山道の夜


 内宮は静かだった。

 参拝者は一様に神妙な顔をして、境内の砂利道を歩いている。

 三島和年は、悠然と佇む伊勢杉の幹に触れた。

 いったいどれ程の年月を生きてきたのだろう?

 天を貫くような杉の木の雄大さが、歩き通しで疲れた和年の身体に活力を与える。

 日本一周を目指して十日が経過していた。

 初日はバックの重さに苦戦して、三十キロも歩けなかった。先行きに不安を感じたが、最近は一日五十キロ以上を歩き通せるようになった。

 和年は石段でバックをずらす。肩が痛かったのだ。

 今朝は三重県の歩道を二十キロほど歩いた。鋭い痛みが出始める距離だ。バックの重さと地面の硬さが足と肩に与える痛みは、予想以上にキツい。そこからの一歩一歩には苦痛を伴った。

 だが和年は、いつもより力が漲っていた。お伊勢参りは和年の目標の一つだったのだ。晴れ晴れとした気分で荘厳な鳥居に一礼する。

 伊勢神宮から、海辺の南伊勢に続く道があった。県道十二号線はおよそ二十三キロの山道だ。

 駐車場に出た和年は空を見上げた。既に太陽は西に傾いている。時刻は十四時を回っていた。

 南伊勢町に着く頃には夜だろうな。

 和年は水分を取ると、バックを背負い直した。

 山道は比較的緩やかだった。土の地面はあまり整備されていない。お伊勢さんに力を貰った和年は漲る活力でグングン前に進んだ。

 細い山道の脇にはチラホラと民家があった。過疎化が進んでいるようで、廃屋も多い。

 下を向いて歩いていると、前から小型トラックが走ってくる。和年が端に避けると、作業着のおじさんがサイドミラーから顔を出した。

「兄ちゃん、まさか今から山越えか?」

 おじさんは蜜柑を和年に手渡した。

「はい、夜になっちゃいそうです」

「なるなぁ……。ま、気いつけろよ、穴倉から急にイノシシが飛び出してきよる」

 和年はゾッとした。

 既に西日は紅く染まりかけており、徐々にあたりは暗くなっていった。

 キャップライトの電源をつけた和年は、その薄灯りに心細さを感じる。まだ南伊勢町まで十キロ以上離れていた。

 いよいよ、夜の闇が訪れた。両脇の木々が視界から消える。

 和年は懐中電灯を取り出した。暗闇の中で、木々の騒めきが嫌に耳に付く。

 ……イノシシが飛び出してきよる。

 和年は警戒した。夜行性の獣たちが動き出す時間だったからだ。

 イノシシも怖かったが、何よりも熊が怖い。爆竹を持ってくれば良かったと、和年は後悔した。

 一分が長く感じた。何度も時計を確認しては、自分がそれほど進んでいない事に焦りを感じる。

 ガサ……。

 何かが山道の脇で動いた。和年は慌てて灯りを向ける。折れ曲がった木々が不気味に照らされた。生き物の姿は無い。

 ガサガサ……。

 やはり何かがいる様だった。小動物だろうと、和年は無視した。

 バシャバシャバシャ!

 巨大な獣が、小川に飛び込むような音だった。和年は驚いて身を屈める。

 何かが付いて来てる……?

 腹の底から湧き上がる恐怖に和年は青ざめた。慌ててアイポットの音楽を流す。足の痛みも忘れて、山道を大股で歩いた。

 後から気づいた事だが、それは水鳥が一斉に飛び上がる音だった。その時の和年は、巨大な獣が自分を追いかけてくるという恐怖で、冷静に物事を考えられなかった。

 必死に歩き続ける。

 暗闇の中、既に数時間が経った。

 懐中電灯の灯りがゆっくりと消えていく。だが和年には、立ち止まって電池を変える余裕が無かった。立ち止まれば何かに襲われるような気がしたのだ。

 懐中電灯の灯りが完全に消えた。

 キャップライトの薄灯りは和年の足元を照らしてはくれない。何度も転けそうになりながら、必死に前に進んだ。

 しばらく歩くと、畑を囲う柵が見えた。遠目に民家の明かりが見える。

 和年はほっと息を吐く。そして、明かりに向かって駆け出した。

 

 

 

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理想の浜辺 忍野木しか @yura526

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