言葉を、ソフィアはひどく気にしていたようだ。



(お前のような、下賤な魔法使いが…)


しかしその言葉に、ソフィアは深く傷ついてもいるようだった。本人はそれを表に出さないようにしているようだが…

ソフィアの目に、僅かな涙が滲んでいたのを、ルークは見逃さなかった。


「私は、″難民上がり″の魔道士でもありませんから…この国で生まれた、れっきとしたエストリア王国民です…


私は、″そのへんの″魔法使いとは違います。王室に仕え…高位の職に就いているのですよ…

難民達や、出世できない魔道士達は、下賤な魔法使いかもしれません。


でも、私は違う…」


傷ついていても、まだ自分のことを「他の魔法使いとは違う」という矮小なプライドで埋め合わせようとしているソフィアを、ルークは理解こそはすれど、同情は出来なかった。


だからこそルークは、言わずにはいられなかった。


「ソフィアさん。あなたがスペンサー卿の言葉に腹を立てたなら、彼に魔法で攻撃すればよかったじゃありませんか?」


「…何を言ってるのです?ガルド騎士団の団長に…そんなこと出来るはずがありません…」


「…街の浮浪者には、魔法を使ったのに?」


「それは……!」


ルークの弁に、ソフィアは何も言い返せなかった。


「″権威″にすがる者は結局…自分より大きな権威に出くわすと、何も出来ない。


地位のない人間は、″下賤″なのですか?


スペンサー卿の言葉に傷つくのなら…傷つくぐらいならばなぜ……スペンサー卿と、同じようなことを、あなたは言っているのですか?」


反抗しようにも、言葉が出てこない。ソフィアはルークに振り返ることはなく、ルークから逃げるように、早足で廊下を歩いていく。


「″地位″を維持して、優越感に浸って…あなたはそれで、幸せなんですか?」


「…………っ!」


ソフィアが、僅かに嗚咽を漏らした。


ルークは、少しばかり言いすぎたと…彼女を傷つけてしまったと自覚し、それ以上言うのはやめた。


同時にルークは、自らがシャーロット王女が言っていたのと同じような言葉を、ソフィアに投げかけていたのだと気付く。



(記憶を取り戻したら、あなたは幸せになれるのですか?)



ルークの頭に、王女の言葉が再生される。 


僕にとっての幸せ…


自分にとって大切だと思っていることが、自らの幸せにつながるわけではない。その点に関しては、ルークもソフィアと同じなのかもしれない。




ソフィアとルークは以後、一言も口をきかず、黙々と廊下を歩いていた。


(…………)


ソフィアは、怒っているわけではなさそうだが、その表情は暗く、重い。

そして、時々肩を震わせていた。 

彼女は涙を流しこそしなかったが、堪えているようだった。



それは彼女の強さなのか、弱さなのか。



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