最終話 本の獣は、全ての謎を解き明かす



『キスティは、たいそう大人しい少女でした』



 静かな大講堂に、語りの声が響き渡る。外からは子供達の楽しそうな声が聞こえてくるが、逆にそれが演出のようになっていた。



『いつも牢屋のような暗い部屋に閉じ篭もり、誰とも触れ合おうともせず、ただひたすら知識だけを求める。他に必要なものは何もありません。それが彼女の日常で、世界の全てでした。寝坊してもお構いなし、周囲から本に取り憑かれた獣がいると噂されていても、まったく気になりません』


 舞台の上では、キスティ役のノーザンがしおらしく本を読んでいた。一部の観客が笑いを堪えているが、ギリギリ大丈夫だ。



『そんな噂を耳にしたのが、流れの騎士ローザ。ローザはとても行動的で、消極的なキスティとは水と炎のように正反対です。かつて幼い頃から牢屋に閉じ込められていた経験あるローザは、キスティを気の毒に思いました。暗い部屋で独りぼっち、本当は辛くて寂しいだろう。思い立ったローザは、声を掛ける事にしました』


 舞台の薄暗い場所から、ローザ役のロズが現れた。


 男装をした騎士の姿でキスティの隣に立つ。だがキスティはローザに振り返ることもなく、静かに本のページを捲っていた。



「キスティ」

「この本を読み終えたらにして下さい」


「美しい景色がある」

「この本を読み終えたらにして下さい」


「健康的だけど最高に不味い飲み物がある」

「この本を読み終えたらにして下さい」



『しかしローザが何を言おうとも、キスティは本から離れません。キスティは本以外のために動く人間では無かったのです。ローザは彼女を部屋から出す方法が分かりませんでした』


 ローザは去って行った。



『そんなある日、キスティの元に大海賊ラーキが現れました』


 ローザと入れ替わるようにして、今度はなんとラーキ役の学園長が現れた。木剣を持って頭にバンダナを巻き、粗暴な格好をしている。


 これには観客席からも笑い声が上がる。



『がく……ラーキは少女の噂を聞き、身売りをしようと誘拐に来たのです。誰からも見放された孤独な女ならば、いてもいなくても関係が無いのだと。キスティはあっという間に縛り上げられ、海賊船に乗せられました』


 学園長がノリノリで高笑いをした。


 そしてロズが現れ、肩を落とした。

 舞台の光が落とされていく。



『――キスティの悪い噂は、良い噂で上書きすればいい。彼女がその知識と才能で人々を助けて、皆に気付かせてあげればいい。本の獣は困っている人々を放っておかない。本の獣は、全ての謎を解き明かすのだと。ローザがそう考えた矢先の出来事でした。物語はここから始まります』



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 学園の道中では、屋台や芸など様々な催しが行われていた。


 食べ歩きをする観光客や、海賊ごっこをする子供達。あらゆる人がいる。システィとヨニスはそれを横目に見ながら、早歩きで大講堂へと向かっていた。



「……あの子は気を遣える優しい子なの。だから、私は余計に辛かった」


 ヨニスがポツリと零した。

 その顔には、苦悩が透けて見えていた。



「悪い大人達の陰謀があってね。あの子を守るために、どうしても牢屋の中に閉じ込めざるを得なかった。それを幼いながら理解してたのよ。そして、遠いこの島へと送り出してしまった」

「牢屋ってまさか本当にヨニスさんは……」

「あれが大講堂ね、急ぎましょう」


 ヨニスの足取りが早くなる。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 湯世曲折あり、海賊船が出港した。


 キスティは深い溜め息を吐き、改めて自分の置かれている状況を確認した。



 両手を後ろで縛られ、そのまま他の乗客と共に甲板の床に尻をつけている。ロープが肌に食い込んでヒリヒリするが、文句を言える状態でもない。


 海賊による誘拐に遭ったという訳だ。


 人質は自分を含めて5名。そして人質を取り囲むようにして海賊達が座り、野イチゴを頬張り始めている。何かをするわけでもなく、実に奇妙な光景だ。


 胡坐をかいて木箱に座っているのは、大海賊ラーキ。金貨50枚の賞金首で、詐欺師兼、海賊だ。そのラーキが口を開いた。



「よく聞け。これからお前達は、俺達の誘拐組織に組み込まれる事になる。海賊は新たな時代を迎えるだろう。身売りと身代金が、社会の歯車となるのだ! 全海賊が楽をして暮らせと、悪魔が囁いているからな!!」

