第20話 優しい隣人

国境警備隊の本拠地域より遠く離れ。


東部国境地帯から西へと進むキーラ達。

途中、メフィス運河と呼ばれる水路を越え、さらに田園道と山間部を超えて行った。

国境地帯で馬車を失ったが、幸いエストリア王国内には——使い魔を利用した——民間でヒト、モノの″移送″業務に携わっている魔導士が数多存在しているため、キーラ達騎士団はそれらを利用する。


ルークの移送任務にあたってキーラ達は、国境地帯を超えてきたため、概ね内陸都市部の大神院や司法院の拠点を迂回して、首都アルベールへと到達するルートを通ることに成功していた。勿論、国境地帯で警備隊や難民との偶発的な戦闘に遭遇したことは、褒められたものではないが。


とはいえ、騎士団がそのようなまわりくどいルートを通ることになったのも、「ルークを首都まで連れてくる」任務に際して、ルークが大神院およびその配下たる″司法院″の網にかかることを、シャーロット王女がなんとしても避けたかったからである。無論それは、ルークがレンバルト魔法学校で発動させた「謎の黒き魔法」の存在が大神院や司法院に知られていた場合の話ではあるが。


「法」から逸脱した魔法の存在を、「法」の番人たる大神院が許すはずはない。しかし、魔法院長官のゲーデリッツが、「黒き魔法」が発動した件について箝口令を敷いているため、魔法学校の誰かが密告でもしない限り、ルークの発動させた「黒き魔法」の存在を大神院や司法院が知ることはない。


ルーク移送任務において、シャーロット王女がここまで慎重なのは、やはり「誰かが口外するかもしれない」という危機意識からだろう。そして、誰かがルークの黒き魔法について密告した場合、やはりルークは大神院と司法院に捕らえられる可能性が高いのである。


「もうすぐミールウォルズの町に着くわぁ」


キーラ達が今進んでいるロンチェスター郡は、国境地帯とは異なり、緑豊かで穏やかな場所だった。道中には果樹園や農家、羊飼いや牛飼い達が見える。人々は活力に溢れており、陰鬱さと絶望感に苛まれた国境地帯とは、まるで別世界のようだ。


田園を抜け、やがで一直線の街道に入る。道は平坦で、次第に前方には町の姿が見えてきた。


「あれが、ミールウォルズです。今日はもう日暮れに近い。今夜はあの町で滞在しましょう。」

グレンヴィルが提案する。


国境地帯を抜けた後は、使い魔を利用した魔導士の「移送屋」の馬車で道中を抜けてきた騎士団達。やはり使い魔を利用した移動というのは、短時間でかなり長距離を移動できる。なんせ使い魔は、「食事」を摂る必要もなければ、通常の生き物より遥かにスタミナとフィジカルがあるので、基本的に休息を取る必要もない。故に、長距離移動において使い魔を利用することほど有用なものはないのだ。



そしてキーラ達は、ミールウォルズの町に到着する。


ミールウォルズは、白黒調のゴシックな建物の多い町。決して華美ではないが、そのシックな雰囲気が独特の魅力を醸し出している。町中に酒場といった娯楽所は少ないが、歴史を思わせる彫像が町のいたるところに散見される。中心部には、国中の美術品や名画が集められた美術館があり、一つ町の名物となっている。そのどこか一見を寄せ付けないミールウォルズの風体は、都市部のインテリや富裕層に人気があり、わざわざこの町を訪れにやって来る者も多いのだ。


