一つの終わりは新しい始まりへと

鳩藍@2023/12/28デビュー作発売

一つの終わりは新しい始まりへと



 深夜、誰もいない学校の屋上のフェンスを乗り越える。靴を脱いで、遺書を入力したスマホを隣に置く。


 天気のいい日を選んでよかった。星が綺麗だ。


 最期に美しいものを見て居たかったから、ボクは回れ右をして。

 そのままゆっくりと、背中を後ろに傾けた。


 足裏が建物のふちを離れ、星が一気に遠くなる。伸ばした手は何も掴めない。

 微かに開いた唇から零れた、言葉にならない嘆息を最期に。


 ――また一つ、この世界から命が消えた。



 ◆



『優くん、ゆうくん、ゆ゛う゛ぐん゛……うあぁああ』


 朝早く恋人の沙織から泣きながら電話がかかって来て、俺は慌てて家を飛び出した。

 スマホ越しに宥めながらどうにか居場所を聞き出して、いつものゲーセンではなく、沙織の学校に近い公園で落ち合う。


「どうしたんだ? 今、まだ学校やってる時間だよな?」


 俺の顔を見てまたひとしきり泣いた沙織は、しゃくりあげながらたどたどしく答える。


「……隣のクラスの男の子が、飛び降りたの」


 思わず、息を呑んだ。あまりにも身近で起こった惨事に言葉が出ない。


「優くんは、ゆうくんは、死なないよね? いなくなったり、しないよね?」


 ボロボロと大粒の涙を流す沙織を、俺は堪らず抱きしめた。ブレザー越しに伝わる彼女の体温が胸を締め付ける。


「いるよ。ずっといる。絶対に離さないから」


 サア、と吹いた冷たい風が足元の落ち葉を巻き上げて、濡れた頬に伝った雫を音もなく乾かしていった。



 ◆



『嫌だ、お義父さん、やめて、やめて下さい! 母さん助けて、母さん! いやだ、やだ、やだあああぁあ……』


 警察署の会議室。スマホから再生される音声に、俺は盛大に顔を顰めた。周りで聞いている同僚たちも、めいめいに不快感を露わにしている。


 今日の朝、市内の中学校で、その学校に通う男子生徒の死体が見つかった。死因は転落死。屋上に並べられた靴の横には、男子生徒のスマートフォン。


 メモ帳に入力された遺書には、母親の再婚相手から性的虐待を受けていた事実と、証拠となる音声を録音してある旨が書かれていた。


 以前に義理の弟に監禁され、暴行を振るわれる一歩手前まで行った身としてゾッとしない。

 俺の場合は刑事と言う職業柄、暴力に耐性があって、かつ義弟にも説得の余地があったからどうにかなっただけだ。


 録音を聞く限り、母親は黙認。誰にも相談できず、孤立して追い詰められた末の選択が、命と引き換えにした義父の破滅。


 やりきれない思いを溜息に変えて窓の外に目を向ける。すっかり葉を落とした街路樹の枝の間を、ヒュウヒュウと風が通り抜けていった。



 ◆



「どうしたんだい、木村くん。今日は随分と上の空だ」

「辛気臭い顔ね、この間の企画展すごい評判だったって言うのに!」


 市の重要文化財である黒山邸の一室を改造した事務所のソファで、市職員の木村はぼんやりとマグカップの中の冷めたコーヒーを眺めていた。片眼鏡モノクルを掛けた中年男性のクロと、花柄のドレスを纏った少女マイセンが彼の顔を覗き込む。


