第三章 愛の模擬討論会
第09話 愛の模擬討論会
足りないものは、全て準備した。
議事録係のペンにインク、それに傍聴席の分担。先生方の
今回の模擬討論会は完璧だと思う。何せ、俺と君は他の生徒とは違って、誰よりもお互いの事を分かり合っている。それがたとえ討論の場で敵同士だったとしても、俺は君の言いたい事が手に取るように分かるのだ。
だから俺は、心に決めた。
俺はその場で、君の心を射止めたい。
―ノーザン・モリス―
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
海鳥の鳴き声に、漁師達の掛け声。
騒がしい学生に、慌ただしい観光客。
これが日常であり風景だ。
修道院島はいつもと変わらず騒々しい。
ここは学園にある窓の無い小さな一室。システィは静かに床に座り、本を開いていた。休日の明るい時間にも関わらず、部屋に差し込む光は少ない。暗がりの中で蝋燭の炎だけが揺れていた。
『――本というものは、人生を豊かにする。これは、愛という感情と同じだと思う。私は本を愛し、その作者を愛している。どんな物語を紡いだのか、それが私にどのような感情を与えてくれるのか。読書とは、常に新しい恋の出会いなのだ。
逆に言えば、世間一般で言われる本当の恋愛というものを、私は知らない。だから、そんな問題を持ってこられても困るのだ。愛と恋の違いなどは、本が教えてくれないものだ。 ―とある読書家の日記―』
システィは最後の一文を読み終え、本を閉じた。
目を閉じて、その文を反芻する。
良い言葉だった。
「ここは最高ですか……」
システィがこのグレルドール・サン・メルヴェイユ修道院付属学園島、通称『修道院島』に来て早5年。学園の書庫にて頼み事をされたシスティは、放課後の本の匂いを堪能していた。これは雑用を頼まれた自分にだけ許された特権だ。
市民にも本が手に取れるようになったとはいえ、知識そのものは高級品だ。学園でも参考書や研究資料は貸し出しに制限がかかっており、盗難なども頻繁に起きていた。模写が許されない本もいくつかある。
システィは周囲を見回した。
この小さな書庫にも、相当な数の文献が並んでいる。そして今は自分しかいない。読み始めたら止まない性分も、ここでは何も問題ない。ここに閉じ込められても構わない。いや、閉じ込めて欲しい。何なら一泊してやろうか。
「ぐへへ……やはり最高でしたね」
ここでの作業は前々から狙っていた。『後はお願いね』と書庫長に言われたが、嬉しさのせいで何をお願いされたのかも忘れてしまった。システィの頭の中では、どの本棚から制覇しようかという欲望で一杯だった。
そんな本の獣を制するかのように、書庫の扉がノックされた。システィは慌てて我に返り、本を閉じる。
「やぁやぁ、システィさん」
「ミルクリフトさん?」
現れたのは、ミルクリフト・リリンクス。ローレンドの誘拐事件の際にロズの腹下しを治してくれた爽やかな男子生徒だ。学園で出会うのは珍しい。
この島の修道院宿舎は、貴族専用の高級宿舎のようになっていた。それもそのはず、各国の貴族階級が学びにやって来るのだ。それを一纏めにして、宗教の盾と共に厳重な警備体制を敷いていた。そのため、一般人と絡むのは講義中だけだ。
また安全性の観点から、貴族達が島を散策する機会はほとんど無い。ミルクリフトのようにこっそり抜け出す以外は、こうして学園内をふらりと出歩くぐらいしかないのだ。
「一体、どうなさったのです?」
「いやぁ、書庫にヤバい獣が出没したと聞いてね。貴族会に属する身として、こうして駆除に参った訳さ」
「ロズのような事を仰いますねぇ」
「ははっ、まぁそれは冗談さ」
ミルクリフトは1つ上の先輩だった。そして貴族会と呼ばれる、貴族の集まる会の参加者でもあった。あの誘拐事件から、たまにこうして気さくに話し掛けてくれる間柄になっていた。
システィ自身、学園では未だに浮いていた。それは亡国の姫だとか、呪われた姫だとか、灰色の髪だからかは分からない。自分に近付く人間は、それと同類と扱われるのだそうだ。
そんな自分と会話をしてくれるだけ、ロズやミルクリフトは有難い存在だと感じていた。パッと思い付く知人というのは、片手の指の数もいないのだ。
「少し時間をいいかい? 君のその知性を借りたくてね」
「…………」
「おや、その顔はもしかして『今から本を読みたいのに、邪魔が入った』なんて考えていたかい? そんな事もあろうかと、さっき書庫長から頼み事を一つ授かってきたんだ。僕の依頼をこなしてくれれば、この仕事を回しても構わないけど――」
「乗ります!」
「ふふ、分かり易くていいね」
◆ ◆ ◆
『分かり易くていいね』というのは、誉め言葉かどうか分からない。ただ、何をやるのかも分からずに甘い誘い乗ってしまったシスティは、酷く後悔していた。
システィはミルクリフトに連れられて、修道院宿舎内の共用通路にある椅子に座らされていた。
学園に来て長いが、宿舎には初めて入った。絢爛豪華とはまさにこの事だろう。廊下でさえも見事な装飾が施され、まるでここだけお城の中のようだ。
そして今日は休日。外出の許されない貴族達が暇をもてあましながら宿舎に籠もっていた。そういう訳で、必然的に共用通路の人通りが増える。