「…ここに来るのは初めてですが、なかなか良い町ですね」

マーカス・ジョンストンが、町の雰囲気に魅せられる。


「…まあ、堅物の好きそうな町よねぇ。ああ、別にあなたのこと言ってるわけじゃないのよぉ、マーカスさん。」

キーラがわざとなのか素なのかわからない嫌味ったらしい反応を、マーカスに返す。


「…とりあえず、宿を手配しましょう。」

グレンヴィルが宿を探そうとした時、町の人間と思しき男が、グレンヴィル達に話しかけてくる。


「ああ、これはこれは騎士様。長旅ご苦労様です。泊まるところをお探しなので?」


「…ええ、そうですが。なぜ長旅だとわかるのです?」


「…あなたがたも、首都アルベールへ向かうのでしょう?10日後の″式典″にそなえて、国中の要人が首都アルベールへ向かいます。

ここミールウォルズは、アルベールに近いですからね。この町で一泊した後、首都へ向かう御方々が多いのです」


「…10日後の式典?」


ルークの疑問にグレンヴィルが、思い出したようにその詳細を話す。


「…ああ、そうでしたね。実は、首都アルベールにおいて″守護者″様の生誕20周年を記念した…記念式典が、10日後に行われるのです。」


″守護者″——


守護者とは、エストリア王国において「法」を司る「大神院」の頂点に立つ存在。

いわばエストリア王国における″最高権威″である。

その存在は、最高権力者としての権威というより、いわば象徴的な意味合いでの権威——すなはち、この世の頂点に立ち、決してそこから落ちることのない…いわば「神」に近い存在が、「守護者」とされている。


守護者の血統は古来より″特別″なものとされており、その血は途絶えることなく脈々と受け継がれているのだ。


大神院のトップとしての「守護者」は象徴的な意味合いが強いので、大神院の″実務″を執り仕切っているのは、実質的には「守護者」ではなく大神院の「長官」と言われているが…


「…アルベールで、そんな大規模なイベントがあるなら、僕はこのタイミングで首都へ入って、大丈夫なんでしょうか…」


ルークが不安な面持ちで口にする。たしかに、″守護者″様の式典が首都で行われるのならば、大神院はもとより、司法院の幹部達もアルベールに集まるだろう。


「…むしろそのタイミングだからこそ…なのかもしれません。式典が始まれば、警備は厳重になり、うかつにアルベールに入れなくなります。だからこそ、式典前にルーク殿にアルベール入りしてもらう必要があるのかと。」


「そう、ですか…」

しかしルークには、やはり疑問が残る。


なぜ、シャーロット王女は僕に会おうとしているのか?彼女の目的は何なのか?


(…会えば、その時にわかるんだろうか…)



ともかく、″守護者″の記念式典のため、国中からの有力者が首都へと向かっているようであると。そのため中継地であるこの町に立ち寄る者達も多く、町の宿は宿泊者で一杯なようだ。


「…よろしければ、宿を案内しましょうか?騎士様」


「…すみませんね。頼んでもよろしいですか」


男に案内され、グレンヴィル達は宿に着く。


ミールウォルズの町は、″観光地″としての需要を意識してか、宿の数は多かった。この町のそれは宿というより、かなり格式高い建物で、やはり宿泊客も上流階級の人間が多いようであった。無論彼らも、来る″守護者″生誕20周年の記念式典に出席する者達かもしれないが。


ビアンカ・ラスカーは未だ気を失っていたが、マーカス・ジョンストンが彼女を介抱し、部屋のベッドで横にさせる。


「先生、ラスカーさんの容態は私が見ますので、どうぞ先生は休息をとってください。」

メアリー・ヒルが、マーカスに休息を促す。


「…すまないな、メアリー。君も相当疲れているだろうに」

「いえ、私は平気ですから…」


メアリーにそう言われたものの、マーカスはこの町で一つ、気になっていたものがあった。

「あの、グレンヴィルさん…」


「…なんでしょう。マーカス殿」


「いや…この町には、有名な美術館があると聞きます…その、差し支えなければ、一度そこに寄ってもいいでしょうか?」


マーカスの要望は意外なものだった。たしかに、この町の美術館は有名ではあるが、マーカスがあまり芸術に興味のあるタイプにも、グレンヴィルには見えなかったためだ。


「…マーカス殿、我々は遊びでここに来ているわけではないのです。…とはいえ、多少息抜きも必要かもしれませんね。いいでしょう。」


マーカスの要望をグレンヴィルが許可する。


宿に入った一行は、食事を摂る。久方ぶりにとれたまともな食事に、一同の心はわずかな安らぎを取り戻す。


出された料理。派手さはないがいかにも高級といったような味わい深さのある料理だった。質の良いバターであえた、地産の羊肉。香り豊かな肴のスープ。そして、やはり地産の新鮮な野菜を使ったサラダ等。


