第7話 魔法院

———ルークは考えていた。





(お前にもわかるはずだ!故郷を離れることがどれだけ辛いかを…!)



故郷…



(母親や父親が!俺を産み落としてくれた大切な土地だ!その重さをお前に理解できるのか?)



母親… 父親…



(大切な人の魂が眠っている、俺の村だ…!!)



大切な人……



僕の故郷は何…?父親、母親は誰…?


………



僕の大切な人……





ジョージ・ハースの言葉が、ルークの頭の中でまわり続ける。

でも、あの時ルークの心の中には、表しようのない仄暗い感情…漆黒の闇に覆われたような、気持ちの悪い感情が沸き上がっていくのを感じていた。

それはなんだか、開いてはいけない扉を、開こうとしているかのような。



でも…





「わからないよ、僕には…」


僕の心は、空っぽ。僕の記憶は、空白。


暗闇から、永遠に抜け出すことはない。


「でも、それじゃ駄目なんだよ…」


暗闇から抜け出したい。


「僕は、自分自身を見つけなくちゃならないんだ」





あの事件から10日経った。スヴェンは「魔法抑止法」に違反した罪状で、″司法院″から起訴され、現在行動の自由を奪われている。裁判が始まれば正式に、スヴェンに判決が下る。


「…………」


ルークも、魔法学校の課外行事中に行った独断的な行為を咎められ、30日間の休学処分を言い渡された。学校の卒業試験は全て合格しているため、卒業後は無事に魔道士の称号が与えられる予定ではある。


でも、スヴェンは…


裁判で有罪になろうがなるまいが、スヴェンは学校を卒業することはできない。魔道士の称号取得に必須な、卒業試験を全てクリアはしていなかったからだ。今からなら挽回も可能かもしれないが、裁判待ちの身で勾留所に抑留されている。


(ごめん、スヴェン…)


もう何度目かもわからない心の謝罪を、それをしたところで何かが変わるわけではないということがわかっていても、スヴェンは謝り続けていた。



ルークは休学処分中だが、学園内を散策することは許されていた。 


「——風術魔法の心得は、風の流れを読むことで—」


ルークは何となしに、下級生の授業の見学をしていた。今やっているのは、「風術魔法の基礎的理解」の授業。

「みなさん、魔法の心得はずばり、イメージと集中です。そして数をこなすこと。

力の加減とその制御は、実践によってのみしか理解することはできませんから—」




「おお!君はルーク・パーシヴァル君じゃないか!」

「あ、どうもリーベルト先生。お久しぶりです。」


授業終了後、リーベルト先生は僕に気付き、話しかけてくれた。


「君に会うのは初等科以来だな。君は常に魔法に対する理解が早くて、全く手のかからない生徒だったよ。」

「リーベルト先生も、お元気そうでなによりです。」


「それにしても、先日はいろいろ大変だったようだね…スヴェン君も。」


「はい…」


「まあ君とスヴェン君のことだから、きっと潔白なんだろう。私も教師という立場上、あまり余計なことは言えないが…とにかく、君とスヴェン君の健闘を祈る。」


「ありがとうございます…」


リーベルト先生の言葉に、やや不安げな表情で言葉を返すルーク。


「まあそう浮かない顔をするな。人生山あり谷ありだ。そうだ…せっかくここにいるんだし、ちょっと下級生たちに、君の魔法を披露してくれないかね?」


「魔法抑止法」は通常、魔道士の称号を持たない者の魔法の使用を禁じているが、「魔法院」の認可を受けた魔法教育機関においては、魔道士の監督下のもとで魔法の使用が許される。そうでなければ、魔法の教育など出来ないからだ。ちなみに″魔法院″とは、エストリア王国において、魔法に関する全ての事案を統括する行政機関である。エストリア王国に存在する全ての魔法学校は、この魔法院の認可を受けている。


「…かまいませんが。」


「そうこなくっちゃ!上級生の魔法能力を見ることは、下級生にとって結構なモチベーションになるんだよ。」


「では、ちょっと失礼して…」


そういうとルークは右腕を上げて、意識を集中させる。


「先生、ちょっと体をお借りします。」


「え?」


ルークはそう言うと、リーベルト先生を指差しする。ルークがリーベルトを指差しした瞬間、リーベルトの体は突風に吹かれたように、後方へと吹き飛ぶ。これは風の力を用いた魔法だ。

