書きたいという欲求とカニバリズム

 さて、物書きの端くれである私にも、「書きたい」という欲求はもちろんあります。それを書いて公開している以上、複雑な要因を持って、表出した欲求でしょう。

 わかりやすいところでは自己顕示欲。あるねえ。というか、あるだろうなあ。そりゃあ書いたものを読んでいただけたら嬉しいし、コメントなんてもらえたら小躍りです。でもそれだけじゃないでしょう。書きたいって欲求って。

 

 私はたぶん、「吐き出したい」とか、「現実で実現不可能なものを書いてそこに自分を投影して、満足したい」とか、そのあたりが非常に強い。拙作に目を通してくださった方ならなんとなく、「ああ…」と思うところもあるのかと思います。というか、自分で読み返しても「ああ……うん…」となることが多い。良くも悪くも。


 その中で顕著というか、センセーショナルなのは間違いなくよく拙作に登場させるカニバリズムです。

 あ、待って。現実ではしません。現実で実現しようという欲求はないので安心して。逃げないで…。ただまあ、私の内部に、カニバリズムへの欲求は確かに存在します。それは「食べてみたい」好奇心と、「私のものにしたい」独占欲、「相手の全てを私の手で終わらせたい」歪んだ愛情、などなど、いま思いつく限りでも色々なものを含んでいます。自分でも「カニバリズム」という表現を用いていますが、実のところそれが表だって目立つだけで、詳細なところはわからないというのが実情です。このカニバリズムすらカモフラージュの可能性すらあると思っています。いやー、人間ってのは考えれば考えるほどよくわからないものです。

 

 さて、ではなぜそれをわざわざ書くか?と話がつながるんですが。

 一つは先ほどあげた投影による満足でしょう。現実じゃできないですしね。もちろんやる気もないですし。

 もう一つは、書いていく中で「自分のカニバリズムの奥にあるさらなる源泉」を見つけたい、という思いです。このあたり詳しく書こうとすると込み入ってくるのですが、何故かわからないけれど、カニバリズムそのものが源泉ではなく、あくまで奥底に潜む何かの一つの表出の形、だと私は考えています。書くことで、それを探っている。そんな意味合いですね。

 最後に、赦されたいんでしょう。投影と満足に近いものがありますが、例えばカニバリズムを持つ登場人物が何かの形で作中で救われる、報われる、赦されると、自分も赦された気になる、わけです。罪深えな(小声)


 余談ですが、私の中でエロティックとグロテスクはかなり近しい位置にあります。何なら一部重なってすらいる。そのあたりも、上記のカニバリズムに関連した領域なんだろうなあと思っています。実際、エログロみたいなものもいくつか書いてるし…何ならそういうの気に入ってるしね…。


 ディープな性癖に触れましたし、今回はこの辺で。ではでは。

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