「……何故、このような衆目下で?」
「僕は、嫌がらせが好きなんだ」
行き交う貴族達が、驚愕の目でシスティ達を見ていた。
『本の獣は、全ての謎を解き明かすらしい』。あの騎士の一件から、そんなあられもない噂が広まり、こうして誰かに見られる機会が多くなった。彼らがそういう眼差しなのか、はたまた忌避の眼差しなのかの判断は付かない。
とりあえず、人前に出るのは苦手だ。暗く狭い場所で本を読んでいたい。そして本の中から世界が平和になる方法を見つける事が出来れば、自分の人生の課題は終わりだとシスティは考えていた。
「本当にロズのような事を仰いますね」
「ははっ! 冗談だよ、僕の部屋が掃除中で入れないだけさ。さて……少し困った事があってね」
ミルクリフトはそう言うと1枚の紙を取り出し、システィに手渡した。システィはそれを開き、さっと目を通した。
「僕はこういうの苦手でさ。どうしたらいいのかさっぱりなんだよ。騎士の問題を解いたシスティさんに、次の問題を与えさせてくれ」
これは……ミルクリフトへの事務的な文書のようだ。学園から出された課題の詳細が記されている。役割や時間、持ち物に……。
と思ったが、システィは最後の一文に目を奪われた。
『――俺はその場で、君の心を射止めたい』
「…………」
文書を折りたたみ、無言で返却した。
「次の課題の連絡が、何故か手紙で来てね。僕とそのノーザンの共通の友人である女の子から届いたんだよ。読んで分かったと思うけど、非常に困ってるんだ」
「実に面白い読み物でした」
「これは現実の問題だよ?」
「いやぁ、私にとっては非現実です」
まさかの男同士の恋愛だ。ド素人が関わってはいけないような、非常に高度な世界だ。特に貴族絡みとなれば厄介な事になるのは間違いない。
「そもそも、ミルクリフトさんは学園の外に戻れば伯爵様でしょう。貴族に恋愛なんて、家名が許さないのでは?」
「手紙の差出人であるノーザンは、僕の隣国の侯爵家の長男なんだよ。爵位は相手の方が上だ。学園の外に戻っちゃうと、断る事の出来ない未来が待っている」
「うわぁ……」
ミルクリフトは項垂れた。
男色自体は珍しいものでもない。貴族の間ではそういった愛人を取る事も多いと聞く。だが実際にそれを目の当たりにすると、何ともいえない感情が湧いてくる。やはり、非現実なのだ。
システィはミルクリフトの顔をじーっと眺めた。こうして見ると、確かに男性にも人気が出そうだ。背筋はスッと伸びており、顔立ちは中性的で爽やか。薬学会に所属しているという知的さもポイントが高い。
しかし……射止めるといっても、授業中に愛の告白をする訳でも無いだろう。のらりくらりとアプローチを避けていれば、向こうに気がないと伝わるのではなかろうか。
兎も角、深く関わってはいけない気がする。
「すみません。私、恋愛には疎いので」
「僕もさ。一応聞くけど、ロズさんは?」
「お察しの通り、皆無です」
「困ったなぁ……」
「しかし、なぜ私に相談を?」
システィがそう問いかけると、ミルクリフトはふぅと溜息を吐いた。
「ちゃんとした頼みがあったのと、何よりも口が堅そうだったしね。こんな噂、貴族会で流れたらお終いなんだよ。あいつらは間違いなく侯爵の味方をする。逆らえない流れが作られてしまう」
「なるほど、確かに厄介ですねぇ」
やはり、爵位の差というのは相当な壁だ。
「愛人って、断れないんですか?」
「んー……分からない。侯爵の恋路を断ったらどうなるのか、僕が聞きたいよ」
「男性器を消し去る薬や、頭をおかしくする薬は無いんですか?」
「そんなの、僕が殺されちゃうよ!」
ミルクリフトは両手を頭の後ろに置いて、上を見上げた。
「はぁ……手紙に書いてある今回の課題、模擬討論会というんだけど、2週間後に大講堂で行われるんだ。僕とノーザンは討論会では敵同士なんだけど、その場で多分、愛のパフォーマンスを受ける」
「それはロマンチックですね」
「いいよね他人事って。羨ましいよ」
討論会というのは、ある議題に対して真偽を問い合うものだ。議会や裁判とは違った、曖昧で結論の出しにくいテーマが上がる事が多い。
そして会場となる大講堂は100席もある。貴族社会でも実際に役立つためか、力の入った授業となっていた。
「ちなみに補佐人、つまり僕の助っ人としてもう既に君を推薦しておいたから。僕の隣に座る事になるからね。会場で2番目に目立つ場所だよ」
「な、何て事をしてくれたんですか!?」
「僕の勇姿を見届けてくれ……じゃない。この状況からどうすれば僕が告白を断れるのか、考えてくれないかい? 頼むよ、ロズさんを救ったお礼としてさ、頼れる人がいないんだ!」
ミルクリフトはシスティに頭を下げた。
ロズの名を出されては断れない。
安請け合いとはこの事だ。
『愛と恋の違いなどは、本が教えてくれないものだ』つい先ほど読んでいた言葉が、システィの頭によぎった。しかも今回はそれに加えて、身分の差も付いてくるらしい。
断れない愛の告白を断る。
「……はぁ、分かりましたよ」
「ありがとう、ありがとう! いやぁ、持つべきものは優秀な後輩だよね!」
システィは溜息を吐き、天井を仰いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます