第8話


 夜勤明けの朝はダルイ。朝日がいつも以上に目に眩しく感じてついつい顔を顰めてしまう。

 眞己はヘルメットをとると、大型単車──CB一〇〇〇スーパーフォア。総重量二百五十キロを超える巨大な車体から降りる。


 ちなみにこの単車はリンからもらった物だ。学園の外で夜勤のバイトをしていると言ったら、護ってもらっている報酬代わりだと言って鍵とおまけにライダーススーツとヘルメット──完全防弾仕様なのはもちろん耐火耐刃耐防寒仕様な上等品──を渡された。なぜか免許と一緒に。完全に偽造だろうと思ったが、本物だった。権力と金、そしてちょっとした裏技さえ知っていたら、これぐらい簡単なのだそうだ。


 この眠気と気だるさを抱えながら一日をすごさなければならないと思うときが滅入るが、それでもやる事はやっておかないといけない。

 たとえば、うちのお姫様の食事の用意とか。

 そんな疲労と眠気に苛まれながらも、腕によりをかけて朝食をつくった。朝食の定番、白いご飯に、味噌汁、卵焼き。お漬物に焼き魚である。いい匂いがリビングに広がり食欲を刺激してくる。

 それなのに──


 リンは朝ごはんを残した。ほとんど箸もつけてない。


「お姫様、何か嫌いなものでもありましたか?」


 慇懃に訊いてみた。


「いや、ちょっと食欲がなくてね……」


「それでも食っとけ。それとも具合でも悪いのか?」


 そういえば少し元気がないような気がする。顔色も少し悪い。

 手を伸ばしてリンの額に触れた。ひんやりとして気持ちいい。体温はひくいようだ。


「……大丈夫だよ」


 少しうざった気に手を振り払われる。どことなく機嫌が悪そうにも見える。


「だったら食え。食べ物を無駄にするな」


「いいよ。帰ったら食べるから残しておいて」


 そう言い残してリンは席を立った。


「変なヤツ」


 いや、あいつは出会ったときから変なヤツだったな、そういえば。

 それから学校ではいつもどうりに過ごしていた。


 だが、午前最後の授業──体育で事件は起こった。


 リンが倒れたのだ。


 周囲は騒然とした。とくに女子の悲鳴が広いグラウンドに響き渡った。

 体育教師が燐に駆け寄る。意識はあるが身体に力が入らない様子を確認して声を張りあげる。


「おーい! 保健委員。姫宮を保健室まで連れて行ってくれぇ!」


「先生。今倒れている姫宮燐くんが保健委員ですよ」


 玲が冷静に言った。


「じゃあ、学級委員」


「オレです」


 そう言いつつ、すでに眞己はリンのそばに屈んで彼女の容態を見ていた。軽く意識の混濁があり顔色が悪い。日射病や貧血だろうか?

