終わりはいつもなにかの始まり

神凪柑奈

夏のある日と春の始まり

「……チョコでも買いに行くか」


 人並みの努力を、人並みの成績を残していれば、それで良かった。

 両親は別に無関心というわけでもなく、かといってなにかを強要することもなかった。その人並みの成績が両親が心配するものでもなかったことから、誰かに勉強をしろと言われることは一切なかった。

 けれど、高校三年生。そして夏休みだ。人によっては確実にもう手遅れと言われる時期になる。俺は別に行きたい大学もなく、ただ普通の平凡な大学に進むことができればそれで満足だった。

 頭を働かせるために食べていたチョコレートが尽きた。もう勉強にも飽きたし寝てもいいが、せっかくなので気分転換も兼ねてコンビニへ向かうことにする。

 徒歩五分程度のコンビニへ、イヤホンで音楽を聴きながら歩く。昼間は補導の対象になるのも嫌なので外しているが、夜中なので許してほしい。今日に関しては徒歩だし、たまにはいいだろう。

 軽快な聞き慣れた音が鳴る。

 店員がこちらを見た。柔らかな笑みを浮かべてくれた、美人な人だ。一つか二つ程上だろうか。

 チョコレートを三つ手に取り、適当な紅茶を一緒に取る。エコバッグを忘れたことを若干後悔しながらレジに向かう。レジ前には人はいなかったので、そのまま先程笑みをくれた人の前へ。


「……受験生?」

「えっ?」

「あ、ごめん」

「ああ、いえ。まあ一応、受験生ですよ」

「そっか」


 そう言うと、店員さんはまた笑ってくれた。

 ぴったり支払い、レジ袋を受け取る。なんだかいいことがあったような気分になるのは、きっとこの人がそれを思わせるほどに美人だからだろう。

 コンビニを出て、またイヤホンを着ける。別に音楽が好きなわけじゃないが、ただ暗い道を無音で歩き続けるよりは幾倍マシだ。


「ちょっと待って」

「えっ?」


 呼び止められた。さっきのコンビニ店員さんだ。


「これ、よかったら勉強のお供に食べて」

「……ガム?」

「そう。眠いときとか、あとちょっとだけやりたいときとかに噛んでたらちょっとは集中できるから」

「いや、悪いですよ」

「頑張る受験生を応援したいタチなんだよ、お姉さんは」

「……なら、尚更です」


 俺は頑張る受験生なんかじゃない。ここで素直に貰っていればよかったのだろうが、どうしてかこの人には嘘をつく気になれなかった。


「あと一時間……うーん……」


 なにやらぶつぶつと呟き始めた店員さんは、ちらちらと俺を見て、時計に目を移してを繰り返している。バイト中にレジを開けてきてしまったのだろうか。それなら、申し訳ないことをしてしまった。


「では、さようなら」

「あっ、君!」


 これで彼女が怒られてしまっては本当に申し訳なくなるので、半ば逃げるようにして帰った。






 そして、一時間が経った。結局適当に問題を解いて時間を潰してしまった。本当はすぐに寝る予定だったのにそんなことをしてしまったのは、彼女の言葉が少しだけ気になってからだ。

