青い鳥

「ときに辻さん、」

 このあたりで秀真くん、一日の勤務疲れもほぐれたのか饒舌さが出てくる。見ればご機嫌うるわしい様子。飲んでいるのはサイダーなのだが。

「連れて来てもらったのになんだども、愉快な休日の仕上げにわざわざ自分の職場さ来るとは、ずいぶん勤勉が過ぎるんでねえの。


 ところで、既にご承知の通り、この度の旅行が終わりますと同時に、仙女が申しましたやうに、われわれの生命も終わつてしまふのです。だから、われわれは、出来るだけこの旅行の時間を長く引延ばさなければなりません。(菊池寛訳『青い鳥』)


 日曜気分を、自分の仕事場で長引かせられるものだべか。悪りがしたなあ」

 どうしたのだ、秀真くん。だしぬけになにかを長々と暗唱した。暗唱は得意だった。荷物にならない。

「なんだい、まだ『青い鳥』に未練があるのか」

「んだなあ。今日、飛んで行ってしまったなや」

 二人にはすでに符牒だったようだ。

 市内電車車掌の秀真くん、勤務交代のためにこの店より近くの劇場、東座(ひがしざ)にて本日千穐楽のお伽歌劇『青い鳥』に出かける事がかなわなかった。奇術の舞台に少女歌劇の協力を得た、評判の芝居である。かように台詞をそらんじているほどであるから、思い入れがうかがえよう。

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