 取り急ぎ保健室へ連れて行くのが先決だ。


「よっと」


 眞己はリンの膝裏に手をいれ抱えあげた。要するにお姫様抱っこだ。彼女は軽く、見かけよりずっと華奢だった。


 そして、眞己がリンを抱きかかえた瞬間、黄色い悲鳴が大爆発した。

 そこかしこで、女子達が顔を赤く染めつつ囁きあっている。意外とイケるという言葉がかすかに耳に届いた。

 それらを無視して、眞己はリンを保健室へと連れて行った。


「鳴海先生。急患で──」


「遅いぞ貸せ」


 最後まで言い切る前に、鳴海はリンを奪い取った。というか、外の状況を見てでもいたとしか思えないほどの反応だが、実際その通りなのだろう。

 そんなことを考えている間にも、鳴海は見診と触診でリンの様子を見ていく。


「……ったく、無理をしおってからに」


 鳴海先生は軽い嘆息と共に呟きを吐き出した。


「リンは大丈夫なんですか?」


「ああ、たいしたことはない。ただの生理だ」


「はあ?」


「重いほうなのだから、無理はするなと言っておいたのだがな」


 生理って……、眞己は柄にもなく頬が熱くなるのを感じた。


「なんだ、そんなに生理が珍しいか」


「いや、ただこいつが女なんだなって、改めて思い出したというか、なんというか……」


 そこで鳴海はその切れ上がった眦を座らせた。


「手をだしたら殺すぞ」


「だしませんって」


 眞己は弱々しく首を振る。それを鳴海が怪しげに見ていたが、やがて鼻を鳴らす。


「まあ、いい。今日一日はここで寝かしておくから、授業が終わったら迎えに来い」


「仰せのままに」



 そして放課後、リンを迎えに行くと彼女はもう目を覚ましていた。


「どうだ調子は?」


「うん、まだ少し、ね……」


「具合が悪いんだったら、そう言ってくれれば良かったんだが」


「でも……」


「お前に何かあればシワ寄せは全部オレにくるんだぞ」


 そう言って、傍らに立つ鳴海に視線を向ける。彼女はただその瞳に獰猛な光を宿して笑っていた。


 それを見たリンはそっぽを向いた。


「……今度から、言うよ」


 少し驚いた。あのワガママな王子様が珍しく素直だったからだ。それに毒気を抜かれて、眞己は頭をかいた。


「まあいい、帰るか」


 そう言って、リンを促す。


「立てるか」


「うん」


 リンはそう答えたが、少しふらついている。


「ほら」


 眞己はそう言ってリンに背を向け屈んだ。


「え」


「早く乗れ。この体勢は意外ときついんだぞ」


「でも」


「体調不良のときぐらいは甘えておけ、燐。それに、こいつは荷馬車のように扱っても文句は言わせないから安心しろ」


 鳴海が有無を言わさず、リンを眞己の背に押し込んだ。

 人一人分の重みと暖かさ、何よりそのやわらかさと、なんともいえない甘い匂いがリンが女の子なのだということを意識させたが──

 ──冷たく瞳を輝かす鳴海の存在が視界の端に映り、そんな意識を完膚なきまでに打ち消してくれた。


「くれぐれも、燐のことを頼んだぞ」


 手を出したら、わかっているだろうな──そんな声まで聞こえてきそうな目をしていた。


「わかっていますよ」


 眞己もまだ命が惜しい。


「重い……?」


 リンのらしくもない弱々しい声が吐息と共に首筋をくすぐった。


「べつに、大丈夫だよ」


 そうして二人は寮に帰ってきた。

 まずリンを寝室に寝かせると、眞己はすぐに台所に向かった。食欲はなくても何か腹に入れておかなければ身体に良くない。そう思いつつ、おかゆ──普通に連想する味気ないものではなく、鶏がらの出汁を使ってじっくり煮込み中華風に味付けした粥だ。それにザーサイや塩湯でした青豆、梅やオカカなどをつけあわしにした。それらをトレーに載せてリンの部屋に行く。


「はいるぞ」


 ノックと共に扉をひらくと、リンはのろのろと反応した。


「どうしたの……?」


 声にまで元気がない。生理痛ってそこまでキツイものなのか──男である眞己には永遠にわからないものだろう。


「飯だ」


「食欲ない……」


「つらいだろうが、少しでも良いから腹に入れておけ。どんな薬でもすきっ腹には良くないだろう」


 そう言って鳴海からもらった薬の袋をちらつかせる。

 この時点で、眞己は風邪と生理の症状の認識がごっちゃになっているが、この年頃の男にとってはそんなもんなのかもしれない。

 先生はこの薬の成分の半分は私の愛でできている、と豪語していた。薬剤師の免許まで持っているという。


「でも……」


「いいから」


 渋るリンのベッドの横にイスを持ってきて座り、膝の上にトレーを置きおかゆの椀とレンゲを手にもつ。そして湯気の立つおかゆを掬うと冷ますために息を吹きかける。


「ほら」


 リンの口元にそのレンゲを差し出す。


「え」


 ぱちくりと、その切れ上がった瞳を見開き、首をかしげた


「早く食え。腕が疲れる」


 さらにレンゲを近づけると、彼女は反射的に口をあけてそれを口に含んだ。


「……ん、おいしい」


「だろ。かぐや達が風邪を引くと決まってこのおかゆを食いたがるんだ」


 彼女は風邪ではないが、体調不良には違いないだろうと思い、眞己はそう言ってわらった。


「かぐや……?」


「妹だよ。血はつながってないんだけどな」


 孤児院に血のつながらない、弟や妹がたくさんいた。あいつらは元気でやっているだろうか。ふとそう思いながら二口目を掬う。今度はザーサイも一緒に。


「はむ……」


 それ口に含みながら、リンは首をかしげた。


「眞己のところでは、いつもこうやって食べさせていたの?」


 眞己もその言葉に首をかしげた。


「普通だろ、こんなの」


 眞己も風邪をひいたとき院長先生ことおばあちゃんにこうやって食べさせてもらった。五歳のときに、それも一回しか風邪をひいたことはないのだが、ひとの暖かさを感じてすごく安心したことを憶えている。

 それからは眞己が年少の弟や妹達に食べさせる役になったのだが。


「ふつう、なの?」


「お前のところは違うのか?」


「わからない」


「あん?」


「だって、看病ってされたことがないから」


「はあっ?」


 その言葉に眞己は唖然とした。


「ほら、ボクって小さい頃から命を狙われてたでしょう。周りの人で安心できる人が鳴海姉さんしかいなかったから」


 なんでも病気になったときは、鳴海に診てもらっていたが、それ以外に気を許せる人が居らず、彼女も多忙なので、すぐにいかなければならなく。それ以外の時間はただ寝てすごしていたのだと言う。どんなに苦しくても我慢して、ただ鳴海が再び来てくれるのを待っていたのだと。


「だからさ、こんなふうに食べさせてもらうのなんか初めてだよ」


 そう言って彼女はわらった。

 そんな残酷なことを、なんでもないことのように話すリンがとても哀しく思えてならなかった。

 病気のときは、ただでさえ心が弱って人の温もりがほしいときなのに、それを一人で放っておくなんて、眞己には信じられないことだ。


 うちではどんなに忙しくても、風邪を引いた子のそばには誰かしらがついていることになっていた。なにもできなくてもただ手を握っているだけで、その子は安心できるものなのだ。それを──

 眞己はリンから顔を背けて、唇を噛んだ。


「どうしたの?」


「いや、遠慮せずにもっと食え」


 内心の葛藤は見せずに、ただ笑ってリンにおかゆを食べさせた。

 結局、彼女はおかゆを全て平らげた。それから薬を飲ませるとリンを横にする。


「ゆっくりと休め。眠るまではここにいるから」


 そう言ってリンの手を握る。孤児院で弟や妹達にそうしてきたように。

 リンはその行為にくすぐったそうに笑って手を握り返した。


「ありがとう」


「ん」


「おやすみ、なさい……」


「ああ、おやすみ」


 そう言ってすぐにリンは目を閉じた。しばらくすると安らかな寝息が聞こえた。


 それでも眞己は手を離さず、リンの安らかそうな寝顔を見つめ続けていた。


 結局、眞己は翌朝、リンが目を覚ますまでそのままでいた。

 昨日の夜勤に次ぐ徹夜だった。

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