EP.04:潜入 Ⅰ

 いつも通りに登校し、自分の所属しているクラスの教室に到着した。

 自分の中では、ちょっと遅いくらいの到着だったつもりだった。

 だが、教室は思っていた以上に賑わっている。


 喧騒の中を縫うように歩き、自分の席に腰を降ろす。

 すると、遅れてやってきたマーカスが興奮気味に近寄ってきた。


「おう、おはよ」

「おは――じゃなくて、大変だぞユートォ!」

 彼の荒い鼻息が俺の手元にかかる。どこか嬉しそうだ。

 教室に満ちている空気感も、それに似ている。何かを期待して浮き足立っているような感じだ。


「――転校生だよ、転校生」

 ニタニタと笑うマーカスを余所に、そういえばエリカがそんなことを言っていたことを思い出した。


「噂ではスゲー美少女らしいぜ、なんでも旧ミンダス自治区の御令嬢だとか」

 大陸の二大国による戦争、その敗戦国であるミンダス公国。

 戦勝国であるメニティ共和国に吸収されているが、未だに貴族的主義的な政治圏があるらしい。


「お嬢様が2人になるなァ」

 教壇近くの女子グループ内を見ると、そこにエリカが紛れていた。雑誌を広げて雑談している。


「ジョウノウチってけっこうな名家らしいな!」

「ああ、庭園付きのお屋敷だぞ」

 俺は何気なく、適当に返事をする。

 なぜか、マーカスからリアクションが来ない。おかしいと思って、すぐ近くにいる彼に向くとおぞましい顔をしていた。


「――ユートよ、なぜそんなことを知っている?」

 嫉妬か、怒りか、それとも社会的に好ましくない何かをオーラのように背後にまとっていた。

 マーカスの手が俺の首元に伸びてきた、振り払おうとするがその手は思っていたよりも速い。


「――まさかユート――」

「待て待て、何か誤解してるぞ。俺とエリカはなんでもない……ただの幼馴染みだ」

 それが逆に、彼の中にあるドス黒い何かを燃え上がらせたらしい。

 両手がシャツの襟首をしっかり保持し、普段の彼の筋力ではありえないほどの勢いで揺さぶられる。


「――オサナナジミ! ジョシノイエ! ヌケガケユルサナイ!」

 とんでもないシェイクを喰らいながら、俺はなんとか弁明を試みる。あまりにも頭を揺すらされ過ぎて、まともな声が出ない。


「――やめ」

「――ユートォォォ! リアジュウシスベシ、ユルサナイ!」

 ――こ、こいつ!!

