3:呼ばれたもの

 ひっくり返ったパイプ椅子を気にする様子もなく、伊川いかわさんは真っ青な顔で紙面の真ん中を見つめている。


「……寄ってたかって後輩をおどかすのはよくない」

「あいた」


 紙面を指す君平きみひらの指がぺちんと白魚の指に叩き落とされる。

 歯の根の合わない伊川さんにそっと手を添えた次未つぐみの天使みたいな優しさが後輩を労っている。


「大丈夫? こいつらにはしっかり言い聞かせておくから」

「悪かった、怖がらせるつもりはなかったんだ。伊川ちゃんこういうの苦手なんだな」


 君平がごまかすように手を振った。

 オカルト部なんてところにくるのだから相談者は割と耐性のある人間が多いのだが、その通例に合わず、伊川さんは気の毒なほど怯えていた。

 身を守るように体の前で握っている手も目で見てわかるほど震えている。


「でも、伊川先輩がこの紙を持ってるってことは、チャーリー・ゲームをやったってこと?」


 伊川さんはうつむいて肯定を示した。

 握りしめた拳が白くなっている。


「……やったのは三日前です。四限が終わったちょうど今頃でした」


 そしてゆっくりと語り始めた。


「同じ日本文学にほんぶんがく科で仲良くしてるグループがあるんです。男子が三人、女子も私含めて三人。全員で六人ですね……一週間くらい前に秋坂あきさか万希まきという子が発端で『夏だからちょっと怖いことをしよう』ってことになったんです。肝試しとかも最初は候補にあったんですけど、みんなお金はあんまりないし車も持ってないから、その……手軽だった交霊術が最終的な候補になって」

「まあ、チャーリー・ゲームは鉛筆と紙でいいからなあ」

「今となっては本当に後悔しかないんですけど……その時は『何かあれば面白いかな』って、手を出してしまったんです。鉛筆は万希が持ってたのを、紙は私のルーズリーフを使って、部屋を暗くして、さっきの呪文を、唱えて」


 伊川さんの呼吸が少しずつ早くなっていく。


「最初の数回は何も起こりませんでした。しばらくやっても変化がなかったので、みんなえてもうやめようかという流れになりました。万希は残念そうだったけど、私は正直何も起こらないことにほっとしてて……半信半疑とはいえ、やっぱり怖かったから……だから、帰ろうと思ったんです。本当に、もっと早くそうすればよかった。机から離れようと思って立ち上がったとき、それが動いて」

「鉛筆が?」

「『NO!」


 突然、伊川さんは頭を抱えた。


「『NO! !」


 恐慌が顔に強くあらわれていた。

 伊川さんをなだめようと次未が肩を抱くのが見える。

 俺は君平と駆馬に目を配った。ふたりもお互いを見た。

 異常な恐怖心──何か決定的なことが起きたことは想像に難くない。

 だが追い詰められた人間にしては、彼女は随分まともに見えた。

 俺はテーブルからはなれて、部室の一画にある本棚からファイリングされた資料の束を取った。ともかく、相談なら必要な手続きを踏まなければならない。

 貴宮さんから口酸っぱく言われているのだ。


「チャーリーではない何かが来た」


 背後で君平が更に話を切り込んでいく。


「そして、それは伊川ちゃんたちに危害を与えたのか」

「……みんなびっくりしたけど、富岡とみおかくんっていう男子がまずおかしくなりました。なにか叫んで……なんて言ったのかはわからなかったんですが……動いてる鉛筆ごと紙を払い落としてしまったんです。チャーリー・ゲームのこと、私はよく知りませんでしたけど、狐狗狸こっくりさんとかでは儀式を途中でやめてはいけないっていうルールがありますよね?」

「チャーリー・ゲームも帰ってもらうための手順が最後にあるな」

「だけど富岡くんがそういうことをしてしまったので、ちゃんと終わらせないままになって。でもそれだけじゃなかった……突然のことだったので、まず発案者の万希が怒りました。万希はそういうことをちゃんとしたがるタイプだから。でも、怒って食ってかかろうとした途端、富岡くんが自分の喉をしめはじめて!」


 からだをまるめて、伊川さんは震えている。


「なんとか止めようとしたんですけど、ものすごいちからでした。ほかの男子二人がかりでもとめられなかった。失神するまで手が首からはなれなかったので、倒れたところを何とか引きはがして救急車を呼びました」

「ああ、そういや一昨昨日さきおととい、救急車がきたっけか」


 三日前の夕方に救急車が大学に入ってきていたのを思い出した。

 敷地内でも離れた位置だったのであまり気にしていなかったのだが、あれがそうだったのか。


「富岡くんがそうなってしまって、私たちはもうパニックになりました。万希は真っ青になってるし、あゆは……えっと、同じグループの吉野よしのあゆって子なんですけど……わあわあ泣き出してしまって。私はもう何が何やら、腰が抜けて動けませんでした。結局、男子が富岡君を病院に連れて行ってくれたので、その日はそのまま解散したんです」