10メートルほど後ろに吹き飛んだ先生の体は、壁に激突しそうになるが、そこはルークの魔法の妙。

リーベルトを吹き飛ばした風の力に反復する力をルークは魔法に加える。すると、吹き飛ばされたリーベルトの体は、空中で一瞬静止した後、地面にゆっくりと着地した。


「ルーク…私を殺すつもりか。もう歳なんだぞ」


「すみません先生、いきなりこんな無茶な真似をして。でも生徒にやるわけにはいかなかったので、先生の体をお借りしました」


ルークの魔法を見た下級生の生徒たちからは、自然と拍手が沸き起こっていた。


「生徒諸君。今見た魔法は、並外れた魔法操作能力、調整力、魔法制御能力があってこそ出来るものだ。君らも頑張ればあそこまで出来る…かもしれない」



「先生!僕もやりたい!先生を吹き飛ばしたい!」


「いやちょっと待て!君らにはまだ無理だ…というかやるなら自分たちでやれ!君らの魔法の実験体になっていたら、命がいくつあっても足りんよ…」


「では先生、僕はこれで失礼します」


立ち去ろうとするルークに、リーベルト先生が声をかけた。


「ああそうだルーク君。暇なら校長室に寄ってくれたまえ。レンバルト校長が、君に話したいことがあると言っていた。」 


(校長先生が、僕に用事…)


先日の件、かもしれない。

…あまり気は進まなかったが、ルークは校長室へと向かった。




「…失礼します。」


声をかけ、ルークは校長室へと入る。


古今東西のあらゆる彫像品が飾られた、だだっ広い校長室。その窓際にある応接席には、2人の人間が座っていた。


「よく来てくれたルーク・パーシヴァル。休学中とは言え、君がちょうど学園内にいると聞き、ちょっと私のところへ来てもらおうと思ってね。」


席に座っていた、一人の男がルークに話しかける。ぼさぼさに散らかった頭髪に、彫りの深い顔。一見すると彫刻のように整った顔だが、その実年齢は70を超えている。


彼はアーサー・レンバルト。


このレンバルト魔法学校の校長だ。学校名が彼の名前から取られているところを見ると、相当に高名な魔法使いだ。


「リーベルト先生に言われ、こちらにうかがいました。校長先生が僕に話したいことがあると…」


「うむ。まあとにかく座りなさい…本題に入る前にまず一服…コーヒーでもいかがかな?」


「…いただきます」


レンバルト校長は、冷淡なベルナール副校長とは対照的に、温和でリラックスした空気を醸し出す人だ。

校長とは言っても、学園にいることは少なく、その業務の多くは魔法院に出向したり、学校行事における地域との調整役、他の魔法学校校長たちとの会合、など様々だ。


相当に多忙なはずだが、彼自身はその業務の苛烈さを表には出さないというか、たまに校長室にいる時は誰かしらと談話してたりするので、生徒たちからはむしろ、仕事をろくにしない暇な人物と思われている。


校長がルークにコーヒーを淹れている傍ら、校長の向かい側に座っていた男性がルークに声をかけてくる。


「君がパーシヴァル君?