 彼の手首を掴むが、ただの肥満体からこれほどの力が出ているのかさえ理解不能だ。


 このままシェイクを続けられたら、脳がバターになってしまいそうだ。それにこうしていると、エリカに見られてイジリのネタにされる。それは避けたい。


 マーカスの手首を握りつぶすように力を込める、同時に彼の腕を内側に押し込むように押した。

「――イデッ、イデデ」

 彼の拘束が緩んできた。すかさず彼の手の中に指を差し込み、こじ開ける。

 俺のシャツから手が離れた瞬間、彼の両手首を掴み直し、無理矢理交差させた。右手で交差させた腕を抑え、左手を手刀の形にして彼の頭頂部に振り下ろす。 

 確かな手応えが伝わって来た。


「アグッ」


「てめぇ、あんまり調子乗ってんじゃねェぞ」

 交差し、拘束したままの手を離してやると、涙目になりながら俺を睨んでいた。


「マジになんなよ」

「――次はリノリウムの床にキスさせてやってもいいんだぞ?」

 俺がそこまで言うと、ようやくわかってくれたらしい。

 顔を歪めながら隣の席に勝手に座る。


 ――利き手じゃない方で手加減してやったんだから、感謝しろよ。


 手刀が落ちた頭頂部をさすりながら、マーカスは口を開いた。

「――ったく、加減しろよな」

「お前もな」

 パイロットでなければ首が折れていたかもしれない。

 興奮した時の素人というのは何をするかわからない、場合によっては知り合いを殺すかもしれないことを平然とやっている。


 首を締めたり、側頭部を殴ったり、後ろから抱きしめたり、そんなことをされたら殴り倒す自信がある。俺は死ぬわけにはいかないんだ。


「――それでよー、転校生なんだけどサ」

「またその話か」


 ――やれやれ、どいつこいつも浮かれてやがる。

 たかが女子生徒1人増えるくらいで何が変わるというんだ。


「ほれほれ」

 マーカスが携帯端末を取り出し、俺に画面を見せた。

 そこには金髪の女子が映っている。アキツ高校の制服を着て、周囲は校内の敷地に間違い無い。

 俺はその画像に釘付けになっていた。


 画面越しに彼女と目が合う。

 ――違う。


 色の薄い金髪の女子はこちらを見上げていた。その両目はしっかりこちらを捉えている。


「――これさァ、こっそりドローンで撮ったんだけど」

 ずっと前にもドローンを買ったことを自慢されたのを覚えている。

 校内に持ち込んで、昼休みに屋上で飛ばして遊んでいた。静音性の高いモデルで、派手に飛ばしても教師には発覚していない。

 望遠機能は9倍、ライフルスコープ並の精度と高い解像度を持っている。

 そんなドローンで撮影した画像。静止状態で撮ったのか、とても鮮明だ。


 しかし、彼女は『こちら』を見ている。つまり、彼女はドローンに気付いていた可能性が高い。


「もうやるなよ、ついでに画像は消しておけ」

「おう、言われんでも消すってばよ。どうせ、実物がすぐ見れるわけだし」

 ――それもそうか。


 しかし、さっきの画像の彼女の目付き、その鋭さは異常だ。そういう顔だと言うには整い過ぎている。


 妙な感じがした。

 言葉に出来ない何かが喉元まで出掛かっている、しかしそれが何なのか頭では理解できない。



 気付けば、マーカスは自分の席に戻り、予鈴が鳴っている。

 騒いでいたクラスメイト達は渋々着席し、担任教師が朗らかに教室に入ってきた。



「はいはーい、みんな席に着いてね-!」

 転校生がやってくるのを期待しているせいか、言われる前に席に座っている。

 黙っていても、教室内の空気に熱がこもっているのがわかった。それは季節が夏だからというわけではない。


 生徒の期待を知ってか、もったいぶるように教師は振る舞う。

 今日の予定、日程の変更点、諸注意、それが終わると教室の出入り口に向かって声を掛けた。



「いいわよー」


 いつもはガラガラと音が鳴るドアが静かに開いた。

 そこから出て来たのは、マーカスが撮影したあの女子だ。色素の薄い金髪は長く、肩に掛かっている。

 画面では鋭かった視線は感じない。むしろ、品を感じるくらい穏やかなものだった。


 すらりと、髪もスカートも揺らさずに教壇の横まで歩いていく。

 重心が揺らがず、歩幅も均等、両手は下腹部の前で組まれたままだ。

 そして、機械の動作のような、ただそうあるべきだというかのように――自然な一礼をしてから顔を上げる。


 その緑色の瞳、その立ち振る舞いに、何故か目が離せなくなっていた。


「――今日からクラスに仲間入りすることになった、リーア・テュバリスさんです」


 担任からリーアと紹介された彼女がまた頭を下げた。

 日差しに紛れて消えてしまいそうな金髪が揺れる。


「リーア・テュバリスです。旧ミンダス自治区に住んでいました。こちらの気候や学校生活というものに不慣れなので、色々と教えて頂けると幸いです。よろしくお願いします」


 透き通った声だった。

 クラス中の視線を浴びてもなお、その表情はにこやかに笑ったままだ。


「席は……オーガス君の隣が空いてるから、リーアさんはそこの席に着いてくださいね」

 この教室で唯一空いているのは、俺の右斜め前の席だった。


 彼女が席に座った途端、全方位から一斉に声を掛けられる。普通なら動揺する場面なのだろう。

 だが、なんでもないとでも言うかのように顔色1つ変えずに対応している。


 ――だから、なんだってんだ。


 どうでもいいことだ。

 顔を覚えなければならない相手が1人増えてしまっただけのこと、たったそれだけの面倒な事だ。

 それなのに、俺は転校生から目を離せない。


 彼女がこちらに気付いたのか、俺と視線がぶつかる。そして、彼女は優しい微笑みを向けてきた。


 ただ、それだけ。誰にでも向けそうな笑顔だった。

 ――それなのに。



 俺は動揺していた。

 鼓動が高鳴っていて、少し息苦しい。


 ――俺はどうしちまったんだ?


 結局、俺はリーア・テュバリスという女子生徒に対して、ただ観察だけしかしていない

 他の生徒は休み時間に彼女の元に集い、質問や雑談を楽しんでいた。

 俺は、それを遠くから眺めている。それでいいはずだ、俺は最低限の学校生活を過ごせればいい。


 何故か、リーアを見ていると自分が自分でなくなってしまうような気がして、言葉にできない何かに急かされているような気分になる。



 俺は、普通だ。


 俺は、正常なんだ。




 ――だったら、この気持ちは何だというんだろうか……

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