EP.03:平穏 Ⅲ

 憂鬱な朝を迎える。

 出撃禁止という名目の謹慎を言い渡されてから、1週間になろうとしていた。


 俺はいつも通りの生活を続けている。

 ただ退屈で、ひたすら穏やかな、平穏な時間。


 それは俺にとって必要のない時間なのかもしれない。

 だが、それがあるおかげで守るべきもの、守ってきたものの価値がわかる。


 俺はこれまで、とても眩しくて、かけがえのないたくさんのものを守ることに関わってきた。

それは俺には眩しすぎる。居心地が良すぎるからだ。



 幼少の頃から、俺は人殺しのために生きてきた。

 銃や刃物、あらゆる武器で人間を殺す方法を叩き込まれ、自分自身を守る方法を学び、各種兵器の運用を知っている。

 俺は、壊すことしか知らない。何かを生み出すことを教わらなかった。


 だが、俺の周りにはそれが満ちている。

 誰もが何かを作り、育み、生み出している。

 だからこそ、俺は人とは違うと実感するのだ。




 備蓄の携行糧食レーションを開封し、パッケージされた弁当のようなそれを胃に押し込む。

 もう飽きるほど食べているせいで味の感想も出やしない。

 腹を満たし、俺は高校の制服とライダースーツを着用する。護身用の拳銃ピストルを忍ばせ、部屋に置いたままの軍用端末で保安情報を確認する。


 それからいつも通りにバイクで登校し、エリカを拾って、駐輪所でマーカスと顔を合わせ、教室に行く。

 くだらないほどに退屈な授業を受けて、昼食を取り、午後の授業を終えて、放課後になっていた。


 退屈な時間が終わると同時に、その時間を無為に過ごしてしまったことに虚しさを感じる。


 いつも通り、決められた時間割、変化の無い日常。

 平穏そのものを享受するには、俺はこの世界の外側を知りすぎてしまった。


 俺はみんなとは違う。ただ、それだけはわかる。

 だが、どうすればみんなと同じく無邪気に楽しく過ごせるのかはわからない。


 俺は、普通に過ごすべきなのか。それとも自分に与えられた使命を全うすべきなのか。誰かに聞いても、まともな答えは返ってこない。

 事実、隊の中で相談してもまともな回答は無かった。



 放課後、俺はマーカスに誘われるわけでもなく、何か用事があるわけでもなく、ただ校内を歩いていた。

 このまますぐに帰宅しても良かった。

 だが、そうしても何があるわけではない。これが基地に戻れるなら、機体整備や強襲可変戦闘機レイダーのフライトシミュレータで訓練を受けることが出来るというのに、基地の外では何をすればいいかわからない。


 高校生活で親しい友人や教師がいるわけでもない、このまま校内を彷徨っていても何かあるわけではない。俺は半ば諦めたように校舎を出た。



 玄関を出て、駐輪所で自分のバイクに跨る

 。そこで一息ついてから、どうしようか考えると脳裏にある景色が思い浮かんだ。

 それは学校の裏側にある河川敷。土手側がなだらかな斜面になっていて、そこで空を見上げると心地良い角度なのだ。


 そして、そこは校舎から離れているうえに、アキツ基地の哨戒飛行コースの下だ。そこに黙っていれば飛んで行く機影を見上げることが出来る。


 気付けば、俺はバイクを走らせていた。

 遠回りして、校舎の外側から河川敷に向かう。砂利道を走りつつ、鬱々とした気持ちを振り払う。不整地走行の振動が頭を空っぽにしてくれた。


 視界一面に広がる斜面、ゴツゴツとした岩だらけの河川敷。夕陽に照らされて、黄金色に輝きを返す幅広の河川。そして、沈みかけの夕焼け。


 俺はバイクを駐め、ヘルメットをバイクのカーゴボックスに入れてから河川敷に降りた。

 そのなだらかな斜面に寝転がる、日中の陽射しのおかげで仄かに温かい。草が少ないから虫も気にならない。


 ――ここで1日中過ごしたっていい。



 ここから見える空は広い。

 視界に邪魔なものが一切存在しないからだ。建物も、人も、木々さえも、ここには無い。

 だからこそ、最も空に近付ける場所だ。


 夕焼けの紅に照らされた雲、その輪郭がオレンジの光に切り取られている。

もっと上には夜闇の青がある。夜と夕暮れがすれ違い様に顔を合わせているようだ。



 冷たい風が心地良い。

 煩わしい事柄を忘れ、自分が何者であるかなんていうくだらない悩みさえも、夕陽の微かなぬくもりに融かされている。

 

