泡沫の真実
一瞬、部屋が空白に包まれた。
サラの言葉は、今までにない衝撃をシオンにもたらした。言葉の意味が脳に浸透するのに数分かかり、ようやくその意味が腑に落ちても、まだそれを受け入れることを脳がどこかで拒んでいた。それほどまでに、サラの提案は突拍子もないものだった。
シオンは呆気に取られてサラの顔を見つめていた。だが、サラが自分にさせようとしていることの真意に気づくと、胸を満たしていた悲しみや寂しさは消え、代わりに煮え立つような怒りが内側から沸き上がってくる。
「あなた……何を言ってるの!?」シオンがサラに詰め寄った。「私自身を刺すって……。あなたは私に、自分を殺せって言うの!?」
普段のシオンなら、こんな風に誰かに向かって声を荒げることは考えられなかった。だが、この時ばかりはさすがに怒りを抑えることができなかった。興奮気味に肩を上下させ、はぁはぁと息をつく。
「話は最後まで聞きなよ」サラが動じた様子もなく言った。「そりゃあ、普通で考えればアンタは死ぬよ。けどアンタ、アタシが誰の遣いで来たか、忘れてない?」
シオンははっとして目を見開いた。そうだ、サラはあの魔女の弟子なのだ。となれば、そのナイフにはまだ、別の魔法がかけられているということか。
「じゃあ、そのナイフで自分を刺しても、私は死なないってこと?」
「条件が合えばね」
サラはそれだけ言うと、勢いをつけて机から飛び降りた。シオンの方へすたすたと歩いてくると、ナイフを眼前に突きつけて言う。
「このナイフのもう一つの力……。それは蘇生の魔法。このナイフで自分を刺せば、アンタは確かに一回死ぬけど、上手くいけば生き返れる可能性もある。そのために必要なのはね、愛する者への純粋な想い」
「純粋な……想い?」
シオンは眉を顰めて繰り返した。つんけんとしたサラにはまるで似合わない言葉だ。
「そう、アンタの場合、麗二への想いってことになるのかな」サラは頷いた。「アンタが今でも変わらずに麗二を愛しているのなら、アンタは死んでも生き返ることができる。でもその想いの中に、恨みとか悲しみとか、少しでも他の感情が混じっていれば、アンタはそのまま……」
それ以上言うことはさすがに憚られたのか、サラはそこで口を噤んだ。
シオンは当惑してサラの顔を見つめた。サラの話にはあまりにも現実味がなさすぎて、とても信じられそうになかった。いくら魔法の力とは言え、死んだ者が生き返るなど、本当にそんな奇跡のようなことが起こるのだろうか。
その時、シオンはあることを思い出してはっと息を呑んだ。再び手渡されたナイフ、蘇生の魔法。自分が今置かれているこの状況は、母も辿ってきたものであるはずだった。
だが、母は消えてしまった。それはつまり――。
「ねぇ……サラ」
シオンがそっと呟いた。サラがちらりと自分の方を見やる。シオンはすぐには言葉を続けられなかった。ひとたびその言葉を口にした瞬間、何かが終わってしまうような気がした。
「あなた……お母さんにもこのナイフを渡したの?」
シオンがようやく尋ねた。先ほどまでと同じようにサラが傲然と顎を上げ、「そんなわけないじゃん」と軽くあしらってくれることを期待して。
だが、サラはさっとシオンから顔を背けると、そのまま気まずそうに視線を落とした。その表情を見て、シオンは自分の予感が間違いではないことを確信した。
「ねぇ……嘘でしょう?」
シオンは取り縋るようにサラの方に手を伸ばした。サラはシオンと目を合わせないまま、黙って一歩後ずさる。
シオンは笑っていた。だけどそれは、いっそ痛々しいほどの笑みだった。胸が張り裂けそうなほどの悲しみを抱えていながらも、その感情を否定するかのように懸命に笑みを浮かべている。そうすることによって、悲しみをもたらしたでき事さえも無に帰せると信じているかのように。
シオンは祈るような思いでサラを見つめた。お願い、どうか嘘だと言って。これが悪い夢だったと教えて。母が人間になったことも、自分がその後を追ったことも。全ては自分が見ていた悪夢に過ぎず、目が覚めたら、何事もなかったかのように母が傍にいてくれたら――。
だが、シオンのそんな儚い願いは、サラの一言で打ち砕かれることになった。
「……そうだよ」
その瞬間、突然海底に放り出されたように、シオンの耳に全ての音が消こえなくなった。
「判決の日の朝、リンナはこのナイフを使って自分を刺した。美波子への愛情を糧としてね……。
だけど、リンナは生き返らなかった。泡となって、そのまま消えてしまったんだよ」
音のない暗黒の海。その深淵の闇の中で、淡々としたサラの声だけが、まるで壊れた機械の音のように、いつまでも耳の中で
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