任侠令嬢テヤンディ

筧千里

プロローグ

「ふぅ……これで全部かな?」


 グレイフット王国、王都ネッツロース。

 広大な敷地を持つその城塞都市の端に存在するのが、百年以上の歴史を持つこの王都最大の学院――王立ネッツロース学院だ。入学するために莫大な金額を要求される代わりに、その与えられる教育の水準は高く、宮廷に勤める者の九割がこの学院の卒業者であるほどだ。ゆえに平民ではほとんど入学することすらも叶わず、一部の商会の跡取りくらいしか通っていない。

 私――リリシュ・メイウェザーは、そんな由緒正しい王立ネッツロース学院に、今年から通うことになった。

 案内された寮の一室で荷物を運び入れながら、小さく息を吐く。

 ひとまず、持ってきた荷物――木箱の数々を部屋の端に積んだだけで、額にはじんわりと汗が滲んでいた。そんなに量は持ってきていないのだけれど、教科書などが入った箱はさすがに重かった。


「ったく……お父さんってば、娘の入学のときくらい、使用人の一人でも寄越してくれたらいいのにさ」


 はぁ、と小さく溜息。

 王立ネッツロース学院という、まさに貴族の中の貴族しか通わないような学院に入学したわけだが、私の家は決して上流貴族というわけではない。

 メイウェザー家は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵という貴族に与えられる爵位の中でも、下から二番目の子爵家だ。領地もそこそこの広さでしかないし、本宅に存在する使用人がたったの三人だけという時点でその経営状態はお察しである。

 他の貴族令嬢は、少なくとも一人くらいは使用人を。もっと高位のご令嬢となると、執事とかを連れているというのに。

 私は残念ながら、身一つでこの学院に入学した。


「でも、割と広くて良かった」


 これから、学院に通いながら私が暮らす部屋を見ながら、うん、と頷く。

 基本的に二人部屋とのことだが、寝台が二つ置いてある寝室と、共用するリビングルームの二部屋がある。入り口の横には水の魔石が嵌められた洗面台も置いてあるし、個室のお手洗いもある。

 食事は一階の大食堂で行うのと、入浴は共用の大浴場があるという話は、先程案内してくれた人物から聞いた。もっとも、もっと上位の貴族が暮らす部屋は、別でシャワールームがあるという噂も聞いたことがある。噂だから、実際の信憑性は分からない。

 まぁ、私にしてみれば、実家の自分の部屋よりも大きい空間だ。二人部屋でこれなら、満足する大きさである。

 あと、問題は。


「一緒に暮らすことになるのは、誰なんだろう」


 入り口の名札は、入寮と共に自分でつけるように言われた。だから人より背の低い私は、どうにか背伸びをして下側の名札に自分の名前――『リリシュ・メイウェザー』と書かれたそれをつけた。

 だから、その名札の上側に入る人名は、まだ分からない。

 出来れば部屋というのはリラックスする場でもあるわけだし、同じくらいの身分の人が入ってくれたらいいなぁ、と思わないでもない。

 そう思ってから、首を振った。


「……だめだめ」


 私がこの学院に入学した目的は、高度な授業を受けることでも王宮勤めになることでも、ましてや貴族の令息を射止めようとかでもない。

 私の目的はただ一つ、就職先探しだ。

 下位貴族の三女である私は、お父さんが持ってくる縁談もろくなものがない。せいぜい、地方で商会を経営している人の息子だとか、騎士団勤めの三十路だとかだ。酷いものだと、五十路にもなる辺境伯の七人目の愛人とか謎の内容もあった。さすがに、花の十六歳でその嫁ぎ先は御免である。


 だから私は、無理を言ってこの王立ネッツロース学院に通うことを許してもらったのだ。

 どうにか公爵令嬢や侯爵令息などの目にとまり、なんとかお支えするなりお助けするなりして仲良くなるのだ。そして卒業後は屋敷で雇いたい――そう言ってもらえることが、私の目的なのである。

 さらにそこで結果を出し気に入ってもらえれば、より高位の貴族家との縁談が舞い込んでくるかもしれない。もしくはそこの当主のお手つきにでもなり、子を成せばより安泰だ。ただし相手がイケメンに限る。

 

「ふー……」


「あら?」


 と、私が今後について考えていたところに、唐突にそう声がした。

 それは、開け放していた入り口――そこを通りがかった、ご令嬢の声である。この人が同室者なのだろうか、と一瞬緊張した。

 少なくとも、着ているドレスの生地からすれば、私の実家よりも遥かにお金持ちであることが分かる。縦に巻かれた髪型は、恐らく今朝方に一生懸命、今も後ろに従う侍女が巻いたのだろう。ややきつめの眼差しをしているが、整った顔立ちの美人である。

 そんなご令嬢がまず部屋の名札を見て、それからふっ、と鼻で笑った。


「ごめんなさいね、人違いでしたわ」


「え……あ、そ、そうですか。一体……」


「ええ。わたくし、こちらのお部屋にゴクドー公国の公女様が入寮されると聞きまして」


「――っ!?」


 公国。

 それは、グレイフット王国の隣に存在する小国だ。

 元は王国の領地だった辺鄙な港町を、僅か一代にして巨大都市へと変貌させた公爵がいたのだという。その貢献、そして税収は全ての都市を上回り、領地一つで全てを運営することができるほどに大きくなったのだという話だ。

 その成果に当時の国王が独立を認め、公国を名乗ることを許したとされる。その代わりに、グレイフット王国には従属している立場であるし、その分だけ少なくない税金を払っていると聞くが。

 だが、その代わりに閉鎖的な国家であり、グレイフット王国との関わりはほとんどない。既に独立して百年以上の歴史が重ねられており、独自の文化が存在すると聞くけれど、その詳しい内容も不明だ。


「こ、公国、の……?」


「ええ。ゴクドー公国の公女様ですわ。あなたは勿論、違いましてよね」


「は、はい……わ、私は、メイウェザー子爵家の……」


「でしたら、名を聞く必要もありませんわ」


 ぴしゃり、と断ずるように私の言葉は阻まれる。

 余程高位の貴族令嬢のようだ。その気位も、随分と高いらしい。

 でも。

 そんな高慢な令嬢でさえ、挨拶をしようと考えるような相手――それが、ゴクドー公国の公女殿下である。そして、そんな公女殿下が、今後私と一緒に暮らす相手。

 頭が、くらくらしてきた。


「あなた、これから同室で公女様と暮らすことになりますけれど、失礼なことはなさらないように。あなたとは全く身分の違うお方なのですから」


「は、はい……」


「ふん」


 ご令嬢が、私に背を向けて去っていく。

 そんな彼女の高慢も気にならないくらいに、私の頭は混乱していた。

 ゴクドー公国の、公女様。

 そんな方と、私はこれから一緒に暮らさなければならないのだ。

 絶対に失礼な真似をしてはいけないし、機嫌を損ねることもしてはならない。最初から、謙るつもりで相手をしなければならない。

 そう考えながら、私は部屋の端に積み上がった木箱を見て。


「持ってくる荷物、多すぎたかな……?」


 まだ見ぬ公女殿下に恐怖を抱きながら、そう呟いた。

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