8章 その3 一日のおわりに③

 教会を出ると、すでに陽は暮れつつあった。残光が空を赤く染め上げる一方、町は外壁から伸びる影に黒く沈み、一足早く夜の帳が降りたかのようだった。

 くたびれた芝生へと足を下ろす。頭の中ではいらぬ妄想が芋づる式に膨れ、溢れ返っていた。

 陶酔の表情で目の前の修道女に油をぶちまける司教。悪霊に囁かれるまま、たいまつの火をかざすウェル。「どうせ人はいつか、死にます」。諦めた表情で、燃え上がる修道女の首に手をかけるノラ。そして。その様を冷然と眺める、黒い修道服が三つ――

 ミナは弱々しく首を振った。妄想だ。どれもこれも。けれど、あの三人は――

 どこをどう歩いたのか記憶にないが、気が付くとミナは教会裏手、墓所の入り口に立っていた。薄闇の中、無数の墓石が見える。

 吸い寄せられるように、中へと足を踏み入れる。何か目的があったわけではない。ただ、ごちゃごちゃした頭を鎮めるため、静かな場所へ行きたかったのだ。

 じっとりとした、それでいてつんと刺すような匂いが鼻をかすめる。死の匂い。一段と空気が冷えた気がする。

 墓所は宿舎の裏手一帯を占めており、小さな町のものとしては随分と広いように思われた。広大な空間は静けさを際立たせ、耳に痛いほどの静寂が辺りを包んでいる。時折響くカラスの鳴き声がやけに大きく聞こえ、そのたびに足のすくむ思いだった。

 と、奥まった場所に黒い人影が立っている。

 リノだ。

 その前には真新しい墓石が立ち、一輪のカンナが供えられている。おそらくエリスの墓なのだろう、墓前に微動だにせず佇んでいるリノは、湧き上がる感情を必死に堪えているように見えた。

 ――そういえば。

 今朝からのリノの視線を思い出す。何かを話したがっているようだったが。

 ――もしかすると。

 彼女は自身の犯行について、ミナに告白しようとしていたのではないだろうか。なぜ他の誰でもなく自分になのか、という疑問はあるが、今の状況ではそう考えるのが自然なように思われた。

 近寄ると、リノは目を丸くした。

「私も、祈らせてもらっていいかな」

 わずかにためらった後、彼女は頷いた。

 墓石の前で手を組む。「神の口づけと安らかな眠りのあらんことを」。たっぷりとした祈りを終えると、ミナは頭を下げた。

「昨日は本当にごめんなさい。無神経なことを言ってしまって」

「……私の方こそ、その、ごめんなさい。あの後、セラから聞きました。あなたも同じ経験をされているんですね。それなのに、私の気持ちが分かるのかなんて。……本当にごめんなさい」

 心から申し訳なさそうな顔でリノも頭を下げる。

「セラに言われて、謝ろう謝ろうと思っていたんですけど……なかなか切り出せなくて」

「ああ」

 今朝方からの彼女の視線は、そういうことだったのか。ミナはなぜかほっとした気分で首を振った。

「気にしないで。お互いさまだから」

 二人は申し合わせたように墓石へと目を下ろした。加工も何もされていない、ごつごつとした御影石。その前へ花でも供えるように、リノはそっと話し始めた。

「エリスは、私たちの中心でした。ここでの生活も、エリスがいなければ本当に味気ないものになっていたと思います」

「ウェルさんは、とても騒がしかったと」

「ふふ、そうですね。新しい遊びを考えては、即実行していましたから。あの子のやることなすこと、どれもこれも私には思いもつかないようなものばかりで。一緒にいると本当に楽しかった」

 エリスとの思い出の数々が並べられていく。芝生を踏み固めて、誰にも気付かれない模様を描く。食器を並べて音楽もどきを演奏する。夜中にこっそり集まっての怪談大会――

 セラが言っていたように、いずれも子どもっぽく、他愛ないものばかりだった。だが、辺境に閉じ込められた彼女たちにとっては、窮屈な日常をひと時でも忘れさせてくれる大切なものだったのだろう。それは、懐かしむように話す彼女を見れば分かる。

