第34話 伝説の冒険者
怪人が至近距離から放った黒く禍々しい玉は、ニャウの頭に命中したかに見えた。
しかし、どこからともなく現れた人物が振る白銀の細剣が、音もなくその玉を切り裂いた。二つに割れた玉は、まるで空気に解けるように消えていった。
風のように現れ、ニャウを救った人物は、華奢な身体に白いローブをまとっていた。
ローブの下には、上下一体となった、光沢ある白い服を着ている。
フードの奥に見える顔には銀の仮面を着けており、目に当たる部分からのぞくとび色の瞳は、まるで見る者の心を貫くかのようだった。
「お、お前は……」
怪人が、よろめきながら二歩、三歩と後ろへ下がる。
そして、急に背を向けると、驚くほどの速さで逃げだした。
だが、速さでいえば、銀仮面の人物のそれこそ圧倒的だった。
瞬く間もなく怪人に迫ると、容赦なくその背を細剣で刺し貫いた。
ところが、白銀の細剣が体に突きいれられた瞬間、怪人の体はバラりと
鼠は草の間を走り、てんでばらばらに逃げていく。
いくら銀仮面でも、それを止める手立てはなかった。
「ニャウ、ニャウ、しっかりして!」
タウネがニャウの上半身を抱き抱え、何度も呼びかける。
彼女の祈りが通じたのか、何事もなかったようにニャウが目を覚ました。
「う、あれ? タウネ? どうしたの?」
「あんた、自分がどうなったかわかってる?」
「そうだ! 地竜さんと子猫たちを助けようとして、【がったい】と【あらぶる】を使ったんだった。それで疲れて寝ちゃってたのかな?」
ニャウは、自分の胸を黒い玉で撃たれたことなど覚えていないようだった。
「あんた、あの変なヤツに、魔術みたいなのでここを撃ちぬかれたんだよ」
「胸を? でも、痛くもなんともないよ」
「ちょっと見せてごらん」
タウネがニャウの胸元を広げる。抜けるように白い素肌の上には、革ひもで吊られた白い
東の草原でゴブリンのロタと最初に会ったとき、ニャウが彼からもらったものだ。
白い欠片の一部が欠けているところを見ると、この欠片こそが怪人が放った黒い玉からニャウを守ったに違いない。
「まったく、心臓が停まるかと思ったよ。
もうこれ以上、あたしを驚かせないでよ」
ニャウにそうお願いしたタウネだが、それは守られなかった。
なぜなら……。
「シスター、どうしてこんなところへ?」
ニャウが銀仮面に向かって、そう話しかけたからだ。
「えっ! この方、いや、この人ってシスターなの!?」
タウネの問いかけに、その人物が銀の仮面を外す。
「ニャウ、よく私だとわかりましたね。とにかくあなたが無事でよかったわ」
それは幼いころから毎日見てきたシスターその人だった。
ニャウは【猫】の能力で馴染みある匂いを嗅ぎわけ、銀仮面がシスターだと見破ったのだ。
「シスター、その格好って? なんでこんなところにいるんですか?」
「彼女は、
タウネの質問に答えたのはシスターではなく、ちょうど姿を現したギルマス、クルーザだった。
「まさか?! ギルマス、シスターが金ランク冒険者だったってホントですか?」
それを耳にしたニャウも、さすがに驚いた顔をしている。
「ああ、ニャウ君、本当だよ。『白銀の魔剣士』アナスタシア=レイファントといやあ、俺たちの世代じゃ知らぬ者のない伝説のランク冒険者さ。俺もずいぶん憧れたもんだよ」
「なに言ってんだい、面と向かって生意気ばっかり言ってたくせに」
「そ、その辺は大目にみてくださいよ、アニーさん」
「「あー!」」
タウネとニャウが声を揃える。
「どうしたんだい、あんたたち?」
「いや、『アニーさん』っていう名前は、ローガンさんから時おり聞いてたんですよ。そうだよね、ニャウ」
「ええ、何度か耳にしたことがあります。あれって、シスターのことだったんですね」
「ローガン坊め、口が軽いったらありゃしない」
こわもてのローガンも、このシスターにかかれば坊や扱いだ。
