才能

「——相川さん?」

「へァい」

「大丈夫ですか?なんか、すごい疲れてはるみたい」


 ナナコさんが、天地万物の——ええと、言葉がうまく出てこない——、ええと、すごく綺麗な顔で俺を覗き込んでいる。


「なんかあったんやったら、遠慮せんと言いや」

 マスターも、俺に提供する未知の物体を盛り付ける皿を選びながら、背中越しに声をかけてくる。

「そやで、相川くん。なんでも体が資本なんやさかい、あんた、夜更かしして倒れたらどうにもならへんで」

 奥さん。みんな、心配しているらしい。


 モカの件は皆さんに背中を押していただいたおかげでなんとか上手くいきました、と改めてお礼を述べている。その上でこの心配のされようだから、俺はよほど疲れた顔をしているのだろう。


 実際、ゆうべ寝ていない。毎日投稿宣言の動画に続けて出す予定のスマグラの動画の編集のためだ。カメラ側の動画とゲーム側の動画を貼り合わせたりするものだから、俺のパソコンでは動作が重く、ハードディスクがずっと悲鳴を上げて冬なら抱っこして安眠できそうなほどの熱を発していた。


 バイトに遅刻しそうなギリギリにようやく完成し、今日の夜八時に公開されるよう予約してあるが、気になる箇所があるのを帰宅後公開までにもう一度チェックするつもりで、そのことを考えていたから上の空だった。


 いや、実際、徹夜はキツい。あれだけ息を巻いていても、悲鳴を上げるのはハードディスクだけではなく、俺の体と脳も——こちらも相当にスペックが低い——同じであるらしい。


 今さら、あとには退けない。俺一人ならいざ知らず、モカを誘った責任がある。

「いきなり、しんどいしもう来れません、いうのは困るで。悩み事はなんでも相談しいや。相川くんは、頼りにしてんねや」

「いや、お父さん。そやから前のバイトの人はお父さんの料理の味見が」

「なんか言うたか、ナナコ」

「ううん、なんにも」

 アトム一家は、心底いい人たちだ。こんな俺のことを心から気にかけてくれている。


 説明しておいた方がいいか、とも思うが、ビューチューブの編集をしていて寝てません、というのは何となく言いにくい。

 とにかく噛まれたてのゾンビみたいな——よし、少し脳が起きてきているようだ——顔をした俺はできるだけ心配をかけないよう、バイト中は手を抜かず取り組むしかない。


「マスター。ハチミツはいいとして、タラコはちょっと——いや、タラコがアリでハチミツがいらないのか?」

 新作候補のサンドイッチについて真剣に講評を述べる。ハチミツの芳醇な香りにタラコの生臭さが絶妙に溶け出していて、吐きそうだ。どちらかならまだ成立するものを、どうしてこれを掛け合わせたのか。

「仮分数か、って味です」

 分母に対し分子の方が多い。この味のバランスの崩れようを、そう表現した。隣でナナコさんがピラフを——こちらは奥さん作で味は折り紙付きだ——吹き出しかけ、慌てて口に手をあてがう。


「相川さん、ほんま面白いわぁ」

「え、そうですか、ナナナナナコさん」

 モカにも同じことを言われるから、おそらく俺は超絶面白人間なんだろう。まあ、このルックスと体型の時点で面白人間なわけだが。

「そやな。相川くんが喋ってると、場が明るうなる」

 マスターが口直しに、と例の迷走アイスコーヒーを差し出してくる。

「あんた、人を笑わす才能あるわ。芸人さんみたいや」


 ずっと、俺に才能なんてないと思ってきた。子供の頃はみんなと同じく、それなりに得意があったが、高校、大学と成長するにつれ、俺の中の何かが平坦化され、つまらない人間になってしまった。そう思っていた。

「会社でも面白い人はいるけど、相川さんの面白さは、なんか気持ちいいです。なんかこう、ブラックジョークみたいやけど、人を楽しましたろ、いう気持ちがこもってて」

 俺の脊髄反射によって繰り出されるボケやツッコミについて、マスターの料理に対して俺がするように真面目に分析されるとなんだか恥ずかしい。


「相川さんは、知らんうちに、周りに幸せを届けてはるんかもしれませんね」

 ナナコさんこそ、そこに存在するだけで半径五キロの人間が多幸感に浸される新種の兵器だ。もし世界中の軍隊がナナコさんを量産してあちこちに撃ち込みまくれば、一日で世界から争いは無くなるだろう。

 と今さら覚醒を見せる俺の脳は忙しく回転するが、顔はへらへらとキモい笑顔を浮かべるのみだ。


「ほんまに。ナナコも、相川くんと喋ってたら、幸せそうやんか」

 浮ついた声を立てる奥さんを、おい、とステイサムが制する。

 これはひょっとすると、と俺はソワソワする。これまでの彼女いない歴は、今日のこの日に俺を保存するための冷凍睡眠だったのかと思うと、急に頬のあたりが熱くなり始めた。


「あ、なんや相川くん。あんた、真っ赤っかやんか」

「いいいや、奥さん、そんな、俺なんて——」

 マスターが手にしていたトレイを取り落とす。

「もう、やめてよ、みんなして。相川さんが困ってはるやんか」

 という慈愛の女神の一声により、その場は笑いになって収拾がついた。



 人を、笑わせる才能。

 名簿が一番最初だったことくらいしか、取り柄のない俺。何をどう掛け算しても、ゼロの俺。そんな俺にも、ひとつ、神は才能を与えたのだろうか。

 天才とは、努力する凡人のことだ。そう昔の偉い人は言ったという。ならば、この才能を磨き、ハルタモカを伸ばすことに使わなければ。


 早く帰って編集がしたい。毎日投稿宣言の動画のリアクションは、どうだろうか。これほど疲れていても、やはり、そう思う。

 まずは、俺の強力な後援者であるアトム一家に、バイトの働きで応えなくては。

「店内の掃除、行ってきます」

 甘生臭サンドイッチの残りを頬張り、その味が鼻を襲う前にコーヒーで流し込み、客席へ向かう。


 入り口のガラス戸の向こうのアスファルトは刺すような陽で焼かれており、それを蝉が喜んでいる。

 もう、すっかり夏だ。

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