 もう一度外に出て、コンビニへ。

 彼女は制服ではなく、私服だった。


「あ……来たんだ」

「一時間っていうのは、終わる時間だったんですか……」


 なんというか、もやもやがそれほど重要なことではなかったことに少し落胆する。それと同時に、何故バイトが終わる時間をそのときに考える必要があったのかが気になった。


「君、ちょっとぶらつかない?」


 手を差し出した店員さんは、彼女でもないのに手を繋ぐことを求めているように見えた。そして俺も、何故かその手を掴んでしまった。


「私はね、多分君の一個上なんだ」

「そうなんですね」

「私も去年はなーんもしてなくて。大学なんて行くかーって思ってた。でも、頑張れちゃったんだよね」

「……それは、どうして?」

「テレビ見てたらなんかすごい人が大学出てたから」

「……は?」

「なんだよ、私はなんもできないのにこの人は恵まれてるのか、腹立つなーって思って。それで頑張って、なんか大学行けたんだ」

「……そうなんですね」


 全くあてにならなかった。少しだけ、この人に期待してしまっていたからだろう。自分の未来を出会ったばかりのこの人に変えられるわけがないというのに。


「だからかな、君みたいな子には頑張ってほしいんだ」

「そんな善意を受け取れるような人間じゃないですけど」

「それでも、私は君になにか目標を見つけて欲しい」


 真剣な眼差しは、俺を捉えて離さなかった。

 その眼差しはきっと、今の自分がなにかを掴むことができたからこその眼差し。高校で捨てていたら掴めない未来があると訴えるような瞳。

 不思議と、けれども聞くべきことだと思って俺は、この人に尋ねてしまっていた。


「店員さんの大学は、どこなんです?」


 驚いたような顔をして、それから笑って教えてくれた。

 その大学は、俺が三年になる頃から勉強していればギリギリ入れるくらいの難関大学だった。手遅れ、という言葉が相応しいであろう状況。

 でも、何故か。俺はこの人と同じ場所に行きたいと思えた。


「俺、店員さんとこ目指してみます」

「それはまた唐突だね。会ったばっかりの変な女に大学合わせて大丈夫?」

「会ったばっかの奴のために時間割いてくれてる人には言われたくないです」

「……それもそうか、確かに」


 それから彼女を駅まで送り、帰った。

 死ぬ気で勉強をした。目標は、理由もわからないけれど彼女と同じ大学に行くため。たったそれだけの小さな理由。テレビで見たすごい人が出た大学だからというふざけた理由と同じくらいに、些細な動機。

 それでも、後悔はしていなかった。そんな決め方だったとしても、俺にとっては立派な動機だったから。

 そして、受験が終わった。

 怒涛の勢いで日々が過ぎていった。成績のおかげで推薦ももらえた。だが、結果は正直なところわからない。受かっている可能性は十分に高いのだが、それでもミスが少なくはなかったように感じた。

 やがて、合格発表日を迎えた。なんとかウイルスの対策もあって、合格発表はウェブ上でのものになってしまったが。

 しかし、そのせいでなかなか見ることができなかった。サイトが重かったとかではなく、純粋に勇気の問題。

 結局夜中に、一人で確認した。


「……あった」


 自分の番号を見つけ、なんとも言えない心境になる。嬉しくないわけではなかった。ただ、このことを共有したかった。両親でも先生でも、友人でもない。ただ一度だけしか会ったことの無い、コンビニ店員に。

 スニーカーを履いて、走った。数ヶ月ぶりに走ると思ったよりもしんどくて、でも早く伝えたくて入った。


「店員さん……は……」


 年配の男性だった。

 当たり前といえば当たり前だ。大学一回生が、いつまでも同じ場所でバイトを、それもあんな綺麗な人がずっと深夜にバイトをしているはずがない。


「ちょっと待って」

「……えっ?」


 呼び止められた。半年前に聞いた声に。

 振り返ると、私服姿でケーキを抱えた店員さんがいた。


「あれから一回も来なかったから、このケーキ無駄になるかと思った」

「会ったばっかの奴にケーキを渡すのは普通に不審者です」

「まあそう言わないで、貰って。というか、受け取れ!」


 ケーキを差し出しながら、彼女は微笑んだ。


「……いや、なんで合格したこと知ってるんですか」

「勘だよ。君は絶対合格すると思ってた」

「そう、ですか」

「あとは、ただの願望かな」


 そう言うと、店員さんはケーキを崩さないように抱きついてきた。


「合格、おめでとう!」


 なぜか俺よりもずっと嬉しそうな彼女は、笑顔の瞳に涙を浮かべて喜んで、頬ずりして、頭を撫でてくれた。

 桜の花びらが彼女の頭にひらりと舞い落ちた。


「あ……」

「春、だね」

「そうですね」

「入学、おめでとう。受験が終わって、大学生活がスタートだ」

「そうですね。友達とか、あとは、その……彼女とか作らないと」

「……そうだね」


 ああ、いわばこれは一つのゴールに過ぎない。そして、スタートラインだ。


「友達第一号は私だよね?」

「店員さんは先輩です」

「嫌です友達です」

「そこで意固地になるのはどうなんですかね」


 春の訪れを感じながら、俺たちはまた隣を歩いて、笑いあった。

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終わりはいつもなにかの始まり 神凪柑奈 @Hohoemi

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