第33話 あらぶる



 地竜の背に乗る怪人の姿を目にしたとたん、ニャウは体の奥底からマグマのような激情が噴きあがるのを感じた。

 

(あいつ! 絶対あいつを倒さなきゃ!)


 彼女は衝動のまま柵をすり抜け、巨大な地竜めがけて駆けだした。

 普段の気弱な彼女からは、とうてい考えられない行動だ。

 そして、注意力を欠いた駆けだし冒険者など、百戦錬磨の怪人にかかれば美味しい獲物でしかなかった。


「風の精霊よ、我に従え。烈風陣!」


 初めてその身に受けた魔術で空高く巻きあげられ、ニャウは意識を失いかけていた。

 強力な風魔術により生じた突風は、タイラントどころか大陸の彼方まで見えるほどの高さまで、ニャウの体をふき飛ばしていた。

 自由落下を始めたとたん、彼女はなぜか薄れていた意識がはっきりとしたばかりでなく、自身の体に力がみなぎるのを感じていた。

 それはかつて教会の鐘楼から落ちた時、経験したものと同じだった。

 草地の地面めがけ、恐ろしいほどの速度で落ちながら、彼女の心はどこまでも静かだった。

 まるで時間がゆっくり流れているような感覚の中で、ニャウは体のバランスを取り、回転を抑え腹部を下にする姿勢を取った。


 地面と激突するはずの体は、両手両足を同時に着くことで、その勢いを殺した。

 そして、草の上をくるくると転ってから、すたっと両足で着地を決めた。

 立ちあがった彼女の頭には、金色をした二つの三角耳がピンと立ち、上着とズボンの間から、長い尻尾がにょろりと顔をのぞかせていた。


「今のは危なかったー! ぎりぎり【猫変化ねこへんげ】が間にあったよ」


 そんなニャウのところへ、四匹の子猫がはずむような足取りでやってくる。

 それぞれがニャウの足に体を擦りよせ、可愛い鳴き声で主の無事を喜んでいるようだ。

 もしかすると、自分たちと似た姿になった彼女を仲間として歓迎しているのかもしれない。


 周囲を素早く見まわしたニャウは、虎魔獣たちがすでに戦闘意欲を失っているのを見てとった。

 そして、子猫たちに向けて次の作戦を伝えた。


「あの地竜さんも、アイツに操られてるみたい。みんな、助けてあげられないかやってみて!」


 ミャンが地竜の正面から、ミイとニイがそれぞれ左右から、ナウが背後からギザギザを描くように接近していく。

 子猫たちがそうしている間も、ニャウは体の奥から湧きあがる攻撃的な気持ちを抑えるのに必死だった。

 猫の体となった今、自分の牙と爪を、怪人の喉に突きたてたいという衝動が魂の奥底から噴きだしているのだ。


「ちいっ! うっとうしい猫め! まさかあんな軽業が使えるとはな! もしや『伝承の書』に書きもらしがあったか。

 ええい、なんでもよい! 地竜よ、そやつらを炎でなぎ払ってしまえ!」


 ほんの小さな子猫たちの存在がよほどいらだたしいのだろう。怪人が地竜に強い口調で命じた。

 地竜が歩みを止め、踏んばるような姿勢を見せると、巨大な頭をぐっと後ろへ引いた。 

 そして頭を勢いよく前へ突きだすと、大きな口がガバリと開き、その奥に炎の揺らめきが見えた。

  

「危ない! ミャン、逃げて!」


 ニャウの叫びも虚しく、地竜が吐きだした紅蓮の炎で、子猫がいた辺り一面が火の海となった。


「ミャン……」


 悲痛な声を絞りだしたニャウだが、いつの間にか地竜の横をニイと並んで駆けている白猫ミャンを目にして、安心のため息をつく。

 ところが、地竜はといえば連続して炎が吐けるのか、ミャンたちの方へ体の向きを変えると、再び頭を後ろへ引いた。

 その動作に入ることで、地竜の動きが一瞬だけ停まった。

 わずかな隙をつき、黒猫ナウが尻尾から駆けあがると、怪人の横をすり抜け、地竜の額に前足を着いた。

 わずかな時間、動きを止めたことで二度目のブレスはキャンセルされたようだが、怪人がなにか呪文を唱えると、地竜は再びミャンを追いかけるようなそぶりを見せた。


(このままじゃダメ。アイツが背中に乗っかってるから、せっかく地竜さんの呪縛を解いてあげても無駄になっちゃう)


 ニャウは、怪人の方をにらみつけながら、そんなことを考えていた。


(このままじゃ、地竜さんだけでなく子猫ちゃんたちが危ない……)