私は、″魔法院″長官のヴェルナー・ゲーデリッツだ。アーサーの淹れるコーヒーは格別だ。まあゆっくりしたまえ。」


ゆっくりしろ、などと言われたが…ルークは急に心臓の鼓動が早くなりだした。目の前に座っているこの老人が、この国における魔法を司る、その行政機関のトップだなんて…


ルークは、緊張で顔を伏せる。魔法抑止法に違反したという、自分たちが起こした「不祥事」を考えれば、魔法院の長官を目の前に、一体どの面を下げればいいのか…


「まあそう顔を伏せずに、リラックスしなさい。私は君を責めようなどとか、そんなことはつゆほども思ってはおらぬよ。

私は、″司法院″の連中とは違う。″魔法院″の長だ。私の仕事とは、魔法使いの″権利″を拡充し、それを守ること。そのために尽力しているのだ。」


そうルークに言い放ったゲーデリッツ長官の表情、声は、まさに好好爺のそれだった。

長官は丸縁のメガネに、柔和で優しい瞳を覗かせるが、その眼光はどこか聡明さと鋭さも備えていた。校長とは異なり、整った頭髪だが、前髪はやや禿げあがっている。

顔もえらく老け込み、顔に無数ある深い皺は、彼の苦労と苦悩が刻みこまれているかのようだった…


「私はこの学校の校長…アーサーとは旧知の友人でな。君をここへ読んだのは、校長と言うよりは私だ。魔法院長官から呼び出しがかかったと言うよりも、学校長からの呼び出しと伝えたほうが、君を緊張させないと思ってな…」


校長がコーヒーを淹れてくれた。魔法院長官が、想像以上に穏和な人物だったとわかり、ルークの緊張はややほぐれた。少なくとも、コーヒーに口をつける余裕ができるぐらいには。


「もうわかっているかもしれんが、スヴェン・ディアドールが起こした″違法行為″についてだ。フランドワースという地方で起きた事とは言え、魔法学校の生徒が民間人の命を奪ったことは、これまでで前例のないことだったのでな。」


命を奪った…?ジョージさんは死んだのか?


ルークは、嗚咽しそうな胸の不快感に襲われる。死んだ…?殺してしまった…?


「故に、この事件は国中で話題になっておる。もしスヴェンが有罪となれば、このレンバルト魔法学校の存続に関わる問題に発展するやもしれぬ。

魔法使いに対するイメージも大きく低下。

魔法使いがこの国で受け入れられるためには、そのような″不祥事″は都合が悪いのだ。」


不祥事…たしかに、そうだ。魔法使いが問題を起こしすぎたら、それは魔法使いの排斥運動につながる。


「これまで魔法使いの犯罪行為がなかったわけではない。だが今回の場合は、″魔道士″の称号を得ていない生徒による事件なので、余計に世間の風当たりが強いのだ…」


「ゲーデリッツ、結論を。」


レンバルト校長が、前置きの長い長官を急かすように発言を促す。


「うむ。それでだルーク・パーシヴァル君。私はな、今回の件を″揉み消そう″と思う。司法院に圧力をかけてな。」


ルークは長官の言葉を一瞬疑った。


揉み消す?圧力?


「そ、それは…どういう…」


「つまり、司法院が行ったスヴェンへの起訴を取り消してもらうのだ。さすればスヴェンは晴れて自由の身、違法行為は不問とされる。」


「それは、わかるのですが…その…。そのやり方は、正しいやり方、なのでしょうか…?」


長官は少し驚いたような表情を見せる。


「ルーク君。君は友達を、救いたくはないのかね?」


「それはそうですが…」


もしスヴェンを救えるなら、そうしたい。けど、既に起きてしまった行為そのものを「なかった」ことにする。それは果たして、″正しい″ことなのか?その葛藤がルークの心に釘を刺す。


「私はな…かねてより胸を痛めていたのだ。なぜ魔法使いばかりが責められなければならないのか?


…今回の件だってそうだ。スヴェンは友達を救おうと、自らの意思で、自らが正しいと思ったことをしたのだ。それは、間近で見ていた君が一番知っていることだと思うが?」


荘厳かつ静かな口調で、語り続ける長官。


「だから私は、意思を尊重したい。彼の″行い″が間違いではなかったと…それを証明することで、スヴェン自身が救われるのだ。」


「しかし長官…」


ルークは、言いかけてやめた。もし自分の行いが絶対的に正しいと信じるなら、法律などいらなくなるのでは?…そう言いかけて、やめた。

自分は、親友であるスヴェンを救いたいはずなのに、なぜ長官の″厚意″に対して拒否感が出てしまうのだろう。


この魔法学校で学んだ。魔法抑止法を…法を遵守しろと…。そして、過程はどうあれスヴェンが法を犯したことは事実なのだ。


でも結局ルークは、内心ではわかっていたのだ。やはりスヴェンが裁かれてほしくはない、と。


だから、長官にそれ以上は何も言えなかった。結局スヴェンを救うためには、長官に頼るしかないのだという現実。


「だから、君に伝えておくべきだと思ったのだ。親友の処遇について、気が気じゃなかっだろう?」


ありがとうございます、と言うべきなのだろうか?


