世界で一番【罪】なこと

 気がつくとオレは何もない所で1人で立っていた。

 ふと、誰かの視線を感じる。

 その視線の方を向くと、少し離れたところに人の形をした黒い靄がいた。

 その靄には目がある。その目には人を蔑むようなはっきりとした悪意が宿っていた。

 オレはこの目を以前にも見たことがある。

 急に心の奥から、言いようもない不安が押し寄せてきた。

 やめろ! そんな目でオレを見るな!



「……つき!……一樹! 起きて!」

 自分を呼ぶ声にハッと目が覚める。

 真琴が心配そうな顔でオレの顔を覗き込んでいた。

「一樹、すごくうなされてたよ。大丈夫?」

 オレは荒くなった息を整えながら、何回も頷く。そして、上半身を起こした。

 徐々に現状を把握していく。

 初めての任務を終えて、帰ってきたオレは、疲労感で食事もろくに取らずに就寝してしまった。 

 今、時計は午前2時を指していた。

「怖い夢でも見た?」

 真琴は優しい声色で尋ねる。

「初めて悪霊を目の当たりにしたからあんな夢見たのかな。起こしてごめん」

「謝らなくていいよ。確かにあれは気分の良いものではないもの。辛い時は辛いって言って」

「大丈夫。直に慣れるよ」

 オレは真琴に、そして、自分自身に言い聞かせるように言った。



 ***

 

 それから何回か任務に着いた。鎌の扱い方には慣れていったが、悪霊と対峙したときに感じる不快感はなかなか軽減しなかった。

 任務の後は倒れるように就寝し、時にうなされるオレを真琴は心配そうにしていたが、オレはその都度、大丈夫だと言い続けた。


 ある日、係長の当麻に呼ばれる。

「一樹。お前これから別棟に行ってカウンセリング受けて来い」

「カウンセリング、ですか?」

「お前最近目の下の隈が酷いぞ。ちょっと行って話聞いてもらうといい。死神はメンタルのケアが大事だからな」


 一旦自分の席に帰ってきたオレを隣の席の真琴が心配そう見た。オレは何でもないふうに笑って話しかける。

「じゃあ。ちょっと行ってくるよ。真琴はこれからどうする?」

「私は久しぶりに太一くんに会いに行ってこようかな。最近行けてないから」

 死神になった日に会った太一少年は、現在最年少の死神らしい。死神の業務はまだ難しいので、教師経験のある死神が先生となって勉強をしていると真琴が言っていた。そして、真琴は年が近いこともあってたまに遊び相手になっているという。

 真琴と昼に合流することにして、オレは別棟に向かった。


 別棟は詰所の奥にあり、体調の悪い死神をケアする医務課が入っていた。壁全体を青々とした蔦が覆っており、建物内は暗く感じた。


 指定された部屋に着き、ノックすると中から返事が返ってきて、木目調の扉が開く。

「一樹さんですね。どうぞこちらに」

 部屋にいたのは、若いようにも老いているようにも見える不思議な相貌の人物だった。おそらく男性だが中性的な容姿をして白衣を着ている。

 彼は穏やかな声で、背もたれのある大きな革張りの椅子をオレに勧める。俺は気後れしつつもそれに座った。体が深く沈む。


「私の名は宮城みやぎと言います。職員の精神的なサポートをするのが役目です」

 向かいの椅子に腰掛けて彼はそう自己紹介した。

 彼はいろいろ世間話を折り込みつつ話を進め、緊張していたオレの心を解し、リラックスさせていく。

 オレは思い切って尋ねてみた。

「悪霊にはいずれ慣れるものなのでしょうか?」

「ある程度対峙していると慣れていきますが、いつまで経っても慣れない人もいます」

「慣れない人もいるんですか」

「生前に強烈な悪意を目の当たりにして心が傷付いた方は悪意に敏感になり、悪意に触れたときその時のことがフラッシュバックして平静な心でいられないことがあります」

「それは治せますか?」

「カウンセリングを続けることで症状を緩和できることはあります。けれど、時間は掛かります。一樹さんは心当たりがあるのですか」

 オレは答えられなかった。

「これから少しずつ話せることから話して頂ければ結構です。もしよろしければ、またお話を聞かせて頂けますか?」

 そう言った宮城の静かな笑顔はどこか人を安心させた。


***


 部屋を出ると深いため息をついた。

 今のまま悪霊に慣れるのが難しければ警護課の仕事は続けられるのだろうか。オレは思いを巡らせる。


「一樹さんですよね?」

 突然話しかけられて振り返ると若い男が立っていた。彼は確か太一少年と一緒にいた青年だ。

「先日は太一が失礼なことをしました。太一の教育係をしている譲葉ゆずりはと申します。カウンセリングを受けられたとか」

 きっと真琴が太一少年の所で話したのだろう。譲葉はこちらに近づきてきた。


「私から助言をひとつ。1人で何もかも解決しようとしないでください。パートナーを頼ってください。全て一人で抱えこんで、1人で勝手に潰れてしまうことは、この死神の世界で1番の罪です。真琴さんにはあなたしかいないのですから」


 距離を詰め、訴えるように語る彼に何も言えずにいると、扉から宮城が出てきた。

「おや。譲葉さん。あなたのカウンセリングの時間までもう少しあるはずでしたが」

「先の用事が早く片付いたので、来てしまいました。」

 譲葉はなんでもないかのように笑顔で答えた。

「では、一樹さん。真琴さんに宜しくお伝え下さい」

 譲葉は何もなかったかの様に部屋の中に入っていった。

 暗い廊下にオレだけが取り残された。

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