第9話。カナヅチと太陽
「君は屋内プールというものを知っているかい?」
会長は表向きに折りたたまれた一枚のチラシを胸元から取り出してはおもむろに問いかけてくる。
「知らないって言ったら行かなくて済むのか?」
「おおー、流石に勘が良いね。実はグループデートというものに行かなくてはならなくなってしまってね」
「今のところ俺が関与する余地がなさそうで安心してるんだが」
「今度の日曜日、予定は空いているかい?」
「いや?」
確認するまでもなく休日は基本的にバイトが入っているので嘘ではない。
「そっか……そうだよね……」
会長はあからさまに落胆している。何なら今すぐにでも海を見に行きたいと言い出しかねないぐらいの落ち込みっぷりだ。
「何だ。何なら――」
「そうかい? 君ならそう言ってくれると思っていたよっ」
途端に息を吹き返す会長。別に何とかなるとは言っていないが、会長の中ではもうこちらが行くことは決定しているかのようなはしゃぎっぷりだ。
「時間と屋内プールの場所はこのチラシにかいてあるからっ」
会長は言いながらこちらの胸元へと折りたたまれたチラシをそのまま突っ込んでくる。携帯が既に入っているため僅かに嵩張るが、一緒にしておけば忘れないと、そういったところだろう。
「水着がないんだが」
「買いに行こうっ」
「ところで何するんだ」
「監視っ」
会長はニコリと笑って見せては変わらない明るさで告げてくる。
「悪い。聞き間違えたかもしれない」
「監視だよ」
「……何だ……それは……」
久々に味わう寝ていたら膝の上に人が座っていた時以来のような衝撃。あの時は見なかったことにしようとしたが、今回はあの時以上に聞かなかったことにしたい。
「お願いだ。詳しい事情は聴かずに当日遠くからでも構わない。私のことを見守ってほしい」
そんなこちらの心情を見透かすように、会長のすべてが急転直下。真面目なものへと一瞬で移り変わる。むしろ先ほどまでが異常な明るさだったのもあり、その真摯さもそうだが、余計に今の会長が併せ持つ不安定さというものが際立って見えてくる。
「……まぁ……なんだ……」
会長の目に浮かぶ色濃い不安。一言で解消するのは簡単だが、実際当日に都合がつくのかと言われたらそれは今の時点では分からない。
会長は揺れている。珍しく揺れている。いや、初めて見るぐらいにその真っすぐな眼差しといい、過剰なくらいの自信が揺れているのは一体どうしてだろうか。
会長は事情を聞くなと言ったがそこに何かしらの原因があるのかもしれない。
「分かった」
気が付くとその頭に手を伸ばしていた。まるで子供をあやすように――。危うく触れそうになっては、寸でのところで伸ばした手を自身の後頭部へと回す。これ以上悪さをしないようにと、がっちりもう片方の手と組み合わせては重し代わりに頭をのせる。
「君……」
「気にするな」
会長の感情の入り混じった視線から逃げるように目を閉じてはただそれだけを伝える。
「うん……」
暗闇の中に響いた会長の声色は心なしか震えているようにも聞こえた。きっと気のせいだろう。
「プールねぇ……」
沈黙を避けるように声を上げてはなんとなくいつぶりだろうかと考える。
「市民プールには何度か行ったことがあるんだけどな。屋内プールってなると単純に冷暖房完備ってことなのか? 上着とか持っていったほうがいいのか?」
思考を言葉に、言葉を音に変えてはそれ以外何も聞くつもりはないと柄にもなく自身の中に存在する言葉をありったけ吐き出していく。
「水泳帽はいらないよな? 貴重品とかの類は銭湯みたいに考えとけばいいのか? 軍資金はどうする? 飲食スペースはあるとしてお祭り価格だと考えると今から食欲が失せるな。前日かその日の朝にたらふく食べておけば一日ぐらい食べなくても問題ないだろうがそもそも飲食物の持ち込みが可能なら――」
「君」
「弁当という線もなくはないが、一人でプール行って一人で弁当食うって、一人カラオケとか一人焼肉とかよりハードル高くないか? 全然余裕で――」
「君」
「越えれる高さだとしても越えていいハードルとハドル! ハドルって円陣だったよな? 確か」
「君の言うハドルがアメリカンフットボールでいうハドルならそうかもね」
「何だ。えらい自信なさげだな。ハドルでも組むか?」
「君とならいつだって」
「二人で組むならハドルよりサボテンのほうが楽しいぞ。やるか?」
「君が望むなら今すぐにでも」
「サボテンは嫌いなんだ。一度当日になって一人でやることになってな」
「君はサボテンより椅子のほうが似合っているよ」
「ばらせる椅子にしとけ? 引っ越しの時に困る」
「君は大きいからね。うんと広い扉を用意しておかないと……」
会長はそこで言葉に詰まる。
「ふふっ。何言ってるんだか。本当に君は変態、あ、変人なんだから」
会長は穏やかに笑う。
「ハハッ」
こちらも合わせてわざとらしくも大げさに笑ってみせる。
「それは埋め合わせとしての希望先かな?」
会長はこちらの胸元で震え始めた携帯をこちらの代わりに止めては静かに食後の挨拶を済ませる。
「変態、あ、変人はお互い様だろ?」
「ふふっ。変人、あ、変態は君だけだけどね」
「おい」
膝の上から消えた重さに目を開けてはこちらも続くようにベンチから立ち上がる。
「君は……」
「何だ?」
横並びの状態で肩を突き合わせては顔を見合わせる。
「ううん。何でもない」
会長は少しだけ微笑んでは視線を正面へと逸らす。
「そうかい?」
「さぁね」
二人して苦笑を浮かべては鳴り始めたチャイムを前にどちらからともなくゆっくりと歩き出す。
「ハンカチでも貸すか?」
「うるさい」
会長の肘鉄が二の腕を打つ。
「いたああああ」
腕を押さえては会長を背に走り出す。
「ふふっ」
会長の快足にすぐに追いつかれては、ばかと。器用にも耳元に言い残されてはゆっくりと走るのをやめてその後ろ姿を見送った。
「……一人でプール……」
あまり冷静になって考えるものではないなと遅れて教室へと向けて駆けだした。
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