魔道士のサダムは、ひどく腹が空いていたようで、食事にがっついていた。その様子を見ていたキーラは、まるで礼儀作法を教える母親のごとく、サダムを注意する。


「サダム、食べ方が下品よぉ?冷まそうとしているからって、スープに息を吹きかけないで。ナイフとフォークの持ち方もおかしいわ。恥ずかしいからやめてねぇ。」


「…キーラ様。食事は楽しんでこそでしょう?いちいちマナーがどうのと言っていたら、この美味しい食事を楽しめません。」


「駄目よぉサダム。マナーは″文化″なんだから、決して軽視していいものじゃない。」


「文化って…そんなの、上流階級だけの話でしょう?」


「…くだけた町の酒場なら、好きにしたらいいわぁ。でもこの旅亭は、もっと格式高いところよ。料理も客も、上流なの。私が言いたいのは、″その場″に相応しいふるまいがあるってことよぉ。」


「…私には、よく理解できません」


キーラの意外な一面、というか。食事マナーに対しての、彼女のえらく真摯な姿勢に、ルークは面食らった。″騎士団″の上位メンバーである彼女は、腐っても上流階級の人間ということだろう。

…とはいえ。テーブルマナーはともかく、対人マナーに関しては、キーラは相当な問題を抱えているような気がするが、ルークは何も言わなかった。


「…そういえば、マーカス殿がいませんね。」

グレンヴィルは、その食事の席にマーカスの姿がないことに気付いた。





マーカスは、町の中心部にある美術館に来ていた。

王国中の美術品が集められたミールウォルズの美術館。


マーカスは、決して上流階級というわけではないが、芸術に関して一定の理解はあるし、興味もあった。しかしマーカスが医者をしていた村は田舎であるし、美術に触れる機会がそうそうない。だからこそ、″芸術″品の集積地たるこの地に来れたのは、またとない機会だったのだ。


(たしかに、遊びではないのだが…)


ルークの移送こそが騎士団の主任務。マーカスは、自らの我儘を許してくれたグレンヴィルに感謝する。


「ほっほっほ!いやその格好は、お医者か何かかな?芸術に興味がおありで?」


陽気な声の、小柄な老人がマーカスに話しかけてくる。


「…ええ、私は医者をやっている者です。…あなたは?」


「ワシはこの美術館の館長をしておるペルティーニじゃ。かれこれ40年はここで務めておる。」


「…40年も?それはまた凄い…」


「ほっほ!確かに、よく飽きもせずに、ここの館長をやっているものだと、自分でも不思議じゃよ。だが今更やめるつもりもない。この美術館は、ワシの人生そのものじゃからな…」


「…そうですか。でも、何か一つのことに人生を捧げることが出来るのは、羨ましい限りです。」


「…そう言ってくれると、ワシも嬉しい。…この美術館は無料開放されておるからな。思う存分見てまわってくれ。」


無料開放…これほど膨大な数の美術品を集めた美術館ならば、維持費も決してタダではないだろうと、マーカスは思った。


「無料開放、ですか…

これほど素晴らしい作品を多く抱えているなら、少しでもお金をとればよろしいのに…」


「ワシとしては、出来るだけ多くの人間に芸術に触れてほしい…だからお金は取らんのです。実際のところ、この美術館の運営は元々町の補助金で賄われていた…しかし町の財政も厳しくなり、補助金も最近打ち切られてしまった…」


「…では、どうやってここの運営を?」


「…芸術に興味おありの″新興富裕層″の方々が、この美術館に寄付をしてくださっているのです…それでなんとかここは保っています」


「新興富裕層」とは、50年前に起きたエストリア王国の内戦終結後、急速に財を成していった者達の総称。いわゆる「成金」と呼ばれる者達だ。


「そうですか、それなら良かった…」


マーカスが安心する。しかし、ペルティーニ館長の表情は、どこか辛そうだった。


「必ずしも、そうとは限りません…


ここに寄付金をくださる富裕層の方々は、ほどなくして…ここの美術館の展示品を買い取らせろ、と言ってきました。


…私は、最初断りました。美術品の展示物は売り物ではない、と。しかし寄付者の方々は、″それなら美術館への寄付を打ち切るぞ″と条件を突きつけてきております…」


マーカスは、美術館の置かれている現状…館長の顔に滲む悔しさの表情に、胸が痛くなった。


「そんなことが…

しかしここは、公共の施設…

展示品を売るなんてこと…」


「ええ、もちろん。そんなことを許すわけにはいきません。ですが、美術館の置かれた現状は厳しい。寄付金を打ち切られて、美術館は閉鎖するか…金持ち達に展示物を買い取らせることを許可するか…そのどちらかしか、選択の余地はありません。」


