第19話 断崖

国境警備隊総隊長のヴェッキオと、キーラ・ハーヴィー達騎士団の衝突。


キーラ達は、ヴェッキオに捕らえられたルークとラスカーを取り戻すことが目的だが、ことはそう単純ではない。


キーラ達が相対しているのは、国境警備隊の中でも精鋭クラス。ヴェッキオ直属の兵士達だ。その数はおおよそ50名。


地形の悪い岩場での、銃兵達の一斉射撃が騎士団達を襲う。キーラ達は岩場の隆起部を盾に身を伏せていた。しかし、敵の止むことのない射撃の嵐に、キーラ達は容易に警備隊達には近づけなかった。ヴェッキオ総隊長は、キーラに接近戦に持ち込まれることを一番警戒していた。彼女に近接戦闘に持ち込まれれば、いかに精鋭といえども警備隊に勝ち目はない。


「きゃあ!!」


「ふせてください!」

グレンヴィルが敵の銃撃からメアリー・ヒルを守る。


「…まったく、もうちょっとこう、話し合いというものは出来ないのかね…」


「交渉など不可能でしょう…ヴェッキオが、というより、キーラ様にはね…」


やや諦めに近い感覚で、グレンヴィルはマーカスに言葉を返す。


「あの銃兵達がうざったいわね。サダム、でっかいの飛ばしてちょうだい!」


キーラがサダムに指示する。サダムは、その精緻な魔法の力で、横長の炎の壁を発生させた。その炎の壁は、無数の炎弾となって、射撃行動を続けている警備隊の銃手達に向かっていく。


しかし、ヴェッキオ配下の兵士達はよく訓練されていた。

銃兵達の背後に控えていた兵士達が、銃兵の前方に立って巨大な盾を構える。サダムの放った炎弾は、盾によって全て防がれてしまった。

そして間髪入れず、また銃兵が盾を構えていた兵士達の前方に入れ替わり、一斉射撃を始める。


「あらぁー、防がれちゃったわよぉサダム?

さっすが警備隊の精鋭兵たちね。」


相変わらずキーラは緊張感がない。まるで遊びに興じている子どものようだ。無論、その緊張感のなさは余裕の現れとも取れるだろうが。


銃兵達の激しい攻撃によって、釘付けにされて身動きの取れないキーラ達。それはヴェッキオの作戦のうちだった。激しい銃撃によってキーラ達の動きを封じている間、他の銃兵が、岩場の狙撃ポイントに移動していた。それは、キーラ達の背後を取るためだ。


岩場の間を伝い、騎士団達を取り囲むように、絶妙な配置につく銃手達。

警備隊の銃手の一人が、キーラ達を見下ろせるような位置の岩場に、狙撃ポイントを確保した。


しかし、そう簡単に敵に主導権を握らせるほど、騎士団も単純な相手ではなかった。


ジェイコブ・ウッズが、自分達の背後を取ろうとしていた銃手の存在を察知し、即座に先制攻撃を加える。ジェイコブの放った銃弾が、岩場高所の狙撃ポイントに潜んでいた銃手の頭を貫く。そして間を置くことなく、その他に岩場の間に潜んでいた兵士も察知。兵士はジェイコブの銃弾を首に受けて、岩場から落下していく。


相当な遠距離から、その正確無比な射撃の腕で即座に狙撃手2人を始末したジェイコブ。


″姿を見せたら最後、即射殺される″


他の狙撃手は、ジェイコブの射撃能力に狼狽し、攻撃を加えず岩場の影に隠れようとした。しかしそれよりも早く、ジェイコブは残りの狙撃兵達の位置を特定、一人、また一人と早急に彼らを射殺した。


敵の背後から狙撃する、という作戦は、奇しくもジェイコブの存在によって困難を極めた。


「ねえ、ジェイコブ。一瞬の″隙″を作ってくれない?ほら、あいつら休む間もなく撃ってくるじゃない?私たちを近づけさせないつもりよ。やつらがほんの″一瞬″でも崩れてくれたら、私が突破口を開く。」


キーラの要求は単純だが、それゆえ難しい。こと銃撃戦においては、向こうのほうが圧倒的に数の火力が上だ。その上敵の銃手達の傍らにいる兵士達は、盾で味方を防御している。その″攻防一体″の警備隊の攻勢を崩すのは、そう簡単なことではない。キーラとジェイコブの能力をもってすれば、決して不可能、というわけでもないが…