 富岡という学生はその後すぐに目を覚まし、検査でも異常はなく、今日退院する予定だという。

 俺は次未のほうをみた。

 震える伊川さんをなだめ、適当なところで相槌を打って落ち着かせている。

 駆馬がルーズリーフを見ながらこめかみをぐりぐり揉みはじめた。


「過去、チャーリー・ゲームをやって起きた集団パニックで『自分で首を締めあげて転げまわる』『嘔吐おうとして失神する』といったヒステリー発作が起きたという事例があるよ。伊川先輩、ほかの人にそういうことが起きたっていうことはなかった?」

「え、ええ。あゆは泣いてたけど、帰るときには落ち着いてました」

「過敏になった神経に『NO』と示されたことがきっかけでストレスが爆発、ってところか?」


 書類を君平に渡すと、慣れた手つきでレポートをまとめあげていく。

 こういう才能は単純にうらやましい。俺はいつも講義のレポートに苦しんでいるというのに。


「ちょっとこっちの紙に、参加したメンバーの名前と位置取りとか書いてくれるか。使った部屋も」

「わかりました」


 スコーンをかじって糖分補給する。

 紅茶が尽きたので駆馬に追加を頼もうと顔を上げると、まっすぐにこっちを見ている次未と目が合う。

 え、恋に落ちそう。

 スコーン食べたいんだろうか。かわいいな。

 深い黒の瞳が瞬き、さくら色のくちびるが動いた。


「それだけじゃない」


 伊川さんが、目をむいて次未を見た。

 紙からすべり出たペン先がテーブルに線を引いている。


「何かいるんですか?」

「いま、この場にいるわけではないけど」

「私、知りません。私じゃない!」

「相談の主題をまだ聞いていない。あなたは何におびえているの?」


 次未はいつものようにしゃんとした姿勢で座っていた。

 その黒い瞳は俺を見ている。思考の海に潜っている。


「あ、あなたは、何を知っているんですか」

「まだ何も知らない。あなたが話してくれていないから」

「だって、それだけじゃないって。私、私は何も」

「あなたじゃない。でも、誰かが被害にあっている。推測するなら、吉野あゆという子」

「どういうことだ、羽衣うい?」


 君平がメモ帳を開きながら口をはさんだ。


「緊急相談ということは、すでに強い危険を感じている場合が多いと思う。君平が『貴宮たかみやさんに相談するかもしれない』と言ったのは、どうしても今日聞いてほしいと頼まれたからでしょう。だけど先の話にあったチャーリー・ゲームの行程では、危険なことはあってもすでに過ぎ去っている。どうしても今日聞いてほしかった理由はその中にない……あなたの身だしなみはきれいで、何かに追い詰められている人間のようには見えない。だから、あなたではない誰かにいまも続いている被害がある。そして──そう感じている」


 なるほど、本題はここから始まるらしい。

 駆馬が冷えた茶を入れ替える。

 伊川さんは胸に手を当てて、新しい紅茶を含んだ。


「……おっしゃるとおりです。その、試したりだとか、騙したりだとか、そういうつもりはないんです。ただ本人ではないので……半分は思い込みなんじゃないかって疑っていたので……」

「つまり、その子にとっては非常に深刻なことが今も続いてるのか?」

「はい。あゆはこの三日、ずっと人影から付きまとわれていると言っています」

「人影?」


 駆馬が首を傾げた。俺も同じことをした。

 君平がペンを触りながら続きを促す。


「詳しく聞いてみると、最初に見たのはチャーリー・ゲームで富岡くんが紙を払い落としたときだそうです。だからあのとき、一番混乱してたみたいで。それはしばらく富岡くんのそばにいたらしいのですが、解散するといつの間にかいなくなっていたと……だからその日は安心したらしくて。でも翌日講義に出ると、同じ影がすぐそこにいて……それからは、学校にいるあいだじゅうそばにいるようになったらしいです」

「その影が男女どっちかわかるか?」

「男だとあゆは言ってます。自分より大きくて体格もいいって」

「四六時中そばにいるのか? 講義中以外のプライベートなとき……たとえば、トイレとかは?」

「いえ、講義中でもいるときといない時があるみたいです。トイレとかは平気だって言ってました」

「ふむ。それに攻撃性はある? 傷つけられたり、そうでなくても、何かされかけたとか」

「一回きりですけど、触られたことがあったみたいです。たいしたことはないけど、肩をたたかれたって、もうかわいそうなくらい怖がっていて」

「伊川さんは触られたり、見えたりした?」

「……今朝、見えました」

「今朝」

「だから、ここに相談したいと思ったんです」


 伊川さんは深くため息をついて肩を落とした。


「私たちは何を呼んでしまったんでしょうか?」

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