「…彼らはそこまでして、ここの美術品に価値を感じているわけなのですね…」


マーカスの言葉に、館長は馬鹿にするように笑う。


「フッ…価値など、彼らにわかりはしませんよ…

金にモノを言わせて、″金持ち″達は何でも欲するんですよ。それが彼らにとっての

″ステータス″だからです。芸術品が持つ本当の価値や意味も知らずに…」


「…………」


「いやすみませんな、くだらない内輪話をしてしまって。ではワシはこれで失礼します。どうぞ美術館を存分に堪能してくださいませ。」

館長はそう言うと、マーカスに一礼してその場を去って行った。



(金にモノを言わせて、か…)


マーカスは、この嫌気の差す社会の現実に、胸がむかむかとしていた。


(結局金次第なのか…金がなければどうにもならないのか…そんな社会は、間違っている…)



マーカスは考えに耽ながらも、美術館を歩いていく。歴史と伝統、荘厳さと趣を感じさせる彫像の数々、そして広い壁面に飾られる無数の絵画。カラフルで豪奢な絵もあれば、淡い色彩で描かれた空想の世界。暗い色調の人物画や風景画など、様々な″世界″がその美術館内で広がっていた。


しかし一際マーカスの目を引いたものがあった——


—その絵画は、風景画だった。


否、風景の中に、巨大な翼を広げた生き物の後ろ姿が描かれている。

絵の構図としては、辺り一面に広がる廃墟の町。町は、鮮やかな夕陽によって照らされていた。

そしてその町を見下ろす、巨大な翼を持つ生き物の後ろ姿が、描かれている。その後ろ姿は、どこか寂しく、どこか哀しく…


決して上手い絵ではない。技術的にも拙い絵だ。しかしその絵の中には、鑑賞者の心を揺さぶる″描き手の強い感情″があった。

その感情の種類が何なのかはわからなかったが、紛れもなくその作品は、マーカスの心を強く惹きつけたのである。


(この絵は……)


——表題不明

——作者不詳


いつの時代に、誰が描いたのかもわからない。しかし、ファーストコンタクトがもたらす激情。それはつまり、この上なく心を揺さぶる作品に出会った時の、渦巻き爆発するような精神の沸騰。

マーカスが感じていたのは、まさにそれだった。そしてそれこそが、

″芸術に触れる″ということの醍醐味そのもの。



「……あなたも、この絵に興味がおありで?」


突然、マーカスに話しかけてきた男。その男は、燕尾色の紳士服を着た、ひどく身なりの良い品のある男だった。

背はスラッと高く、役者のような優雅なもの振る舞い。そしておおよそ、すれ違う全ての貴婦人が振り返るであろう、ハンサムな顔立ち。マーカスよりは年下だろうが、その落ち着いた口調からは、年季の入った渋さも感じさせる。


「…ええ。この絵がちょっと気になりまして。」

マーカスは男に返答する。


「…私も、ですよ。私もこの絵が好きだ。…不思議なものです。誰が何の目的でこの絵を描いたかもわからない……

いや、わからないからこそ…人を惹きつけるのでしょう」


その紳士の声は、ひどく耳心地が良かった。


「…なぜ、芸術が人を魅了するのかあなたにはわかりますか?