「副騎士団長…

あんたはいっつも無茶をする。その無茶に付き合わされる身にもなって欲しいものだ…」


ジェイコブが不満を口にするが、それは暗にキーラの指示に同意したということでもある。


「…あの数の兵士達に、単身突っ込むつもりか?やつらは、ヴェッキオの直属部隊だ。あの町の警備隊どもとは実力が違うぞ?」

ジェイコブがキーラに念を押すが、キーラは終始余裕げな様子で返す。


「わかってるわよそんなこと。でも、それは奴らが″連携″がうまいってだけの話でしょ?懐に入り込むことが出来たら、崩すのは簡単よ?」


何事もそう簡単にいくものなのか。相変わらずキーラの自信には根拠が薄弱だが、だからといって決して無謀な考えというわけでもない。王国内騎士団の中でも、″最高位″たるエストリア騎士団。そのナンバー2たるこの女性は、少なくとも近接戦闘において、全ての騎士団の中で二番目の強さを誇る。


「…ふむ。しかし、敵の激しい銃撃は止むこともなし。おまけにこの距離だ。私の射撃の腕を以ってしても、なかなか骨が折れる。

…とはいえ、地形的にはなかなか面白い。」


不規則な凹凸の激しい岩場地帯。しかしその環境は、ジェイコブにとって敵の″隙″をつくのにはうってつけだった。


(どれ、ちょっと試してみるか…)




ヴェッキオにとって、騎士団と戦うことは本意ではなかったが、ある意味で避けられない戦いでもあった。


警備隊達の騎士団に対する嫌悪感情は激しい。みすみす騎士団の要求に従うことは、国境警備隊の矜持に反する。この地を支配する者として、″示し″をつけなければならない。


なにより、相手はキーラ・ハーヴィーという騎士団きっての″戦闘狂い″だ。まともな対話など期待もできず。


…一番の理由としてはやはり、キーラが引渡しを要求したこの謎の少年の存在だ。エストリア騎士団副団長が、″客人″と称するこの少年は、相当な重要人物であることは事実だろう。

であるならば、この少年を我々国境警備隊が確保できれば、ある意味で騎士団…もとい王室政府に対する取引材料になるかもしれない。そのような打算的な考えも、ヴェッキオには存在していた。


とはいえ、騎士団の中でも上位クラスの騎士達相手に、そう簡単に優位を取れるものではなかった。連中の背後から狙撃するために、銃兵複数人を岩場の高所ポイントに向かわせようとしたが。それに気付いた″ロータス騎士団″の団長ジェイコブ・ウッズの精密射撃によって、狙撃手兵は全員始末された。


連中の裏をかいて背後から始末するという作戦は失敗。そしてキーラ達は岩場の影に身を伏せているため、こちらとしてもやみくもに銃撃しているだけでは埒が開かない。


「炸裂弾、投擲用意しろ。」


ヴェッキオは兵士に指示する。兵士達は炸裂弾に火をつけ、それを岩場に隠れている敵目掛けて投げ込んだ。炸裂弾は、破裂すると中にある破片が無数に飛散して、敵に致命傷を与える投擲用の軽量爆薬である。


しかし、魔導士のサダムが迅速に魔法を発動、こちらに投げ込まれた炸裂弾が着弾する前に、炎の壁を発生させる。炸裂弾は、サダムが発生させた炎の壁に阻まれ、着弾する前に空中で爆発した。


「さぁ、私たちも反撃開始よ」


キーラが言うと同時に、またしてもジェイコブの妙技が炸裂した。


ジェイコブは、そのでこぼこして荒い岩場の地形を利用する。彼は、警備隊そのものにではなく、警備隊の斜め前に隆起していた岩の塊に向かって発砲した。


ジェイコブの放った銃弾はその岩に弾かれて、V字の軌道を描いて警備隊銃兵の側面に着弾した。


数発——


その予想だにしなかった数発の″跳弾″が、警備隊兵士の側面から、彼らの体を貫いた。


兵士達は一瞬、その「横」からの攻撃に、意識が側面へと向かった。

新たな敵襲なのか?

否、その「横」からの攻撃は、「正面」からの攻撃なのだが。その技巧冴えわたる射撃の技が、ジェイコブの攻撃だと警備隊が理解するのに時間はかからなかったが、その一瞬の——ほんの僅かな一瞬の混乱が、兵士達の″隙″を生んだ。


並の相手ならば、この一瞬の″隙″など、戦況をひっくり返す決定打になどなり得ないが、キーラ・ハーヴィーにとっては、その一瞬の″隙″さえあれば、それで十分だった。


「———!!」


銃兵達がほんの一瞬、側面に意識が向いていた間。それは時間として1秒にも満たない一瞬だったが—— キーラが疾風の如く地を駆けて、警備隊兵士達に単身突っ込んできた。

そのあまりのスピードに兵士達は驚愕したが、再度銃兵達が銃を構え、一斉斉射する。


しかしキーラは、かなり無茶な体勢で体を斜めに傾け、その銃弾を躱した。そして体を傾けた拍子に、その体のバネを生かして、スライディングするように——地面を滑り込んで、銃兵達の懐に入り込んだ。


(まずい——)


ヴェッキオが最も危惧していたように、キーラ・ハーヴィーの″抹殺圏内″に兵士達が囚われてしまったのだ。判断している間もなく、2人の兵士の″首″が宙を舞っていた。


愚かな将軍ならば、いついかなる時も勝利を求めるものだ。だがヴェッキオは、必ずしも勝利を求めない。時には″敗北″を受け入れてでも、兵士達の被害を最小限にせねばならない時がある。


「銃手、編隊を解け!退避行動を!」


ヴェッキオが指示し、銃兵達はキーラとの戦闘を放棄、ただちに退避行動に入る。と同時に、キーラの周辺に発煙弾が投げ込まれた。キーラの周囲には煙がたちこみ、その視界が遮られる。これは戦闘のためではなく、いわば警備隊が逃げるための時間稼ぎだ。


「なあに?もう終わり?まだ5人しか殺せてない」


煙で視界不良となっていたが、煙の先から、兵士達がキーラに目掛けて″炸裂弾″を投げてきた。爆発し直撃すれば重傷を負ってしまうが、キーラは炸裂弾の爆発圏内に入らないよう冷静に躱していく。


「こーんな!子ども騙しで!」


キーラの周囲で炸裂弾が爆発し、激しい炸裂音が響く。


「私を!止めようなんて!」


キーラは高く跳躍。曲芸師の如く空中で回転し、投げ込まれた炸裂弾を蹴り返した。警備隊が逃げ出すためのしんがりを務めていた兵士達の眼前で、炸裂弾が爆発。無数の破片を全身に受けて、兵士達は痛みで絶叫する。



ヴェッキオ達警備隊は、逃走を図る。キーラ達を相手にして、ある意味で味方の被害を最小限に出来ただけでも、まだましだった。戦いには敗れたが。しかし、完全に負けたわけではない。


(この少年達は、まだ我々の手にある)


このまま国境警備隊の本部基地まで逃げおおせれば、さすがのキーラも手は出せまい。そしてこの少年を彼女達が取り戻せない限りは、我々の勝利だ。

 



(どうすればいい…)


ルークは、逃げ出す機を考えていた。魔法を使えば、それも可能かもしれない。ルークには使い魔を召喚することもできる。自分一人だけ逃げるのならば難しいことではない。だが、意識を失っているラスカー先生も連れて、一緒に逃げなければならない。


しかし騎士団達も、未だルーク達を捕らえている警備隊を見逃すつもりはなかった。


撤退する兵士達の後方から、逞しい体躯の巨大な″馬のような″生き物が、兵士を追尾していた。頭部には異形の角を生やし、目は4つ存在する。これはサダムが召喚した使い魔だ。


「ボルツ!やつらを蹴散らせ!」


ボルツと呼ばれたその使い魔は、そのスピードで容易に兵士達に追いつき、持ち前の脚力によって兵士達を蹂躙した。

もはや、″馬″というより巨大な″サイ″に体当たりされたかのごとく、兵士達はボルツの突進で吹き飛ばされた。


撤退を続ける兵士達の隊列は乱れる。敵が乱れている間、それはルークにとっても加勢のチャンスだった。


(…僕も、使い魔を召喚させる!)


