5章その1 審問と可能性①

 聖堂は夜かと見紛うほどに暗かった。ステンドグラスどころか、採光のための窓もないためだ。なるほどロンゾが言ったように、これなら扉が閉まってしまえば光が外へ漏れることはない。

 正面奥、説教台の左右に立派な篝火台が置かれ、炎が辺りを頼りなく照らしている。目を頭上に転じると、光に映る領域はすぐに途切れ、その向こうには濃密な闇が広がっていた。瞳を凝らせば彼方、天蓋の穹窿が微かに浮かび上がるが、その色も形も闇と混ざり合い、あいまいな陰影を織りなすばかりだ。

 そこはまるで巨大な洞窟のようだった。だが、空気には澱んだところがなく、思いのほか澄んでいる。恒炎のおかげだろう。

 やがて目が慣れてくると、そこが洞窟ではなく聖堂であることがはっきりしてくる。説教台の向こうには三叉架が掲げられており、側廊に並ぶ柱にも意匠をこらした装飾が刻まれている。アンティキア教会には及ばないものの、それらは見事な代物だった。

 入り口に立ち、ミナは胸の前で三叉を切る。物心つく前から毎日教会へ連れられていた彼女にとって、それは直そうにも直すことのできない、身体に染み込んだ癖だった。

 通路を進むと内陣の中央、大理石の床に薄く焦げ跡が見えた。ぼやけてはいるもののその輪郭は人の形をしており、そこで一人の人間が焼かれたのだという事実をいやが応にも意識させられる。

 その場所を避けるように、集められた五人は左右に並んだ長椅子にぽつりぽつりと座っていた。料理長以外は黒の修道衣に身を包んでおり、全員が一様に暗い顔をしている。

 ロンゾが一人ひとり紹介していく。修道女の三人が自分と同年代だということに、ミナは驚いた。聞けば全員十五だという。いずれも同じ修道衣、頭上にまとめた紅髪という出で立ちで、まるでお揃いの格好をさせられた三姉妹のように見える。

 もう一度審問を行う旨が説明されると、ざわめきが起きた。

「審問はこれまで散々受けたでしょう、ロンゾ?」

 美しくも硬い声が上がる。リノ修道女だ。つんと立った鼻にくっきりとした目元からは、気の強さが窺える。

「すまねえな、リノ。捜査の進捗が芳しくなくてな。だから応援を要請したってのは、さっき説明したろ?」

「で、その応援に何で黒いのが混じってるの?」

「リノちゃん」

 隣に座った眼鏡の少女が、気弱そうな声を上げた。リノより一段小さな身をさらに縮め、小動物のように上目遣いで隣を窺っている。

「何よ、ローザ」

「あ、いや、その」

 きっと睨まれ、口ごもりながらローザは俯いてしまった。一層苛ついた口調でリノが言葉を促す。

「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」

「落ち着きなさい、リノ。ローザが怯えているでしょ」

 間に入ったのは、セラ修道女だった。三人の中では一番背が高く、人形のように整った顔立ちをしている。だがその紅瞳はどこか虚ろで、声にも平板な響きがあった。

「ローザが言いたいのは、『黒いの』なんて口の悪いこと、修道女たるもの言うべきじゃないってことでしょ」

「ふん、口が悪いのは私だけじゃないでしょ」

「そういうことは言わない方がいいと思うけど?」

「本当のことを言って何が悪いの。聖篇にもあるでしょ――口をつぐむ者を信用してはならない」

「そのすぐ後にこうも書いてあるけど――言葉が過ぎたる者もまた同様である」

 リノの声は次第に大きくなる一方、セラの声は平坦なままだった。間に挟まれたローザはじっと身を硬くしている。

 三人の修道女を眺めながら、ミナは何ともいえない違和感を覚えた。感情をまるで見せないセラの様子も気になるが、彼女だけでなくその他の二人にも場にそぐわない、どこかちぐはぐな空気を感じたのだ。だが、それが何なのか思いを巡らす前に、おっとりとした声が響いた。

「はいはいリノさん、セラさん。そこまでにしましょうね」

 修道院の監督官であるノラだった。ふくよかな体型と柔らかな物腰、そして修道女たちへの優しい眼差しからは、包み込むような母性が感じられる。

 その隣では、飾り気のない服を着た大柄な男が頬杖をついていた。その太い指は節くれ立っており、いかつい顔には幾本もの深い皺が刻まれている。料理長のウェルだ。事の成り行きを黙ったままを見守っている。一見不愛想に見えるが、ミナたちに料理を振る舞ってくれた際には気さくな調子で話し掛けてくれた。必要のないことはしゃべらないだけなのだろう。

「そうそう、もうけんかはそのくらいにしといてくれ」

 ここぞとばかりにロンゾが口を開いた。

「あんまり続くと、こちらのミナ審察官のお怒りが爆発しちまう。俺もついさっき逆鱗に触れたところなんだが、こちらのお方、こう見えても加護持ちでよ。怒らせたら怖いんだ」

「ちょ、ちょっとロンゾさん!?」

 その言葉の効果は覿面だった。一瞬のざわめきの後、聖堂は沈黙に包まれた。睨みつけるミナをよそに、ロンゾはハルに声を掛ける。

「じゃあ、始めてくれ」

「分かった。ではみなさん、黒いのの分際であれですが、審問をさせていただきます」

 リノはもう何も言わなかった。

 繰り出された質問は、執務室で司教へ向けられたものと同じだった。事件当夜、聖堂でエリスと会ったか? 油を撒いたか? 燃やしたか? すべてが即物的な問いで占められていた。

 言葉はあいまいなものだ――ミナは事前に聞いたハルの説明を思い起こす。

 例えば、「殺す」という言葉。一つの例だが、ミト教の狂信者が罪人を罰しようとして殺した場合、彼には「殺した」という意識が生じないかもしれない。彼の中では「殺した」のではなく「罰を与えた」のだから。そうなると、殺したかと聞かれても彼は「否」と答えるだろうし、その時、神罰も落ちないだろう。

 だが具体的、即物的な質問をすることにより、そういったあいまいさを排除することができる。先ほどから、彼はそれを実践しているのだ。

 ロンゾをちらりと見る。説明を聞き終わった後、彼は審問の全権をハルに委ねた。言葉はぶっきらぼうだったが、彼なりにハルのことを認めたのだろう。その証拠に、今も目の前で行われている審問を食い入るように見つめている。

 だが。

 審問はあっけないほど簡単に終わった。いや、終わってしまった、と言うべきか。

「どういうことだ……」

 呆然とハルが呟く。用意していた質問すべてが否定されたのだ。

 事件当夜、誰もエリスに会っていないし、油を撒いてはいない。もちろんエリスを燃やしてもいない。

 質問が追加される。事件当夜、聖堂へ入ったか? 事件を知ったのはいつか?――だが、どれだけ審問を重ねても、進展が得られることはなかった。「当夜は聖堂に入っていない」「事件を知ったのは翌朝死体が見つかってから」と、返って来るのは判で押したように同じ答えばかりだった。

「同じようなことばかり、いい加減にしてほしいんですけど?」

 延々と続く質問に、リノが目に見えて苛立ってきた。そして、それは他の面々も同じだった。

「どうする?」

 複雑な表情で聞くロンゾに、ハルが声を絞り出す。

「とにかく、事件の状況を整理しよう」

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