それは、優れた技法?優れた技術?いいえ、そうではないでしょう。


感情です。


作者の″感情″が現れている作品こそ、芸術そのものなのだと、私は思います。」


「…あなたは……」


突然話しかけてきた男の正体を解せないマーカスだが、しかし男は、かまわず話を続ける。


「…人間も、一緒ですよ。人は感情を表出せずにはいられない生き物だ。ならば人間もまた、神が作り出した″作品″なのかもしれませんね。」


「…あなたは、この美術館によく来られるのですか?」


「…頻繁に、ね。今回は少し寄り道です。私の目的地は、アルベールですから。」


アルベール…この男も、首都アルベールを目指しているのか。やはり、″守護者″の式典に参加する人物だろうか。


「…それは、守護者様の生誕20周年…その記念式典に参加されるので?」


「まあ、そんなとこです。もっとも私には、他に仕事もありますが…」


「デュラン様」


男のもとに、彼の部下らしき人物が現れた。どうやらこの紳士の名前はデュランというらしい。

部下らしき男が、デュランに小声で耳打ちすると、デュランは無言で頷いた。


「…仕事が入ったのでね。私はこれで失敬。貴方も美術館巡りを楽しんでください。名前は…」


「マーカスです。マーカス・ジョンストン。」


「…ジョンストンさん。また会う時があれば…」

デュランはそう言いマーカスと握手すると、彼の部下と共に美術館を出て行った。



(感情、か…)


マーカスはデュランの言葉を思い出し、再度目の前に展示されている″作者不詳″の絵を眺め続けた。




メアリー・ヒルは、ラスカーの看病を続けていた。

「メアリーさん。ラスカー先生は大丈夫そうですか…」

ラスカーの容態を心配していたルークが、メアリーの部屋に訪れた。


「ああ、ルーク…

ラスカー先生、意識はまだ戻らないけど、呼吸は安定してるし気にしすぎることはないと思うわ。そのうち目覚める…でもちょっと、体が熱いわね。氷水も切らしちゃったし…」


「それなら僕、支配人に言って貰ってきますよ」


「いいの、ルーク?ごめんね。」


ルークは、ラスカーの看病に付きっきりになっているメアリーに代わって、氷水を取りに行く。


「ええと、支配人の事務室は…」


だだっ広い旅亭は、ただでさえフロアが多くてルークも迷ってしまいそうになる。あれこれよそ見していると、旅客の1人がルークの肩に接触し、ルークは転倒した。


「…ああ、すまないね君。大丈夫か?」


その男は、床に転倒したルークに手を差し出す。男は、燕尾の服を着た紳士。


耳に心地良く響くその男の声に、ルークは僅かばかりの安心感を覚えたが、しかし一瞬——それはまるで根拠のないものではあるが、本能的に——ほんの僅かの、″警戒心″を、ルークはこの男に抱いたのだ。

それは、ルーク自身も気付いていない、″警戒心″なのだが、他でもないこの男自身は、そのルークの僅かな″躊躇″に気付いていた。


「…あ、ありがとうございます」


ルークは、差し出された男の手を取り立ち上がる。


「…すみません、よそ見してしまって…」


「…気にしなくていい。君は、何かを探しているのかね?」


「……いえ、そんなことは。部屋に戻ろうとしていただけで…」


「…何か困りごとがあるなら、手伝おうか?」


「…いえ、大丈夫です。一人で出来ますから。」


「そうか…」


「…すいません、では失礼します」


ルークはそう言うと、そそくさと燕尾服の男——デュランの元から去って行った。






「…それにしても。」

グレンヴィルは不満げな様子だった。


「今回の任務は、波乱続きです。国境警備隊の総司令官を相手にするなど、露とも思いませんでしたよ。この調子だと、まだまだ何かありそうですね…」


「あらぁ?グレンヴィル、あなたってほんと軟弱ねぇ…たった2回戦闘しただけじゃない。この程度は″波乱″なんて言わないわよぉ?」


「はぁ、キーラ様。あなたのように私も緊張感なく仕事が出来ればいいのですが…」

グレンヴィルが遠回しにキーラに嫌味を言うが、相変わらずキーラはくすくすと笑うのみである。


「…グレンヴィル。あまり口に出すな。口に出すと、″不吉″なことは起きるもんだ。」

ジェイコブ・ウッズが珍しくグレンヴィルに釘を刺す。キーラに忠実なジェイコブだが、余計なトラブルを抱え込みたくない、という点ではグレンヴィルと意を同じにする。


「…首都アルベールまであと少しなのです。こんなところで足止めを食らうわけには…」


たしかに、心配とは的中するものだ。無論、

″試練″には否応にでも対処せねばならないのは、人のさだめである。





—————



(もう、夜か…)