ルークは右手を上げて、意識を集中させる。そして空の一部分が黒いもやに覆われ、その黒いもやは、一点に凝縮して弾けた。

そして弾けた先に、一つの影が現れる。


ルークが使い魔を召喚するのは、魔法学校での卒業試験以来だ。


空から現れたのは、全長3メートルはあろうかというほどの巨大な鷹(タカ)。その鷹は、まだ名前はなかったが、紛れもなくルークの使い魔である。


鷹は急速に降下し、烈風の如く強烈なスピードで、地上にいた兵士達に強烈な体当たりをかました。その巨躯を活かしたパワーは凄まじく、5名ほどの兵士が一気に吹き飛ばされる。


僅か生き残っていた警備隊の銃兵達が、鷹に向かって射撃する。ルークの使い魔は、その無数の銃弾を翼に受けて痛みの叫び声をあげるが、怯むことなく銃兵達に突っ込む。

鷲の足先に伸びた爪が、兵士を襲う。その鋭利な鉤爪は兵士達の鎧を貫き、内蔵を抉られるような嗚咽をあげ、兵士は絶命する。


「まったく、次から次へと…」


ヴェッキオ総隊長は、銃を構えてルークの使い魔に標準を合わせる。


鷹もヴェッキオ目掛けて滑空、彼に攻撃を加えようとするが、僅かにヴェッキオのほうが早かった。ヴェッキオの放った銃弾が、鷹の頭部を貫いた。


ルークの使い魔は力尽きて地面に落下する。


「大丈夫か!」


ルークが使い魔の元に駆け寄る。ヴェッキオに撃たれた使い魔は今、力尽きて″消失″しようとしている。魔法使いの使い魔が「戦闘不能」になった際は、通常死ぬわけではないが、その肉体を消失させる。

そして一度戦闘不能になった使い魔は、数日間は再召喚することは出来ない。


「…よく、頑張ってくれたね。ありがとう…」

ルークは、自らの使い魔に頬擦りして労う。

ルークの使い魔は弱々しい啼き声をあげて、彼の言葉に応じる。

そして使い魔の肉体の周辺から、湯気のようなものが湧き上がり、やがてボヤがかかったかのように、ルークの使い魔は″消失″した。


「ボルツ!あの男を狙え!」


サダムの使い魔″ボルツ″は、ヴェッキオに向かって突進する。ヴェッキオは、一直線にこちらへ向かって来る使い魔に銃を撃ち、その銃弾がボルツの眉間に直撃した。急所を撃たれたボルツは、バランスを崩し転倒。そのまま動くことが出来ずに、戦闘不能状態となってしまう。


一気に2体の使い魔が戦闘不能となったが、そうこうしている間にキーラやジェイコブ、グレンヴィル達は残りの警備兵を全員始末していた。残ったのは、指揮官のヴェッキオだけだ。


勝ち目がないと悟ったヴェッキオは、ルークに掴みかかった。そして逃げられないようにがっちりと体を締め付け、彼の頭部に銃口を突きつける。


「…お前たち、動くな。さもなければ、この少年の頭を撃ち抜く。」


「くっ…」

ルークはヴェッキオに捕らえられる。使い魔を召喚したことを初め、先刻からかなり体力を相当消耗していたので、抵抗しようにも身動きが取れなかった。何より、背後は断崖絶壁だった。下手に暴れると、かえって危険だ。


「…くすくす。国境警備隊の″英雄″さんが、人質なんて随分とだっさいことするのねぇ?」

キーラが嘲るが、ヴェッキオは動じない。


「…この少年は、君の大切な″客人″なんだろう?今ここで彼を撃ち殺してもいい。

だがここで彼が死ねば、君の任務とやらも失敗に終わる。それだけは、避けたいんじゃないのか?」


「ヴェッキオ…あなたの部下はもう全滅したわよぉ。自分一人だけで逃げ切れると思ってるの?」


キーラの言葉に、ヴェッキオは嘲笑するように、言葉を返す。


「全く、愚かだよお前たちは。私が死ねば、国境地帯はどうなると思う?

見境なく警備兵達を殺していけば、国境はもっと不安定になるぞ。誰が難民達の侵入を食い止めているのか、わからないか?」


「言っとくけど、最初からあなたがルークをこちらに渡してくれたら、こーんな無駄な争いはしなくても良かったのよぉ?」


それはある種、キーラの欺瞞でもあったが。口ではどのように言っても、キーラ自身が戦闘を楽しんでいたのも、また事実だろう。


「…そうねぇ、ヴェッキオ。あなたの言う通りだわ。あなたが死んだら、ただでさえ機能不全に近い国境警備隊は、もっと取り返しのつかないことになりそうね。

…わかったわ。

あなただけは見逃してあげる。だから、ルーク達を渡して頂戴。」


キーラはそう言いながら、ジェイコブに目線で合図を送っていた。


「…キーラ・ハーヴィー。私を生かすというのか?