「……先週、中学校の社会見学あったじゃないですか」

「ああ、あなたの展示で大はしゃぎしてた子どもたち。それがどうしたのよ?」

「その時に来てた子の一人が、自殺したらしいんですよね」


 昼休みにスマホのニュースで知った訃報に、木村は少なからずショックを受けていた。


 直接、顔を合わせて話したわけではない。それでも、ほんの少しでも自分と接点が合った人間が、若くして自ら命を絶ってしまった事に戸惑いを隠せない。


「知り合いって訳でもないのに、動揺してて……自分でも、どういう感情かよくわからないんですよ」

「無理もないよ。変わらないと思っていた日常に、不可逆の変化が起こってしまったんだから」


 黒山邸の付喪神であるクロが、木村の頭をそっと撫でるような仕草をする。


「君は、この場所を何より愛してくれている。ここに来る人に、この場所の良さを伝えようと頑張ってくれている。

 今はもういない、私たちを愛してくれた人たちの想いを残そうとしてくれている。

 だから、その子の事を気にしてしまうんだよ。いなくなってしまった人の想いを、大事に出来る君だから」


 クロの言葉に力の抜けた笑みを見せる木村の隣で、マイセンがポツリと言った。


「……あなたがいつかいなくなっても、私はずっと想ってあげるわ。ずっとね」


 黄昏を迎えた色とりどりの空に、細い月が白く浮かび上がっていた。



 ◆



 夕方、寺の境内で鳩に餌をやっていたら、父が暗い顔でこちらにやって来た。


「どしたの」

「明日の仏さま、中学生だってさ。しかも、自殺」


 父は袋から餌を一掴みとって、地面に放る。鳩たちが新しい餌に羽ばたきながら群がる様を二人で眺めた。


「若い身空で儚くなってしまった方の供養は、やっぱり堪えるよ」


 俺は何も言わずに、餌をつつく鳩たちを見る。父は答えが欲しいわけではない。言葉にして思いを吐き出したいだけだ。


 言葉には、魂が宿る。魂の籠った言葉なら、魂だけになった死者にも届く。


「無念だったろうなあ、悲しかったろうなあ……本当は死ぬ事なんて、選びたくなかったろうなあ」


 私心なく死者を送るために、父はこうして言葉に出して自分の気持ちを整理する。俺に向かって語り掛けている訳ではないけれど、聞き手がいなければ意味がないのだ。


 受け取る相手が居なければ、言葉は、想いは、胸の内でくすぶり続けてしまう。そのくすぶりが不満となって、怒りや悲しみを生み、人の心を曇らせる。


「なあ彼方」

「なに、父さん」

「辛い事があっても、一人で抱え込むなよ」


 餌を食べ終わった数羽の鳩が、一斉に飛び立った。

 父に他意はない。俺が自ら死を選ぶことのない様にと思った事をそのまま言っただけだ。


「ありがとう、父さん」


 父が去ったあと、最後の一羽が飛び立っていく。


 逢魔が時を迎えた空に、白い羽根を悠然と広げ、人が至れぬ彼方を飛ぶさまを、俺は地上から見上げる事しか出来なかった。



 ◆



「ねえねえ、何であなた飛び降りたの? 人間は羽がないから飛べないんだよ?」

「……天使?」

「そうだよ!」


 学校の屋上から飛び降りた筈のボクは、白い羽根を生やした少女に抱きかかえられていた。


天使わたしたちはねえ、『この世界』で死んだ魂を『わたしたちの世界』に連れて行くのがお仕事なの!」

「ボクは、天使になるのかい?」

「ううん、『わたしたちの世界』でもう一回人間になるよ!」


 天使の言葉を聞いたボクの胸中は複雑だった。


 ――人間になったら、また、に遭うんじゃないだろうか。

 ――でも。


「……ボクは、君の世界で幸せになれるかな?」

「君がそうなりたいなら、きっと」


 天使の笑顔に後押しされるように、ボクは言った。


「君の世界へ連れて行って」


 こうしてボクは、天使に連れられて第二の生を歩む事になった。



 ◆



 ボクが転生した世界は、ハッキリ言って荒廃していた。


 五百年前に邪竜が復活し、文明が一度滅んだらしい。復活した邪竜はボクが元居た世界から転生してきた勇者によって討伐されたが、その時の戦いでもまた多くの犠牲を出し、未だ人々の暮らしはままならなかった。


 ボクは冒険者の父と学者の母の間に生まれ、暴力を振るわれるような事もなく穏やかな日々を送った。父の冒険譚を聞き、母が集めた蔵書に触れる内、ボクには一つの夢が出来た。


 五百年前に失われた伝説、『ヴィブリオ国立魔本図書館』の発見だ。


 意志を持った『魔本』のみを収蔵した、当時の最大の図書館では、古今東西あらゆる知識を得ることが出来ると伝えられている。


 もしこの図書館を見つけられたら、或いは魔本だけでも見つけられたら。この荒廃した世界を豊かにできるかもしれない。

 『図書館』の探索は、国家事業としてこれまで何度も行われており、参加者を広く募集していた。


 ボクは母の元で考古学を学ぶ傍ら冒険者として経験を積み、二十一歳の時に図書館の探索メンバーに抜擢された。



 ◆



 道中で遭遇する魔物を倒しながら、他のメンバーと協力して、地下通路を掘り進めていた時だった。

 突然足元が崩れ、ボクだけが地下深くへと落ちてしまったのだ。


 服はボロボロ、すり傷だらけになって彷徨った先に見つけた光景を、ボクは生涯忘れないだろう。


 年月の経過を感じさせる荘厳な石造りの建物。両開きの扉の横には、古代の文字で『ヴィブリオ国立魔本図書館』と書かれている。


 興奮を抑えながら、扉を開ける。広々としたエントランスには塵一つ積もっていない。何らかの術式だろうか。あるいは――……


「……ね、ねえあなた、大丈夫?」


 周囲の観察に夢中になっていたボクに声を掛けたのは、少し怯えた顔をした一人の女性。


 彼女は何者なのか、どうしてここに居るのか。色々と聞きたい事はあったが、判断力の鈍ったボクの口から真っ先に飛び出したのは、生まれ変わってから追い求めて来た夢の答え。


「す、すみません! ここは『ヴィブリオ国立魔本図書館』で合っていますか!?」

「は、はい! あの、館内ではお静かに……」


 彼女の返事を聞いた瞬間、ボクは両手を上げて歓喜の声をあげ、そのまま意識を失った。



 ◆



 こうしてボクが持ち帰った情報から、魔本図書館の実在が証明され、多くの魔本が陽の下で脚光を浴びる事となった。

 魔本たちの知識によって暮らしは瞬く間に改善され、今では誰もが幸せに笑って暮らしている。


「あなた、ご飯出来たわよ。ツノウサギのシチュー、暖かい内に食べましょう?」


 大きなお腹を抱えて家から出て来たヴィオラが、裏庭で星を眺めていたボクを呼ぶ。


 もう少し美しい星空を見て居たかったが、ボクは回れ右をして彼女の元に向かう。

 伸ばした手で彼女の肩を抱き、微かに開いた唇に自分の唇をそっと合わせた。




 ――そしてまた一つ、この世界に新たな命が生まれる。



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