いつか誰かの希望になれたなら

If

いつか誰かの希望になれたなら

 高校三年生の春。体育館で始業式があった。私は列の中央辺りで膝を抱え、先生たちの話を半分くらい聞きながら、ぼんやりしていた。


 変化は唐突だった。きっかけなんて分からない。突然、「逃げられない」という状況が恐ろしくなった。前後左右に人がいて、簡単に身動きが取れないという、物理的束縛。決められた内容が終わるまで、少なくともあと十分はここを出られないという、時間的束縛。こう書くと厳めしく見えるが、それらの束縛なんて実際は大したことがなく、望めばすぐにでも解放される。そんなことくらいすぐに分かろうものなのに、その瞬間の私にはそう考える余裕すらなかった。脈絡なく死を意識して、そうなると感じたこともないほどの恐怖が襲い掛かって来る。心臓が痛いほど跳ねる。息を吸い過ぎてしまう。手足の感覚が遠くなる。死ぬ、死ぬ、死んでしまう。式が終わるまでの長くはない時間が、私には地獄のようだった。


 しかもそれはその一回限りのことでは終わらなかったのである。以来私は、何らかの制限を受ける状況がとことん駄目になってしまった。例えば、授業。とてもではないが、五十分授業を日に六つも七つも受けられなかった。それだけの時間、あのすさまじい恐怖に耐えられるだけの精神力が、私にはなかった。例えば、電車。片道二十分程度の乗車時間で、しかも駅と駅との間は長くともせいぜい五分程度だったのに、脱出不可能な走行中の電車という絶対的閉所空間は、特に私を参らせた。ひとたび電車に乗れば、その後授業があって、帰りの電車もある。恐怖の連続が恐ろしかったのもあるかもしれない。受験前の大事な時期なのに、私は完全に学校に行けなくなってしまった。


 一週間が経ち、すぐに二週間が経った。伝達の言葉が拙かったこともあり、私の窮状はちっとも親に伝わらなかった。学校に行きなさいと言われる。当然のことだ。親も私を心配するゆえの促しだと分かってはいても、追い詰められるようだった。ナイーブになっていた私は、マンション七階の自室の窓から身を乗り出したこともある。でも、怖くて死ねなかった。私は私の臆病さに、とても感謝している。


 このままではよくないと、私とて分かっていた。自分のこの謎の恐怖について、インターネットで検索して、一つの病を見つけた。『パニック障害』だ。急に得体のしれない恐怖に襲われ、パニック発作が起こる——間違いないと思った。


 薬があるらしい。それは私にとって、大変な光明になった。ただ、薬を手に入れるには心療内科に行かなければならない。親を説得するだけでなく、電車に乗って、待合室での地獄を耐え、診察を受けるという関門が私の前に立ちはだかった。諦めようかと思ったが、親は私をどうにか学校に行かせようとするし、先生も私をどうにか登校させようとするし、私だってこのまま不登校になって受験を——大学に行かなければ叶わない夢を——諦めたくはなかった。もし家の居心地が良かったら、私はきっと奮起できなかっただろうと思う。一生懸命に私を追い出そうとしてくれた両親の優しい厳しさが、力強く背中を押してくれた。


 やはりパニック障害と診断された私には、それほど強くない薬が処方された。抗不安剤と呼ばれる薬は、私のパニック発作を劇的に防いでくれるわけではなかったが、それでも多少の効果はあって、発作を耐えるための精神力が半分程度で済むようになった。最初は車で送ってもらってとか、午前だけの通学とか、周囲に支えられながら、かつ、ゆっくりではあったが、どうにかこうにか登校できるようになっていった。パニック障害に罹る前と比べると、月から金まで五日間通い続けて得る疲労は、十倍ほどになったような気がした。土曜日は疲れ果てて一日中何もできなかったし、日曜日は翌日からのことが怖くてろくに集中できなかった。受験勉強なんてまともにできやしなかったが、半年もすると多少慣れてきたらしく、少しずつ机に向かえるようになった。


 後悔はたくさん残ったが、ひとまずは無事に受験も終え、第一志望の大学ではなかったが、第二志望の大学に入学することができた。遠方の大学だったため、二時間半強の電車通学が待ち構えていたが、薬と慣れがあったために案外どうにかなった。大学卒業後には社会人になることもできて、気づけば薬の服用をしなくなって、もう数年が経過している。


 どんなことだって、前へ進み続けていたら、いつかゴールが待っている。インターネットで調べると、『パニック障害とは一生付き合っていかなければならない』などと書いているサイトもあったが、私自身はもう克服したと思っている。経験者ゆえにパニック障害になった瞬間の絶望がよく分かるから、今もしその絶望の中で苦しんでいる人がいるのなら、「もしかしたら、いつか」という希望を、私の話の中に見つけて欲しいと思って筆を執った。今回はこのような形の自分語りになってしまったが、いつかはパニック障害を題材にして、一本小説を書いてみようと思っている。パニック障害に罹った主人公が、救われる話にしたい。


 百人に一人いると言われている病。それと戦う多くの仲間たちに向けて。あなたたちもどうか、ゴールまでたどり着けますように。本当に本当に、心から祈っている。

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