4章 その2 偽証と神罰②

「ハル、もうちょっと口に気をつけた方がいいよ」

 焼きたてのコウムを頬張りながら、ミナが言った。

「それなら、ミナはもうちょっとおしとやかになった方がいいな」

「そういうところ。私が言ってるのは」

 睨みつけられるも気にする様子もなく、ハルはスープをすする。

 教会の食堂。長テーブルの端に向かい合い、二人は遅い昼食を摂っていた。余った材料で料理長がこしらえてくれたのだ。ついでに言えば、滞在中は教会で食事を出してもらえることになり、ミナは心の中でそっと拳を握り締めていた。

 ロンゾはいない。審問のために会場の準備、関係者の招集をしてくれているのだ。

「これから協力していかなくちゃいけないのに、あんな口の利き方じゃ仲悪くなる一方じゃない」

「最初にけしかけてきたのは向こうだぜ」

「まさか初対面の時のこと根に持ってる? ロンゾさんの話、聞いたでしょ?」

 町を守ろうと応援を要請したのに、派遣されて来たのは自分より年若い二人の審察官。彼が悪態をつくのも仕方ない。そう言うと、ハルは薄っすらと笑みを浮かべた。

「しかも片方は黒いのだしな」

「それは……」

「この国じゃあ、赤い髪に赤い目以外はみんな腫れ物扱いさ」

 ミナは唇を噛む。反論できない自分が悔しかった。

 彼の言っていることは概ね正しい。ミティア教国では国として移民を受け入れているとはいえ、国民の間では彼らに対する複雑な感情――恐れ、蔑み、不信――が渦巻いている。移住の際にミト教へ帰依しているとはいえ、それまでは話に聞く恐ろしい異教徒だったのだ。当然だろう。

 それらを背景として、移民に対する国民の態度は大きく三つに分かれる。完全に無視するか、積極的に排斥を行うか、その中間――差別的に扱うか、である。

 排斥や差別といっても、罪を犯せば火刑になってしまうため、それに類するものはない。その代わり、多くの制約を移民へと突き付けている。例えば、居住区域を町はずれの一画に制限したり、食料や日用品の売買を拒否したり。それらは、どこの町へ行っても日常的に見られる光景だった。もちろん、近所付き合いが生まれることも滅多にない。

「気にすることはないぜ。俺ももう慣れた。ただし、あいつみたいに突っかかって来る相手には、こっちも言うべきことを言わなきゃならない。対等な立場で事を進めるためにね。ま、あれくらい言わないと、まともに話を聞いてくれないってことだ」

「でも、少なくともマズロー司教はちゃんと質問に答えてくれてたでしょ?」

「仕事だと割り切っているのさ。気付かなかったか? あの司教、俺が質問するまでこっちを一瞥たりともしなかったぜ」

 ミナは目を瞬いた。

「差別意識が強いのは、民衆よりもむしろ聖職者だ。選ばれた人間っていうのは、排他的になるものさ」

「ハルの思い過ごしじゃないの?」

「じゃあさ」

 ハルは木匙をミナに突き付けた。

「あんたはどうなんだ? ミナ・ティンバー審察官殿」

「どうって?」

「最初に俺の顔を見た時、固まってたろ。あの時、何を思った? 何を考えた? 怒らないからさ、正直に言ってみなよ」

 冗談めかした声だったが、目は笑っていない。

「えっと……」

 ミナは言葉に詰まる。

「言えないのか?」

「うーん、びっくりしたよ? 異邦人の使徒なんて初めて見たから」

 当たり障りのない答えを返すが、ハルは追及の手を緩めない。

「それから?」

 勝ち誇ったように身を乗り出す少年から目を逸らし、ミナは天を仰いだ。――まさか、こんな質問が飛んでくるなんて。

 彼との最初の邂逅は、もちろん強烈な印象として残っている。だが、その時に感じたあれこれをそのまま口にするのは、抵抗があった。

 実のところ、彼女が黒い髪を見たのは今回が初めてではなかった。まだ十にならない頃、同年代の異邦の少女を見たことがある。そして、その時期に被ったから、黒髪に対する蔑みの意識は彼女には存在しない。問題はもっと別のところにあった。

 ハルの視線が刺さってくる。ミナの沈黙を彼は誤解しているだろうが、正直に話せば別な意味で調子づかせてしまうだろう。

 だが、こうなっては仕方がない。

「綺麗だなって」

 ぼそりと口にする。

「……は?」

「だから、綺麗だなって思ったの。黒い髪と黒い目が」

 決して美男子という意味ではない。鼻はのっぺりしているし、口も顔全体から見ると大きすぎる。けれど、数年ぶりに目にした異邦の黒髪は陽の光の下に眩しく輝いていて、瞳は黒曜石のように複雑な色を湛えていた。かつて地下の暗がりの中で見たものとは、一から十までがらりと印象を異にしていた。そして、彼女は不覚にも思ってしまったのだ。綺麗だ、と。

