第3話

 言うまでもないが、地球は滅亡しなかったし、それ以降も竹の花が咲いているところを見ることはなかった。

 二〇〇〇年代に入ってからも、古代マヤ文明がどうとかいう地球滅亡のインチキが流行った。どうやら地球というやつは、頻繁に滅亡するクセがあるらしい。一九九九年を無事に過ごした私が、それを信じることはなかった。

 というよりも、私は迷信も神仏もいまいち信じられない。ずいぶんと面白みのない無神論者が出来上がったものだと我ながら思う。

 祖父は五年前に八十歳で他界した。

 山の形式的な所有者である私の父は、会社が早朝からの勤務であるので、竹の生息域を制限するための晩春の筍掘りは、もっぱら私の仕事となっている。

 祖父がやっていたように、私は地下足袋で地面を踏み、まだ現れない地中の筍のようすを探る。そして鍬を突き立てて、掘り出す。

 鍬は、祖父から譲り受けたものをそのまま使っている。一度だけ鍬の刃を磨いたが、それほど鋭利さを要しない道具なので、普段は納屋にしまったままにしている。

 一時間ほどかけ、大小十五本の筍を収穫したところで、その日の仕事を終えることにした。

 もちろん十五本すべてを我が家で消費するわけではない。市内に住んでいる親戚や、ご近所に配ることになる。筍を食べるにはあく抜きという手間を要するため、はたして差し上げたところで感謝されるのかどうか少し不安なのだが、とりあえず今のところ嫌な顔をされたことはない。

 ふと見上げると、私のすぐ頭上に伸びている枝のあいだに、葉が見たことのないような形で広がっている。三センチほどと竹の葉にしては小さく、何枚かが団子のように固まっている。まさかこれが花のつぼみで、間もなく百二十年に一度不幸を告げる花が咲くのだろうか。

 まあ仮に咲いたとして、地球滅亡するわけでもあるまい。

 私はいつもの習慣として、弥勒菩薩像に手を合わせて頭を下げた。

 私はいったい、何を祈っているのだろうか。


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筍と仏像と終末の花 台上ありん @daijoarin

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