 今しも、地竜が右の前足をミャンの上に振りおろそうとしていた。

 たとえ、避けられたとしても、子猫の小さな体は踏みつけの衝撃波に耐えられないだろう。

 彼女は、ここまで使わずにとっておいた奥の手を出すと決めた。


「【がったい】!」


 地竜の周囲にいた子猫たちが、一斉にぴかりと光ると、一瞬でミャウのところに集まり、それぞれが前足を突きだし、四つの小さなニクキュウをぷにりと合わせた。


 ぼん


 白い煙が四匹の猫を包みこむ。

 その煙めがけ、容赦なく踏みおろされた地竜の前足が、大きく横にはじかれた。

 地竜がバランスを崩し、右肩から草原に倒れかける。

 煙の中から現れたのは、地竜に劣らないほど大きな一匹の三毛猫だった。

 三毛猫ミイのスキルである【がったい】が子猫たちを死から救ったのだ。


「ぐわっ! な、なんで猫があんなに大きく!? そんな馬鹿な! な、な、なんなんですか!?」


 傾いた地竜の背にかろうじてしがみついた怪人が、そんなことをわめいているが、ニャウはそれを無視して、とどめともいえる一言を口にした。


「【あらぶる】!」


 これは尻尾が短いずんぐり白猫ニイが持つスキルだ。

 やはり持続時間は短いが、子猫の力を大きく押しあげることができる。

 そして、このスキルが発動中は……


「ぶへっ!」


 巨大化した三毛猫がお尻をふりふり揺らすと、勢いよく右の前足を振る。人の頭ほどもある、巨大な肉球が地竜の背に乗る怪人をおはじきのように弾きとばした。

 そう、【あらぶる】発動中は、子猫がとても攻撃的になるのだ。


「あ~れ~……!」


 ちょっと間の抜けた悲鳴ととともに、怪人の体が矢のように飛んでいく。

 草地に落ち、跳ねた体が海沿いの砂州まで転がっていくと、砂ぼこりを上げやっと停まった。

 砂地が衝撃をやわらげてくれたのは、怪人にとって不幸中の幸いだっただろう。

 

「ぐあああ、おのれおのれおのれえええ! 憎っくき猫めがあああ!」


 よろめきながらも、砂まみれになり立ちあがった怪人は、左腕が変な方向へぶらりと折れ曲がり、極彩色の顔も血にまみれていた。

  

 怪人に痛打を与えたとはいえ、ニャウの方も余裕があるとはいえなかった。 

 先ほど使った【がったい】と【あらぶる】は、どちらのスキルも彼女の体力を著しく消耗させる。

 そのため、少女はまともに動ける状態ではなかった。すでに猫の姿も解け、草地にぺたんと座りこみ、肩で息をしている。


「ニャウ! あなた、大丈夫?!」


 駆けつけたタウネは、半島の森でスキル練習につき合ったことから、【がったい】と【あらぶる】を使えば、ひどく体力を消耗すると知っていた。


「う、うん、なんとか――」


 ニャウがそう口にしたとき、砂州で立ちあがった怪人が、一瞬の隙をついて無事な方の腕を持ちあげる。そして、その手の上に創りだした漆黒の玉を撃ちだした。

 呪文も唱えないその技は、五十歩以上ある距離を一気に飛びこえ、ニャウの胸へと吸い込まれる。

 少女は声さえ上げず、草の上に崩れおちた。


「ふぁはははは! 私はついにやった! 天敵【猫】を仕留めたぞ!」


 怪人の甲高く耳障りな笑いが潮騒をかき消し、辺りに響きわたる。


「ああっ、ニャウ!」


 悲鳴を上げながら友人の元へ駆けつけたタウネは、草の上に力なく横たわるその姿を目の当たりにして絶望にとらわれた。


「ど、どうしてこんな!?」


 非情な現実が受けいれられず、タウネは拳を地面に叩きつける。

 しかし、彼女は、もっと周囲を警戒すべきだった。

 砂州から戻ってきた怪人が、ふらつきながらもタウネのすぐ後ろに立っていた。


「さて、念のためとどめを刺しておきますか」


 怪人はそう言うと、無事な方の右手で再び黒い玉を創りだした。

 そんな「彼」はタウネなど眼中にないようで、すぐ目の前に座る彼女を無視して、横たわるニャウの頭めがけて黒い玉を撃ちだした。

 タウネはニャウを守ろうと身を投げだしたが、至近距離で発射された魔術に間にあうはずもない。

 主人の危機を感じとったのだろう、再び四匹に戻った子猫たちも駆けつけたが、わずかに及ばない。

 黒い玉は、意識のないニャウの側頭部に襲いかかった。



 



 

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