 を知った今なら断言できる。それらは燦々と降り注ぐ光のいたずらによる、壮大な錯覚だったのだと。とはいえ、そう思ってしまったのは事実だ。嘘をつくわけにはいかない。 

 何を言ってくるだろう――憂欝な気分でそっと目の前の少年を窺う。

 予想とは裏腹に、ハルは凍り付いたように固まっていた。

「頭おかしいんじゃないか?」

 狼狽が聞いて取れる、上擦った声。

 おや、と思った。てっきり調子に乗ってからかってくるものだと覚悟していたが、これは――

「訳の分からないこと言うな」

 そう言うと、ハルはさっと顔を背けた。

 ああ、とミナは思い至る。彼はどう反応していいか分からないのだ。もっと言えば、そう、照れているのだ。あの皮肉屋が、髪が綺麗と言われただけで。

 おそらく、この手の言葉に慣れていないのだ。黒髪を褒められる機会など、この国ではまずないのだから。

 何はともあれ。

 ――反撃の機会が巡って来た。

 す、とハルの前髪に手を伸ばすと、彼は慌てて身体をのけぞらせた。木匙がテーブルに落ち、乾いた音が響く。

「な、何を……」

 しどろもどろになる彼に、ミナはにっこりと笑いかけた。

「うれしい?」

「え?」

「綺麗だって言われて、うれしかった?」

「本当に頭おかしいんじゃないか?」

 その言葉が聞こえていないように、ミナは無言で彼を見つめる。拾い上げた木匙をせわしなくいじっていたハルだったが、やがて小さく舌打ちした。

「うれしくないって言ったら?」

「そうですかそうですか」

 うんうんと頷く。仮定法についてはすでに学んでいる。

「何だよ?」

「喜んでくれて私もうれしいよ」

「面倒くさ」

 はあ、と首を振るハル。どこかぎこちないその動きに、噴き出しそうになる。――うむ、少しはかわいいところがあるではないか。

 まだまだ虫は好かないが、悪い人間ではないのかもしれない。心が軽くなるのを感じ、ミナは自然と口がほころばせた。


「ところでさ」

 手中のコウムを惜しみつつ頬張り、ミナは言った。目の前の皿はすでに空になっている。

「ロンゾさんがもう終わらせてるのに、どうしてまた審問をするの? やっぱり信用してない?」

 ハルは憮然とした表情をしている。先ほどの顛末を引きずっているのは明らかだったが、質問を無視することはなかった。

「信用していないわけじゃない。ただ、偽証と神罰の関係はなかなかに厄介なんだ。例えばミナみたいに粗忽な人間が審問をすると、事実がこぼれ落ちてしまう危険が出てくる」

 先ほどの意趣返しか、ちくりと嫌味な言葉を絡めてくる。けれど、反発心はさほど湧かなかった。彼に対する心のゆとりが出てきたためだろう。

「あ、そうですか」

「ああ」

 テーブルに肘をつくと、ハルは大きく頷いた。

「例えばだ。ロンゾ審察官は最初、関係者全員に審問したって言ってたろ? だが、実際には司教への審問はしていなかった。これは偽証したことになるんじゃないか?」

「あ……」

 あんぐりと口を開けるミナ。呆れ顔でハルが首を振る。

「やっぱり気づいてなかったか……」

「ど、どういうこと?」

「神罰が発動する条件は知ってるだろ?」

 頷くミナに、それでもハルは説明を始めた。

 神罰の発動には二つの条件が必要となる。「偽りを口にすること」「嘘をついている自覚」である。

 例えば、聖篇の内容を語るミト教徒には神罰は落ちないのか? 信徒にとってはすべて事実なのだろうが、客観的に考えるとその多くは創作だろう。

 だが、実際には神罰が下ることはない。信徒たちはそれを理由に聖篇の正しさを主張するが何のことはない、「嘘をついている自覚」がないから業火に焼かれないのだ。

では、聖篇を信じ切れずにいる信徒の場合はどうだろうか? こちらにも神罰が下ることはない。聖篇の章句を口にする時、彼はそれをただ引用しているに過ぎないからだ。つまり、こちらも「偽証している自覚」はないことになる。もちろん、偽証に利用するために引用を行えば業火に焼かれるだろうが。 

 ならば。伝記や公文書、日記など、事実を伝えるものから引用すれば、「偽証している自覚」があろうとも偽証ができるのではないか? 答えは否である。引用する場合は、引用元を必ず宣言しなければならないからだ。それを怠るならば、偽証していると神に見做され業火が待っている。

「もっと卑近な例でいうと、勘違いで間違った情報を伝えてしまった商人、子どもに『絵本を読むね』と物語を読み聞かせる母親なんかも、神罰を受けることはない。同じ様に罵倒や質問、命令、感嘆などの言葉にも神罰は下らない。その他に注意が必要なのは、人との約束だな」

