第10話 愛の代わりになり得るもの



「ここは逆転の発想ですよ、あえての」

「あえてって何だよシスティ。愛の代わりなんてある訳がないだろう?」


 ロズは呆れた表情で、食堂のテーブルに肘をついていた。



 ここは、学園の帰りにあるいつもの店。

 ロズとシスティは、愛とは何ぞやについて語り合っていた。



 システィが食事中に発した「愛って何なんでしょうね……」という衝撃の一言に目を丸くしたロズは、夕食のポタージュを吹き出して話題に食い付いたのだ。盛り上がりすぎて熱くなったのはいいが、今やそのポタージュは冷めきっている。



「お前は真実の愛を知らないから分からないだろうな。何せ、10年間も籠の鳥だ。本でしか分からないってのも仕方が無い。そこは目を瞑ってやろう」

「ロズは真実の愛を知っているんですか?」

「もちろんだ。聞いたことがある」

「はぁ……よく自信満々に言えますね」


 ロズはやれやれとした様子で、手に持ったパンをシスティに向けて忠告する。



「いいかシスティ。お前は知らないだろうけどな、愛は人を殺したり甦らせたりするんだ。ちなみに私は人を好きになった事は無いが、愛を告げられた事は多い。おかしなことに、告白されたら何故かその場で相手から断られるんだがな」

「納得が出来ませんが、納得が出来ますね」

「どっちだよ。お前だってあるだろう?」

「……なくは無いですが」


 システィも断っていた。

 正直、よく分からないのだ。


 避けられている身としては、からかわれているというのが第一印象になる。誰かと長く付き合うには迷惑を掛け過ぎるだろう。そもそも、誰かと契りを結ぶのはまだ考えられない。というか興味が湧かないのだ。



「――恋の病ってのはな、心の具合が悪い時に患うものなんだよ。今の私やお前のように元気じゃ駄目なんだ。疲れてる時に優しくされたら、何だか嬉しいだろう? だから、自分を好きにさせる為にはまず相手の具合を悪くしてやるんだ」

「またとんでもない理論ですね……」

「事実だぞ。何せ、私はずっと元気だからな」

「……つまり、私達2人で恋について語り合っていても何も解決しないと」


 恋の経験がある人にしか、正しい断り方は分からない。システィはもぐもぐとパンを食べながらそう結論付けていた。



「しかし、まさかシスティが愛を語り出すとはな。思春期の力とは凄いな」

「私じゃないですよ。それに逆です、愛を断る方法を考えているんです」

「だから、愛は断るもんじゃないって。優しく受け入れるんだよ!」

「ロズは断られてるじゃないですか」

「そうだった……こんなのおかしいだろ」


 ロズは急に悲しみながら、冷めたポタージュにパンを付けた。なぜ告白される側なのに、その相手に振られてどん底の気持ちを味あわなければならないのか。上げて落とす嫌がらせか。



「……そもそもな、私は白か黒が好きなんだよ。だけど面倒なことに、やって来る愛は全てが灰色だ。この何とも言えない味のポタージュのように、曖昧なものばっかりなんだよ。売れない味だよこいつは」

「このポタージュは売れ筋ですよ、多分」

「はぁ、何で分かる?」


 システィはそう言うと、メニューを指差した。



「このポタージュは銅貨6枚。トッピングが追加された銅貨8枚のポタージュと、トッピングを抜いた銅貨4枚のポタージュの中間です。人間って3段階の選択肢がある時は、真ん中を選びやすい傾向があるんですよ。今日の私達のように」