大嘘つきのお前の言うことなど、信用できんな。…どうせ私も殺すんだろう。

お前達にとって所詮私たちは…代わりのきく使い捨てでしかない。」


ヴェッキオは、騎士団の言葉を信じない。皮肉なことに、それは正解なのだが。


「…キーラ・ハーヴィー。お前の大切な客人は返してやる。


…さあ、受け取るがいい!」


ヴェッキオはそう言うと、ルークを断崖から下に突き落とした。崖下には濁流激しい河川。ルークはどうすることもできず、そのまま川へと落下する。


ヴェッキオは再度逃走を図ろうとするが、ジェイコブが咄嗟に発砲した。


ヴェッキオの鎧を銃弾が貫く。

撃たれた拍子に彼自身も、川へと落下していった。




「まずい!ルークを助けないと!」


グレンヴィルがそう叫ぶよりも早く——ルークの養父、マーカス・ジョンストンが、ルークを助けるために川へと飛び込んでいった。


「先生!!」


メアリーが叫ぶ。川の流れの勢いは激しい。下手をすれば、ルークともどもマーカスまで助からない可能性がある。



(大丈夫だルーク…)


マーカスは、流れ激しい川の急流に流されていく、ルークの体を必死に追った。



(お前を、絶対に死なせやしない…!)



川の流れに抗えず、溺れているルークの手をマーカスが掴む。

マーカスはルークを引っ張り、川岸まで必死に泳ごうとする。とはいえ水流の勢いは激しく、ルークを掴んだまま、岸まで辿り着くのは困難を極めた。

辛うじて川岸付近まで接近することに成功。途中、岸にあった木の枝に掴みかかり、なんとか流されずには済んだ。


だがマーカスは、片手でルークの手を掴んだ状態で、もう片方の手で枝に掴みかかっている状態。このままでは岸に上がれず、また流されてしまう。


(くそ……!)


枝を掴んでいる手にも、どんどん力が入らなくなってくる。今ここで再度流されてしまったら、今度こそ本当に助からないだろう。



(こんな、ところで…!)


とうとうマーカスの手は、″命綱″である枝を離してしまった。


——瞬間。


ギリギリのところで、グレンヴィルが岸からマーカスの腕を掴んだ。


グレンヴィルはそのままマーカスとルークを引っ張り上げる。間一髪間に合った。

あと少し遅ければ、マーカスもルークも助からなかっただろう。


「すっごーい、マーカスさん!あの流れの中でルークを救出するなんて。ちょっと見直しちゃったぁ!」


キーラがマーカスに賞賛の声を送る。煽りでもなんでもなく、単純に賞賛の言葉だった。


「はぁ、はぁ… 私は、戦いは無理ですが。泳ぐのは多少…得意なのでね…

それにグレンヴィルさんの助けがなければ、無理でした……

それよりも、ルークは溺れています。…メアリー、頼む」


「はい!」


メアリーは、溺れて意識を失っているルークに、心臓マッサージと人工呼吸を施す。


ルークは意識朦朧としていたが、自らの唇に、メアリーの柔らかい唇が重なるのを感じた。


(川に流されていた時、マーカスさんの声が聞こえた…)


昔からそうだった。

自らが危機に陥った時、いつもマーカスとメアリーが助けてくれた。


(……………)


そして、今もそう。


マーカスとメアリーは、家族も同然の存在。…たとえ、血のつながりがなくとも。


この安心感は、何なのだろう?何があっても助けてくれる。この人たちなら、どうにかしてくれる。それはまだ幼い子どもが、親に対して無条件に抱く、信頼の感情そのものなのだろうか。


「ルーク…!ルーク…!お願い、息をして…!」


メアリーさんの声が聞こえる。僕の意識はない。

意識はないけど、声が届く。

僕を助けようと、必死なんだ。

僕は、悲しませてはいけないんだ。大切な人を。

大切な人がいなくなったら、僕も悲しいに決まっているから…


生きなければ。


死ぬわけにはいかない。


「……げほっ!げほっ!」

ルークは息を吹き返した。


「ルーク…ルーク!!」


そしてメアリーは、ルークを強く抱きしめる。冷え切ったルークの肉体に、メアリーの温もりが感じられた。その暖かさは、やはりルークの心までにも温もりを与えた。


そしてルークは、自らが生あることに感謝した。


人はいつ死ぬかわからない。


だからこそ、″今″を大切にしなくてはいけない。今更ながらにそう思った。だけど彼はきっと、同じことを繰り返すのかもしれない。ルークがやろうとしていることは、そういうことだ。


