夢のゴールと、スタートふたつ

冬野瞠

ゴールとは、新たなスタートのこと

 竜の背に取りつけられた操縦室の外は一面真っ白で、視界はほとんどゼロと言って良かった。

 俺は今、猛スピードで厚い雲の中を航行している。竜の呼吸が持つ高度の上限ぎりぎりで、操縦室内にいても外気の冷たさが肌に伝わってくる。前を見ても、長い首の先の、竜の頭すらはっきりとは見えない。

 操縦桿そうじゅうかん――竜の体の各部に繋がれたロープと連動している――を握る手に力がこもりすぎて痛い。人間の意図以外の動作を防ぐため、竜には視界を狭める目隠しがされているから、今信じられるのは高度計や水平器などの計器類と、無線の先にいる管制官、そして己だけだ。

 ――緊張を抑えこもうとしちゃいけない。緊張さえも、自分のコントロールに置かないとね。

 そう言っていた親友の言葉が脳裏をよぎる。

 そうだ、深呼吸。深呼吸。大丈夫、パイロットになるために、今までたくさんの時間を空で過ごしてきたんじゃないか。

 しばらくして、竜の巨体が雲から抜ける。眼下に飛行場が見えてきた。



 大型竜のパイロットになることが、俺の長年の夢だった。

 大型竜とは、旅客十人以上、最大積載八百kg以上の竜をいう。一人乗りの小型竜には、一定期間の講習を受ければ誰でも乗れるようになるが、大型竜はそうもいかない。専門の教育機関で理論や実技を学び、筆記試験をパスして、その上飛行時間の実績を積んでいく必要がある。

 そして今日、俺はパイロットの最終試験に合格した。もちろん、まだ機長になれる資格を得たというだけの段階で、実際に機長になるには副操縦士として実務経験を重ねる必要がある。けれど、俺の胸は言い表せないほどの感情であふれていた。

 学友たちと一緒の、合格祝いの席から帰路につく足元は、なんだか現実味が薄くてふわふわしている。何せ、子供の頃からの夢をとうとう叶えたのだから。

 けれど、ずっと隣にいると思っていただけが、たどり着いた夢の景色のどこにもいない。

 ぶぶ、ぶぶ、とポケットが震える。携帯端末を取り出し、着信を示す画面を見て、にわかに全身に緊張が走った。表示されている名はユウキ。まさに今、想像していた奴の名だ。

 ユウキは俺の、親友であり憧れだった存在だ。だった、と過去形で言うのには理由がある。

 もしかしたら、なじられるかもしれない。恐るおそる、受話器の形のアイコンをスワイプする。


「……もしもし、ユウキ?」

「パイロットの最終試験、合格したんだって? おめでとう。すごいじゃん」


 予期していたのよりずっと軽やかでからりとした声が、自分を祝福してくれた。

 喉のあたりにたくさん言葉が詰まる。言いたいこと、訊きたいことがありすぎて、返す台詞は逆に至極無難なものとなった。


「それ、なんで知って……」

「なんでってそりゃ、実名のSNSにでかでかと嬉しそうな写真とメッセージ載せてたら誰にでもわかるでしょう」

「そ、そっか」

「なあ、今から会えるかな?」


 ユウキとは高校卒業後から連絡を取り合っていなかったが、現在も住んでいる場所はさほど離れていないようだ。昔二人でよく居座っていたファミレスで落ち合う約束をして、通話を切った。

 思わずそこで、深く息を吐き出してしまう。ユウキは長らく、俺の親友であり、憧れであり、理想像だった。

 最初に会ったのは小学生の時だ。その頃から二人とも、大型竜のパイロットになる夢を持った同志だった。けれど、よくある切磋琢磨するライバル関係というのではなかった。ユウキは俺よりも常に成績優秀であり、周囲に気配りもできて優しく、それをひけらかすこともなかった。いざとなったら目上の人間にも意見を主張できる凛とした強さがあり、いつも努力して更なる高みを目指そうとしていた。

 そんな完璧な人間であるユウキに、俺は一度も勝とうとしたことはなかった。俺が知る限りの世界で、一番優秀なのがユウキ。それが自然の摂理で、俺はその次くらいになれればいいと思っていたから。嫉妬なんて微塵もなく、俺はユウキを純粋に尊敬していた。

 転機は高校三年時の、進路選択のタイミングで訪れた。

 先天性の色覚異常。それが検査で判明したと俺に伝えてきたユウキは、どんな表情をしていただろう。俺の方が遥かに動揺して、打ちのめされていたことだけは確かだ。


「うすうす気づいてたよ。他の人と見え方が違うんだろうなって」


 そう言って、相手は寂しげに笑っていたっけ。

 パイロットという職業に就くには、正常な色覚が必須だ。小学校での色覚検査は二十年ほど前に廃止されていて、俺たちは自分自身の色の見え方について知る機会がなかった。

 なんでよりによって、ユウキなんだよ。おかしいじゃないか。一番パイロットに相応ふさわしい人間なのに。

 俺は悲しいというより、悔しかった。あまりに無情だと感じた。ユウキはずっと、パイロットというゴールを目指して一直線に走っていたのに、突然足元の道自体が無くなってしまったのだ。