 価格の種類が3段階ある場合、高すぎず安すぎない、真ん中を選んでしまう心理効果だ。この場合、真ん中が最も売れるようになる。



「極端の回避の心理ですね。逆に言えば、売りたいものがあるときは上のグレードと下のグレードを用意すればいい訳です」

「そうか。はぁ……」


 ロズはシスティの蘊蓄で興が冷めたのか、器に残ったポタージュの更をパンで拭き取り、口に放り込んだ。そして立ち上がり、食器を片付け始めた。



「私はまどろっこしいく無いのがいい。曖昧なものってのは、いつまでも頭の片隅に残ったままで消えないからな。停滞と同じだよ」

「愛は複雑なんですよ、きっと水のように」

「いいや直情的だね。例えるなら炎だ」

「……ふふ、そうかもしれませんね」

「なんだよもう。水でいいよ」

「炎でいいですよ」


 お互いに意見が違う方が、新たな発見が多くて楽しい。もし自分が結婚するのであれば、自分とは真逆の人間だろう。


 システィはそう考えながら立ち上がり、ミルクリフトの件について策を練り始めた。



◆ ◆ ◆



 修道院宿舎の会議室にて、ミルクリフトは不安気な表情でシスティに話しかけた。



「――何だか最近、具合が悪いんだ。嫌がらせを受けているというか……こんな物が送られてきてさ」


 システィは目の前にある机の上を見た。『ミルクリフト様へ』と記された手紙と、不気味な木彫りの人形が置かれている。その背中には、天使の羽が赤色で描かれていた。


 随分と重い。

 まるで呪いのようだ。



「……もしかして、例の侯爵様の関係者でしょうか。今まで黙っていた女性達が、愛の争奪戦に動き出したんですかね?」

「いや、あの手紙は僕達とノーザンだけしか知らないはずだよ。とはいえ、このタイミングはそうとしか思えないけど」


 単純にミルクリフトが人気なだけかもしれない。もしくは、淡い恋心を抱く女性がノーザンの想いに勘付いているとか。



「この人形に心当たりは?」

「無いよ。というかこれ、商店街の土産物屋に売ってる物だよ。お婆さんが趣味で作ってる高いやつ。もちろん、僕との接点は無い」


 関係性の薄い人形。



「早く終わって欲しいけど、まだ討論会の日まで1週間以上もあるからね。そもそも、僕達の本来の目的は模擬討論会の完遂だ。ちゃんと理論武装をしなければね。今さっき伝えられた僕たちの議題は、中々に考えさせられるものだったよ」

「議題は何だったのですか?」


 システィがそう聞くと、ミルクリフトは課題の記された文書を取り出した。



『人類に多大な貢献をした貴族は、通りすがりの怠惰な農民を殺しても罪になるのか』



「そりゃあ……なるのでは?」


 犯罪者は犯罪者だ。それは法が平等に裁くため、貴族であろうとも人殺しには変わりない。


 システィがそう答えると、ミルクリフトは深い溜息を吐いた。



「普通ならそう考えるんだけど、前時代的な人が加わると凄くモメるんだよねぇ。幸い、僕たちは『なる』という肯定側で、ノーザンは『ならない』という否定側だ。良識で戦える分、まだ良かったよ」

「『なる』という証拠が必要になんですか?」

「その通り。できれば客観的なものだね」


 模擬討論会とは、一つの意見に対して肯定派と否定派に分かれ、言論による決闘を行うものだ。それぞれが理由を分厚く武装しなければ、相手に言い負かされてしまう。


 出場するのは実際に答弁を行う人間と、それを補佐する補佐人の2名。2対2で、激しい討論が繰り広げられる。



 そして、判定ジャッジはその場にいる参加者全員となる。司会も傍聴者も票を持っており、どちらの意見の方がより筋が通っているか、討論が成り立っているか、客観的に見れているか、ちゃんと受け答えが出来ているかなどを評価される。


 議題自体に答えの無い場合が多いため、どちらが正論かは関係が無いのだ。



「ジャッジに私情を挟んではいけないってのがルールだけど、その辺はまぁ人間だからね。傍聴席に貴族寄りの思考の人物が多ければ、『ならない』が多数派になるかもしれない。まぁ正直に言うと、その場の勝ち負けはどうでもいいんだ」

「……課題の最終判断は先生、ですか」

「ご明察。流石だね」


 となると、討論会の場はあくまで見世物になる。最終的に先生が評価を下すなら、やはり準備と練習が全てだろう。ある意味では演劇と似ている。



「実際の議会では、強引に相手を言い負かすような答弁も重要ですけどね」

「そうだね。僕たちは年齢的には大人に数えられるけど、身分は学生だしね。大目に見てくれるんだよ。しかし、この議題でノーザンはどうやって僕の心を射抜く気だろう?」


 ミルクリフトは机に置いてある人形をひっくり返した。

 再び愛という文字が現れる。


 ミルクリフトはあの手紙を貰ってから、ノーザンと会話する事を避けていた。ノーザン側もミルクリフトとすれ違う時には、恥じらう様子で目をそらしていた。まるで、恋を患う乙女のように。



「私、恋愛は本当にさっぱりなんですよ。反論の最後に『でも君の事を愛してるんだけどね』って毎回ボソッと言ってくるとかでしょうかね?」

「うわ、悪寒がしたよ。無いなぁそれ」

「…………」


 恋愛は、本当に分からない。


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