タヌさんカミさん

狼二世

さて、どこから話をはじめよう

 あー、どこから話始めた方がいいかな。

 うん、そうだね。アタシとタヌさんの時間が決定的にズレはじめた時からがいいかな。

 忘れもしないよ。うん。確かあれは――


◆◆◆


「うむ、ここは大陸の中央にある錬金術を学ぶアカデミー、そして君はそこに通う錬金術師の卵である! 間違いないね、タヌさん!」


 フラスコや試験管。色とりどりの薬剤が並ぶ研究室。

 そこに響くのはアタシのやかましい声。聞くのは穏やかな顔をした女の子。 


「そうだよー、あってるよカミさーん」


 まん丸眼鏡の奥のまん丸な瞳。しっとりとした栗毛の少女の落ち着いた声。


 アタシはカミさんなんて呼ばれてる。『そのボサボサ髪がオオカミみたいだから』なんてタヌさんに言われたから。

 タヌさんがなんでタヌさんかって言うと、アタシが見た瞬間、タヌキだって思ったから。

 気が付いたら一緒に居て、なんとなく気があってた。


「ぎゃははは、そりゃそうだよねー。アタシたち同じ研究室の仲間だもんねー」

「あはー、そうだね。いくら寝起きだからってそれくらいわかるよー」


 タヌさんのホワホワした笑い声と、アタシのギャハギャハと騒がしい笑い声が混じる。

 見守るのは大量の実験器具。始まるのは研究の続き。

 あの頃、アタシたちは二人だけの実験室で薬物の調合にハマっていた。

 金属を作ったり、道具に魔力をエンチャントしたりと錬金術にはいろんなことが出来るけど、タヌさんはとりわけ薬剤の調合には拘ってたよね。


「カミさんはその翡翠色の本の続き?」


 そうそう。ちょうど脇に抱えてるこの分厚い本。翡翠色の表紙が綺麗だよ。

 なんか図書館の奥で見つけたんだけど、解読するのに手間取ってるんだよね。ま、それもあの日には終わってたけど。


「それじゃあ、成果が楽しみだねー」

「ぎゃはは、楽しみにしててね」


 さて、それじゃあボチボチ始めようか。

 解読は完了済み。材料は手配済み。材料は面倒で、今もう一度揃えろと言ってもすぐには無理かな。

 しっかしまあ、こんな簡単な条件で満たせるのかな。――『不老不死』なんて。

 なんてタカをくくってたのが間違いだった。


◆◆◆


 薬が出来上がっても結果は半信半疑だった。

 飲んでみても、不味いくらいしか感想はなかったからねー。


 異常に気が付いたのは、十年くらい過ぎた頃だったかなー。

 なんか、分かるんだよね。肌の張りとか髪の艶とか。

 アタシはあの日のままオオカミみたいな髪を一本にしばってたけど、タヌさんが髪を切ったころだったかな。

 うなじから首のあたりに、ちょっとした加齢の跡があった。


「カミさんは変わらないねえ」

「ぎゃはは、個人差かなー」


 確実、アタシの身体は若い状態で固定されていた。

 多少の体重の増減や新陳代謝はあるけれど、細胞が若いままで固定されているのが分かった。

 つまり、不老不死の実験は成功だったのだ。


 さて、そこでアタシの中で問題になったのは、タヌさんと並んでいる時の事。

 タヌさんは確実に歳をとっている。今はあんまりに気にしないけれど、変わっていく君を見るのに耐えられるのかな、と思ったんだ。

 なにより、確実に死が待っている。


 さあ、その時アタシはどうするのかな?

 うん、ちょっとその時は答えが出せなかった。

 だから、逃げたんだよ。


◆◆◆


 何十年だったかな。大陸中を歩いた。

 小さな国を何個も救ったし、竜対峙の伝説なんて両手で数えきれない程残してきた。


 旅を続けて、季節を何度も超えた。

 何人もの人々に出会って、別れを告げた。別れの言葉を告げることもなく死んでいった人も居た。

 いつまで旅を続けるんだろう。

 そんな風に考えていた時、風の噂で君の噂を聞いたんだ。


◆◆◆


「あら、カミさんは変わらないのね」

「そうかなー、そうかも」


 アカデミーとは遠く離れた海辺の街。

 小さな研究室を構えるタヌさんは開口一番でそう言ってくれたね。


「そうそう、見て欲しいの。海産物を鮮度の高いまま保存する薬が出来たのよ」


 得意気に語る彼女の後ろには、タヌキみたいな小さな女の子がいた。


「この子? ふふ、私の孫なんだよー」


 すっかり皺くちゃになった顔で、ケラケラとあの日のように笑うタヌさん。

 アタシも、いつもと同じようにゲラゲラと笑っていた。


 

◆◆◆


「――とまあ、色んなことがあったね」


 海辺の街、街を一望できる小高い丘の小さな墓地。

 苗字が変わったタヌさんの本名が刻まれている墓碑の前に居る。


 結局、アタシはあのまま生きて。

 タヌさんは、そのまま生き抜いた。


「なんか、先越されちゃったかなー」


 風来坊のアタシは、年に一度か二度彼女を訪ねるくらいだった。

 それでも、タヌさんが幸せな人生を生きていたのは分かる。


「幸せな人生だったんだろうな」


 墓碑は綺麗に掃除されているし、綺麗な花が添えられていた。


「でも、アタシもアタシで結構満足してるからさ。また、会いに来るよ」


 潮風にのせて挨拶を告げると、また歩き出す。

 アタシの身体は若いままで、まだ生きている。

 最初は、飽きたら適当なところで死のうと思ったけど――


「中途半端な生き方をしたら、タヌさんみたいに綺麗にゴールできないもんね」


 せめて、彼女に恥じない生き方をしよう。


《了》

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