 ユウキが進路をどうしたのか、俺は結局訊けなかったし、何も言ってやれなかった。これからどういう顔をして、ユウキに会えばいいのだろう。



 思い出の場所には相手の方が先に到着していた。

 久しぶりに会うユウキは記憶よりずっと大人びていて、張り詰めていた印象があった表情が、少し柔らかくなったように見えた。ぎこちなく挙動不審ぎみになる俺と違い、ユウキはどこまでも自然体だ。


「……久しぶり。なんかお互い、大人になったな」

「そうだね。君は背も高くなったし、ガタイも良くなったね」

「まあ、三年ぶりくらいだからな」


 合わせる顔がないと思っていたのに、こうして実際会ってみると、三年という時間がどんどん溶けて、昔に巻き戻っていくようだった。懐かしい。楽しい。やっぱりユウキは、俺の親友だ。


「そういえばまだ本題を言ってなかった。最終試験合格おめでとう。ここはおごるから、あんまり高いのは頼まないでね」

「なんだよそれ、言うことが逆だろ? ……でもさ、まだこれがゴールじゃなくて、やっとスタートに立ったところだから」

「そうだね、君が本当に夢を叶えるまで、ずっと応援してる」


 ユウキはそう言ってほほえむ。俺は思いきって、質問をぶつけることにした。


「あの、さ。ユウキは今、何やってるんだ?」

「ん? 今はねえ、短大を卒業して、大型竜の育成者になるための修行中」

「竜……を、育ててるんだ」


 聞いてまず、ユウキらしいと思った。竜は基本的に気難しく、大型になればなるほど扱うのが難しい。死亡事故が起こったこともある。でもユウキの手にかかれば、どんな竜でも人間との強い信頼関係を構築できそうだ。


「楽しいよ? 力も要るから大変ではあるけど。多分、自分にはこっちの方が向いてたんだと思う。竜のパイロットになるよりも」


 ユウキの笑顔はどこまでも曇りがなく、晴ればれとしていた。それで良かったんだろう。それでも俺の胸の奥が、きゅうと締めつけられるように痛む。

 こんな風に考えるのは間違ってる……そう自覚しながら、本当は俺の席にユウキが座っているべきだった、と思ってしまうのを止められない。


「ごめん……本当なら、今頃ユウキが初の女性パイロットになってるはずだったのに」


 うつむきながら声を絞り出す。垂れた頭の向こうから、はあとため息が聞こえてきた。


「なんで君が謝るかなあ。君が受かっても落ちても、私の席が空くわけじゃないのに。私も君もやりたいことをやってる。それでいいんじゃない」

「でも……やっぱり、申し訳なくて。俺、あの時……ユウキに何も言えなかったし」

「そう思ってるんだったらさ、これからまた仲良くしてよ」


 情けなく鼻をぐすぐすいわせる俺の前で、彼女はいたずらっぽく笑った。釣られて俺も笑った。

 空白期間の出来事を、好物を食べながら互いにたくさん話した。高校までは何もかも共有していた友から語られる、知らない世界の話は刺激的だった。それはきっと、お互いに。

 ユウキはふと遠い目をして、夢があるんだけどね、と切り出す。


「いつか私が立派に竜を育てるから、君が乗客を乗せて、キャプテンとして操縦してほしいんだ」

「おう。それは……いいな。すごくいい。いつか叶えようぜ」


 まさに夢みたいだ。またユウキと一緒に、夢の話ができるなんて。

 しかしその感動も、続く相手の言葉で完璧に上書きされてしまう。


「まあ、それには何十年か必要だけどね。というわけで、そのあいだ君には私の隣にいてほしいんだけど」

「えっ……ええと」


 え!? 今のってなんか、まるでプロポーズだったけど……。

 それってつまり……まさか、そういうこと?

 ユウキは以前より日焼けした顔で不敵に微笑する。


「ああ、返事はまだいいよ。せっかくならもっとちゃんとした場所で聞きたいからさ」


 じゃあ会計してくるね、と俺に何も言わせずユウキはさっさと立ち上がる。

 顔が異常に熱くなっていた。はたから見たら、俺の顔は茹で蛸みたいに真っ赤になっているんだろう。心臓がばくばくと激しくリズムを刻んでいる。それは決して、嫌なばくばくではない。

 どうやら俺たちの関係も、新たなゴールに向かってスタートしたところらしい。

 背を向けたユウキの、ちょこんと覗いた耳が赤く染まって見えたのは、きっと見間違いではないはずだ。

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