「な、何だと!? 馬鹿な真似はやめろ!」


 キスティの隣の男が驚いて声を上げた。



「馬鹿なのは増税しかしねぇ役人だ!! いいか、大人しく俺達に従わねぇと……この毒イチゴを腹一杯になるまで食わせてやる」

「そ、そんなにいっぱい……くっ!」

「…………」


 他の人質達がラーキと言い合いをする中、キスティは考えていた。


 外の世界は、きっとこんな事ばかり。道徳や倫理は本能で掻き消される。自分の得た知識で争いの無い平和な世界を生み出せると思っていたが、その方法はいまだに分からない。



 ――もっと知識があれば。

 ――もっと本があれば。



 そう考えていた時、急に船が大きく揺れた。

 何者かが、甲板に飛び乗った。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「人が多いわね」

「こっちです、ヨニスさん」


 かつて、エスメラルダという大国があった。


 戦によって滅びたその国は、全てが焼け野原になった。あらゆる資産が奪われ、何の罪もない人々が燃える死体の山へと変貌を遂げた。


 しかし、それでも生き残った者はいた。友好国グレルドールはその者達をどうにかしようと画策し、その身を削って救い続けた。



 だがグレルドールの犠牲は生半可なものではなく、国を脅かす程に大きかった。多くの国民の理解を得れたのは幸いだったが、エスメラルダ如きの為にと言う声も少なくはなかった。この時に、王族の力が大きく落ちてしまったのだ。


 そして数年経った今、ようやく持ち直した。



「やっと入れました……」

「ふぅ、始まったばかりのようね」

「席には座れませんね。立ち見でも?」


 システィの言葉は、ヨニスの耳をスッと通り抜けた。


 ヨニスは既に舞台に見入っていた。



 本当は今日会う事を許されてなかった。だけど、どうしても会って謝りたい。そんな気持ちで来たはずなのに、姿を見た瞬間に嬉しさが全てを上書きした。


 数年振りなのに、一目でわかった。



「えぇ…………いくらでも立ってるわ」


 舞台には、我が子の姿があった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「――私はグレルドー騎士団の端くれローザ!! 海賊め、大人しく従えば刑を軽くしてやる。今ならこの島の土産物屋で売っている、高くて怪しい木彫りの人形も付けてな!」

「はっ! その人形は魅力的だが、誰が従うものか! 騎士風情が!!」

「言ったな……後悔させてやる!」


 ローザは木彫りの人形をごとりと床に置いた。



 2人は木剣を抜き、構え――。

 剣が激しく交わった。



 その様子は、圧巻だった。


 ラーキはその図体に見合わない正統派の剣術を魅せた。まったく無駄のない美しい動きで、海賊の欠片も見当たらない。


 それに対して、ローザは型にはまらない全身のバネを使った剣で攻撃をいなしていた。飛んだりしゃがんだりと踊るように戦うという、非常に派手な戦闘だ。



 2人は尋常じゃない速さで打ち合う。

 まるで、剣による芸術。

 観客は釘付けになっていた。



 何よりも驚いたのは、今までの演劇では見たことのないこの演出だ。


 通常の演劇というのは愛や悲哀、そして死が描かれる。だがこの劇では、激しい戦闘を繰り広げているのだ。いつの間にか人質達の縄も解かれ、キスティ以外の者達も海賊と戦っている。



 幾分かが経ち、ローザが一瞬の隙をついてラーキの武器を弾き飛ばした。飛ばす方向も完璧で、舞台袖に綺麗な放物線を描いて飛んで行く。


 そして、ラーキの首元にローザの木剣が向けられた。

 くるりと回転し、スカーフがなびく。


 観客席からも大きな歓声が上がる。

 すっかり興奮状態だ。



「ぐっ……つ、強い!」

「口ほどにも無い」


 舞台からラーキを含む海賊や人質達が退散し、ローザとキスティだけがその場に残された。


 ローザは武器を納めて、キスティに近付く。急に会場の音が静かになり、ローザの動作の一つ一つの音が大きくなる。



「キスティ。運命というものは残酷だ」

「……え?」


 キスティはキョトンとした。



「――私の本当の名は、ローザ・ニール・フィン・グレルドーン。前国王のお戯れによって産まれた、この国の姫だ。だが訳あって牢屋に閉じ込められ、こうして騎士となった」



 その言葉に、観客席がどよめいた。

 演劇とはいえ、似た名前の国家で王家を名乗っても良いものかと。


 だが、この島に住む住人や学生達は、ローザの告白を静かに聞いていた。本人が初めてこうした場で公言したという事を察しているのだ。


 ローザは自分の手のひらを見つめた。



「……世界というのは、理不尽で滑稽だ。誰かの我儘が争いを生み、関係の無い人が巻き込まれる。大人とは大きくなっただけの子供で、その本質はまるで同じだ。私はそんな世界をそろそろ変えたいと思う。お前と同じ気持ちだよ、キスティ」


 拳を握り、優しく微笑んだ。

 先程まで激しく剣を振るっていた人物とは思えないほど、穏やかだ。



「共に来い、キスティ。私は力でお前は知識だ。今こそ、世界に旅経つ時だ!!」


 ローザは手を差し伸べた。

 キスティは静かにその手を握る。



「……わたし、心を入れ替える事にしたわ。貴女と共に世界を見てみたい。きっと私達には、真実の風が吹いているのね!」

「そうだ! 余計なアドリブだがその通りだ!!」

「ひっ……!」


 声が上ずったノーザンが立ち上がった。



「でも、どうすれば?」

「まずはお前の噂を書き換えるために、島の人々を助けよう。少しずつ汚名を返上するんだ。そして光を浴びて、私の隣に立つに相応しい人物になれ」

「分かったわ!」

「さぁ行くぞ、世界へ――」


 二人は一本の木剣を握り、空に掲げた。

 会場の光の全てがそこに集まる。



「「グレルドーンに栄光あれ!!」」



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ロズは拍手を受けながら、観客席を見渡していた。


 特等席は一つだけ開いている。

 劇は無事終了したが、気は晴れない。



 拍手が鳴り止み、客席からは人が去って行った。片付けに取り掛かろうとした時……自分に近付いて来るその人物をようやく見つけた。



「おい、遅刻だぞシスティ!!」

「すみません、人探しのお手伝いで……でも、最初の方から見てました。ただ、人が多すぎて席までたどり着けなかったんです。ありがとうございますロズ、素晴らしい劇でした」