マーカスが美術館から出ると、あたり一面は闇に包まれていた。町には灯りが並列し、喧騒とも静寂ともつかない、ほど良い町の活況具合。この絶妙なバランスが、都会でも田舎でもない、どこか博識高いが決してお堅過ぎないこの町の魅力でもあるのだろう。


(この町を出ると、いよいよアルベールか…)


マーカスにとっても、首都アルベールへ行くことは初めてだった。だがマーカスは都市に対してあまり良いイメージも持っていない。


華やかさの裏には、闇が付き物だ。


それはイメージ、などという漠然としたものではなく、現に首都アルベールの治安は相当悪化していると聞く。仕事を求めて貧困地区より都市部へ向かう人間も多いが、都市の人口が増えた結果、治安は悪化し格差も拡大。無論、都市部が抱えている問題はそれだけではないが…


(ルーク、お前は一体…)


マーカスは、自らが養父として育てた、ルークという少年に思いを馳せる。

(ある人物)から預かって育て続けたあの少年を… ある部分の記憶が抜け落ちているあの少年について、マーカスはまだまだ何も知らない。


だが、知らないからといって、それが何だというのだろう?


彼が何者であっても、ルークに対する愛情は、変わることはない。


彼の正体が何であれ、(全て)を受け入れることこそが、本当の愛情というもののはずだ。たとえそれが、″痛み″を伴うものだったとしても…


でも、ルークは″何か″を探している。


それは記憶なのか、自らの秘密なのか、本当のところはわからない。ルークは、マーカス達が見ているところとは、違うところを見ているのだ。

だからこそ、彼は突然、どこかにいなくなってしまうのかもしれない。自らが探しているものに「引き寄せ」られていくのかもしれない。

それもルークの選択だ。マーカス達には、それを止める権利はない…


(…心地良い風だ…)


町中に吹く温暖な風。その優しく撫でるような風の感覚を感じながら、マーカスは宿へと戻る。






ルークはメアリーに氷水を届けた後、宿の自室へと戻る。一応ルークの護衛役として、魔道士のサダムがルークとともに部屋を共有していた。


「…あの……」


ルークは、まだまともに会話をしたこともないこの魔道士の青年に、声をかける。ルーク自身は社交的というほどではないが、それでも同じ魔法使いであるこの青年と、少しばかりでも距離を近づけたいと思っていた。


「ああ、ルークさん。まだ貴方に自己紹介をしていませんでしたね。私はサダム。正式にはサダム・イブラヒムといいます。」


「イブラヒム…結構珍しい姓ですね。」


「ええ…この国では、ね。だから私は、信頼のおける人間以外には、あまり積極的に名を名乗りません。」

そう言ったサダムの表情は、どこか物悲しげだ。だからルークは…名前に関して、あえてそれ以上は聞かなかった。


「…いつから魔道士になったのですか?」


「…私は、物心つく頃から…首都アルベールにある魔法学校で学び、魔道士の称号を取得したのです。」


「へえ…首都の魔法学校。それは凄い…」

アルベールの魔法学校は、規模だけで言えばエストリア王国最大の魔法学校である。


「…少しばかり、苦労もありましたよ。アルベールには魔法使いが多いとは言え…魔法使いを嫌っている人間も多い。…私に脅迫の手紙が届いたこともありました…家に火をつけられそうになったことも…それは、未遂に終わりましたが」


それはサダムにとって、思い出したくない過去のようであった。「少しばかりの苦労」、というのは謙遜で、実際は相当辛い思いをしてきたのだろう…


「私が本当に怖かったのは…


首都アルベールの人々は、親切な人間が多いんです。彼らに″直接″酷いことをされたり、酷いこと言われたりしたことは、一度もなかった…でも一方で彼らの中には、魔法使いへの嫌悪感情を内に秘めた者も数多くいる…


その″優しい人々″の中に、自分達魔法使いを嫌っている人間がいるのかと思うと、怖くて…疑心暗鬼になりそうで……」


それはルークにとっても心当たりのあることだった。


(なぜ俺が村を離れなくちゃならない…!?後からのこのことやってきた魔法使いどもが、俺の仕事を奪い、村に居座り、なぜ俺が!!あの村にずっと住んでいた俺が、村を離れなくちゃならないんだ!!)


