5:貴宮さん

 バスを降りてからは、ふたり肩を並べて坂道を上がっていく。

 夕陽はかなり落ちてきていた。日が長いからと油断していると、つい時間感覚があいまいになってしまう。

 羽衣うい家は坂道に沿って作られた団地の、一番上の区域に居を構えている。

 次未つぐみの曾祖父が明治時代に建てたらしい。なんでも炭鉱主であたり一帯の土地を所有していた資産家だったそうで、西棟、南棟、北棟にそれぞれ蔵までついた立派な日本屋敷である。

 次未を含めても五人の一家には広すぎるので、俺も時々掃除の手伝いとして駆り出されることがある。夏も終わりになれば一度大掃除の声がかかることだろう。苦ではないので──むしろ次未に会う合法的な手段なので──俺はいまから楽しみにしている。

 立派な構えの白木の門が見えてきたころ、その向かい側からひとり男性が出てくるのが見えた。

 あの顔は見覚えがある。

 元オカルト愛好研究部代表、かつ羽衣家の良き隣人である貴宮たかみやさんだった。


「次未。粕谷かすやも一緒か」

「お疲れさまです、貴宮さん」

「お疲れでーす」


 俺が声をかけると渋い顔をする。

 最初は嫌われているのかと思っていたが、しばらくすると大体誰にでもこんな顔をするひとだとわかったので最近は気にならない。

 何より、貴宮さんは我が愛しの次未が信頼している数少ない大人おとななのである。


「また相談が来たらしいな。君平きみひらから聞いたが」

「ですです。レポートはだいたい君平が作ってるんで、よろしく」

「俺は暇じゃねえと何度言ったらわかる」

「この制度作った人間として、なんかあったら助けるのが道理ってやつだと俺は思うんですけど」

「悪知恵ばかり働きやがるな」


 口は悪いがなんだかんだ助ける気はあるので、ちゃんと君平のメールも読んでくれているのである。

 白木の門の前に立つと、街のほうから差し込む夕焼けに目が焼かれる。

 向かい側には羽衣家に負けない規模の洋風の建物が『貴宮鑑定事務所』と看板を掲げていた。

 貴宮さんはいわゆる本職だ。

 それも妖怪退治屋ようかいたいじやを名乗っている。

 昨今そんなもので食べていけるのかと心配になるものだが、貴宮さんの一族はみんなそもそも頭が良いので、妖怪退治以外にも何かしらの相談を受けては解決の手引きをしているそうだ。凶悪犯罪者の足取りを追ったりだとか、不運続きの家の立て直しをしたりだとか。

 二年前、貴宮さんが正式に家業を継いでからも、お偉いさんと思わしきひとたちが頻繁に訪れているのは知っている。


「占い師でもないんだがな」


 と、前にぼやいているのを聞いたことがあった。

 見た目は黒いスーツのちょっと眉間のしわが深い兄貴なので、下手したら別の方面のひとだと思われることも度々である。顔は結構いいほうなのだが。


「わたしは家のことがあるから、これで。貴宮さん、失礼します」

「おー。おばさんによろしく」

「ああ、また」


 次未が白木の門をくぐり、それからまた少し歩いて玄関の戸を開けるところまで見届けてから、俺は貴宮さんに向き直った。


「で、どう思います?」


 どうせ会うだろ、と君平から預かっていたレポートを手渡す。

 貴宮さんを巻き込むことを、次未はあまりいい顔をしない。

 家族も同然だからと次未は言うが、しかしこれはもともと、貴宮家がオカルト部を使って仕込んだ『依頼受託方法』ひとつなのである。

 本当に困っている人間を助けるためのつな。そして貴宮さんのを見つけるための情報源。

 オカルト部員おれたちはいわば、諜報員でもある。

 ──などとかっこつけてみても結局は好奇心による行動がほとんどなので、叱られることのほうが多い。若気の至りで済んでいるあたり、貴宮さんのフォローになんだかんだ助けられているのである。ありがとう貴宮さん。

 貴宮さんはレポートを受け取ったその場で、ぱらぱらと簡単に目を通した。


「登場人物は六人、か」


 伊川さんの持ち込んだチャーリー・ゲーム事件。

 ポピュラーな交霊術に関しても、やっぱり本職である貴宮さんのほうが詳しい。知識量がまったく違うのである。


「次未は何と言ってた?」

「たしか、妖怪を見つければすぐ終わるって」

「それならもうほとんどわかってるな」


 ひとりだけ納得する貴宮さんである。


「まだ情報は足りん。だがタネがわかってるなら、確認作業だ」

「俺にもわかるように説明がほしいんですけど?」

「…………」


顔にはっきり『面倒くさいから嫌だ』と書かれた。

なので、俺も顔にはっきり『引き下がらないぞ』と書いてみる。


「危ないか、危なくないかだけでも。専門家の意見って大事だと思うんですよ」

「いっぱしに口利くじゃねえか」

「次未の身は俺が守らないとでしょ?」


貴宮さんは顎に手を当ててしばらく黙った。


「妖怪というのは。存在ではなくのことだ」


よく聞くセリフのひとつだった。

次未や貴宮さんが『妖怪』と呼ぶ場合、それは霊的な存在そのものを示しているわけではない。多くの場合、それが起こす不可思議な現象を示している。


「目に見えるものにとらわれがちだが、そもそも何が起きているのか理解しなければならない。今回の場合、お前たちがとらわれているのは『富岡とみおか礼音れおんが首を締めあげて転げまわった』こと、『吉野よしのあゆが黒い影につきまとわれる』ことだ。しかしそれはに過ぎない」

「おお、なるほど……」


貴宮さんがじとっとした目で見てきた。


「いつも言っているが、結果だけを見て原因を探すと必ず齟齬が発生する。肝に銘じておけ」

「はーい」

「首から上がない奴の返事だな」


いや、そこまではちゃんとわかっているつもりなのだが、ちょっとショック。

額をおさえて、貴宮さんがおおげさなため息をついた。


「つまるところ、結果は妖怪の影響による派生に過ぎない。このレポートから察するに、伊川いかわ朝美あさみの属するグループは全員、と考えられる。富岡礼音のそれも含めてだ」

「首を絞めたりするのも影響のうちってことですか」

「そうだ。次未が見つけようとしている妖怪は、あくまで直接的な被害をもたらすつもりがない。ゆえに、次未や当事者に大きな危険はないといえる」


きざっぽい動きで貴宮さんが指を振る。

教師のほうが向いているんじゃないだろうか。夏山さんには負けるけど。


「どうせお前に言ったところで三分の一も覚えられん。調べることは君平にメールしておく。相談者とその友人には『影は襲ってくることがないから安心しろ』とでも言っておけ」

「むむ、失礼な」


 二分の一くらいなら頑張れるはずだ。たぶん。

 これはもらっていくぜ、とレポートの束を律儀に整え、貴宮さんは自宅に戻っていった。

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