…言うべきじゃない。

それを言ってしまえば、自分が学んできたものが嘘になるからだ。


「…わかりました、長官」


いや、もう嘘にしてしまっている。同意するということは、そういうことだ。



「では、後は私にまかせない。ルーク・パーシヴァル君。君の親友は私が救ってみせる。…ではな、アーサー。今日のところはこれで失礼する」


「ああ、また来てくれゲーデリッツ」


ゲーデリッツ長官は校長室を後にする。


校長室に残されているのは、ルークとレンバルト校長。そしてしばしの沈黙が2人の間に流れるが、校長がその沈黙を破った。


「…ルークよ。大人は汚い、と思うか?」


「…僕も汚いです。本当は、長官に同意すべきじゃなかった。スヴェンを救えるんだってわかっていても、彼は裁判を受けるべきだった。だって、法を犯したのは事実なんですから…

でも、結局僕は選びました。

″法なんてどうでもいいから、スヴェンを解放してほしい″という願いです。」


「…ゲーデリッツはな、魔法院の長官として魔法使いの権利のために働いてきた。


彼のやり方は時に敵を作りやすいかもしれないが、全ては魔法使いがこの国で住みやすくなるように、全力を尽くしているのだ…


スヴェンの件だってそうだ。

彼自身のため。というのもあるが一番はやはり、魔法使いの不祥事を世間に知らしめたくないというのが本心だ。

だから火消しに奔走する。魔法使いの印象が悪くなれば、エストリア王国での我々の立場はより苦しくなっていく。」


ルークは思った。それは理解できる。だけど…


(なぜ俺が村を離れなくちゃならない…!?後からのこのことやってきた魔法使いどもが、俺の仕事を奪い、村に居座り、なぜ俺が!!あの村にずっと住んでいた俺が、村を離れなくちゃならないんだ!!!)


ジョージ・ハースの言葉を思い出す。彼が抱えていた魔法使いへの憎悪。


魔法使いの印象が良かろうと悪かろうと、根本的な問題はそういうところにあるのではない。人間と魔法使いの間に存在する「隔たり」は、そう単純なものではない。

そこにはあらゆる感情が交錯し、「見えざる分断」が存在しているのだ。ルークにはそう思えて仕方がなかった。


「私はなルーク、少しずつでも前進していけば良いと思っているのだ。小さな一歩は、長い時間でみれば大きな一歩だ。私もゲーデリッツも実感しているんだよ。魔法使いと人間の距離はどんどん近づいていってる。あと少しなんだよ…」



…本当に、そうだろうか?



学校から寮に帰る途上、ふとあの村のことを思い出した。

全てのきっかけ。ジョージさんとの出会い。


ビアンカ・ラスカー先生からは、あの村には絶対に近づくなと言われた。今、その意味がわかった。


ジョージさんが死んだからだ。


スヴェンの使い魔が暴走し、彼を襲った。

手当てしたが、助からなかったということだろう。


ルークは、ジョージが死んだという事実を頭の中から消し去ろうとしたが、無理だった。


寮の部屋に帰り、夕食を摂ろうと思った際。彼の手は猛烈な震えに襲われた。


ジョージ・ハースの作ってくれた料理。酔った時の陽気な顔。怒りを露わにした時の表情。それらがルークの頭の中にフラッシュバックし、永遠に再生された。


ルークが食事の肉を食べようとした時、スヴェンの使い魔の狼がジョージの腕や首に噛みついていた光景を思い出す。血の色は鮮やかだった。それは死の色。

出血多量。青ざめていく顔。やがて冷たくなっていく手足。それでも手当てした。彼が助かることを信じて。…でも助からなかったのか。


…こんなはずじゃなかったのに。


ルークは食事をやめた。なぜ嘔吐を繰り返してまで、ものを食べなくちゃならないのか。

それから数日は飲まず食わずだった。記憶の中から、ジョージ・ハースが消えてくれることを願った。ただひたすらに。


そしてルークは悟る。



ああ、知らないほうが良い事実もあるんだなって。












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