「人探しってお前は何を――――」



「――本当に、久しぶり」



 ロズは、システィの隣に目をやった。


 長い黒髪に貴族のような髪留め。

 フードを被ってはいるが顔は見える。


 見覚えのあるその顔が、ロズの頭の中でリンクした。



 ロズは木剣を抜いた。



「――――システィ! そいつを抑えておけ!! ぶっ飛ばしてやる!!!」

「お、おい誰かロズさんを止めろ!!」

「よくもぬけぬけと!! んがああああああああ!!!」

をお守りしろおぉ!」


 いつの間にか、ネグリ学部長がシスティの目の前にいた。体を張ってヨーリシュを守りながら、後ろへと後ろへと下がっていく。



「王太后様、早く出口へ!」

「どうせ私を連れて行くつもりだろ! 意地でも帰ってやるかよ!!」


 ロズは取り押さえようとした兵士をボコボコと倒しながら、どんどん近づいて来る。学園長とノーザンもついでに蹴られていた。



 ロズ・ニール・フィン・グレルドール。

 この国の隠された姫が、母親である王太后に殴りかかろうとしていた。



「ふふ。折角ですし、一発殴られては?」

「あら、あの剣術を見た後によく言うわね。一発じゃ済まないし私死ぬわよ?」

「じゃあ抱きしめてあげてください」

「いいけど、投げ技をきめられそう」


 システィもあれだけ怒ったロズは久しぶりに見た。


 だけど、分かっている。

 本人は嬉しいのだ。



「……ふふっ、私の負けね」

「何がです?」


 ヨーリシュはふぅと溜息を吐き、腰に手を当てた。



「本当の事を言うとね、メクセス王の件でようやく国が落ち着いたから、あの子を連れ戻しに着たのよ。虫のいい話よね。でも幸せそうな今のあの子を見て諦めた。姫なんて肩書きは、あの子には似合わないわ」


 ヨーリシュは遠い目でロズを見つめた。

 それは、愛する娘を見る目だ。



「――そういえば、メクセス王は貴女も連れて来いって言っていたわよ?」

「王が? なぜ私を?」

「ふふ、気になるなら来る?」

「おいシスティ!! んぎぎぎ……!!」


 ロズはもう数歩先にいる。


 王太后に切りかかろうとしているとはいえ、兵士達でも姫に対しては乱暴に振るう事が出来ないらしい。どうにかしてロズにしがみつき、引きずられながら頑張っている。


 何故かは分からないが、システィはその光景がとても可笑しかった。

 確かに、ロズに姫は似合わない。



「――ロズを抱きしめてあげて下さい。そしたら、考えますよ」

「ふふ、王命なのよ? まぁ分かったわ。でも恥ずかしいのよ、私も……」


 ヨーリシュはそう言って、自らロズに近付いて行った。


 両手を広げて、優しく微笑む。



 母と娘の感動の再会にしては、ロズらしい。

 ヨーリシュに向かって、ロズの真っ直ぐな右ストレートが飛んで行った。












◇ ◇ ◇



 精霊祭の少し前。

 書庫にて、ロズがシスティに呟いた。



「――システィ、私は卒業したら城に戻る事にした。お前と共にな」

「私もですか?」

「お前がいないと暇なんだ。お前だって、私がいないと暇だろう?」


 そう言い切れるのが、ロズの面白い所だ。


 だが、システィも同感だった。

 本を読むのも好きだが、とっくにロズに感化されてしまっている。



 人生には運命の分岐点があり、そこでどの道を選ぶかによって未来が大きく変化する。そしてそれは往々にして予兆無く現れるため、心の準備をする余裕も無い。


 あの時、ロズの手を握った自分の判断は間違っていなかった。今度は、自分がロズに恩返しをする番だ。



「知っていますかロズ。お城には大きな図書室があるらしいんですよ」

「知ってるよ。行きたいんだろ?」

「行きたくなくはありません」

「どっちだよ」


 ロズは寝床から起き上がった。

 システィに手を差し伸べる。



「世界を変えるぞ。お前と私で、この国から」

「私の噂を流してるのって、ロズですよね?」

「……なるほどな、違わなくはない」

「ふふ、どっちですか」


 システィはいつもと同じように、ロズの手を握った。

 涼しい風が、書庫の扉を揺らした。





- 完 -


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本の獣は、全ての謎を解き明かす じごくのおさかな @jigokunoosakana

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