 俺はこの空を飛んでいた。

 否、この空だけじゃない。いつも通っているアキツ高校も、街も、クラスメートも、俺が守っている。

 国防軍にいるのは意味のあることだ。俺がただの兵士である以前に、俺はこの世界を守りたい。


 くだらないことで構ってくる幼馴染のエリカ、ゲームやレイダーのことで盛り上がれる同級生のマーカス、地上にいても俺の隣にいてくれる同僚のリー。

 地上は退屈だが、そこには大切な人達がいる。


 親父がこんな面倒な生活をさせている理由は、きっとそれだ。

 俺は戦うために生まれた人間。だが、その戦いは何を守るためにあるのかを知らなければならない。


 だから、これでいい。

 俺は、俺がいても辛うじて許される世界を護り続ける。それが俺の生き方なんだ。



 日が暮れてきた。眩しかった夕陽はすっかり顔を隠している。夕陽の名残のせいで、まだ若干明るい。

 よく見ると星々が輝いているのが見えた。


 空を飛んでいる時は、手を伸ばせば届きそうだと思えるのに。地上からだとそんな気は一切しない。

 何も考えないように呆然と、夜闇に染まりきらない夜空を眺める。



 夜でもない、夕方でもない。


 ――俺はどっちにいるんだろう。


 俺は幼少から兵士として訓練を受けてきた。

 銃を使い、ナイフを振りかざし、手榴弾を投げた。何かを壊すためだけの教育、それが俺にとって全てだった。


 それなのに、こっちの世界は光に満ちている。

 何も壊さなくてもいいし、色んな物が生み出されている。

 

 たくさんの人が何かを作り、守っていく。

 壊すことしか知らない俺にとって、それは遠い話だった。それなのに俺は違う世界に居続けることを強いられた。


 そして、俺は2つの世界を行き来している。全てを壊す世界と、平穏な世界だ。




 不意に足音が聞こえた。砂利を踏む音、小石を蹴飛ばす音、軽い足音はスニーカーのような柔らかい靴のものだ。

 リズムの取れていない足取りは訓練されたものではない。


 足音の主は近付いてくる。

 その足音以外に別の音も紛れていることに気付いた。硬質な樹脂製の何かがぶつかり合う音だ。

 その音で、足音の主の正体がわかった。ポーチの中にある護身用の拳銃から手を離す。



 その足音は俺の頭上、つまりは斜面の上辺りまでやってきた。そしてバイクのある辺りで立ち止まり、斜面に降りてきた。

 そして、彼女は俺を見下ろしながら言い放った。


「――やっぱりここにいたんだ」

 部活道具を背負ったままのエリカが石で出来た斜面を降りてくる。


「お嬢様は暗くなったら帰らないといけないんじゃないのか?」

 俺の隣まで降りてきたエリカは荷物を降ろし、俺のすぐ横に座り込む。


「だからお嬢様じゃないってば!」

「お屋敷があって、中に大浴場があって、お迎えに黒塗りのリムジンが来てもか?」

「だーかーらー、あれは忘れてって言ったじゃん!」


 数年前、学校に迎えのリムジンが来たことがあった。

 あの時は周りに俺しかいなかったのが救いだった。他人がいたら、伝説として語り残されていただろう。


「あのね、私の家はちょっとだけ他の家と違うだけで……」

「ちょっと? 庭園付き、大浴場付きのお屋敷が『ちょっとだけ違う』か」

 エリカは大きな溜息を吐き出してから、寝転がる。

 彼女から微かに汗の匂いがした。


「じゃあさ、ユートはどうなのよ?」

 エリカが横目で俺を見ている。

 俺は気付かないフリをしたまま、夜空を見上げておく。


「何がだ?」

「ここ最近のユートは調子悪そうだよね」


「……そんなことはない」


 すぐ横でエリカが、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

「そーかなァ? ユートが空ばっか見上げてる時は何かあった時なんだよね」

「知ったようなことを言うな」


 また大きな溜息を吐く。

 俺に『溜息ばっかりだと幸せが逃げる』と宣ったくせに、自分は例外らしい。


「あのねぇ、小学校前からの付き合いなんだから、ユートのことはなんでもお見通しなの!」


「へいへい、そーですか」

 アレルギーのように銃を毛嫌いしているが、今も懐に拳銃を忍ばせているのもお見通しなのか?