 聞いているうちに、ミナの中で再び迷いが広がっていく。

 ――本当に彼女たちがエリスを殺したのだろうか。

 セラとローザの偽証、そしてここ一か月のエリスを取り巻く出来事と、状況証拠は揃っているのだ。何度考え直してみても、適切な反論が浮かばない。

 だが、目の前の少女を見ていると、割り切れない感情が膨らんでいく。こんな風にエリスのことを話す彼女が、間違ってもその当人を殺したりするだろうか。

 それとも、彼女だけは受洗しており、エリス殺害にはまるで無関係なのだろうか。彼女はこれまで、明らかな嘘偽りを口にしていないのだから。だが、それは現実を無視した、都合がよすぎる考えではないだろうか。

 ――……ちょっと待って。

 混沌の中、閃きは唐突に訪れた。

 。罪人だからといって、必ずしも不信心者だとは限らないのと同じように。

 これまで、ハルの推論に引っ張られすぎていたのだ。事件の状況を考えると、偽証ができる彼女たちが疑われるのは仕方がない。だが、あくまで犯行が可能というだけで、別の確かな証拠がなければ容疑の域を出ないのだ。

 目の前が開けた気がした。嫌疑はいまだ晴れていないが、少なくとも彼女たちが犯人だと決まったわけではない。ミナにとってはそれで十分だった。

「どうしたんですか?」

 考えに没頭するあまり、うわの空になっていたのだろう。リノが怪訝そうな顔でミナを見つめている。

「ごめんリノ、ちょっといい?」

 決断に時間はかからなかった。普段では考えられないほど頭が回っている。散々悩んで来たことに光明が見えた、その反動なのかもしれない。

 ミナはこれまでのすべてを話打ち明けることにした。

 今の時点でハルにありのままを報告すれば、三人がどれだけ申し開きしようと偽証と見做され、処刑されてしまう危険がある。それを避けるには、さらに踏み込んだ情報収集が必要だ。

 だが、こちらの手札を伏せていては、相手から得られる情報もまた制限されてしまう。ならば、すべてを開示して協力を仰ぐべきだ。彼女たちを信じて。

 ハルは怒るだろうが、すでにセラとローザが偽証できることは突き止めてある。文句は言わせない。

 まとまりのないミナの話を、リノは黙って聞いていた。三人が共謀してエリスを殺したのではないか、というくだりでは顔色を変えたが、それでも口を挟むことはなかった。

 話が終わると、ミナの顔色を窺うように彼女は言った。

「どうして……そんなことを話すんですか? 私たちのことを疑っているんでしょう?」

「ちょっと前までは……うん、疑ってた。でも、リノの話を聞いてるうちに分からなくなって。こんなにエリスさんのことを想っているのに、そんなことするはずないって。だから――」

 しっかりと相手の目を見つめ返す。

「教えて。あなたの知ってること全部」

 リノは墓石へと目を落とす。その口からぼそりと呟きが漏れた。

「ありがとう」

「え?」

「信じてくれて、ありがとう」

 そう言う彼女の顔は、しかし曇っていた。

「だけど、ごめんなさい。私たちが嘘つきだっていうのは……本当のことなんです」

「洗礼を受けていないのは分かってる。そうじゃなくて――」

「いいえ、。司教に確認してもらえばすぐ分かるはずです」

 絶句するミナにリノが説明する。

 実際のところ、ハルの仮説の前半部分は正しかった。リノたちは前任者から洗礼を受けていないという。だが、それが見逃されてしまうことはなかったのだ。

「この町はみんな顔見知りだから、赤ん坊が洗礼を受けたかどうかなんて、誰でも知っています。だから洗礼を受けずにいるなんてこと、ありえないんです」

 紛争終結後、着任したマズロー司教によって、彼女たちも無事洗礼を授かったという。

「で、でも、あの二人は嘘を……」

 ミナは混乱した。

 セラたちが偽証をしているのは明白だ。それなのに、目の前の少女は三人とも洗礼は受けていると言う。 さらには、それでも自分たちは嘘つきだと。もう何が何だか分からない。