ジョージ・ハースの言葉が、ルークの頭の中で鮮明に思い出された。フランドワースという田舎の村で出会った———その親切な村人は、突如として″豹変″した。


極限まで抑え込まれていたものが、爆発した。


大量の血がドロドロと流れ出して、決して止まることのない出血のように、溜め込んでいた「感情」の爆発が、その人間を″制御不能″にさせていた。その光景を、ルークは直視したのだ。


「負の感情」を一時的に抑え込めても、それは決して、消えることはない。「出血」せずに一度抑えられた感情は、その「病巣」をどんどん大きくさせ、育っていく。そして気付いた時にはもう…手遅れなほどに「負の感情」は″育って″しまっているのだ。


「だから私は、苦悩しました。本当に自分は魔道士を目指していいのか?魔法使いとしての自分の力は、人々に恐れられているのではないか?自分の進んでいる道は、正しいのか?と…」


サダムは、懊悩とした様子で話し続ける。


「そうやって悩む私の背中を押してくれたのが、魔法院のゲーデリッツ長官です。」


(ゲーデリッツ…)


ルークがアルベールを目指す、そのきっかけを作った老人。


「彼は私に言いました。魔法を使えること。それは資産なのだと。


魔法には無限の可能性がある。魔法は人々を苦しめるのではなく、幸福にさせるためにあるのだと。

他人を恐れ、責められたくない、という理由だけで、魔法を使えるという貴重な″資産″を手放していいのか?と。


そこに自分の意志はあるのか?とね…」


生気を得たようにサダムは、話を続ける。


「私は大事なことが頭から抜け落ちていたんです。


魔法で人々を幸福にさせる。


そうです。魔法の有用性が人々に認識されれば、少しずつでも、魔法使いが認められる社会が出来るはずなんです。ゲーデリッツ長官は、私に大切なことを気付かせてくれました。」


さっきまでの沈痛な面持ちの彼とはうって変わり、長官のことを話すサダムの様子は、ひどく嬉々としていた。


「長官は私に、こうも言いました。

自分の力を恐れるな。力を使うことを躊躇するな。自分が″信じた″ものの為に、力を使うことを恐れるな、とね…」


力を使うことを恐れるな…


それは、「黒き魔法」の力の暴走を恐れるルークにとっては、随分と胸に気持ち悪さを感じる言葉だった…


しかしそれは過剰な表現だ。長官の言いたいことはつまり、″信念を貫き通すために、躊躇をするな″ということだろう。そう、きっとそういうことだ。そこには穿った深読みすべき意味合いはない。




そのはずだ。




「自分が信じたもののために、力を使う。…サダムさん。あなたが今信じているものは、何なのですか?」


サダムはほんのわずかに笑みをこぼしながら、ルークに答える。


「…私は、王室付き魔道士として、幾多の仕事をこなしてきましたが…その何年かの間にも、魔法使いにもあらゆる権利が認められるようになり、魔法使いはこの国で次第に認められてきています。それは紛れもなく、ゲーデリッツ長官の尽力あってこそです。」


エストリア社会で魔法使いが承認されること。それはたしかに、多くの魔法使いが願っていることではあるが、現実はどうだろうか?″認められる″ということは、そんな簡単なことではないはずだ。


「ただ…」


そしてサダムは、少し思い悩んだように、言葉を選ぶ。


「ただ、人の″心″までは変えられないのです。表面上親切にしてくれる隣人が、本当はこちらのことを嫌っているかもしれないように。魔法使いが直面している現実とは、そういうことです。」