 約束や契約は、破られたとしても神罰が下ることはない。約束を交す際に、履行する意志があるかどうかが重要であり、その後守られるかどうかはまた別の話なのだ。もちろん、履行する気もないのに約束を交わせば、その時点で神罰は下される。

「だからといって約束を守らないのは、人としてどうかと思うがな」

 ミナは顔をしかめた。これまで散々約束をすっぽかしてきた彼女である。耳が痛い。

「で、ロンゾ審察官だ。あいつが神罰を受けなかったのは、『嘘をついている自覚』がなかったからさ。関係者全員と言った時、あいつの頭の中では司教はその中に含まれていなかったんだ。司教は事件とは無関係だというのが、あいつにとって真実だったんだ」

 そう結論するハルの顔からは、すでに仏頂面は消えていた。話しているうちに気が晴れたのだろう。口調も軽くなっている。

「ここまで来れば、審問にも注意が必要ってことが分かるだろ? 嘘をつくつもりがなくても、勘違いや記憶違いはいくらでもある。さらには、嘘にならないよう言い回しを工夫するやつも出て来る」

「なるほどなるほど」

 ミナはこくこくと頷く。

 もちろん彼女も神罰の原理原則は知っていたし、それらの抜け道も頭には入っていた。だが、それを現実に応用できるかどうかはまた別問題だ。目の前の少年が紡ぐ実例に基づいた鮮やかな説明に、悔しいがミナはちょっとした感動すら覚えていた。

「本当に分かったのか?」

 疑わしそうな目を向けてくるハルに、口を尖らせる。

「分かったって!」

「じゃあ問題。詐欺を働いていた港町の露天商を覚えてるか? あいつに神罰は下らなかったのはなんでだ?」

「『嘘をついている自覚』はあったけど、言い回しで『偽りを口にする』のを回避したからでしょ」

 考える必要もないとばかりに即答する。

「……へえ、意外に理解力あるんだな」

「また余計な一言を」

「褒めてるんだよ。褒めついでに聞くが、あの時、ミナの質問に露天商が黙っていたのは何でだと思う?」

「え? もう諦めてたからじゃないの?」

「違う違う、変に言い訳をして、神罰を受けてしまわないようにだ」

 言い訳というものは大抵の場合、多少なりとも嘘が含まれているものだ。そして、それは本人も自覚していることが多い。つまり、偽証の条件を満たしてしまう可能性が高いのだ。

「実際、余計な言い訳をして焼かれた罪人は何人も知ってる」

「でも、裁きの門に送られたら結局は……」

「少しでも長生きしたいんだよ。それに、もしかしたら奇跡が起きて、逃げることができるかもしれないだろ?」

 そこで言葉を切ると、ハルはミナをじろりと見た。

「それにしても、いくら注意力がないからって、こんな簡単なことにも思い至らないって、あるか? それでよく使徒になれたな。それこそ神のご加護じゃないか?」

「実力だし!」

 使徒は各教区で公募される。資格は成人、つまり十四歳以上であることだけだが、選抜試験は合格が五百人に一人という狭き門だ。

 とはいっても、聖篇を暗記しているミナにとって、それは難しい試験ではなかった。聖篇を一字一句間違えずに諳んじること――それが試験内容だからだ。

 ミティア教徒ならば、聖篇の内容はもちろん頭に入っている。だが、低い識字率、聖篇の希少性といった問題から、通読した者は少ない。まして、千ページを超すその文面を暗記している者など、滅多にいないだろう。結果、合格者は自ずと限られることになる。

「というか、ハルの方こそよく使徒になれたよね」

 これは皮肉ではない。

 この国では公職、聖職にミティア民族以外が就くことはまずない。異邦人でも選抜試験は受けられるが、その内容が大きく変えられているのだ。以前リズに聞いた話によると、暗唱のほかに、聖篇の注釈に関するいやがらせのような試問が浴びせられるという。

 目の前の少年ならば、それすらも突破しそうではある。偽証に関する立て板に水の解説といい、瞬時に飛んでくる皮肉といい、はなはだ遺憾ではあるが頭の回転の速さはミナも認めざるを得ない。

 だが、最終的に合否を判断するのは試験官である。そして当然、試験官はすべてミティアの民だ。異邦人である彼が使徒になれたのは、それこそ驚異以外の何物でもない。

「そっちこそ神のご加護なんじゃない?」

 さきほどのお返しとばかりに言ったつもりが、思いもかけずハルの表情が強張った。

「それはない」

「え?」

「神のご加護なんて、ない」

「はいはい、実力ね」

 ミナが呆れ半分に返事をしたところで、入口からロンゾがひょいと顔を覗かせた。

「審問の準備ができた。関係者全員、聖堂に集まってる」

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