ある青年の復讐

ザラニン

復讐

「ハァ、ハァ————ク、ソ……!」


 冬の夜。

 男は白い息を吐きながら、誰もいない夜道を歩いた。

 しかし、それはただ歩いていたわけではない。体を引きずるように、負傷した片脚と腹部を庇いながらであった。

 負傷した箇所からは血が流れている。どうやら銃撃を受けた後のようだ。

 血は滝のように溢れ出ており、流れるそれはコンクリートの地面に赤い線を描いている。

 男の視界は安定していない。

 血液不足と厳しい寒さ、加えて激痛の影響だろう。顔色も悪い。もう事が切れかけているようだ。


 だが、痛みなんてものはどうでもいい。

 寒さも、動く分には問題無い。

 今一番に問題なのは、彼の背後だ。


 コツ

    コツ

       コツ————と、死の音が響き、近づいてきている。


 それが何者なのか、彼には分かっている。

 音が追いついた時、自分がどうなってしまうのかも予想ができる。できてしまう。


「————嫌だ、嫌だぁ……!」


 故に、彼は先を急ぐ。

 死なない為に、

 生き延びる為に、

 明日を迎える為に、

 それが無意味な足掻きだとしても、彼は脚を止めない。


 しかし、それが無意味なことには変わりない。

 生に縋ったとしても、現実は常に非常。悪い展開を作るのは、運命の得意分野だ。


 瞬きすると、バンッ、という音が響いた。

 1テンポ遅れて、もう片方の脚に痛みが生まれたかと思うと、男の視界は地面に落ちていた。


「グアァッ!」


 溢れ出てくる涙。

 抉り出される声。

 プシャッと弾けるような音が脚から鳴り、赤い液体が地面を濡らす。

 今の衝撃で傷口が刺激されたらしく、枯れかけていた血管に血が送り出される。

 痛みは傷の周囲の感覚を奪い、熱を錯覚させる。

 そして痛みと恐怖と衝撃で混乱する中、死神が声を発した。


「どうだ、痛いか?」


 冷静に、冷たく、無感情。彼に向けられたのはそんな声だった。

 その死神は暗闇から姿を表す。


 ————コツコツと靴を踏み鳴らして現れたのは、拳銃を構えた青年だった。

 倒れる男は青年の顔を見て死を予感し、戦慄する。

 青年には表情というものが無かった。

 笑ってるわけでもなく、

 怒っているわけでもなく、

 悲しんでいるわけでもない。

 彼の表情は、心から死んでいるのに等しかった。


「な、なんなんだよお前! なんで街中で急に撃ってきた⁈」


 震える口を無理矢理動かし、自分を見下ろす青年に問う。

 青年の目は冷えたまま。銃口を下ろすことなく、その問いに答えた。


「……単純な理由だ。

 『復讐』だよ、これは」


「復讐、だと……」


 男はそのワードを繰り返す。

 そして何か悪いことでも思い出したのか、顔をさらに青くしていく。まるで、その復讐に心当たりがあるかのようであった。

 青年は男が理由を察したような反応を見て、話を続ける。


「察してくれるなら話が早い。

 そうさ。お前は2週間前、僕の妹を殺した。

 強姦の挙句、口封じの為に殺したんだってね。警察からその事を聞いた時、怒りすぎて奥歯が砕けた」


 表情は変わらないものの、中身の感情は怒りで支配されているようだ。

 このままでは、自分はこの復讐者に殺されてしまう。

 どのように殺されるのかは分からないが、結末は変わらない。死は絶対だ。

 故に、男は少しでも抗う。手が動かないなら足を。脚も動かないなら口だ。


「ま、待て、待て! 撃つな! 撃たないでくれぇ!」


「命乞いか。この期に及んで」


 呆れたと青年は吐き捨て、銃の照準を合わせる。


「話くらい聞け!

 よくよく考えてみろ! 俺の事を撃ち殺して、お前の親御さんや死んだ妹が喜ぶと思うか⁈」


「————」


 青年は固まる。

 引こうとしていた引き金も止まり、何も無い間が訪れる。

 その反応を見て微かな希望が覚えた男は、さらに続けた。


「復讐をしたところで、お前の親や死んだ妹が喜ぶわけじゃない。冷静になれ!

 復讐はまた新しい復讐を生み出すだけ、負の連鎖が続くだけだ!」


 男は復讐の無意味さ、悲しさを必死に訴える。

 こう言う時の熱弁は相手の心を動かすのに都合が良い。内心では小さく笑みを浮かべている。


「だから! こんなことは止めて、俺を————」


 言いかけた時、破裂音と同時に男の脚の血が弾けた。

 再び上がる悲鳴。無音の闇に響き、やがて消えていく。

 そんな男の様子を見ながら、青年は口を開く。


「そんな事は知っているさ。でも、僕にとってはすごくどうでもいい問題だ」


「なん……だとぉ」


 痛みを堪えながら、言葉を絞り出す男。

 青年は続ける。


「復讐について議論をする場合、大体は2つに別れる。

 復讐は、正しいのか。

 それとも正しくないのか。

 けれど、別れるとは言っても、大多数が選ぶのは後者だ。お前が言ったのと同じだよ。無意味で、悲しくて、醜い。

 ————でも、実際はどうなのか。

 所詮、そんなものは客観的でしかないものだ。映画を見終わった後の感想とそう変わりない。

 では本当に怒りに身を任せて復讐に燃える人間は、果たしてどう感じているのか。

 そこ答えは、まあ色々他にあるとは思うけど、大体の人はこれだと僕は思う。

 ————“至極、どうでもいい事”」


 銃口を向けたまま、青年は歩み出す。


「そう、主観的の場合、そもそもそんなものは眼中に無い。正しいも正しくないも、どうでもいい事なのさ。

 怒りの行き場所の無くなった被害者が、ただ一方的に加害者へと振るう暴力。八つ当たりと対して変わりない」


「正気じゃない。お前は————狂っている……!」


「正気な復讐者なんて存在しないよ。

 復讐する者は皆誰かの為だとか言い訳を言うけれど、実際は自分自身の為。要は自己満足だ。

 自分の中で作った空想の人間が、それを望んでいるからやっているに過ぎない。

 でもそうなると、僕の復讐は少々矛盾しているかな?」


 脚を止め、フゥと息を吐くと、再び銃の照準を合わせる。

 狙うは男の額。痛みは与えた。体中の血液を減らして苦しめた。残りはあと一撃。この耳障りな声も聞き飽きた。


「まあ、でも。今、重要な事は1つ。

 ここで指を掛けた引き金を引けば、目の前にいる復讐対象を殺せる事だけだ……!」


 青年は最後まで言い切ると、既に血液不足で意識が朦朧としている男を睨みつける。

 ————そして、人差し指に力を込め、思い切り引き金を引いた。

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