やはり、というか。サダムは夢想家ではなかった。エストリア社会で魔法使いが置かれている現状については、肌感覚として彼はよく理解しているだろう。


「だから私は…もう、何も信じていないのかもしれません。」


サダムの紡ぐ言葉は、ルークにとっては悲痛な言葉そのもののように感じられた——だが

、サダムはなぜか、笑っていた。


「だからもう、決めたんです。理想を信じる必要はない。私は…″私が信じる人間″のために、働く。ただそれだけ、ですよ。」


その言葉にはどこか、危険な響きを孕んでいたように、ルークには感じられた。





——————




「デュラン様…これは、レンバルト魔法学校関係者を名乗る者からの、書簡です。」


「…誰からだ?」


「名前はわかりません。匿名希望、ということで…」


燕尾服の男——デュランは、旅亭に戻った後、部下から渡された書簡に目を通す。それは、レンバルト魔法学校関係者を名乗る者からの書簡だった。



《ロベール・ド・デュラン様。

あなたほどのお方に、書状で用件をお伝えする無礼をお許しください。しかしこうせざるを得ない理由があるのです。


本当は直接あなたに会ってお伝えしたいことなのですが…なにせ私は、ここレンバルト魔法学校から身動きが取れない状態です。あなたのところへ直接赴けば、私は校長達にその行動を疑われて、追及されてしまうことでしょう。


しかし、可及速やかに貴殿に知ってもらわなければならないことです。

これは、この国の法治に関わることです。


なぜなら、我が魔法学校の生徒が、法を犯したからなのです。「魔法抑止法」に明記されていない正体不明の魔法を、その生徒が使いました。

恐ろしい邪悪な魔法です…その黒き魔法は、大勢を傷つけました。


しかしこともあろうに…その場に居合わせた魔法院長官が、学校関係者にこの件で口止めを図ろうとしている。そのようなことは許されません。法を犯した者は、裁かれなければなりません。


その生徒は現在、騎士団に連れられ″秘密裏″に首都を目指しているようです。王室の配下たる騎士団が、彼を首都まで連れていこうとしている。それが意味することは、シャーロット王女が何かよからぬことを目論んでいるのかもしれません。


生徒の名前は、ルーク・パーシヴァル。やや金髪がかった色素の薄い髪に、青い瞳の少年です。細身で、背丈はそれほど高くない。

この少年が野放しにされている状況は、あまりに危険です。


法の番人として、その一翼を担う″司法院″長官たるデュラン様。

貴方の権限を以って、このルーク・パーシヴァルを捜索して頂きたいのです。そして彼は、大神院の″最高法廷″にて裁かれるべき、危険人物であります。


ルークが首都アルベールに入ってしまう前に…

どうか早急な判断と行動を願います。》


レンバルト魔法学校関係者を名乗る人物からの″密告書″を読み終えた、「司法院」長官のデュランは、溜息をつく。


「まったく、この世は因果なものだよ…」


「どう、されたので?デュラン様」


「…なあ、フランソワ。もし今日すれ違った人物が、重罪を犯した犯罪者だったら、どうする?」


「…心当たりが、あるので?」


デュランの部下、フランソワの問いかけに、彼は微笑する。


「確証はない…が、自信はある。

旅亭の廊下で会ったあの少年……彼は、ルーク・パーシヴァルだ。

この書状に書かれている外見的特徴とも一致する。」


「しかしデュラン様…金髪で青い瞳の人間なんて、ごまんといますよ。」


「私が会ったあの少年…彼は、私のことを警戒していた。私が彼に手を差し伸べた時、ほんの一瞬彼は…″躊躇″したのだ。

そしてなにより、彼は嘘をついていた。」


(君は、何かを探しているのかね?)


(……いえ、そんなことは。部屋に戻ろうとしていただけで…)


(…何が困りごとがあるなら、手伝おうか?)


(…いえ、大丈夫です。一人で出来ますから。)


ルークは、自分がデュランの呼びかけに対して矛盾した返答を、無意識に返していたことに気付いていなかった。


「…後ろめたい罪を犯した者は、迷いと疑心、そして他者への不信で、ほんの僅かに…その言動から違和感が生じる。あの少年は…

″違和感″だらけだ。」


「ですがデュラン様…疑わしき者は罰せず、では?」


デュランは少しばかり思案したが、迷いなく言葉を返す。

「たしかにな…ならば、こちらから仕掛けよう。我々が動くことで…もし彼がルーク・パーシヴァルであるならば、行動を起こすはずだ。」


デュランはフランソワに、町の警備隊、治安維持部隊を動員するように指示した。



「疑わしきは罰せず、か…」

そしてデュランは、独り呟く。


「されど、疑わしい者はやはり、疑わしいのだ…


″俺を罰したいなら、証拠を見せろ″


これは、犯罪者の常套句だからな…」






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