「はい、あの二人は嘘をついています。それに私も。みんな嘘つきなんです。本当に……ひどい嘘つき」

 墓石を見つめるリノの顔が苦しそうに歪む。

「エリスは私のせいで死にました」

 消え入りそうな声。エリスの死後、彼女がそう言い続けているのはすでに聞き知っていた。だが、目の前で実際に口にされると、言葉の持つ重さが直に響いてくる。

「あなたは、同じ経験をしたから気持ちが分かる、とセラに言ってくれたんですよね」

 ミナに一瞥もくれず、彼女は続ける。

「私はどうすれば、どう償えばいいんでしょう?」

 それは、自分自身に問いかけているように聞こえた。

 思考の隘路に嵌りながらも、ミナは一つ理解した。目の前の少女の、身を切るような声を聞けば分かる。どういう形でかは不明だが、彼女たちはやはりエリスの死に関わっているのだ。

 彼女の発言が正しければ、三人は洗礼を受けており、なおかつ審問では犯行を否定しているため、エリスを手にかけたわけではないはずだ。だが、何らかの関与はあった。そのことで、彼女は自分を責め苛んでいるのだ。

 あらためてリノを見る。

 もしかしたら、ここですべてを聞き出すことは可能かもしれない。そのために手札を切ったのだ。

 けれど、目の前で項垂れる彼女の姿を見ていると、かつて同じ思いに振り回されてきた身として、今は何よりも彼女の問いに答える方が大切なように思われた。

「私の場合は……母だった」決然とミナは口を開いた。「母は、私のせいで死んだの。私の証言のせいで、火刑にされて。ただ騙されていただけなのに」

 リノが顔を上げた。予想もしてなかっただろうミナの告白に、目には驚きの色が浮かんでいる。

「どうすれば償えるか分からなかった。何度も死のうって思ったけど、それもできなかった。でも、ある時思い出したの。神はいつも見ておられるから、恥ずかしくない行いをしなさいって、そう母が言っていたのを。そして気付いたの。死んだ母に恥ずかしくない行いをすることが、きっと私にとっての償いなんだって」

 これ以上はしゃべりすぎになるが、構うものかと続ける。

「だから私は審察官になった。母のように問答無用で火刑に送られる人を、一人でも減らそうって」

 いったん口を閉じる。最後の言葉の意味するところは伝わっただろうが、リノは何も言わなかった。

「私とリノとでは、きっと状況が違う。でも、やるべきことは同じだと思う。それがどんな些細なことでも、償いになりそうになくても、エリスさんに恥ずかしくない行いをすればいいと思う」

 リノは俯いた。ミナは黙って待つ。カラスはとうに鳴きやんでおり、手を伸ばせば掴めそうな闇が二人を包んでいた。

 やがて二度小さく頷くと、リノは顔を上げた。

「そう、ですね」

 何かが吹っ切れたような目だった。

「あなたと話せてよかった」

 そう言って、彼女は足早に歩き出した。闇の狭間へと溶けてゆく後ろ姿に、ミナは声を投げかける。

「私でよければ、いつでも話しに来て!」

 返事はなかったが、それでもミナには分かった。必ず彼女はすべてを明らかにしてくれる。自分はそれを信じて待てばいい。

 晩課の前、マズローに確認すると、間違いなく彼が三人に洗礼を授けたと回答が返って来た。リノの言葉は正しかったのだ。その答えに満足し、夕食を終えたミナは何も言わずに官舎へと戻った。

 ハルはいなかった。住民への審問がまだ終わらないのだろう。

 硬くきしむベッドに横たわり、これまでの経緯をどう伝えようか考える。

 ハルの仮説は間違っていた。三人は洗礼を受けた、紛うことなきミト教徒だったのだ。それが確認された以上、彼女たちはエリス殺害の犯人ではない。

 だが、まったく無関係というわけでもない。墓所でのリノの告白から、彼女たちが事件に関与しているのもまた確実だ。

 一体、リノたちはどんな役回りを演じたのか――

 考えるうちに、瞼が重く垂れ下がっていく。昨夜はほぼ一睡もできず、そして今日は多くの証言に翻弄されてきたのだ。心身とも限界を迎えつつあった。

 抗しきれず瞳を閉じると、ミナはまどろみへと落ちていった。


 翌朝、リノは変わり果てた姿で発見された。エリスと同じく、全身焼けただれた死体となって。

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