 ――それはないか。


「お見通しねェ……」

 思わず、鼻で笑ってしまう。

 すぐ隣でエリカが不満気に頬を膨らませていた。


「じゃあ、ユートはどうしてここに来んだろうね? 私は知ってるよ、空を見るためだよね」

「――なッ!?」


 『空を見るため』という点を指摘されたのがなんとも痛い。


「ユートはいっつもそうだもんねー、何かあった時はずっと空見上げてるもんねー!」

「悪いか?」


「ううん、それがユートだもん。わかりきってることじゃん」

 自信満々に、エリカは言った。


「ここはさ、何も邪魔な物が無いじゃない。だから空も大きく見える」

 横にいるエリカを見る。両手を夜空にかざしていた。


「――ユートが空を見上げる理由はわからないけど、私は空、好きだよ」

「そうかい」


「あと、空を見てる時のユートの馬鹿っぽい顔も好き」

「――ほっとけ!」


 エリカがけらけらと笑う。

 それにつられて俺も笑っていた。


 エリカは眩しい、いつも楽しそうだ。俺にとってくだらないようなことで奔走し、俺を巻き込む。

 マーカスも、エリカも、俺の周りには騒ぎを好む人間が多い。それは隊の仲間もそうだ。


 俺は自分で何かをすることが出来ない。

 誰かが目標を定めてくれなければ、俺は鉛筆1つ折ることも出来ないだろう。

 だから、俺を巻き込んでくれるみんなが好きだ。とても大切な人達だ。



「――ったく、お嬢様は帰る時間だろうが」

「そうよね、暗い夜道を女子高生1人で帰らないとならないけど――」

「――送ってけばいいんだろ? 今日もそのつもりなんだろ?」

 エリカが身体を起こしながら「えへへ、ばれたかー」と笑顔のまま、頭をポリポリと掻いた。


 ――いつものことなんだけどな。


 俺も立ち上がり、石の斜面を駆け上がる。


「荷物持ってくれても、バチは当たらんぞ―!」

「乗っけてもらうヤツが偉そうだな」


 バイクに跨り、ヘルメットを被る。同乗者用のヘルメットを取り出してエリカを待つ。

 よろよろと登ってきたエリカにヘルメットを放り投げた。

 それを慌ててキャッチするエリカの姿に、俺は思わず笑ってしまった。

 

「――ちょっとォ、こっちは部活帰りなんだけど! 人工芝の上で走り回って! ボール追いかけ回して! スティック振り回して! わかる!!?」

 わめくように苦労を主張。俺は構わず、バイクのエンジンを始動。


「ユートはもう少し乙女を労るというか、慈しむというか、そういう心遣いをだね――」


「乗らないなら置いてくぜ」

「――乗るわよ!」


 飛び乗るようにエリカがバイクに跨る。

 スロットルに手を掛けると、抱きしめるように手を回してきた。


 俺が着ているライダージャケットは軍用規格ミルスペックの防弾繊維とセラミックプレートを仕込んだものだ。一般普及している2人乗り用のジャケットやベストではない。

 同乗者用のグリップが無いから、エリカは俺にしがみつくことでしか身体を固定する方法がない。

 ジャケット越しに慎ましくも柔らかい感触が伝わってくる。


「行くぞ」

「――いいわよ」

 もう何度も後ろに乗せている。エリカの方も慣れっこだ。


 俺はエリカの家のある小高い丘に向けて走り出す。



 空は、俺のいるべき場所だ。

 陸にも、きっとの俺のいる場所がある。

 今は、そう思える。


 いくら退屈でも、俺はここにいてもいい――そう思えるのだ。


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