「ところで、そこのフォレストタイガーと地竜ですが、なんで大人しくしてるんですか? やっぱりアニーさんがやったんですか?」
「クル坊、私じゃないよ。きっとニャウと子猫たちの仕業さね」
「なんですって!? ニャウ君、ホントに君がやったのかい?」
「ええと、あの子たちを大人しくさせたのは、私というより子猫たちですね」
「どういうことだい?」
「クル坊、ニャウもタウネも、これだけ疲れてんだ。質問は後におしよ」
「はあ、それはいいんですが、さすがにもうこの年で『クル坊』は勘弁してもらえませんかねえ?」
「なに言ってんだい。私にとっちゃ、あんたはいつまでたってもクル坊さ」
「……仕方ないとあきらめるしかないか。なあ、ニャウ君、タウネ君、俺がそう呼ばれてるのは、頼むから内緒にしといてくれよ。ギルマスとしての沽券にかかわるから」
「はい、わかりました」
「ええ、わかってます」
「じゃあ、私はここで失礼させてもらうよ。久しぶりに動いて疲れたよ」
「アニーねえさん、こいつら助けてもらって、ホントありがとうございました」
「はん、お礼なんか必要ないさね。その子らは私にとって娘も同然だからね」
シスターは背を向け手を振ると、現れた時と同じで幻のように姿を消した。
「あのシスターが伝説の冒険者だなんて、テトルとバックスに話しても信じてもらえないだろうなあ」
「だけど、今になって思えば、シスターって冒険者のことについて詳しすぎたよね」
「そういえば、そうかもね」
◇
その後、ニャウたちは森から出てきた冒険者たち、砂州から上がった冒険者たちと合流した。
死んでいる魔獣の素材は冒険者ギルドとゴブリンたちで半々に分けた。今回参加した冒険者たちへの報酬は、それを売って得た利益から出ることになる。
虎魔獣と地竜は、ニャウの判断に任せられることになった。
冒険者の中には、地竜だけは殺してその希少な素材を手に入れようという意見もあったのだが、さすがに今回一番功績があったニャウの意見を無視することはできなかった。
彼女は、地竜と虎魔獣、どちらも殺したくなかったのだ。
まあ、目の前で起きていることを見ればそれも仕方ないだろう。
虎魔獣たちは、合体が解け子猫に戻ったミャンの周りに集まりると、その巨体を横たえ、完全にくつろいでいる。
そして、やはりこちらも元の大きさに戻ったナウ、ミイ、ニイの三匹は、地竜の背中を駆けまわって遊んでいる。
その地竜はと言えば、気持ちよさそうに目を半分閉じ、春の陽光を浴びて居眠りをしている。
その上、ベテラン冒険者たちまで、厳つい顔をデレつかせ、そんな子猫たちを眺めている。中には子猫たちを拝んでいる者までいる。きっと子猫になめてもらって傷が治った冒険者たちだろう。
そんな光景を目にしたテトルの言葉が、今の状況を一言で表していた。
「ど、どうなってんだ、こりゃ!?」
◇
森の奥深くへ逃れた怪人は木の幹に体をあずけ、極彩色の顔を苦痛で歪ませていた。
その体は、見るも無残な有様だった。
右目、右手、左肩、脇腹が欠けており、そこは黒く丸い穴がぽかりとあいている。
「ぐぎぎぎぎ、おのれ猫めが……私のかわいい眷属をよくも……」
苦痛のうめきに、呪いのような言葉が混じる。
闘いの場から逃げる時、彼の体は多数の鼠に分かれたのだが、その鼠を一匹ずつ四匹の子猫たちに獲られてしまったのだ。
鼠たちが合わさり、元の体に戻っても、奪われた鼠たちの分だけ体が欠けてしまった。
「ぐぬぬ、次は必ず目にもの見せてあげましょう。この痛みを何倍にもして返してあげますよ。その時を待っていなさい、忌まわしい猫め!」
しばらくすると、怪人は、定まらない足取りでよろよろと歩きだす。
「ふふふ、そろそろあの者に働いてもらうとしましょうか」
そうつぶやく極彩色の顔には、すでに不敵な笑みが浮かんでいた。
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