目的のために、人は自らの″命″を軽視する時がある。それはメアリーだって、あるいはマーカスだってそうなのかもしれないが。


「マーカス殿…あまり無茶をしないでください…結果的に助かったから良かったものを…下手をすればあなたも川に流されていたかもしれない。」

グレンヴィルがマーカスに伝える。


「すみません。…でも、とっさに体が動いてしまって。…頭でどうこう考えてる暇がなかったのです…」


そう、人は本能によって動かされる。それは、時に大切なことなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。


でも、はっきりさせたいのは。


もし自分が死ぬ時が来たとしても、自分のしたことは間違いではなかったのだと。そう思えるような、行いをしたい。ルークはそう思った。



「ヴェッキオは、死んだでしょうか?」


グレンヴィルが呟く。ジェイコブに撃たれたヴェッキオは、川に落下し流されていったようだ。


「…さあ?生きてるかもしれないし、死んでるかもしれない。…悪運の強いやつだからね」


キーラは、人の生死を断定しない。少なくとも、その人間の死体を確認するまでは。


「マーカスおじさん。ラスカー先生は大丈夫ですか?僕を庇って怪我をしたんです…」


「ああ…かなり重傷を負っているが、幸い命に別状はないようだ。ルークが、応急処置を施してくれたおかげだな。」

「そっか。よかった…」


ビアンカ・ラスカーはまだ意識を失っていたが、呼吸状態は大分整っているようであった。


「さて、と。ひと悶着もふた悶着もあったけど、今度こそ首都アルベールへ向かいましょうか。」


「もう、戦闘はなくていいぞ。」


珍しくジェイコブが、キーラに不満を口にする。


「…そう?私はあと5回ぐらい戦ってもいいけどなぁ?」


「やれやれ…」

グレンヴィルが呆れて溜息を漏らす。


「私のことを″非効率″とか言いましたけど、キーラ様。あなたに付き合っていたら、余計に時間がかかりそうです」


「その言い方は心外だわぁ、グレンヴィル。どれも向こうからふっかけてきた戦いよ?私は、仕方なーく戦ってただけ。おわかり?」


「…ふぅ、まあそういうことにしときましょう。ところで、移動経路はどうします?先程の難民達の襲撃で、馬車はすっかり破壊されましたよ。…使い魔も使えませんし。」


「ここからは西進して、内陸部のほうへ向かいましょう。もう国境地帯とはおさらばよ。ここなら、ロンチェスター郡が近いわ。あそこなら司法院の影も薄いから、そうそう見つからないはずよ。」


ロンチェスターを通って、ずっと西に進めば、あとは首都アルベールに到着する。

空はすっかり夜明けになっていたが、今から徒歩で行くなら、途中にミールウォルズの町がある。そこで一度休息を取るのが得策だ。


「…それにしても。」


「どうしたのぉ?グレンヴィル。急に改まって」


「いえ…ヴェッキオの言っていたことは、正しいことだったかと。


…やり方はどうあれ。この地を守っているのはやはり、国境警備隊なのです。

彼らの数が減ると、この地は余計に治安が悪化する。なにより…」


グレンヴィルは固い表情で、言葉を紡ぐ。


「なにより…一度″見捨てられた″と感じてしまった人間は、もう他人をそう簡単には信じません。だから私は、彼らの気持ちが理解は出来ます…」


「そう…

じゃ、グレンヴィル。

大神院が王室政府の″国境警備隊再編″案を妨害している状態で、私達に出来ることって何かしらぁ?」


グレンヴィルは答えなかった。

キーラの大神院への不満は、日に日に増しているのがわかる。


キーラだけではない。

王室の配下たる″騎士団″の主要メンバーは、この国で「法」や「財政」を取り仕切っている

″大神院″に対して、その内に秘めた不満や″怒り″を沸々と煮えたぎらせている。


いや、「怒り」が見えてるうちは、まだ制御可能だ。





見えざるものが、一番恐ろしいのだ。

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