Theophrastus von Hohenheim & Veninum Lupinum

澤田啓

第1話 毒殺の美学

 アイが狂おしい程に全身を痙攣させ、今まさに絶命の瞬間ときを迎えようとしている。


 口の端から血液の混じった赫い泡のような唾液を垂らしながら、断末魔の苦痛に耐えているアイの姿を……猛毒を盛って彼女を弑そうとしているマイは、精神こころの深奥から湧き上がるような性的な昂まりエロティズモに囚われ……跳ね上がる心拍の拍動音が隣に佇むミイに聞こえやしないだろうかと、そのことだけを憂慮し顔を興奮で紅潮させていた。


 そしてもう一方の人物であるミイは、眼の前で喉を押さえて死の舞踊に勤しむアイのことも……自身の隣で恍惚とした表情をし、荒い息で豊満な胸を上下させている興奮状態のマイのことにも興味がない様子……磨き上げた鏡面が如くに凪いだ湖のように静かな瞳で、二人の人物をチラリとも見ようとしていない。


 アイに盛られた毒物は、ルネッサンス期のボルジア家に伝わる悪名高き『砒素と燐の混合物』カンタレッラであり……かのチェーザレ・ボルジア・イル・ヴァレンティーノも好んで愛用したと云う、気高き毒の盟主……あるいは貴人が用いる毒の貴婦人とも呼ぶべき、古式ゆかしくも速やかに且つ確実性を以て対象を死に至らしめる……恐るべき致死性の伝統的調理法リチェッタによって生成された毒素であった。


 アイは毒が混入された葡萄酒ヴィーノんだ直後、そのキリリとした大きな二重瞼から眼球を零さんとする程に大きく眼を見開いた。

 その後にアイの口も大きく開かれ、頸部を締め上げられて絞首刑に処された罪人の如く……顔色は赤黒く変化し、空気を求めて喘ぐような音を発した。

 ヒュウヒュウと喘鳴のような呼吸音を続けたアイは、赤黒さから上白紙のように脱色された如き肌色となり……棒切れかと思えるような姿勢で俯せにパタリと倒れた。

 そして冒頭の場面シェエナへと、展開し続いて行くのだ。


 ビクビクと激しく性的絶頂オルガズモを迎えた者のように、死の間際を肉体で表現するアイの姿を見て……マイもまた恍惚の眼差しで股間に手を這わせながら、ヘナヘナと膝からその場にくずおれた。

 それでもミイは、アイにもマイにも無関心インディファレンツァの姿勢を崩さず、その無機質な瞳で眼前の光景を眺めているだけであった。


 それから程なくしてアイは、その生命の輝きを失い糸の切れた操り人形の如くに事切れた。


 マイは……そしてミイですらその状況を茫然と、死へと至ったアイの狂態を静かに見つめていることしか出来なかった。



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 僕は……僕としてその生を終える前に、待ち望んでいた人格の統合を成し得た。


 女の肉体を持って産まれながら、男の魂を所持していた僕と云う人間は……父にとってどのような存在だったのだろう。


 母を喪くした父は、その代替品として僕を抱いた。


 魂は悲鳴を上げながら、父に凌辱され続け……何度も何度も真夜中の暗闇の中で父に犯され穢されてイった。


 肉体は歓喜の声を上げながら、父から快楽を与えられ続け……何度も何度も真夜中の暗闇の中で父に犯され穢されてイった。


 その背徳的な許されざる暮らしの中で、僕の精神こころは幾つもの僕に寸断され分断されてしまった。


 しかし僕はアイとしてマイに殺され、ミイに見守られながら死んでイった。


 僕は僕に殺され、僕に見守られながら死んでイったことによって……僕はようやく人格の統合を果たし終え、僕は全ての僕と僕の死を僕の物マインとして所有することが叶った。


 そして最終的にマインとして再びこの世に生まれ落ちた僕は、誕生の悦びを感じた直後に……この汚穢おわいに塗れた世界から解き放たれ、性差も僕も父も……誰一人として存在しない場所へと旅立ったのだ。




【Poison Suicide:完】




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 ※Theophrastusテオフラストゥス vonフォン Hohenheimホーエンハイムとは、スイス・アインジーデルン出身の医師、化学者、錬金術師、神秘思想家であり……通称のParacelsusパラケルススと云う呼び名が有名な人物であろう。

 ここより始まる短編(掌編)集は、直接パラケルススと関係があるわけではなく……当時の社会に毒の牙を剥いた如きに生きたパラケルススのように、私も筆先より滴る毒を以って世界に噛みついてやろうと考えているだけである。

 昏い知識と黒い諧謔性を駆使する予定の短編(掌編)集であればこそ、筆者が長編の創作に倦み疲れた時の的に存在するモノであるので……定期的な更新を期待することなきよう読者諸兄にはご理解を賜りたいと願う。


2021.4.1

   澤田啓 拝

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