早春の霹靂

(招かれないと入れない)

頬を叩いても彼は一向に目覚めない。寝室から居間へと戻り、冷めた朝食を片付ける。ワイスは昨夜のことを思い出す。恥じらい、服の裾が握られる。

甘い空想の最中に呼び鈴が鳴り、ワイスは屋敷の戸へ向かう。自ら玄関を開くのは彼との結婚以来だった。風もない曇天を背に、影のような男は立つ。

男は屈み込んで挨拶をした。久しぶりと宣う声にワイスは惑う。わたし、あなたのこと知らないわ。忘れたのか、と鼻白み、男はゆっくり立ち上がる。

随分久しぶりだからな。男の言葉にワイスは察し、ごめんなさいと頭を下げた。良いんだ、と男は答える。それより旦那は在宅か。頷き、呼びに走る。


中で待ちたいと男は言った。雪模様にワイスは渋々承諾する。ワイスは台に上がり、お茶を出す。客間で肘をつく男はワイスをじろじろと眺め回した。

なにかしら、とワイスは訊ねる。男は肩をすくめ、友人達が結婚したと聞き及んでね、と答えた。男は少し考えて、あなたと旦那のことだよと続けた。

見慣れぬ男に抱いた罪悪感をワイスは隠した。ワイスは聖女だ。持ち越した記憶は一握り。役目以外は置いてきた。彼への愛だけが唯一忘却を免れた。

古い知り合いらしき男性。彼とも仲の良いらしい大人。でも記憶にはないお方。机の茶菓子は減っていく。重い沈黙に、ワイスは何かを言おうとした。


そこに彼が飛んできた。ワイスはぱっと赤面する。髪は縺れて服も乱れていた。お友達が来たっていうのに、その格好はなあに。ちゃんと整えてきて。

ワイスは一喝し、彼を部屋へと送り戻した。ごめんなさいねと男へは言う。きょとんとした男は一瞬の後に破顔した。変わらないな、とワイスへ言う。

そうかしら。そうとも。あいつのことを愛しているか、と問われ、ワイスは匙を取り落とした。椅子を降り、拾いあげた後、ワイスは台に足をかけた。

変なこと言わないで。甲高い声は羞恥に震える。大事な事なのよ。直接だなんて本人にも言ったことがないのに。膨れた頬は染まり、不服げに鳴った。

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